上 下
57 / 64

57「また痕が残ったら大変だったな」

しおりを挟む
「今年の星祭りも一緒に行く?」
 馬術大会の翌日。朝食を取りながらルイーザがたずねた。
「リック様と一緒に?」
「そう」
「お邪魔じゃないの?」
 せっかく婚約したのだから、二人で行った方がいいのではないだろうか。
 そう思いヴェロニカは聞き返した。
「そんなことないわよ、お祭りは皆で行った方が楽しいもの。それに、今年は別のお店を予約しているんだけど、広いから大勢でも大丈夫だって。カイン様はどうするの?」
「まだ聞いていないわ」
 去年、カインは冬休みに騎士団の訓練に参加していた。
 星祭りの日は休みだったはずだから、空いているかもしれない。

「じゃあ聞いてみて、一緒に行けるなら誘いましょう」
「ええ」
「エリアス様は来るでしょう?」
「多分……」
(星祭り……)
 ヴェロニカは去年見た光景を思い出した。
 街中が炎に包まれた、あれは幻などではなく前世で本当に起こったことなのだ。
 愛し子である自分が殺されたという理由で、国ひとつ滅ぼしてしまう魔女の力はとても恐ろしいものだ。
(エリアスは……大丈夫かしら)

 昨日、パーティが終わった後。アリサが部屋に訪ねてきた。
 そうして暁の魔女から聞いたという話を教えてくれたのだ。
(宵の魔女が私の代わりにエリアスを狙っている……)
 それはとても恐ろしいことだった。
 エリアスは心が強いからたやすく魅入られることはないと、魔女も言っていたというけれど。
(エリアスに魔女のことを教えた方がいいのかしら……でも)
 そうなると前世に起きたことも伝えなければならないだろう。

 あの事故で怪我をしたこと、そうしてカインに殺されたことも。
(そんなこと……言えないわ)
「ヴェロニカ? どうしたの?」
 考え込んだヴェロニカにルイーザは首をかしげた。
「あ……考えていたの……ええと、冬休みはどうしようかって」
 ルイーザに答えて、ヴェロニカは残っていたお茶を飲み干した。



 今日は女生徒主催のお茶会が開かれる。
 会場となる食堂に、それぞれのグループが趣向を凝らしたコーディネートを二年生がセッティングしていった。
 招待客の男子生徒がどのテーブルに着くかはくじで決まる。
 入り口で各テーブルで作成した招待状が入った白い封筒を渡されるのだ。

「ドキドキします」
 ヴェロニカたちと同じグループになった、給仕役をつとめるイヴリンが不安そうに言った。
「大丈夫よ、サロンでも練習したでしょう」
 園芸サロンでお茶をする時に、今日のためにとエリアスからお茶の淹れ方を教わったのだ。
「そうなんですけど……やっぱり本番だと思うと」
「自信を持って。イヴリンなら大丈夫よ」
 ヴェロニカは微笑むとイヴリンの背中をぽんぽんとたたいた。
「男子たちが来たわ」
 封筒を手にした男子生徒たちが次々に入ってくると、それぞれのテーブルへと向かっていった。

「ヴェロニカのグループだったのか」
 三人目。バラが描かれた招待状を手にしたフィンセントが笑顔でテーブルにやってきた。
「殿下。……ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ」
 一瞬動揺したが、それを顔に出さずにヴェロニカは席へと案内した。
 本来ならば、お茶会では席順が重要になる。
 階級や関係性などを考慮し、皆が楽しく過ごせる並びにする腕前が主催には求められる。
 けれど今回は学生同士であり、また参加者は直前まで分からないということで来た順に座ってもらうことになっていた。

「先輩っどうしましょう。王太子殿下にお茶を出すなんて……」
「私には無理ですっ」
 泣きそうな顔で一年生たちが訴えた。
「大丈夫よ。ゆっくり、丁寧に順番にこなしていけば」
「でも……」
「殿下の話し相手はヴェロニカに務めてもらうから。もし失敗してもヴェロニカが助けてくれるわ、ね」
「……ええ」
 ルイーザの言葉にヴェロニカは頷いた。

 確かに、王太子にお茶を淹れたり相手をするのは緊張するのだろう。
 この中で一番緊張せずに接することのできるヴェロニカが担当するのが一番いいのかもしれない。
(でも……正直、殿下と話すのは気まずいわ)
 ずっと、婚約者候補とならないよう避けていたし、本人に向かって断ってしまったこともある。
 しかもフィンセントが自分のことを好きかもしれないと聞かされたばかりなのだ。
 どんな顔で相手をすればいいのだろう。そう思いながらもヴェロニカはフィンセントの前の席へと向かった。

 長いテーブルを挟んで招待客役の男子生徒と、主人役の二年生女子が向き合って座る。
 一年生たちがティーセットを運んできた。
「本日はバラをテーマにいたしました」
 ルイーザが説明した。
 浮き彫りを施した真っ白な平皿の上には、カラフルな砂糖で飾りつけた焼き菓子が花びらのように並べられている。
 白い花瓶には淡い色のバラを飾り、平皿と揃いのティーカップで出すのは赤い色のお茶だ。

 緊張した顔で一年生たちがティーポットとお湯を運んできた。
 習った通りに慎重にお湯を注ぎ、砂時計をひっくり返して蒸らす。
 砂が落ちきるとティーポットを持ち、それぞれのカップにお茶を注いでいった。
 学生同士とはいえ、一年生と二年生とでは接点も少なく馴染みもない。それでもなんとか会話をつなぎ、お茶の味も良く、和やかな雰囲気でお茶会は進んだ。
 カップの中身が少なくなったところで二杯目の準備にとりかかる。
 新しい茶葉を入れたティーポットで同じようにお湯を入れて蒸らす。
 一年生がお茶を注ぐためにティーポットを持って席を回った。
「あっ」
 フィンセントのカップに注ごうとして、緊張したのだろう。
 ポットを持つ手が震えてお茶がカップの外へこぼれると、フィンセントの手にかかった。
「つっ」
「殿下!」
 熱さで顔をしかめたフィンセントを見てヴェロニカは慌てて立ち上がった。
「大丈夫ですか」
 テーブルの近くに用意してあるおしぼりを手に取るとフィンセントの側に駆け寄り、赤くなった手におしぼりを巻きつけた。
「殿下、医務室へ行きましょう。ルイーザ、あとはお願いね」
「分かったわ」
 真っ青になって立ち尽くすお茶をこぼした一年生に視線を送ってから、ヴェロニカはフィンセントと医務室へ向かった。

(先生はいないのかしら……)
 医務室は、鍵がかかっていなかったけれど無人だった。
「殿下、こちらへ座ってください」
 仕方なく、ヴェロニカはフィンセントにイスをすすめるとその傍らにボウルを置き、水を注いだ。
「ここに手を入れて冷やしていただけますか。先生を探してきますので……」
「いや、少しかかったくらいだから冷やすだけで十分だ」
 ボウルに手を入れながらフィンセントはそう答えた。
「ですが……」
「校医もそのうち戻ってくるだろう」
「……わかりました」
(どうしよう……気まずいわ)
 医務室でフィンセントと二人きりという状況にヴェロニカは困惑した。
 フィンセントを一人置いていく訳にもいかないし、何を話していいのかも分からない。
「ずいぶんと手際がいいのだな」
 所在なくしていると、フィンセントが口を開いた。
「あ……去年、お茶を淹れる練習の時に私もお湯がかかりましたので」
 あの時カインに助けてもらったことを、そのまま真似しているだけだ。
「そうだったのか。……痕は残らなかったか?」
「はい、何も」
 ヴェロニカは手の甲をフィンセントに見せた。
「そうか、それは良かった。また痕が残ったら大変だったな」
 フィンセントはほっとした顔を見せたが、すぐにその表情を硬くした。
「……カイン・クラーセンには額の傷を見せたのか」
「え? ……はい」
「彼は何と言っていた」
「……ええと、傷があっても……その、綺麗だと」
 自分で言うと恥ずかしくて、ヴェロニカは口ごもりながら答えた。
 カインにとっては「幸運の証」だとも言われたけれど、それはフィンセントには言わないほうがいい気がした。
「そうか……そうだな、傷があってもヴェロニカの美しさは失われない。……あの時、それに気づくべきだった」
 ヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。
「そうすれば今も君は、私の婚約者だったのに」
「それは……」
 もしもあの時、婚約を解消しなかったらどうなっていたのだろう。
 エリアスは怪我をしなかったが、ヴェロニカの執事見習いとはならなかった。
 他国へ治療に行くことも、領地に帰ることもなかったら、アンやルイーザという友人はできなかった。
 カインと親しくなることもなかっただろう。
(なにより……私はきっとまた、宵の魔女に魅入られていた)
 前世と同じことを繰り返したら、また国が滅んでしまうかもしれない。
 それだけは避けないと。

「私は……婚約を解消したことで、新たな出会いを得ました」
 ヴェロニカはフィンセントを見た。
「治療院で出会った友人や、ルイーザたち……彼らと出会えたことは、とても幸運だと思っています」
「……幸運」
「はい。それに私は……お妃には向いていないんです」
 魔女に魅入られる隙がある自分には、妃などという重役を務められそうにない。

「……確かに、ヴェロニカには妃という立場は負担かもしれない」
 視線を落としてそう言うと、フィンセントはヴェロニカを見た。
「それでも私は……君に妃となって欲しいと、今でも思っている」
「それは……」
「未練がましいと思われるだろうが、私は君のことを……」
「失礼いたします」
 ふいにエリアスの声が聞こえた。
「エリアス……どうしたの?」
「戻られないので様子を見に来ました。校医はいないのですか」
 医務室に入ってきたエリアスは室内を見渡した。
「ええ」
「あとは私が引き受けますので、ヴェロニカ様はお戻りください」
「お前……」
 フィンセントはエリアスを睨みつけた。
「でも……」
「ああ、ごめんなさいね」
 その時校医が入ってきた。
「どうしたの、怪我?」
「殿下に熱湯がかかって……」
「どれ」
「参りましょう、ヴェロニカ様」
 エリアスに促されて部屋から出ていくヴェロニカの背中を、フィンセントはじっと見つめていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

〖完結〗旦那様が私を殺そうとしました。

藍川みいな
恋愛
私は今、この世でたった一人の愛する旦那様に殺されそうになっている。いや……もう私は殺されるだろう。 どうして、こんなことになってしまったんだろう……。 私はただ、旦那様を愛していただけなのに……。 そして私は旦那様の手で、首を絞められ意識を手放した…… はずだった。 目を覚ますと、何故か15歳の姿に戻っていた。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全11話で完結になります。

魔女の私と聖女と呼ばれる妹〜隣国の王子様は魔女の方がお好きみたいです?!〜

海空里和
恋愛
エルダーはオスタシス王国の第二王子に婚約を破棄された。義妹のティナが聖女の力に目覚めてから、婚約者を乗り換えられたのだ。それから、家も追い出され、王宮での仕事も解雇された。 それでも母が残したハーブのお店がある! ハーブの仕事さえ出来れば幸せなエルダーは、義妹の幸せマウントも気にせず、自由気ままに生きていた。 しかしある日、父親から隣国のロズイエ王国へ嫁ぐように言われてしまう。しかも、そのお相手には想い人がいるようで?! 聖女の力に頼りきりでハーブを蔑ろにしていた自国に限界を感じていたエルダーは、ハーブを大切にしているロズイエに希望を感じた。「じゃあ、王子様には想い人と幸せになってもらって、私はロズイエで平民としてお店をやらせてもらえば良いじゃない?!」 かくして、エルダーの仮初めの妻計画が始まった。 王子様もその計画に甘えることにしたけど……? これは、ハーブが大好きで一人でも強く生きていきたい女の子と、相手が好きすぎてポンコツになってしまったヒーローのお話。 ※こちらのお話は、小説家になろうで投稿していたものです。

今更困りますわね、廃妃の私に戻ってきて欲しいだなんて

nanahi
恋愛
陰謀により廃妃となったカーラ。最愛の王と会えないまま、ランダム転送により異世界【日本国】へ流罪となる。ところがある日、元の世界から迎えの使者がやって来た。盾の神獣の加護を受けるカーラがいなくなったことで、王国の守りの力が弱まり、凶悪モンスターが大繁殖。王国を救うため、カーラに戻ってきてほしいと言うのだ。カーラは日本の便利グッズを手にチート能力でモンスターと戦うのだが…

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

処理中です...