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第10話 喪失
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チョウヨウはナナクサたちが留守にしていた半日間、タンゴをしっかりと守ってくれていた。石工見習いの彼女は数人の人間が入れるくらいの棺桶穴を崖下に穿ち、そこにタンゴを保護していたのだ。これがどれだけ大変なことかは彼女のぼろぼろになった服の袖を見ただけでも十分に察しがついた。帰ってきた仲間たちも皆ぼろぼろだった。しかし再会した後に起こるであろうとナナクサが想像していたことは起こらなかった。チョウヨウは泣かなかったし、ジョウシや自分自身も彼女に涙を見せることはなかった。チョウヨウは御力水探しに向かった一行の中に幼馴染みの顔がないことを認めると、一瞬だけ表情を曇らせた。そして子供にお使いを頼んだ母親のように、ただ一言「御力水はあった?」とだけ静かに聞いた。ナナクサは黙って頷くと薬師としてすぐさま反応した。タナバタもナナクサに続いた。ナナクサは棺桶穴に入ると、大切に運んできた御力水のアンプルの封を切った。アンプルからは、今まで嗅いだこともない刺激臭が辺りにたちこめた。ナナクサは目にしみる刺激臭に耐えながら、ドロリとした赤黒い御力水を急いでタンゴの口に含ませ、残りの半分をタナバタと協力して脇腹に開いた大きな傷口から傷ついた内臓に塗り薬のようにやさしくすり込んだ。病人の看護は薬師の仕事だ。処置を終えたナナクサとタナバタは、辛うじて浅い息をしているタンゴに寄り添った。
焼けつく太陽が氷河の地平線に没し、明るい月が真っ青な夜空に顔を出す頃、タンゴの呼吸は静かに止まった。
*
幼馴染みの最期を看取ったナナクサは周りに集まった仲間たち一人一人の顔を呆然と見やると、やがてふらふらと立ち上がった。そして彼女を心配して差しのべられた手を静かに払いのけると、その場から離れて人気のない所を探した。自身の無能を罵り、無能ゆえに失われた二人の仲間のため、思う存分、涙を流すために。そうだ。やっと涙を流せるのだ。崖下の棺桶穴から少し離れた所に人が隠れられそうな大きな岩塊があった。ナナクサはその陰に膝を屈すると声を殺して咽び泣いた。
*
明るかった月が小さくなり、中天に差し掛かるころ、ナナクサがいる岩塊から少し離れた所に来客があった。その気配にナナクサは薄いピンク色の涙の跡を拭いもせず顔を上げ、来客に視線を転じた。
「なぜ責めぬ。お前と同郷の友は我を救わんがため、命を落としたのだ」
「なぜ責めなきゃなんない。奴は自分の意志で行動して死んだ。それだけだ」
「介護の甲斐なく、タンゴも逝ってしもうた。ジンジツの死は無意味になったのじゃ」
「おい、チビ助」と張りつめた声。「無意味な死なんてねぇんだよ」
「いや」大きく息を吸い込む音がした。「無意味じゃ。少なくともジンジツは我のためにそうなったのじゃ。我を責めよ」
「いやだ」
「なぜ」悲痛な声が漏れた。「なぜじゃ?」
「そんなの、あたいの柄じゃねぇからさ」
「『柄じゃない』か……無理を強いて悪かっ……」
「だから何なんだよ、その態度は!」チョウヨウの声が爆発してジョウシの声を遮った。「一方的に自分の気持ちを人にぶつけといて、そいつが入れられなかったら、すごすご退散すんのか?!」
「すまぬ……」
「何が『すまぬ』だ。何なんだ、それ。一番小っちぇえくせに大人みたいに何でも悟りきった口を利きやがる。いつもみたいに『塵に還れ』とか毒舌吐いてろよ、自分らしく。いいか。よく聞け。人は何かをやり遂げて死ぬのが一番なんだ。何かをやり遂げようとして死ぬのは、その次にいい。少なくともあのバカは自分らしく前を向いたまま逝ったんだ。そうだろ。そうでなきゃ、本当に無意味になっちまうじゃねぇか」
「………」
「どうした。何か言ったらどうなんだ?」
「……ジンジツ」ジョウシがゆっくりと顔を上げた。「あのバカではない。彼の名はジンジツ……」
「そうだな、ジンジツだったな、奴の名は……」今まで聞いたことがないほどチョウヨウの声は優しかった。「単純で傲慢で、それでいて力強くて仲間思いの、あたいのダチ。奴の名はジンジツだ」
「かような思いをしたのは初めてじゃ。なぜかのぅ。なぜジンジツは……」
「お前を助けたかった。お前も、奴の気持ちは言わなくてもわかってんだろ?」
そよ風の音すら聞こえるくらいの沈黙が傷ついた娘たちの間に流れた。
「我には病に伏しておる弟がおってな」ジョウシが静かに語りだした。「亡き父の代わりに長を勤める母は忙しく、我れは弟の生活の助けに明け暮れる毎日じゃった。村人たちは口に出しこそせなんだが、弟を無駄飯食いと白い目で見ておった。我れは、人を助くることはあっても、決して助けらるる側にはおるまいと固く誓って生きてきた。そんな我れを大切に想い、己が身を捧げてくれる男が現れようなどとは、今まで微塵も思わなんだ。なのに……なのに……」
「ジョウシ……」
「すまぬが、チョウヨウ。一刻……いや、半刻でもよい。我れを一人にしてはくれまいか?」
わかったと、ジョウシに頷いてその場から離れたチョウヨウは少し離れた岩陰にナナクサの姿を認めた。目と目が合ったが、互いに何も言わなかった。チョウヨウはナナクサの傍に来ると無言で横に座って膝を抱えた。そして月を眺めあげた。ナナクサも黙ってそれに倣った。月は何事もなかったかのように透き通った光を二人の娘に投げかけていた。
どれくらい経ったのだろう。しばらくして頭の上からミソカが呼ぶ声が聞こえた。
「タンゴが息を吹き返したよ」
*
ナナクサとチョウヨウが駆け付けた時、丁度、タナバタが脈を診たタンゴの腕を下ろすところだった。
「さっき息を吹き返した。まだ呼吸は弱々しいけど回復しているようだ」
狐につままれたように互いの顔を見合わせるナナクサとチョウヨウの傍らをジョウシの小柄な体がすり抜けた。そしてタンゴを看るタナバタに食いつかんばかりに顔を近づけた。その頬には渇いた薄いピンクの筋が見て取れた。そして「タンゴは大丈夫なのじゃな」と、同村の薬師見習いの仲間に何度も念を押し、自分の大切な男が守ったかのように思える仲間の生還を喜んだ。
チョウヨウは呪縛から解放されるや否や、タンゴに駆け寄り、その手をしっかりと握った。彼女の口はわなわな震え、とめどない涙で、その頬は薄いピンク色に染まっていった。男勝りの娘が頑なに抑えていた感情の蓋が一気に開いた瞬間だった。
「幼馴染みを取られちゃいそうだね」
その場にへたり込んだナナクサの横で、いつの間にか合流したミソカがタンゴに寄り添うチョウヨウを見て屈託なく笑った。
*
タンゴの回復は目覚ましく、御力水の効果に、みな舌を巻いた。翌日、歩けるまでに回復したタンゴは姿の見えない仲間のことを一度だけ聞いた。交代で看護についていた一人が言葉を選んで、起こった出来事の一部始終を彼に伝えた。薬師として彼の傍で多くの時間を割いていたナナクサは自分がそれをタンゴに聞かれずに済んで内心ほっとしていた。
この日からタンゴは少しだけ無口になり、大食いではなくなった。
崖下で足止めされていたパーティは、それから数日を経て、ようやくデイ・ウォークを再開した。
焼けつく太陽が氷河の地平線に没し、明るい月が真っ青な夜空に顔を出す頃、タンゴの呼吸は静かに止まった。
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幼馴染みの最期を看取ったナナクサは周りに集まった仲間たち一人一人の顔を呆然と見やると、やがてふらふらと立ち上がった。そして彼女を心配して差しのべられた手を静かに払いのけると、その場から離れて人気のない所を探した。自身の無能を罵り、無能ゆえに失われた二人の仲間のため、思う存分、涙を流すために。そうだ。やっと涙を流せるのだ。崖下の棺桶穴から少し離れた所に人が隠れられそうな大きな岩塊があった。ナナクサはその陰に膝を屈すると声を殺して咽び泣いた。
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明るかった月が小さくなり、中天に差し掛かるころ、ナナクサがいる岩塊から少し離れた所に来客があった。その気配にナナクサは薄いピンク色の涙の跡を拭いもせず顔を上げ、来客に視線を転じた。
「なぜ責めぬ。お前と同郷の友は我を救わんがため、命を落としたのだ」
「なぜ責めなきゃなんない。奴は自分の意志で行動して死んだ。それだけだ」
「介護の甲斐なく、タンゴも逝ってしもうた。ジンジツの死は無意味になったのじゃ」
「おい、チビ助」と張りつめた声。「無意味な死なんてねぇんだよ」
「いや」大きく息を吸い込む音がした。「無意味じゃ。少なくともジンジツは我のためにそうなったのじゃ。我を責めよ」
「いやだ」
「なぜ」悲痛な声が漏れた。「なぜじゃ?」
「そんなの、あたいの柄じゃねぇからさ」
「『柄じゃない』か……無理を強いて悪かっ……」
「だから何なんだよ、その態度は!」チョウヨウの声が爆発してジョウシの声を遮った。「一方的に自分の気持ちを人にぶつけといて、そいつが入れられなかったら、すごすご退散すんのか?!」
「すまぬ……」
「何が『すまぬ』だ。何なんだ、それ。一番小っちぇえくせに大人みたいに何でも悟りきった口を利きやがる。いつもみたいに『塵に還れ』とか毒舌吐いてろよ、自分らしく。いいか。よく聞け。人は何かをやり遂げて死ぬのが一番なんだ。何かをやり遂げようとして死ぬのは、その次にいい。少なくともあのバカは自分らしく前を向いたまま逝ったんだ。そうだろ。そうでなきゃ、本当に無意味になっちまうじゃねぇか」
「………」
「どうした。何か言ったらどうなんだ?」
「……ジンジツ」ジョウシがゆっくりと顔を上げた。「あのバカではない。彼の名はジンジツ……」
「そうだな、ジンジツだったな、奴の名は……」今まで聞いたことがないほどチョウヨウの声は優しかった。「単純で傲慢で、それでいて力強くて仲間思いの、あたいのダチ。奴の名はジンジツだ」
「かような思いをしたのは初めてじゃ。なぜかのぅ。なぜジンジツは……」
「お前を助けたかった。お前も、奴の気持ちは言わなくてもわかってんだろ?」
そよ風の音すら聞こえるくらいの沈黙が傷ついた娘たちの間に流れた。
「我には病に伏しておる弟がおってな」ジョウシが静かに語りだした。「亡き父の代わりに長を勤める母は忙しく、我れは弟の生活の助けに明け暮れる毎日じゃった。村人たちは口に出しこそせなんだが、弟を無駄飯食いと白い目で見ておった。我れは、人を助くることはあっても、決して助けらるる側にはおるまいと固く誓って生きてきた。そんな我れを大切に想い、己が身を捧げてくれる男が現れようなどとは、今まで微塵も思わなんだ。なのに……なのに……」
「ジョウシ……」
「すまぬが、チョウヨウ。一刻……いや、半刻でもよい。我れを一人にしてはくれまいか?」
わかったと、ジョウシに頷いてその場から離れたチョウヨウは少し離れた岩陰にナナクサの姿を認めた。目と目が合ったが、互いに何も言わなかった。チョウヨウはナナクサの傍に来ると無言で横に座って膝を抱えた。そして月を眺めあげた。ナナクサも黙ってそれに倣った。月は何事もなかったかのように透き通った光を二人の娘に投げかけていた。
どれくらい経ったのだろう。しばらくして頭の上からミソカが呼ぶ声が聞こえた。
「タンゴが息を吹き返したよ」
*
ナナクサとチョウヨウが駆け付けた時、丁度、タナバタが脈を診たタンゴの腕を下ろすところだった。
「さっき息を吹き返した。まだ呼吸は弱々しいけど回復しているようだ」
狐につままれたように互いの顔を見合わせるナナクサとチョウヨウの傍らをジョウシの小柄な体がすり抜けた。そしてタンゴを看るタナバタに食いつかんばかりに顔を近づけた。その頬には渇いた薄いピンクの筋が見て取れた。そして「タンゴは大丈夫なのじゃな」と、同村の薬師見習いの仲間に何度も念を押し、自分の大切な男が守ったかのように思える仲間の生還を喜んだ。
チョウヨウは呪縛から解放されるや否や、タンゴに駆け寄り、その手をしっかりと握った。彼女の口はわなわな震え、とめどない涙で、その頬は薄いピンク色に染まっていった。男勝りの娘が頑なに抑えていた感情の蓋が一気に開いた瞬間だった。
「幼馴染みを取られちゃいそうだね」
その場にへたり込んだナナクサの横で、いつの間にか合流したミソカがタンゴに寄り添うチョウヨウを見て屈託なく笑った。
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タンゴの回復は目覚ましく、御力水の効果に、みな舌を巻いた。翌日、歩けるまでに回復したタンゴは姿の見えない仲間のことを一度だけ聞いた。交代で看護についていた一人が言葉を選んで、起こった出来事の一部始終を彼に伝えた。薬師として彼の傍で多くの時間を割いていたナナクサは自分がそれをタンゴに聞かれずに済んで内心ほっとしていた。
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