デイ・ウォーク

たかや もとひこ

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第26話  情報

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「クイン・M」
「はい、補佐長様」と、床に跪いた準戦士の若者がうやうやしく応えたことに気を良くしたレン補佐長は言葉を継いだ。
「お前が今朝、たった一人でヴァンパイアの捕獲に成功した功績は大きい」
「はい」
「非常に大きい」
「はい」
「しかし、それゆえに問題も生じておる」
 ほら来た。たぶん人工子宮ホーリー・カプセルどもの嫉妬だろ、それならわかる。とクインは床を見つめたまま顔を歪めた。でも畏怖だけは絶対に御免だ。嫉妬だけならまだしも、畏怖など、ここで生き抜くために邪魔になりこそすれ決してプラスになどならないからだ。人工子宮ホーリー・カプセルどもの中には、そんな一文にもならないことを追い求めて血道を上げる馬鹿もいるが、この城塞内でそれを許されるのは、ただの一人きりだ。その聖域を侵したと、その一人から言い掛かりをつけられようものなら、どんなことになるか。どう考えても悲惨な末路以外は想像できない。
 クインは、ヴァンパイアが抵抗することなく捕まった当初は調子に乗って手柄を吹聴していたものの、こうしてレン補佐長に謁見の間まで呼びつけられ、彼の苦虫を噛み潰したような表情に接すると事の重大さに身がすくみ、自分がどうしようもない泥沼に足を突っ込んでしまったのではないかという思いにかられて仕方がなかった。こんなことなら、あの時、エイブと一緒に自分も城門外に出ていればよかったのかもしれない。
「ヴァンパイアが、なぜ抵抗もせずに捕縛されたか、本当のところ、私にはよくわかりません」
 クインはレン補佐長が再び口を開くよりも先に、パンパイアの捕獲に占める自分の功績が、いかに小さなものだったかと印象づけることに腐心した。
「そうか」
「はい。まったくもって運が良かったとしか申せません」
「しかし、お前があの化け物を見つけ、警報を発したのは間違いあるまい。そして抵抗は無駄だと感じた化け物は捕獲された。これを大きな功績と言わずして何と言う」
「はぁ……」
「問題は、なぜ奴らが忌み嫌う明け方に、のこのこと現れたのか。目的は何なのか。必ず裏があるはずだ」
「理由と目的でございますか?」
「そう。理由と目的だ、クイン・M」
 クインは、この場を切り抜けるために知っていることを、洗いざらいぶちまけることにした。女ヴァンパイアは実は人間の娘と一緒に来たこと。その娘は城門外に取り残された準戦士エイブの幼馴染であるということ。そして、手柄を吹聴した自分は、愚かで欲のない小心者であるということまで。
「補佐長様、あの女ヴァンパイアは人間を安心させるため、朝に来たのだと申しておりました」
「『安心させるため』だと。なんと小賢しい」
「はい」
「確かか?」
「間違いございません」
「『油断させるため』の間違いではないのか」
 恐縮して口をつぐんだクインに、レン補佐長は鷹揚に手を振ると話の先を促した。
「女ヴァンパイアは政府チャーチだとかいうものを探すのが、ここにやって来た目的だと申しておりました」
「『政府チャーチ』とな?」
「はい。何でもヴァンパイアの政府チャーチだとか何とか。私のように無学な者には何のことだかさっぱり。考えてみますと、人間のように陽の中を歩き、政府チャーチとかいうわけのわからないものを探すなど、もしや、あの女ヴァンパイアは狂っているのでしょうか?」
 クインは自分の意見がレン補佐長の沈黙で報いられたことで、この場を切り抜けるどころか、まずいことでも仕出かしたのではないかと息をのんだ。そして恐る恐る視線を上げると補佐長の動静を伺った。補佐長は彼を冷たく見下ろしていた。
「クイン・M」
「はい」
「もう下がってよい」
「はっ……あの」
「まだ何かあるのか?」
「あの女ヴァンパイアには連れの娘、先ほども申し上げましたが、人間の娘が……」
「おそらく、どこかでかどわかされたのだろう。化け物と引き離された今は正気に戻っておろう。他にも何かあるのか。お前にはどう見えておるかわからんが、私は忙しい身なのだ」
「あっ……いえ……あのぅ。何もございません」
「お前は単なる準戦士だ。お前が為すべき事を為すがよい」
「かしこまりました、補佐長様」
 クインは少なくとも自分が畏怖に足る人間でないことだけは補佐長に知らしめることができたと胸を撫で下ろした。
               *
 何度目かの激痛がナナクサの身体の奥深くを嵐のように駆けぬけ、その度に彼女の四肢は別の生き物のように小刻みに痙攣した。戦士たちから時折与えられる顔面や腹部への殴打は、初めは痛みこそあったが、慣れてしまえば、それを待つ間の苦痛に比べれば何でもなくなった。それより性質が悪いのは剥き出しにされたナナクサの手足に絡みついた何重もの細い銀のワイヤーだった。それは彼女の肌にきつく食い込み、その皮膚を破るだけでなく、毒素が周辺の組織をどんどん壊死させていた。間違いなく、この仕打ちは若い彼女の命のを糸が粘土を削ぐように少しずつ削り取り、痛覚神経を容赦なく責め続けていた。銀からもたらされる激痛にナナクサの口から嗚咽が漏れた。身をよじるたびに傷口から染み出す血は、今では彼女の足元にスープ皿をひっくり返したような血溜りを作っている。
「小さいな。しかも弱々しい。拍子抜けもいいところだ」
 朦朧とする意識の中。耳障りな大声が響いた。だが彼女は衰弱しきっていたので、その大声に顔を向けるどころか目を向けることすらできなかった。第一指導者ヘル・シングは、糸が絡まったまま放置された操り人形のようなナナクサの細い顎を掴んで上を向かせると、口の中の小さな犬歯をしげしげと眺めた。
「こんな者どもに、戦士の大部隊が壊滅させられたなど到底信じられん」
「しかし、間違いなくこれはヴァンパイア。我らの憎むべき敵でございます」
 円形闘技場の屋上に造りつけられた楼閣の一つまで指導者に同道したレン補佐長は、そう応えると、斜めに指し込む陽の光を小さな手鏡で巧みに反射させた。眩いばかりの反射光はナナクサの剥き出しになった左脚をさっと薙いだ。陽が当たった表面からぱっと煙が立ちのぼると、耳を弄するばかりの悲鳴が彼女の口から発せられた。
「太陽の下、今はこうして銀で縛り付けてございますが、いつ何時、悪鬼のような力を発揮するかわかったものではございません」
「こいつがそのような力を発揮するなら、ぜひ見てみたいものだ」
「ですが……」反駁はんばくの兆しに第一指導者ヘル・シングはレン補佐長を即座に睨みつけた。「俺がこいつらを恐れているとでも言うのか、お前は?」
「いえ」レン補佐長は、いつものように慇懃無礼に頭を垂れた。「決してそのようなことはございません。閣下の御力をもってすれば、ヴァンパイアどもがいくら抗おうと雑作もないことでしょう。しかし、万が一にも逃げ出され、城砦内で様々な破壊行為に及ばれますと……」
「ふん。自動機械オート・マトンどもが心配か?」
「御意にございます」
 第一指導者ヘル・シングは人であれ、雪走り烏賊スノー・スクィードであれ、すべてもものが自分の足元に平伏して這いつくばる姿を見るのが何よりも好きだった。しかし、自動機械オート・マトンのそれだけは昔からどうにも好きになれなかった。彼らは半永久的に床や壁を虫のように所構わず動き回っては、今では忘れ去られた大昔の技術で城砦内のあらゆる保守点検を行っていたが、命を持たないゆえの恐怖心の欠如が、たとえ這いつくばる動作を見せようとも、指導者の心を苛立たせた。第一指導者ヘル・シングは頂点に上り詰める前に感情の爆発に任せて、時折、罪のない彼らに鉄槌を下して破壊してしまうこともあったが、例外なく別の自動機械オート・マトンが破壊された仲間に駆け寄り、真っ先にそれを修理し、何事もなかったかのように仕事に戻ってゆく姿を何度も眼にした。それが空しくて、さすがの彼も自動機械オート・マトンだけを意識の外に締め出す術を、とうとう身に付けたのだった。
 第一指導者ヘル・シングはナナクサの顎から手を離して立ち上がると、思ったことを口にした。
自動機械オート・マトンなどいくら壊れても、すぐに元通りになる。それどころか、俺なら、ほんの些細な被害すら出さず、ヴァンパイアをひねり殺せるとは思わんのか?」
「御力を微塵も疑ってはおりません。しかし閣下の双肩に掛かった第一指導者ヘル・シングの重責は、ほんの些細なことも無視し得ないかと愚考してのことにございますれば、何卒、ご容赦を」
「ふん。まぁ、よい」
「では、情報を引き出し次第、早急にこやつの処刑を」
仔細しさいはお前に任せる。だが」
「はい」第一指導者ヘル・シングの思いを瞬時に理解したレン補佐長はうやうやしく応じた。「処刑の様子は他の辺塞でも楽しめるように取り計らいます」
「うむ。せいぜい劇的にな」
 開催されるイベントの様子を思い描いた彼の顔は喜びに醜く歪んでいた。
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