恋というものは

須藤慎弥

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◆ 潤の性別  ◆

第八十一話

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 ───二番目って何?




 玄関先で佇んだまま、天はどうしようもない感情を持て余し、潤が出て行った扉を睨んでいた。

 突発的な発情期がきてしまっていた天は、明日が皆から三日遅れの仕事始めだ。

 学生である潤も、学校生活が始まる。

 若干無理やりではあったが、丸々一週間も共に過ごしていた潤が居ないだけで部屋がもっと殺風景に感じた。


「あ、潤くんマフラー忘れてるじゃん」


 当然ながらうんともすんとも言わない扉をしばらく見詰めた後、お飾り程度のクローゼットの中に忘れ物がないかを確認しているとそれはすぐに見付かった。

 シンプルな紺一色のカシミヤのマフラーを、潤は忘れて帰っている。


「………………」


 首元が冷えるとさらに体感が寒くなる事を身を持って知っている天は、一瞬だけ追いかけようかどうしようか迷った。

 けれど、ふと手に取った潤のマフラーは素人目にも分かるほど高級そうで、手触りがとても良かった。

 たったそれだけのワンポイントで、色白の潤の綺麗な顔が映える。

 とても高校生には見えない落ち着いた雰囲気が、これをさらに上質な代物に変える。

 寒さのこたえる十二月に入ってから、二人で出掛ける際いつも潤はこれを首に巻いていた。


「……潤くんの匂いだ……」


 ふわふわでサラサラとした感触を遠慮なく堪能すると、何とも自然に鼻へ近付けていた。

 その時点で、追いかけるのをやめた。

 ここに本人が居たら絶対に見せられない事を、独りだからと無意識にやってのけた天はマフラーに顔を埋めて寂しさを噛み締めた。

 ストックの無い日用品は、すべて潤が買ってきた。 それらは潤が自宅でも使っている物らしく、一晩だけ訪れた彼の部屋の香りが、このマフラーだけでなく天の衣類にまで染み付いている。

 この清潔感のある香りが、天は好きだった。

 マフラーに顔を埋めているだけで、胸がキュッとなった。


「潤くん……」


 潤は、まだここに居たいと言っていた。 それを突き放したのは天だ。

 彼が「二番目でいいから好きになって」などと絶望的な事を何度も告げてくるので、これ以上一緒には居られないと思った。

 ややリズムの違う、お互いの生活もある。

 学生の本分を疎かにしてまで、迷惑は掛けられないと思ったのも本当だ。

 けれど、意味がありそうで無いキスをされて毎度照れてしまう天は、限界だった。

 発情するなと言われても、無理なのだ。

 潤がそばに居ては、たとえ発情期が落ち着いてもドキドキするのは抑えられない。

 「もっと触って」と口に出してしまう前に、潤の “二番目” である天は半ば強引に自身の性を押し殺すしかなかった。


『この薬は、現在誘発によって突発的にきている発情期を止めるためだけに処方するんだよ。 継続して使うには、君にはまだ早過ぎる』


 かかりつけの医師と見知った看護師から、そうキツく言い渡された一番効力の強い抑制剤。

 潤には、お守りにと無理を言って処方してもらった、二ヶ月先の発情期のための抑制剤を見せて納得させた。

 天の帰りをわざわざ外で待っていた潤の姿を見た瞬間、鼻の奥がツンとした事はバレていないだろうか。

 時期尚早である抑制剤で抑えなくてはならないほど、潤の姿が視界にチラつくだけで鼓動が早くなるという事を、潤に知られてやしないだろうか。

 気持ちを知られるのが、とてつもなく怖かった。

 三日分しか出してもらえなかったそれは、天の思惑通り効果覿面だった。

 潤の隣で寝ていても欲情する事がなくなり、副作用の眠気がくる度に揶揄うようなキスを日中に受けても、頭の中が空っぽになるくらいで済んだ。


「……どうしたらいいんだよ……」


 潤の二番目なんて無理だ。 一番になる見込みのない二番目など、ただただツラいだけである。

 彼の心の中には長年想いを寄せている既婚女性が居て、一途そうな潤の順位変動は期待できない。

 しかも厄介なのは、直接的な好意を持っていると伝えた覚えもないのに、潤は天にも思い人が居ると誤解していた。

 ツラい恋をしている自分達なら慰め合えるはずだと、残酷な提案をしてきた潤の真意がよく分からなかった。

 それは単なる傷の舐め合いに過ぎず、傷を抉り合うだけのように思えた。


「ていうか時任さんのこと、そういう意味で好きじゃないんだけどな……」


 尊敬している、憧れている、とは言ったが、天は豊に恋愛的な好意を持った事など一度もない。

 あれだけの美丈夫で、仕事もできて人望もある男なので、ふとした時にドキッとするのは致し方ない事だと思うのだ。

 言うなれば天は、社内で豊に黄色い声を浴びせている女子社員と同等である。


 天の一番目は、紛れもなく潤だ。


 いつから彼への気持ちが膨らんでいたか思い出せないほど、唐突にそうなっていた。

 ここまでしなくていいと言っても譲らなかった、彼の指先で拓かれてしまった体が疼く。

 自分で触る勇気はないけれど、頭の中に潤の姿を思い描くと下腹部がジンジンした。

 男性的ではない秘部に触れてくれた事だけは、ほんの少しだけ、Ω性で良かったと思えた。

 天の発情を抑えると、あとはトイレにこもって自慰行為に及んだ潤の誠実さが本当に好きだ。

 たとえ彼が天の知らない女性を好きでいても、その時だけは天を一番にしてくれているような気持ちにさせてくれた。


「……これでいいんだよな、……これで」


 マフラーをクローゼットにしまった天は、ひとりぼっちで夕飯を食べる気になれず早々と布団を敷いて横になった。

 もしかすると、潤からの着信があるかもしれない。

 眠りについていても気が付くように、着信音量を最大にしたスマホを枕元に置いた。

 結局その夜は潤からの着信は無く、天は朝までぶっ通しで寝てしまっていたのだが───翌朝のかなり早い時間に、セットしたアラームよりも先に大きな着信音で目を覚ます事になる。





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