恋というものは

須藤慎弥

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◆ 潤の性別  ◆

第八十四話

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 どうしてそんな事が言えるのか。

 はじめに “二番目” を提案してきたのは潤の方だ。

  “二番目に好きになって” と何度も天を落胆させたというのに、今になってそれもダメだと言う。

 もはや捨て身となり思いきってキスをしてみても、僅かに期待していた反応とは真逆だった。

 呼吸を乱す動悸も、頭の中が沸騰しそうな感覚も、まだ到底治まる気配がない。

 それなのに天は、たじろぐ潤にジリジリと寄って行き、ドキドキする胸元を押さえて彼の膝に乗り上げた。


「天、くん……なっ……何を……」
「いいって、言ってる。 俺、潤くんの二番目でいい」
「だめだよっ。 僕には出来ない! こ、こうしてる今だって相当我慢してるんだよ!? 天くんの事、傷付けたくないって何度も僕は……!」


 こんなに恥ずかしい事はないと思った。

 清水の舞台から飛び降りる思いで誘惑してみても、二番目でいいと謙虚さを見せても、聞き飽きた潤の常套句が天の心を軋ませる。

 そんなに我慢しているなら、フェロモンを理由にしてくれていいのに。

 苦しげに眉を顰めて助けに来るくらいなら、はじめから来なければいいのに。


「…………我慢、やめろ」
「─────ッ!」


 天は会いたくてどうしようもなかったけれど、潤は仕方なくここへ来たと捉えても仕方が無かった。

 大好きな匂いを間近で嗅げても、大好きな声は終始天を絶望の淵に落とす。

 潤に近付いても、同じだけ離れていく。

 心配なのか同情なのか、単に揶揄われているだけなのか、……潤の行動、言動が少しも理解出来なかった。


「……俺のこと、男だと思わなくていい。 潤くんは、目瞑ってていい、から……っ」


 天が男だという事が気になるのかもしれない。 だから、これまでも貫こうとしなかった。

 理解者でいると言いながら、最後の一線は決して越えてこなかったからだ。

 天のフェロモンを無効化して来たというなら、狭い浴室で感じた彼の昂りは何だったというのか。

 少なからず、潤は確かに欲情していた。

 それが性別のせいであるなら、Ωの武器を最大限に活かし、最大の言い訳に使ってくれればいい。

 天を膝に乗せたまま後退りする潤の前で、天はこらえきれずにポロリと涙を零し、鼻を啜った。


「……っ、俺いま、傷付いてる」
「…………天くん……っ」
「潤くんは優しいよ。 優しいけど、……残酷な事ばっか言う」
「…………っっ」
「俺は一生、誰とも、こんな事しないって決めてた。 こうやって知ってる人も知らない人もところ構わず誘惑して、なんてふしだらでだらしない性なんだって、同性の人達ぜんぶを卑下するような事思ってた。 ……でも違った」
「天くん、……」
「そんな事、どうでもよくなったよ。 だって……この大嫌いな性を利用して、俺はいま潤くんを、誘ってる」
「────ッッ!」


 見開かれた瞳が驚愕を表し、頬も上気していた。

 それがフェロモンのせいである事を信じて、このまま惑わされてしまえとばかりに天はそっと、その体に抱き付く。

 間近で嗅いだ潤の匂いに、クラクラした。

 年下のくせに成熟した立派な体躯は、天の小さな身体が体重を乗せたところでビクともしない。


 ───潤くん……潤くん……。


 ここまで言って拒絶されたら、諦めるしかない。

 発情ともヒートとも違う、何か別のものを覚えてしまったこの体は必要なくなる。

 たった何日か会えないだけで寂しかったけれど、心配性な彼ゆえに毎日声が聞けて嬉しかった。

 葛藤に泣いた天に、性別はそんなに重要ではないと我が事のように理解を示してくれて、嬉しかった。

 ヒートを起こしても、よく分からない突然の発情期に困惑していても、「理解者」だからと一番近くで "看病" してくれて、嬉しかった。

 誰にも打ち明けられなかった性別への嫌悪を、いとも容易く受け止めてくれた潤こそが番であったらいいのに……。

 謎の静電気の意味を調べ尽くしても、β性とΩ性の間にはそんなしるしが無いと知って、とても悲しかった事までも思い出した。


「……抑制剤、返す気ない?」


 ギュッと潤に抱きついたと同時に、今まで降ろされていた腕が天の背中に回った。

 頑なに抱き締め返してくれなかったその腕の力強さと、押し殺すように搾り出された声による問いで天はすべてを悟る。


「……ない」
「分かった」
「…………っ!」


 天を抱き上げて膝から降ろした潤が、眉を顰めたままコートを脱いだ。 整頓好きな彼らしくなく、それはポイッと畳に放られる。

 彼のその行動一つで、天の胸は高鳴った。

 本当にこれから、潤は一線を越えてくれるのだろうか。

 慰め合うという名目をより濃くするための行為を、してくれるのだろうか。

 感情に任せて大胆に誘ってしまった天は、後悔こそしていないものの緊張で目眩がしてきた。

 潤の目を盗んで彼のマフラーを手に取り、それに顔を埋めていると少しだけ落ち着いた。


「……なに可愛い事してるの」
「え、……っ、いや、これは……っ」


 困ったように微笑まれ、さらには色っぽい溜め息まで吐く潤に釘付けだった。

 畳まれた布団を背に押し倒された天は、鼻先が当たるほど近距離に迫った潤の香りに目眩が酷くなる。


「……天くん、あとでいくらでも僕のこと殺していいから」
「ん、っ!? ……っ……、ん、っ」


 ただでさえクラクラしていた視界が、一瞬にして真っ暗になった。


 ───わ、うわわわわ……っっ。


 一週間ぶりのキスだ。

 唇が触れ合い、何度か方向を変えてのそれをただ「照れる」とだけ思っていた自分が信じられない。

 心臓が壊れる。

 頭がついに爆発しそうだ。


 ───どうしよう……っ、俺、早まったかもしれない……!


 潤をそそのかしてしまった事を、この時早速後悔し始めていた。

 何せまだキスしかしていないのに、早くも息が絶え絶えなのだ。

 初めてのディープキスを望んだ潤から下唇を舐められても、とてもそんな事は出来ないと唇を引き結んで抗った。


「んや……っ」
「……また後でね。 次許してくれなかったら、この可愛い唇……噛んじゃうよ」
「…………っ!?」


 冗談だよ、と微笑んだ潤の瞳は、天の見た限り笑っていなかった。




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