恋というものは

須藤慎弥

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◆ 葛藤と純情 ◆ ─潤─

第三十三話

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 どこかで聞いた話だ。 いや、それどころか同じような疑惑が超が付く身近で起こっている。

 旦那が浮気しているかもしれない美咲の疑念は一週間経っても未だ晴らされておらず、毎朝のように潤に愚痴を溢してきていた。

 まさか……と思いはしても、天の言う通りどこの夫婦にも起こり得る仲違いではある。

 潤の中に降って湧いた小さな謎は、解く前に電車車両到着のアナウンスが流れた事で阻まれてしまう。


「……そうなんだ」
『よーし、布団から出たぞぉ。 潤くん、毎朝ありがとな。 でも明日からはマジで大丈夫だぞ?』
「明日土曜だもんね。 したくても出来ないなぁ」
『……潤くん、朝から俺を揶揄って楽しい?』
「楽しくないよ。 揶揄ってないし。 早く天くんとご飯行きたい。 明日が待ち遠しい」


 ───会いたいよ。 電話越しの天くんもいいけど、もはやハムスターにしか見えない可愛らしい顔を見て話したいよ。


 勢いで思わず口走りそうになった。


『分かった、分かった。 何食べたいか考えといて。 じゃあ潤くん、学校頑張ってな』
「……うん。 天くんも」


 渋々と通話を終了しても、スマホをなかなかポケットにしまえない。

 日課のモーニングコールはほんの数分。

 潤は毎日、朝と晩に天の声を聞かなければ落ち着かなくなっている。

 夜も電話していい?と聞かなくても、応じてくれる天に甘えている自覚はあった。

 ハマっているという海外ドラマのタイトルは教えてくれないままだが、たった数分の「おはよう」「おやすみ」が潤の癒やしとなった今、明らかな心変わりを身を持ってひしひしと感じている。

 なぜこんなにも気になるのだろう。

 どうしてこんなに会いたいのだろうか。

 次の約束を取り付けるために、潤の言動が無意識に天を誘導している。


「週末の飲み会が無くなったなら今日も会えるじゃん……」


 満員電車に揺られながら、涼しい顔で窓の外の流れる景色を見詰めて小さくぼやく。

 天の憧れの上司とやらが、天を独占している事が気に入らない。 いつからその飲み会が行われているのか知らないが、毎週天を独り占めするのはずるいと思っていた。

 けれどそれも、ありがちな夫婦喧嘩によって中止を余儀なくされている。

 潤にとっては好都合だ。

 身近のいざこざとよく似ている事は、この際脇に置こうとした。


「まさか、ね……」


 だが潤は、険しい顔付きで窓を睨んだ。

 天はSAKURA産業で働いていると言っていた。 偶然にも、潤の兄も大学を出てすぐからその名高い企業に勤めている。

 何しろ朝食時しか顔を合わせないため、兄が働く部署等詳しい事は何も知らない。

 天が話していた「夫婦」というのが、まさか兄と美咲なのではと考え始めるとおかしくなりそうだ。

 しかしあまりにもありきたりであるが故、「そんな偶然ありっこない」と思い直す。

 そんな事を難しい顔であれこれ考えていた潤は、周囲からの羨望の視線に気付かなかった。

 電車で四駅、そこからはバスに揺られて登校する間も、天へのメッセージを送る事は欠かさない。

 もしかして……と不貞腐れて時間を潰すよりも、楽しい事を考えていた方が幸せで居られるという結論に至る。

 明日のディナーも奢らせるつもりはさらさら無いので、潤は真剣に天の好みそうなものを考えた。

 昼間は実家に寄る用事があるとかで、夜のみの約束ではあるがそこは潤も大目に見た。

 天が自ら、母子家庭だと打ち明けてくれたからだ。

 母親の負担にならぬよう高卒での就職を選んだ天のいじらしさを知っている潤は、朝から会いたかったのに……という我儘はさすがに言えなかった。

 目線の低い天と街を歩き、他愛もない会話を交わして笑い合えたらそれだけで幸せだ。

 校内では隠しておけない性別も、億劫な授業中も、同性から話し掛けられて頷いている間も、潤の意識は常に明日のディナーにあった。

 電話だけじゃとても足りない。

 話したい事なら山ほどある。

 声が聞きたい。 顔を見たい。

 静電気が起きないように、衣服の上からそっと天の背中を撫でてあげたい。


「───ねぇ潤、聞いてる?」
「……ん?」


 気が付けば夜になり、潤のバイト先が間もなく閉店となる頃合いだった。

 楽しい事を考えていただけで、本当にあっという間に時間が過ぎている。


「もう、聞いてなかったの?」
「ごめん。 何? 何話してた?」


 マグカップ片手に時が止まっていた潤に当てつけるべく、アミは不服そうにぷいとそっぽを向いた。

 以前から分かりやすくアプローチを仕掛けてくるアミの気持ちは充分過ぎるほどに伝わってはいるが、潤には正直どうでもいい。

 「ごめんね」ともう一声謝る事もしたくないので、改めて聞くほどでもないかとアミに背を向けた。


「あっ……もう、潤~っ」
「え、」


 テーブル席の片付けに行こうとした潤は、焦ったアミから気安く手を取られた。

 潤と同じく、「えっ」と驚きの声が左右から上がる。

 週末の混雑が引いた店内には客が三組残っていて、そのうちの二組は潤目当てにBriseを訪れている。

 突き刺さる視線の意味と、ヒソヒソ話の内容は大方想像がついた。


「手、離してくれる?」


 アミが潤の指先を握ったまま、むっとして見上げてくる。 それは傍から見るとまるで、アルバイト同士がイチャついているような光景に見えなくもない。

 誤解されるのは御免だ。

 仕事中だよ、と声を掛け、さりげなくアミの手を解きテーブルを片し始める。


「………………」


 シンクでマグカップや食器を洗っている最中、邪険にしてしまったアミからの熱視線を感じながら、潤の脳裏に何故か天の顔がチラついてしょうがなかった。




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