個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 キスされてしまいそうなほどの至近距離に由宇は照れてポッとなったが、ふと怜の母親の呆気にとられた顔が視界に入る。


「せ、先生っ……俺大丈夫だから!」


 橘の肩を押して逃れると、由宇は少しだけ距離を取って座り直した。

 正面から刺さる視線が痛い。

 ここは橘の家ではない。  いくら周りを気にしない質だからと、人様の家で過剰な心配を向けられるのは困る。


「俺に大丈夫って言うなっつったろ」
「わ、分かったから……っ」
「何が分かったんだ?  あ?  何回同じ台詞言わせたら気が済むん……」
「はいはい!  その辺でやめなさい、橘くん。  ……あなた達の関係性はよーーく分かりました」


 二度手を打った怜の母親は、上品にコーヒーを啜って笑った。

 しかしその笑い方は少しだけ含みを持たせてある。


「橘くんが人に対して優しいっていうのは知っていたけど、そんな顔を見るのは初めてよ。  ……でもねぇ……ふーん、……生徒に手出したんだ。  しかも……」
「おい、っ」
「本当の事じゃないの。  まったく……お互いのためにも、絶対にバレないようにうまくやりなさいよ?」
「分かったから桃ゼリー食え」
「後で頂くわよ。  どうせ、もう帰るんでしょ?」
「あぁ。  顔見に来ただけだし」


 由宇は、橘が焦っている姿を初めて見た。

 高校時代の恩師とは聞いていたが、こんな風に平然と会話をしているように見えて、実は本当に頭が上がらないほどの恩を感じているのかもしれない。

 我が婚約者が恩師を傷付けてしまったと知った橘は、何事も短期集中型だと自ら声高に言っていたのにとても慎重に事を進めていた。

 心を病んだ者への接し方を知ろうと、ベッドルームにはいくつもその類の著書があった。

 由宇は間近でそんな橘の姿を見てきたので、その恩がどれだけ深かったかを推し量る事ができる。

 すっかり顔色のよくなった怜の母親は、ホットコーヒーを一気飲みした粗雑な橘を見て苦笑した。


「もう少しゆっくりしてけばいいのに。  由宇くん、だっけ?  由宇くんに橘くんの当時の武勇伝を色々と……」
「やめとけ。  俺に武勇伝なんかねぇから」
「あははは……、そうね。  たまに学校来たと思ったら毎回血まみれで、すぐに学年主任から帰れって言われてたわよね」
「あれは喧嘩の仲裁に……って、話してんじゃん。  やめろ」
「何回夜中に警察から呼び出された事か……緊急連絡先を御両親じゃなく私にしてあるんだもの……朝早いのに深夜に叩き起こされて参ったのなんの」
「あれも族同士の抗争の仲裁でだな……」


 橘のイメージそのままなので、由宇は一つも驚かなかった。

 だが橘のやれやれ顔を見るのはかなりレアで、ついついその横顔を見詰めてしまう。


「親御さんは元気にしてるの?」
「あ?  まぁ多分元気なんじゃね?  最近会ってねーから知らねぇな」
「まだ会いにくいの?」
「そういう訳じゃねーよ。  俺の部屋、本宅と離れてっから会わないだけ」
「そう。  ……今さらだけど、橘くんが先生になるなんて驚きよ。  せっかく大学に通っても身にならなかったら……って心配してたの」


 あまり口に出してはいけないのかと、由宇は橘の家族については一切聞かなかったが、何やらあるのだろうか。

 ガッツリとヤンチャな道を爆走していた武勇伝はさておき、敷地内に建つあの家に橘が独りで住んでいる事も含めて、由宇の知らない橘の身辺についてをもっと知りたいと思った。

 足を組んだ橘は、チラと由宇の方を見たあと少しばかり沈黙した。

 急に黙りこくった橘を、怜の母親と由宇は凝視していたが、ふぅ…、と小さく溜め息を吐いた彼の口から殊勝な言葉が飛び出す。


「今の俺があんのは園田さんのおかげ。  だからあんたの事は絶対に救いたかった。  結果はこうなっちまったけど」
「いいのよ。  ……あの人はどうしてるのかしら。  うまくいってるの?」
「言っていいのか?」
「知ってるのなら教えてちょうだい。  私はもう大丈夫だから」
「……婚約したらしい。  来年の夏には挙式だそうだ。  相手方が初婚だからな、そこは大目に見てやってくれ」
「そうなのね。  ……でも不思議。  何とも思わなくなってる」
「園田さんには将来有望な息子がいんだろ。  検事志望だっけ。  まだまだ手が離れねぇんだから、あんた病んでる暇ねーぞ」
「本当、そうだわ。  老いぼれるまでバリバリ稼がなくちゃ!」
「おう。  じゃ俺、こいつとヤリてーから帰るわ」
「ちょっ……!?  先生……!」


 内心、あの二人は無事に婚約したんだ…と複雑な胸中でいたところに、突然マイペース発言が由宇に投下されて一気に頭が冴える。

 立ち上がった橘の太もも辺りを、抗議の意を持ってパシッと叩いてみても、何らダメージを受けていない三白眼が返ってきただけだった。

 そんな二人の様子を見て、怜の母親が立ち上がって由宇に苦笑を寄越す。


「由宇くんも大変ね……。  橘くんって、見た目しっかりしてそうで大人な雰囲気だけは昔から一丁前なの。  でもフリだからね、フリ」
「おい、余計な事を言うなよ」
「内心はみんなと同じなのよ。  ちょっとデリカシーに欠けるとこあるけど、正義感と責任感だけは人一倍あるから、彼氏としてはギリギリ合格だと思う」
「あーもうマジで余計な事言い過ぎ。  ポメ、帰るぞ」
「えっ?  あ、ちょっ、待って……!」


 ここへ来てまだ十五分も経たない。

 人様宅へアポ無しでやって来て、嵐のように帰宅するなど由宇には信じられなかった。

 世間体やルールに縛られたくない橘はまったく意に介しておらず、すでに革靴を履いて由宇を待っている。



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