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37「そうか、それはいい気味だ」

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「王太子殿下、お誕生日おめでとうございます!」
「心を込めて書きましたの。どうぞお受けとりください」
「ああ、ありがとう。あとで読ませてもらうよ」
 王子様スマイルを浮かべて、フィンセントは一年生たちから手紙を受け取った。

「これで何組目かしら」
 その様子を眺めながらルイーザが呟いた。
 去年と同じように、朝からフィンセント目当ての女生徒たちが何人も教室にやってくるのだ。
 ディルクの机の上には、朝から渡された手紙類が束になって置かれていた。
「ヴェロニカ様は、今年も渡されるのですか」
 エリアスが尋ねた。
「そうねえ。……機会があればね」
 一応用意はしたが、今年は渡さなくてもいいとヴェロニカは考えていた。

 去年、フィンセントからヴェロニカは婚約者候補だと伝えられた。
 そのヴェロニカが誕生日カードを渡せば、少なからず好意があると思われるのではないか、そんな心配があるからだ。
(あのカードの送り主の中に、殿下の未来の婚約者がいるのかもしれないもの)
 婚約者探しの邪魔をしてはいけない、ヴェロニカはそう思った。

「ヴェロニカはいつも王太子に誕生日カードを送っていたのか」
 会話を聞いていたカインが口を開いた。
「ええ、恒例になっていたから」
「ヴェロニカのカードってとても素敵な柄よね」
 ルイーザの言葉にエリアスも頷いた。
 この二人にも誕生日カードを渡したのだ。
「領地に素敵な文房具を扱うお店があって、沢山買ってきたの。そうだ、カインはいつが誕生日なの?」
「俺は来月だな」
「まあ、じゃあカインにも渡すわね。ピッタリのカードがあるの」
 本の装丁を模したカードがあるのを思い出してヴェロニカは言った。
「ああ、楽しみにしてる」
 カインは笑みを浮かべた。


「ヴェロニカ様。サロンに参りましょう」
 午後の授業が終わるなり、手早く荷物を片付けるとエリアスはヴェロニカの席へとやってきた。
「ええ」
 ヴェロニカの片付けを手伝うと、エリアスはその手を取り歩き始めた。
「え、そんなに急がなくても……」
 引きずられるようにヴェロニカは教室から出て行った。

「露骨だな」
「どうしても殿下にカードを渡すのを阻止したいのね」
 二人を見送ってカインとルイーザは口を開いた。
「殿下が恨めしそうに見てるわ」
 あっという間に二人が出ていったドアを暗い眼差しでじっと見つめるフィンセントを見て、ルイーザはカインにささやいた。
「そうか、それはいい気味だ」
「……カイン様って、殿下がお嫌いなの?」
「ああ。嫌いだな」
 あっさりとカインは答えた。
「それは、殿下がヴェロニカに好意を持っているから?」
「そんなところだな」
「でもエリアスがヴェロニカの側にいるのはいいのね」
 小首をかしげてルイーザは言った。

 カインがヴェロニカに好意を抱いているのはその様子を見ていれば分かる。
 そしてエリアスもまたヴェロニカに主人として以上の好意を抱いていることも。
 二人はヴェロニカを巡るいわばライバル同士で、互いに牽制しているように見えるが、その関係は決して悪くはなく、むしろ気が合うようにも見える。
(不思議なのよね、この三人って)
 この間は三人で一緒に学校と図書館に行き楽しかったとヴェロニカが言っていた。

「そうだな……まあ、あいつは全く意識されていないからな」
 視線をドアへと送ってカインは呟くように答えた。


「エリアス……そんなに急ぐ用事があるの?」
 急ぎ足のエリアスを見上げてヴェロニカは尋ねた。
 今日の作業予定は草むしりや掃除くらいのはずだ。
「教室にいたくなかったものですから」
「どうして?」
「ヴェロニカ様には関係のないことです」
 視線を合わせるとエリアスは笑顔で言った。
(じゃあ先に行けばよかったのに)
 そう思ったが、エリアスはヴェロニカが一人で出歩くことを好まない。
 ヴェロニカが自分がいない時にフィンセントの婚約者になりたい女生徒たちから絡まれたり、男子生徒に声をかけられたりしたことを気にしているのだ。

(執事と護衛は違うと思うんだけれど……)
 そもそも学校は侍女などの助けを借りず、一人で行動できる力を養う場所でもある。
 さすがにフィンセントは王太子だから護衛を兼ねてディルクが常に側にいるが、ただの侯爵令嬢であるヴェロニカには学校内では護衛も執事も必要がないのだ。
(本当に、エリアスは過保護なんだから)
 ヴェロニカが少し呆れていると、ふいにエリアスが足を止めた。

 エリアスを見上げ彼の視線の先を見ると、前方に赤い髪が見えた。
「……アリサ」
「ヴェロニカせんぱ……」
 ヴェロニカの声に振り返ったアリサが、その視線を下に落として固まった。
(あ)
 教室を出る時にエリアスから手を握られたままだったことにヴェロニカは気づいた。
「……こんにちは」
 慌てて振り解こうとしたが、エリアスが逆に強く手を握りしめてきたため仕方なくヴェロニカはそのままアリサに笑顔を向けた。
「……こんにちは」
 戸惑った顔でアリサは返した。


「ヴェロニカ先輩とエリアス先輩は、いつもああして手を繋いでいるんですか」
 草むしりをしながらアリサが小声で尋ねてきた。
「いえ……今日はたまたま……」
 朝は手を繋がれることもあるが、いつもではないからと心の中で言い訳をしつつヴェロニカは答えた。
「たまたま?」
「サロンに急ぐからって……」
「……そうなんですか」
 アリサはちらと視線を後ろへと向けた。
 今日は女子は草むしり、男子は道具の手入れや整理を行なっている。

「……私、エリアス先輩に嫌われているみたいなんです」
 視線を戻してアリサは言った。
「……そうなの?」
「時々にらまれますし……」
(バレているじゃない)
 やはり態度に出ているのがアリサにも伝わっていたのか。
「どうしてそんな態度を取るのか聞いてみるわ。アリサは何も悪いことしていないのでしょう?」
「――大丈夫です」
 アリサは首を横に振った。
「たぶん、知らない間に不快にさせたことがあるんだと思います」
「そう……?」
「それに……あの人とは関わらない方がいいんです」
 ヴェロニカに聞こえないように、アリサは小さくつぶやいた。


「うちのクラスの子たちが王太子殿下に手紙を渡しにいったんです」
「笑顔で受け取ってくれたって喜んでました」
 作業と片付けを終えて、休憩しながらマリアとイヴリンが言った。
「一組の子たちも行ったの?」
「うん、何人も行ったみたい」
 イヴリンに尋ねられてアリサはそう答えた。

「そうね、大勢来ていたわ」
 ヴェロニカは口を開いた。
「去年より多かったかも」
「そうなんですね」
「一年生の中から王太子殿下の婚約者が選ばれたりするんですかね」
「その可能性は十分あると思うわ」
 ヴェロニカが春休みに帰った時、母親から王太子妃の座を巡って貴族間のかけひきが激しくなっていると聞かされた。

 だからヴェロニカに婚約者となる意思がないのなら、なるべく王太子と接することは控えるようにと父親からも言われていた。
(本当に……早く決まって欲しいわ)
 フィンセントのためにも、ヴェロニカ自身のためにも。
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