恋というものは

須藤慎弥

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◆ 好きな人 ◆ ─潤─

第七十八話

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 雪がちらつきそうな寒空の下、まだ目覚めには早いがスマホを耳にあてがう。

 これまでにないほど、緊張した。

 呼び出し音が途切れてほしいような、ほしくないような、対の感情が交錯する潤の顔色は先程よりも心なしか良い。

 頭がぼんやりするのは変わらないが、目覚めた天が果たして通話に応じてくれるのか否か、不安は拭えなかった。


『……ん、……』


 呼び出し音が止んだ。

 いつもは三度はかけ直しているのに、今日は一度で寝坊助は起きたらしい。

 眠そうな天の第一声は、昨日まで真横で聞いていた一文字だった。 瞳を開かずに「起きたくない」と幼子のように小さく首を振る天が、容易に目に浮かんだ。

 何もかもどうでも良くなるほど、それだけ心がキュンとした。


「おはよう、天くん」
『……ん』
「夜中は大丈夫だった?」
『ん、……いえす』
「いえす?」


 寝ぼけている天の返答に、心がぽかぽかと温かくなった潤はクスクスと笑う余裕まで見せる。

 相手を確認しないまま応じた可能性大だが、それが潤だと認識しても通話を切らないでいてくれた。

 つい昨日、潤には高過ぎる壁を作って守りに入った天の決意を知るからには、あまり期待しないでおこうとしたものの声を聞いてしまうとダメだ。

 愛おしくてたまらなくなる。


『あれ……まだ七時前じゃん。 今日早くない?』
「そうなんだ。 始業式って半日で帰れるじゃない? 嬉しくて」


 本当は、天が隣に居ない寂しさで眠れなかっただけだ。

 心許ない両腕を天井に向けて伸ばし、体のだるさをやり過ごした。

 学生らしいもっともな嘘に、起き抜けで少し掠れた声で天は笑っている。


『半休が嬉しいって中学生じゃん』
「あー、また年下イジリ? 頭回ってきたみたいだね?」
『イジってないって。 潤くんの被害妄想だよ。 んーっ』
「今のびのびーってしてるよね。 そのままお布団から出て顔を洗おうね。 目が覚めるよ」
『はいはーい』


 やけに天の目覚めがいい。

 スマホを手に立ち上がり、歯磨きをして顔を洗う動作音が電話口から漏れてくる。 切らないで、と言うまでもなく、天は通話を繋げたまま潤の言った通りに行動していた。

 早々と理由をつけて切られてしまったらどうしようという不安が、無くなった。

 天に限ってそんな事はないと信じているが、「看病なんて余計なお世話だった」と悪態をつかれでもしたら、潤はその瞬間に気を失って倒れていた。

 自身の性別に葛藤し続けている天の体に触れてしまった責任は大きい。 どんなに抑え込もうとしても、理性だけではどうにも出来ない潤の性別を打ち明けなかった事だけは、真に得策だった。

 天はまだ、潤を拒絶していない。

 こっそりと想う隙を残してくれている。


「───天くん、ありがと」


 一通りの動作音が無くなったのを見計らい、拓けてきた歩道を歩む潤は心から、天に感謝した。


『何が? 何のありがと?』
「電話、出てくれて」
『あー……寝ぼけてたし』
「───! 天くんっ、意地悪言わないで」
『あはは……っ、ごめんごめん』


 潤の心を弄ぶかのような、天の軽口。

 揶揄われているように感じたが、この遠慮の無さがひどく心地良かった。

 あと五分も歩けば駅に着いてしまう。

 天の支度もあるだろうからと、潤は立ち止まって前を見据えた。


「じゃあ……また明日ね」
『うん。 起こしてくれてありがとう』
「僕もありがとう」
『いや俺の方がありがとうだよ』
「僕の方がありがとうだよっ」
『いやいや俺の方が……って、埒明かないよ』
「あはは……!」


 人通りの多い駅まで続く歩道の真ん中で、潤は温かくてしょうがない胸に手をあてて笑った。

 天はいい人だ。

 可愛くて、素直で、本当に素敵な人だ。


『潤くんから先に切って』
「え、やだよ。 天くんが先に切って」
『俺もヤダ。 潤くん切って』
「僕バイバイ言いたくないから先には切りたくない」
『昨日潤くんがそんな事言ってたから、俺からは切れないんだってば』
「じゃあ、せーので切ろ?」
『タイミングが難しくない?』
「えぇ? カウントダウンにする?」
『それも難しい』
「そんな事言ってたらずっと切れないよ」
『………………』


 道行く人々が、朝から公衆の面前で惚気通話をする潤を振り返って見ている。

 まるで付き合いたての恋人同士のような会話だったが、本人達にその意識がないのでイチャついているとは思っていなかった。

 しかしながら、潤には酷なひとときだ。

 愛おしいと思っている相手に、そんな可愛いワガママを言われてしまうと頬が緩んでどうしようもない。


「天くん、どうしてそういう事言うの? 僕、二番目を期待しちゃうよ?」
『…………二番目は無理』
「うぅ……っ。 ……駅に着いちゃった」
『うん、……行ってらっしゃい』
「それいい。 バイバイよりずっといい。 天くんもお仕事行ってらっしゃい」
『……ん』


 天にも喧騒が聞こえたらしく、ようやく二人は通話を終了した。

 期待した矢先にまたもやハッキリと言い切られてしまったが、今だけは天の作った壁が手を伸ばせば届きそうな位置にあった。

 昨日の今日だ。

 あまり浮かれるのはよくないのだろうけれど、天はとても上手に潤を舞い上がらせる。

 これのおかげで一週間もの間、副作用に振り回されなくて済んだのだ。


「……恋ってこわいな」


 潤は、駅のホームで電車を待つ間、あらゆる方向から熱い視線を向けられていても一切気が付かないほど鈍感である。

 特に今は、天の事で頭がいっぱいだった。

 他の誰の事も、何が起ころうとも、自身の明らかな不調さえも、どうでもいいと思える。




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