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第4章・迷動
#1
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翌朝。
受付に来客です、と言われて野崎は署の1階に降りた。
受付の前には宇佐美が立っていた。
野崎は一瞬驚いたが、振り向いた宇佐美に、こっちへ来いというように手招きをした。
「いきなりどうしたの?」
「すみません……」
野崎は空いている談話室に宇佐美を通した。
誰も入らぬよう使用中の札を下げて宇佐美を見る。宇佐美はどこか憔悴したような顔をしていた。
椅子に座るよう促したが、宇佐美は軽く首をふる。野崎は仕方なくそのまま話を続けた。
「何かありました?」
「……」
夕べのメールの事かな?と思い、「昨日のメールは」と言いかけた時、「夕べ何かに襲われた」と宇佐美に言われ、「え?」と聞き返す。
「俺の存在に気づいたのかな……向こうから接触してきた」
「接触って?誰が?」
「幽霊だよ。背中を殴られた」
そう言って服をめくり背を向けた。
「うわ……」
野崎は眉を寄せた。左肩甲骨付近。何かで叩いたような酷い内出血の痕だ。拳で殴ったくらいでは無理だろう。
その痣にそっと触れて、野崎は聞いた。
「これ……幽霊がやったの?」
「そうだと思うけど」
他人事のように宇佐美は言った。
「痛みは?」
「痛いに決まってるだろう。なぁ……悪いけど、この案件――俺には少し荷が重いです」
「え?」
「これ以上、協力できそうもない……申し訳ないけど」
そう言って、そのまま談話室を出て行こうとする宇佐美を、野崎は慌てて引き留めた。
「おい、ちょっと待てよ。そんな話一方的にされて、信じると思うか?」
「俺が嘘ついてるっていうんですか?」
「そうじゃないけど、話なら何とでも言える。誰かに殴ってもらった可能性だってゼロじゃない」
「疑ってるんだ、俺の事?」
「幽霊に殴られたって証拠は?」
「……」
「人が実際に死んでるんだ。それが実体のない幽霊のせいだとしても、それなりの証拠がいる」
正論を言われて宇佐美は腹が立った。
「俺だって連れてこられるもんなら、ここへ引きずり出してやりたいですよ」
「捕まえることはできないのか?」
「捕まえる⁉」
宇佐美は鼻で笑うと、「ゴーストバスターズにでも頼めば?」と吐き捨ててドアノブに手をかけた。その手を、野崎は掴んで引き戻した。
「接触してきたんなら、そいつがどんな奴か宇佐美には分かるんじゃないのか?だって見えるんだろう?」
「……」
野崎がじっと見てくる。期待と疑惑の入り混じった複雑な眼差し。
信じがたい現実に対して、納得できる答えを必死に探している目だった。
馬鹿な話だと一蹴してしまいたい。でも、もし事実なら……
幽霊が人を殺しているのだとしたら?
「本当に幽霊が人を殺しているんなら、その証拠がいる」
「……」
「今の話が事実なら、その……なにかは自分の方から接触してきて宇佐美を攻撃した。でも残念ながらその痣は証拠にはならない。知りたいのはもっと確かなことだ」
「自白でもさせるつもりですか?」
「身元だよ」
野崎は腕を組んで、じっと宇佐美を見た。
「幽霊でも元は生きていた人間だ。だろう?ならそいつがどこの誰か……素性を知りたい」
「……」
「名前、年齢、性別。どこに住んでて、何をしてて、いつ、どこでどうやって死んだのか」
「それを俺に調べろっていうの?」
「無理か?」
野崎の視線を受けて、宇佐美は黙って目を伏せた。
夕べの出来事が脳裏をよぎる。
あの、まとわりつくような嫌な感覚。気配はするのに姿が見えない。
まるで猫が獲物を弄ぶように、闇の中から執拗に攻撃してくる。
決して致命傷は与えず、自ら弱っていくの楽しんでいるような……
(暗い思念だ――)
暗いエネルギーの塊。瞬間に感じた恐怖が全身に蘇ってくる。
あんなに明確な悪意を向けられたのは初めてだった。
それが直接体にぶつかってきた。ブレーキもかけず、大型車両が突っ込んできたような衝撃。
殺される――
そう思った。
挑発するような野崎の視線に、宇佐美は舌打ちした。
「軽く言ってくれるよ……」
そう言い捨てて野崎から顔を背けると、「身元は分からないけど、みんなどうしてああいう死に方をしたのかは、分かったような気がする」と呟いた。
野崎は再度、椅子に座るように促し、話を聞く姿勢をみせた。だが宇佐美は勧められた椅子には座らず、野崎と対等に目線を合わせて言った。
「姿は見えなかったけど、気配は感じた。なにかが……自分の近くにいた」
宇佐美は、昨夜の出来事をなるべく詳細に語った。
「つまり――」
野崎はどう言っていいか分からず言葉を探しながら、「そいつは、あの動画や駅の防犯カメラの映像みたいに、君に近づいてきて襲い掛かってきたってこと?」と聞いた。
「そうですよ」
「……」
野崎は困惑したように頭をかいた。
「それが――2人の被害者と佐々木も襲った……同一人物?」
「多分ね。まとわりつくように近づいてきて、襲ってくる。もし――」
宇佐美はそう言うと、じっと野崎の目を覗き込んだ。
「俺が襲われている様子を動画に撮ったら、きっと橋の男みたいに見えたでしょうね」
「……」
「近づいてくるやつを……振り払って」
宇佐美は腕を振り上げ、払いのける仕草をしてみせた。
「追い払おうとして……逃げる」
「――」
2人の間に、言葉にならない重い沈黙が流れる。
その沈黙から逃れるように、宇佐美が口を開いた。
「アパートの容疑者、まだ意識回復しないんですか?」
「あぁ」
「なんで俺には姿が見えなかったんだろう……」
宇佐美は誰に言うともなしに呟いた。
「他の人には見えていたはずなのに」
橋の男の視線は、泳がず一点に向けられている。明らかにそこに誰かがいたのだ。
なぜ自分には姿が見えなかったのか。それは分からないが、あの2人にも見えていて、今回の容疑者にもやはり見えていたとしたら――
「彼はまだ生きている。もしかしたら、幽霊の目撃証言が得られるかも」
「そうか……じゃあ意識が回復することを祈ろう」
野崎がそう言ったと同時に、談話室のドアがノックされて白石が顔を見せた。
「あぁ、ここにいたのか。野崎、ちょっと」
呼ばれて白石の傍に行き、何かを耳打ちされる。その顔に険しい表情が浮かんだ。
チラリと視線を宇佐美に向ける。
「分かった、すぐ行く」
野崎はそう言うと、「悪い。緊急事態だ」と宇佐美に言った。
「なにかあったの?」
不穏な空気を肌で感じる。
野崎は言った。
「佐々木の意識は回復したよ。でも、姿を消した」
受付に来客です、と言われて野崎は署の1階に降りた。
受付の前には宇佐美が立っていた。
野崎は一瞬驚いたが、振り向いた宇佐美に、こっちへ来いというように手招きをした。
「いきなりどうしたの?」
「すみません……」
野崎は空いている談話室に宇佐美を通した。
誰も入らぬよう使用中の札を下げて宇佐美を見る。宇佐美はどこか憔悴したような顔をしていた。
椅子に座るよう促したが、宇佐美は軽く首をふる。野崎は仕方なくそのまま話を続けた。
「何かありました?」
「……」
夕べのメールの事かな?と思い、「昨日のメールは」と言いかけた時、「夕べ何かに襲われた」と宇佐美に言われ、「え?」と聞き返す。
「俺の存在に気づいたのかな……向こうから接触してきた」
「接触って?誰が?」
「幽霊だよ。背中を殴られた」
そう言って服をめくり背を向けた。
「うわ……」
野崎は眉を寄せた。左肩甲骨付近。何かで叩いたような酷い内出血の痕だ。拳で殴ったくらいでは無理だろう。
その痣にそっと触れて、野崎は聞いた。
「これ……幽霊がやったの?」
「そうだと思うけど」
他人事のように宇佐美は言った。
「痛みは?」
「痛いに決まってるだろう。なぁ……悪いけど、この案件――俺には少し荷が重いです」
「え?」
「これ以上、協力できそうもない……申し訳ないけど」
そう言って、そのまま談話室を出て行こうとする宇佐美を、野崎は慌てて引き留めた。
「おい、ちょっと待てよ。そんな話一方的にされて、信じると思うか?」
「俺が嘘ついてるっていうんですか?」
「そうじゃないけど、話なら何とでも言える。誰かに殴ってもらった可能性だってゼロじゃない」
「疑ってるんだ、俺の事?」
「幽霊に殴られたって証拠は?」
「……」
「人が実際に死んでるんだ。それが実体のない幽霊のせいだとしても、それなりの証拠がいる」
正論を言われて宇佐美は腹が立った。
「俺だって連れてこられるもんなら、ここへ引きずり出してやりたいですよ」
「捕まえることはできないのか?」
「捕まえる⁉」
宇佐美は鼻で笑うと、「ゴーストバスターズにでも頼めば?」と吐き捨ててドアノブに手をかけた。その手を、野崎は掴んで引き戻した。
「接触してきたんなら、そいつがどんな奴か宇佐美には分かるんじゃないのか?だって見えるんだろう?」
「……」
野崎がじっと見てくる。期待と疑惑の入り混じった複雑な眼差し。
信じがたい現実に対して、納得できる答えを必死に探している目だった。
馬鹿な話だと一蹴してしまいたい。でも、もし事実なら……
幽霊が人を殺しているのだとしたら?
「本当に幽霊が人を殺しているんなら、その証拠がいる」
「……」
「今の話が事実なら、その……なにかは自分の方から接触してきて宇佐美を攻撃した。でも残念ながらその痣は証拠にはならない。知りたいのはもっと確かなことだ」
「自白でもさせるつもりですか?」
「身元だよ」
野崎は腕を組んで、じっと宇佐美を見た。
「幽霊でも元は生きていた人間だ。だろう?ならそいつがどこの誰か……素性を知りたい」
「……」
「名前、年齢、性別。どこに住んでて、何をしてて、いつ、どこでどうやって死んだのか」
「それを俺に調べろっていうの?」
「無理か?」
野崎の視線を受けて、宇佐美は黙って目を伏せた。
夕べの出来事が脳裏をよぎる。
あの、まとわりつくような嫌な感覚。気配はするのに姿が見えない。
まるで猫が獲物を弄ぶように、闇の中から執拗に攻撃してくる。
決して致命傷は与えず、自ら弱っていくの楽しんでいるような……
(暗い思念だ――)
暗いエネルギーの塊。瞬間に感じた恐怖が全身に蘇ってくる。
あんなに明確な悪意を向けられたのは初めてだった。
それが直接体にぶつかってきた。ブレーキもかけず、大型車両が突っ込んできたような衝撃。
殺される――
そう思った。
挑発するような野崎の視線に、宇佐美は舌打ちした。
「軽く言ってくれるよ……」
そう言い捨てて野崎から顔を背けると、「身元は分からないけど、みんなどうしてああいう死に方をしたのかは、分かったような気がする」と呟いた。
野崎は再度、椅子に座るように促し、話を聞く姿勢をみせた。だが宇佐美は勧められた椅子には座らず、野崎と対等に目線を合わせて言った。
「姿は見えなかったけど、気配は感じた。なにかが……自分の近くにいた」
宇佐美は、昨夜の出来事をなるべく詳細に語った。
「つまり――」
野崎はどう言っていいか分からず言葉を探しながら、「そいつは、あの動画や駅の防犯カメラの映像みたいに、君に近づいてきて襲い掛かってきたってこと?」と聞いた。
「そうですよ」
「……」
野崎は困惑したように頭をかいた。
「それが――2人の被害者と佐々木も襲った……同一人物?」
「多分ね。まとわりつくように近づいてきて、襲ってくる。もし――」
宇佐美はそう言うと、じっと野崎の目を覗き込んだ。
「俺が襲われている様子を動画に撮ったら、きっと橋の男みたいに見えたでしょうね」
「……」
「近づいてくるやつを……振り払って」
宇佐美は腕を振り上げ、払いのける仕草をしてみせた。
「追い払おうとして……逃げる」
「――」
2人の間に、言葉にならない重い沈黙が流れる。
その沈黙から逃れるように、宇佐美が口を開いた。
「アパートの容疑者、まだ意識回復しないんですか?」
「あぁ」
「なんで俺には姿が見えなかったんだろう……」
宇佐美は誰に言うともなしに呟いた。
「他の人には見えていたはずなのに」
橋の男の視線は、泳がず一点に向けられている。明らかにそこに誰かがいたのだ。
なぜ自分には姿が見えなかったのか。それは分からないが、あの2人にも見えていて、今回の容疑者にもやはり見えていたとしたら――
「彼はまだ生きている。もしかしたら、幽霊の目撃証言が得られるかも」
「そうか……じゃあ意識が回復することを祈ろう」
野崎がそう言ったと同時に、談話室のドアがノックされて白石が顔を見せた。
「あぁ、ここにいたのか。野崎、ちょっと」
呼ばれて白石の傍に行き、何かを耳打ちされる。その顔に険しい表情が浮かんだ。
チラリと視線を宇佐美に向ける。
「分かった、すぐ行く」
野崎はそう言うと、「悪い。緊急事態だ」と宇佐美に言った。
「なにかあったの?」
不穏な空気を肌で感じる。
野崎は言った。
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