恋というものは

須藤慎弥

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◆ 暴露 ◆ ─潤─

第九十六話

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… … …


 朝晩の連絡、日中のメッセージのやり取りは変わらず続けているが、潤は天との決まり事を健気に守って会いたい気持ちを殺している。

 気持ちを確かめ合ってから早一ヶ月。

 二月に入り、間もなく受験生となる潤はバイトの出勤日数を大幅に減らし、予備校に通い始めた。

 これは両親、主に母親からの強い要望があっての事だったが、天との将来を決めている潤に迷いは無かった。

 α性だからと驕りたくない。

 人生を難無く進んでいけるカースト上位の性別である事は、これまででいくらも体感してきた。

 しかし突然脇に追いやられて孤独となった寂しがりやの潤には、αの特性を活かすどころか無気力状態で未来を悲観する事しか出来なかった。

 なぜ自分がαなのか。 なぜ自分だけが……。

 性別が特定され、クラス分けによってさらに優遇される立場となった潤は身の置き場が無かった。

 周囲は皆、一族揃ってα性の者が圧倒的に多い。 両親どちらか、もしくは祖父母からの遺伝でそうなっている者ももちろん居る。

 ところが潤は、生粋のβ性の家系だ。

 突然変異で生まれたα性の者など、潤の他に誰一人として居ない。

 無くていい支配欲に踊らされ、自衛の術が皆無である潤の葛藤は他者から見れば贅沢この上なかった。

 ───性別など要らない。 普通で居たい。

 高校生のうちから、αの特質の必要性を感じなかった潤は漢方薬に頼り、これから先もどの性にも惑わされないよう生きていこうとしていた。

 両親や親族からの大きな期待も煩わしく、ありがた迷惑にも孤独の時間を与えられた潤の生き方は、性別が特定された時点ですでに決まっていた。

 あの日、天に出会うまでは───。







「悪かったな、せっかくの貴重な休みに」


 屋内へと足を踏み入れてすぐ、スーツ姿の豊が駆け寄ってくる。

 たまたま予備校とバイトがどちらも無かった土曜の午後、離れ家で黙々と勉強に励んでいた潤に連絡してきた豊から、自宅に置き忘れた会議データの入ったUSBメモリを届けてくれないかと言われて、ここまでやって来た。

 土曜日は出勤人数が限られているためか、だだっ広い会社ロビーも閑散としている。

 夏にも同じように豊から使いを頼まれてやって来た事があるが、あの時とは大違いだ。


「ううん、大丈夫。 美咲さんも出掛けてて居なかったし、僕が居て良かったよ。 はい、コレ」
「おう、サンキュー。 社食でコーヒーでも飲んで行かないか?」
「いや……天くん来ちゃうとマズイからやめとく」


 潤は苦笑して首を振る。

 天も出勤日である事は、朝のモーニングコールで知っていた。

 迂闊に顔を合わせるのはよくないと踵を返す潤の腕を取った豊は、眉を顰めた。


「なぁ潤、まだ例の漢方薬飲んでんのか?」
「うん」
「漢方薬はもうやめとけ。 最近ずっと顔色悪いぞ? 寝不足もあるんじゃないのか?」
「……うーん……」


 あれから毎日連絡は取っているものの、一向に「もういいよ」の台詞を天は言ってくれない。

 以前にも増して忙しない日々を送りながら、天を想う気持ちが膨らむ一方である潤の自慰行為の回数は、格段に増えた。

 それに比例して漢方薬の用量も増えている。

 落ち着かないのだ。

 会いたいというフラストレーションが溜まると、天の声を聞くだけでどうしても体は疼く。

 大丈夫だよ、と言いつつ歩もうとした潤は、豊の腕を振り解こうとしただけで視界が揺れた。


「あっ、潤! お前フラついてるんだって。 そのまま帰っても途中でぶっ倒れるだけだぞ。 医務室で寝て行けよ」
「いや、……っ」
「問答無用! 兄として見過ごすわけにはいかねぇよ。 ついて来い」
「えぇ……」


 年始の潤の不調を知る豊は、弟の事が放っておけないらしい。

 ここまで使いを頼んだ僅かな負い目から、帰宅途中に倒れられても困ると、豊は渋る潤を連れ立って一階の医務室へ向かった。

 保健師に連絡を入れ、カーテンで仕切られた四床あるうちの一つに無理やり潤を寝かせる。

 当の潤はというと、自身がそこまで不調であるという意識が無かった。


「お前らの事には口出すなって美咲から言われてんだけど……潤、いつから吉武と会ってねぇんだ?」
「どうだろ、……一ヶ月以上は経つと思う」
「だからか……」
「何? だからか、って」
「吉武な、最近ずっと調子が悪そうなんだ」
「え!? な、……っ?」


 幼い頃のように豊から布団をかけられた潤は、天こそが不調ではないかとギョッとして上体を起こそうとした。

 あまり安定感の無いベッドが、キシッと音を立てる。

 何しろ、潤は毎日天と連絡を取り合っているがそのように感じた事はなかったのだ。

 就寝時間が早い天と、予備校に通い始めた潤の夜のリズムだけは少しばかり合わなくはなったが、相変わらず寝坊助な天へのモーニングコールは欠かさない。

 天は一体いつから調子が悪いのだと、潤は心配のあまり動悸がした。


「いやな、体調が悪そうっつーか常に眠たそうなんだよ。 ちょっと前に抑制剤の副作用が強く出てた時と似てるな。 今はもっとひどい」
「副作用……? 天くんの次の発情期は来月だって言ってたよ?」
「俺はてっきり、潤みたいに予防で毎日抑制剤服用してんのかと思ったんだが……何か飲んでんのかって聞いても、飲んでねぇの一点張りなんだ」
「毎日、……っ? もしそれがほんとだったら、ダメだよそんな……っ」
「潤も人の事言えねぇだろ」
「………………」


 それはそうかもしれないが、潤が服用しているのは極めて副作用の少ない漢方薬である。 こうして豊から心配されてしまうほどになるのは、単に潤が用量を守らないからであって、万が一天が服用しているかもしれない抑制剤とは訳が違う。

 このところ潤もそれが増えたように、天ももしかすると抑えきれなくなっているのではないか。

 抑制剤は乱用するものではない。 ……と、潤が豊に語ったところで説得力の欠片もないので言わずにいたが、とてつもなく心配になってきた。


「じゃあ俺は仕事に戻る。 保健師には言ってあるから、しっかり寝てから帰れよ、いいな」
「……分かった。 兄さん、天くんの様子……おかしかったらすぐに教えて」
「了解」


 豊の背を見送った潤は、そのまま穏やかに寝付けるはずもなかった。

 勉強が手に付かないほど朦朧とした事も無ければ、先月のように明らかな体調不良を感じてもいない。

 潤は耐性が出来てしまっているのかもしれないが、天は違う。

 己では制御出来ない体内の異変を抑えるため、彼が考えそうな事と言えば豊が言うように抑制剤の服用だ。


  "こんなにまだドキドキするから、潤くんには会えない。 これでひとまず抑えて、落ち着いてから会おう" 。


 素直な天が実行に移す様が、潤には容易に想像できた。




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