恋というものは

須藤慎弥

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◆ 年上の上司と年下の恩人 ◆

第十四話

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 今回の抑制剤の副作用はかなり強い。

 朝がそれほど弱くない天が寝坊してしまいかねないほど、出掛ける時間ギリギリまで眠りこけ、目覚まし時計やアラームさえ聞こえず危うく遅刻しそうになって早三日。

 週末が待ち遠しいと思ったのは初めてだった。


「夜になると寝癖も落ち着くもんだな」


 一時間の残業の後、天は豊と個室のある居酒屋へと入店した。

 コートを脱ぎながら笑う豊にならい、天も背伸びして購入したオフホワイトのビジネスコートを脱いでハンガーにかけた。

 豊のコートを受け取り、それもハンガーに掛けて平謝りする。


「すみません……寝癖チェック厳しいですね、時任さん」
「吉武が大慌てでフロアに駆け込んでくるの珍しいから目立つんだよ。 最近どうした、寝坊か?」
「……そんなとこです」
「もしかしてアレのせい?」


 声を潜めた豊は、早速運ばれてきたビールジョッキ片手に乾杯の合図をした。

 天もジョッキを手にして「お疲れ様」を言い合い、カツンと合わせる。 一口目を喉に通すと、毎度ながら苦味と泡が心地よい。


「そう、ですね……。 副作用が強めに出てるって感じだと思うんですけど、こんなの初めてで」
「遅刻してるわけじゃないんだし、そう肩を落とすな」
「いえ……今回からずっとこの調子だと、しんどいなぁって……」
「あぁ、午前中もツラそうだもんな。 あんなに眠そうにしていた事ないよな? 今までも我慢してたんだろうけど、吉武の隠し方うまかったから俺も気付かなかったんだ」
「うまく隠せてますかね? 今はマジで自信ないです……」


 豊の前にも関わらずしょんぼりと項垂れたのは、遅刻ギリギリで出社している負い目があるからだ。

 しかも午前中はいつも以上に体がだるい。 そのだるさを治す薬があったらいいのにと切願したくなるほどである。


「副作用って個人差あるんだっけ?」
「そうです。 薬の種類も三種類あって、そうだな……弱中強みたいな。 値段もそれに応じて変わるし、それぞれの副作用も違うらしいです」
「吉武はどれを飲んでるんだ?」
「俺は中ですね。 学生時代は弱で効いてたんですけど、二十歳からは中に変えた方がいいってお医者さんに言われて。 弱はほとんど副作用無かったのになぁ」
「へぇ……。 て事は強になると副作用もさらに強くなるかもしれないのか」


 賑やかな店内、かつ個室とはいえ誰が聞いているか分からない。

 分かりにくいかとは思ったが、薬の名前は出さずに抽象的に表現したものを豊は汲み取ってくれた。

 店員が出入りする度に話を中断し、職場内と変わらずさらりと便宜を図る豊は歳上の余裕を滲ませている。

 天は、これまでΩの者に出会った事がない様子の豊の問いに一瞬だけ口ごもったが、彼ならばいいかと対面する豊の方へ上体を傾けた。


「……お医者さんの説明によると、強を飲み続けると妊娠出来にくい体になってくって」


 今や顔馴染みとなってしまった医師と看護師から、性が確定したその日に天はあらゆる情報を教え込まれた。

 豊とこれほど親しくなるきっかけとなった緊急抑制剤についても、「持っておきなさい」と嫌というほど勧められても断っていたのは、やはりΩという性を受け入れられないからに他ならない。

 βとして生きていくのだから、自分は失敗などしないとたかを括っていた結果、久々に感じた猛烈な熱でそれをまざまざと思い知ってしまったのだが。

 天が恐れていたような反応を一度も見せた事のない豊は、この時も冷静に頷いた。


「あぁ……なるほど。 継続すればするほどホルモン異常を起こすんだ」
「でしょうね。 一般的には三十歳がボーダーラインで、それまでに番を見付けないと強を飲む羽目になります。 でも今の薬の副作用が仕事に支障をきたすようになったら、俺は迷わず強に変えますけどね。 今でも変えたいくらいです」
「いや何言ってんだ。 駄目だろ」
「え?」


 焼き鳥の串を摘んでいた豊の手がピタリと止まった。

 天には躊躇いなど無かった。

 妊娠出来にくい体になろうと、自らがそれを望んでいないのだから問題など無い。 やすやすと打ち明けたのも、紛れもなく天の本心だからだ。

 しかし豊は表情を曇らせ、腕を伸ばす。

 そして、向かいに掛ける天の髪を優しく撫でた。



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