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第2部
8.
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翌日、十一月二日水曜日。
比良坂蛍子は当たり前のように午後の授業を抜け出して美術室に来た。本日この時間は使われていなかった。
蛍子は新たに大きなキャンバスを引っ張り出していた。
「新しいやつ描くの?」
「でも、いまからじゃ文化祭に間に合わないだろ」
明里と魅那子は机に座って蛍子の作業をながめながらたずねた。
「五十号はムリよね」
明里が言った。一応、美術部員としての知識は持っている。五十号キャンバスの大きさは一平方メートルほどあった。
蛍子の遅筆を知っているふたりには三日後の文化祭には到底間に合わないことは明白だった。
「これは間に合わなくてもいいのよ。どうしても描きたいものがあるから描くだけ」
「お?」
準備をしている蛍子を見て明里は首を傾げた。
蛍子はいつもとは反対向きにキャンバスを立てた。明里と魅那子のほうを向いている。
このほうが会話がしやすいためかと思ったがそうではないようだ。
「あなたたちを描くのよ」
「ええ?」
「あたしたちを?」
「そうよ。そのいつも机に座ってる行儀悪い姿をね」
明里と魅那子は顔を見合わせた。
「ま、いいけど」
明里がすんなり応じたので、なにか言おうとしていた魅那子も口を閉じた。
「あ、その前に……」
蛍子はポケットから携帯電話を取り出した。
「写真も撮っておくわ。撮れたらだけど」
カメラモードにしてふたりに向けて構える。
「映る?」
「うーん……」
蛍子が少し首を傾げた。
画面に室内は映っているが、ふたりの姿はなかった。
「まあいいや、一応撮ってみる。はいチーズ」
撮られ慣れている明里はにっこり笑ってピースをする。魅那子はやや照れながらそれに肩を寄せた。
「もう、ふつうにしててよ。わざとらしい感じじゃなくて」
蛍子は不平を述べながらシャッターを押した。
「うーん……」
蛍子は画面を見てもう一度うなった。
「撮れた?」
明里に聞かれて、ふたりのほうへ携帯電話を差し出す。
「なあんだ」
画面を覗き込んで、明里は落胆の声をあげた。
風景以外なにも写っていなかった。
「リアル心霊写真……にはならなかったな。ほかの人に見えないってことはカメラにも見えてないってことか」
「つまり、光の反射がどうとかではなく、蛍子は心の目であたしたちを見てるってわけね」
「心の目かどうかはわからないけど、しかたないわね」
蛍子は携帯をポケットにおさめた。キャンバスに向かい作業を再開する。
「可愛く描いてね」
「あなたを可愛く描かないことのほうがむずかしいわよ」
明里のことを可愛いともてはやすのは、三人が共有する決まりごとのようなものだった。明里も——自分が可愛いという自覚はあるが——嫌味になるので、さすがにそれをほかの人の前で主張したりはしない。親しく会話をつづけていると、そのメンバーだけに通じる特別な言いまわしというものができてくるのだった。
「それから、ふつうに話してていいわよ」
蛍子は、かしこまった風に座っているふたりを見て苦笑した。
「よかった。蛍子があんまり真剣な顔してるから、息も止めろとか言われるんじゃないかと思った」
「息はいくらでも止めれるけどな」
魅那子が肩をすくめた。
「幽霊漫才はじまった」
蛍子が言うと、明里は「漫才じゃないって」と、もう骨折していない手をパタパタと振った。
「ねえ……」
しばらく黙々と動いていた蛍子の手が止まった。
「あたし、もう半年もいないんだよ。そのあとどうするの?」
「え、どうするって言われても……」
いきなり深刻な話を切り出されたので明里と魅那子は戸惑った。
これまでなんとなく避けてきた話題だった。
「成仏とかしないの? このままここでジバク霊とかになっちゃうの?」
「いやあ、なにしろはじめてのことだし……」
魅那子が頭をかいた。
「どうしていいもんかあたしたちにもわからないんだよ」
「でも、幽霊でいるよりは『成仏』したほうがいいんでしょう? もしかして、あたしの寂しいって気持ちが、あなたたちを引き止めているんじゃないかと思って……」
蛍子はうつむいていた。
そんなことはわかるはずもないのだが、生真面目な性格なので、一度思い込むと気になってしかたがなかった。
「だとしても、災難だとは思ってないよ。おかげで死んでからもこうして話せるんじゃないか」
魅那子がそう言うと明里もうなずいた。
「きっといまは人生のロスタイムなんだよ。そのうち、黙ってても試合終了の笛が鳴るんだと思う。それまでは暗い話はナシにしようよ」
ふたりが努めて明るく言うと、蛍子は「そうね」と答えて顔を上げた。
目もとがちょっと潤っている。
「ありがとう……ふたりとも大好きよ」
「な、なによ急に、恥ずかしいじゃない」
「明理が言ったんでしょ『今日の愛情は今日出し切れ』って」
蛍子は目尻を指で拭うと、にっこり微笑んだ。
明里と魅那子も目を合わせて笑った。それから明里が「あ」と思いついたように声を出した。
「ねえ、いまあたしいいこと言った?」
「え、なに?」
ピンとこなかった蛍子が魅那子を見ると、魅那子も首を傾げた。
「『人生のロスタイム』ってなかなかいい言葉じゃない?」
「いいかなあ。そもそもあたしたち以外に使い道なくない?」
「ええー。ねぇ蛍子、いい言葉だと思うでしょ?」
「いや、思わない」
「ウソ、感心してたでしょ」
「し、て、な、い」
頑なに否定する蛍子を見て魅那子が笑った。
それにつられるように蛍子と明里も笑う。
『もう半年もいないんだよ』
笑いながら、ふとその言葉がよみがえる。
いつまでもこのままでいられるわけがない。
いつか、本当の別れのときが来るだろう。
それも、きっとそう遠くないうちに。
三人は、そんな寂しい予感に包まれながら、このゆるやかな午後の時間を過ごしていた。
ひとりの少女によって事態が急変するまでは。
第2部
END
比良坂蛍子は当たり前のように午後の授業を抜け出して美術室に来た。本日この時間は使われていなかった。
蛍子は新たに大きなキャンバスを引っ張り出していた。
「新しいやつ描くの?」
「でも、いまからじゃ文化祭に間に合わないだろ」
明里と魅那子は机に座って蛍子の作業をながめながらたずねた。
「五十号はムリよね」
明里が言った。一応、美術部員としての知識は持っている。五十号キャンバスの大きさは一平方メートルほどあった。
蛍子の遅筆を知っているふたりには三日後の文化祭には到底間に合わないことは明白だった。
「これは間に合わなくてもいいのよ。どうしても描きたいものがあるから描くだけ」
「お?」
準備をしている蛍子を見て明里は首を傾げた。
蛍子はいつもとは反対向きにキャンバスを立てた。明里と魅那子のほうを向いている。
このほうが会話がしやすいためかと思ったがそうではないようだ。
「あなたたちを描くのよ」
「ええ?」
「あたしたちを?」
「そうよ。そのいつも机に座ってる行儀悪い姿をね」
明里と魅那子は顔を見合わせた。
「ま、いいけど」
明里がすんなり応じたので、なにか言おうとしていた魅那子も口を閉じた。
「あ、その前に……」
蛍子はポケットから携帯電話を取り出した。
「写真も撮っておくわ。撮れたらだけど」
カメラモードにしてふたりに向けて構える。
「映る?」
「うーん……」
蛍子が少し首を傾げた。
画面に室内は映っているが、ふたりの姿はなかった。
「まあいいや、一応撮ってみる。はいチーズ」
撮られ慣れている明里はにっこり笑ってピースをする。魅那子はやや照れながらそれに肩を寄せた。
「もう、ふつうにしててよ。わざとらしい感じじゃなくて」
蛍子は不平を述べながらシャッターを押した。
「うーん……」
蛍子は画面を見てもう一度うなった。
「撮れた?」
明里に聞かれて、ふたりのほうへ携帯電話を差し出す。
「なあんだ」
画面を覗き込んで、明里は落胆の声をあげた。
風景以外なにも写っていなかった。
「リアル心霊写真……にはならなかったな。ほかの人に見えないってことはカメラにも見えてないってことか」
「つまり、光の反射がどうとかではなく、蛍子は心の目であたしたちを見てるってわけね」
「心の目かどうかはわからないけど、しかたないわね」
蛍子は携帯をポケットにおさめた。キャンバスに向かい作業を再開する。
「可愛く描いてね」
「あなたを可愛く描かないことのほうがむずかしいわよ」
明里のことを可愛いともてはやすのは、三人が共有する決まりごとのようなものだった。明里も——自分が可愛いという自覚はあるが——嫌味になるので、さすがにそれをほかの人の前で主張したりはしない。親しく会話をつづけていると、そのメンバーだけに通じる特別な言いまわしというものができてくるのだった。
「それから、ふつうに話してていいわよ」
蛍子は、かしこまった風に座っているふたりを見て苦笑した。
「よかった。蛍子があんまり真剣な顔してるから、息も止めろとか言われるんじゃないかと思った」
「息はいくらでも止めれるけどな」
魅那子が肩をすくめた。
「幽霊漫才はじまった」
蛍子が言うと、明里は「漫才じゃないって」と、もう骨折していない手をパタパタと振った。
「ねえ……」
しばらく黙々と動いていた蛍子の手が止まった。
「あたし、もう半年もいないんだよ。そのあとどうするの?」
「え、どうするって言われても……」
いきなり深刻な話を切り出されたので明里と魅那子は戸惑った。
これまでなんとなく避けてきた話題だった。
「成仏とかしないの? このままここでジバク霊とかになっちゃうの?」
「いやあ、なにしろはじめてのことだし……」
魅那子が頭をかいた。
「どうしていいもんかあたしたちにもわからないんだよ」
「でも、幽霊でいるよりは『成仏』したほうがいいんでしょう? もしかして、あたしの寂しいって気持ちが、あなたたちを引き止めているんじゃないかと思って……」
蛍子はうつむいていた。
そんなことはわかるはずもないのだが、生真面目な性格なので、一度思い込むと気になってしかたがなかった。
「だとしても、災難だとは思ってないよ。おかげで死んでからもこうして話せるんじゃないか」
魅那子がそう言うと明里もうなずいた。
「きっといまは人生のロスタイムなんだよ。そのうち、黙ってても試合終了の笛が鳴るんだと思う。それまでは暗い話はナシにしようよ」
ふたりが努めて明るく言うと、蛍子は「そうね」と答えて顔を上げた。
目もとがちょっと潤っている。
「ありがとう……ふたりとも大好きよ」
「な、なによ急に、恥ずかしいじゃない」
「明理が言ったんでしょ『今日の愛情は今日出し切れ』って」
蛍子は目尻を指で拭うと、にっこり微笑んだ。
明里と魅那子も目を合わせて笑った。それから明里が「あ」と思いついたように声を出した。
「ねえ、いまあたしいいこと言った?」
「え、なに?」
ピンとこなかった蛍子が魅那子を見ると、魅那子も首を傾げた。
「『人生のロスタイム』ってなかなかいい言葉じゃない?」
「いいかなあ。そもそもあたしたち以外に使い道なくない?」
「ええー。ねぇ蛍子、いい言葉だと思うでしょ?」
「いや、思わない」
「ウソ、感心してたでしょ」
「し、て、な、い」
頑なに否定する蛍子を見て魅那子が笑った。
それにつられるように蛍子と明里も笑う。
『もう半年もいないんだよ』
笑いながら、ふとその言葉がよみがえる。
いつまでもこのままでいられるわけがない。
いつか、本当の別れのときが来るだろう。
それも、きっとそう遠くないうちに。
三人は、そんな寂しい予感に包まれながら、このゆるやかな午後の時間を過ごしていた。
ひとりの少女によって事態が急変するまでは。
第2部
END
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