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30「再び婚約することはありません」
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学校で開かれる新年のパーティは参加しない生徒も多いため、夏休み前のパーティよりも小規模だ。
それでもフィンセントが現れると大きな歓声が上がり、会場は一気に華やかな空気となった。
「さすが王子様。今日は正装なのね」
感心したようにルイーザが言った。
フィンセントは夜会服ではなく、儀礼用に装飾を施した騎士服に赤いサッシュをかけた、王太子としての正装を着用していた。
「ヴェロニカ」
その姿を見つけたフィンセントが歩み寄ってきた。
「新年のお喜びを申し上げます、王太子殿下」
ヴェロニカはドレスの裾をつまむと深く礼をとった。
「王家と王国の繁栄と豊年をお祈りいたします」
「ああ。ヴェロニカにも今年一年の幸福を祈ろう」
そう答えて、フィンセントは会場内を見渡した。
「国王陛下より新年の祝福を預かってきた。皆の今年一年の幸福を祈り、更なる成長を得られるよう祈ると」
フィンセントの言葉にわあっと歓声があがった。
(殿下も……そういえば前世とかなり雰囲気が違うのよね)
柔らかな笑顔で皆に手を振って応えるフィンセントの姿にヴェロニカは思った。
前世のフィンセントは自分に寄ってくる者たちに当たり障りのない対応はするものの、自分からは決して接しようとはしなかった。
その顔にはいつも穏やかな笑みを浮かべていたし人当たりは良かったけれど、本当の姿は冷酷で自分にも他人にも厳しいものだった。
フィンセントが心を開いたのはただ一人、アリサ・ベイエルスだけだったのだ。
「ヴェロニカ」
フィンセントが手を差し出した。
その手を取ると、フィンセントはフロアの中央へと向かっていった。
最初のダンス音楽が始まり、フロアにいる十組ほどが踊り始めた。
新年を祝う華やかな曲で、ステップも軽やかに大きな動きで踊っていく。
「今日のドレスもよく似合っていて綺麗だな」
フィンセントが言った。
今日のヴェロニカは白いドレスで、腰に水色のリボンを巻いていた。
大きく結ばれたリボンのたれはドレスの裾まであり、後ろ姿を華やかに飾っている。
「ありがとうございます」
(こんな風に褒めてもらったことも、一度もなかったわ)
前世を思い出しながらヴェロニカはお礼を言った。
上位貴族、そして王太子の婚約者なのだから美しさも優秀さも持っていて当然なのだとお妃教育で言われていたし、フィンセントの態度からも彼もそう思っているであろうことを感じていた。
どうして死に戻ったのか――前世で死んだあとの世界はどうなったのか、魔女とどう関係があるのか。
ヴェロニカには分からないけれど、それでもヴェロニカ以外の者にとっても、前世より今世の方がその境遇は良いように思えた。
「ヴェロニカ。考え事か?」
思いを巡らせているとフィンセントが尋ねた。
「あ……思い出していて」
「何を?」
「……入学してからのことです」
ヴェロニカはそう答えた。
「入学する前は不安だったけれど……毎日楽しく過ごせて良かったと思いまして」
前世のように、自分で感情をコントロールできなくなってしまうのではないか。
そんな不安がずっとあった。
前世を思い出させる出来事は何度か起きてはいるけれど、ヴェロニカ自身は何も変わっていない。
それは安心できる事実だ。
「そうか。私も不安だった」
「え?」
「君がまだ傷ついていないか、私を恨んでいないか……ずっと気がかりだった」
「恨むだなんて、そんなことは」
「君がそんな人間ではないことは分かっている。それでも……私が君にしたことは許されないことだ。だから君に恨まれても仕方ないという気持ちと、けれど嫌われなくないという気持ちとで……揺れていたんだ」
ヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。
「君に婚約破棄を言い渡したあの時に時間が戻ってやり直せたらいいと何度も思ったよ」
「それは……」
「そんなこと、出来るはずもないけれどね」
フィンセントは小さく笑った。
(ああ……殿下にとっては、これは後悔している未来なのね)
前世の記憶があるヴェロニカは、婚約破棄はむしろ喜ばしいことだったけれど。それを知らないフィンセントにとって、己の行為は後悔することなのだ。
(むしろ殿下には感謝しているのに……)
それを伝えられないのがもどかしい。
「……本当に、私は気にしていません」
ヴェロニカにはそう答えるのが精一杯だった。
「王太子殿下!」
ダンスが終わってフロアから出ると、一人の女生徒が駆け寄ってきた。
「お約束いたしましたわよね」
「……ああ」
一瞬わずかに眉をひそめて、すぐにフィンセントは女生徒に笑顔を向けると手を差し出した。
「国王陛下に命じられているんです」
フィンセントが女生徒と共にフロアへ戻っていくのをヴェロニカが見送っているとディルクが言った。
「何をですか?」
「本来ならば殿下は今日、王宮のパーティに参加すべきなのですが。ここに来る代わりに最低でも三人と踊るようにと」
「そうなのですか」
「王宮のパーティで婚約者候補の方々と顔を合わせる予定だったのを蹴った代償ですね。いい加減決めて欲しいと大臣たちも痺れを切らしはじめているんです」
フィンセントの方へ視線を送りながらディルクは言った。
「ちなみにあの方も候補のお一人で、二年生のサラ・ビクネーゼ侯爵令嬢です」
「華やかでお綺麗な方ですね」
くっきりとした顔立ちに、真っ赤なドレスがよく似合う女性だ。
「殿下ともお似合いだと思います」
「……そうですね」
「ヴェロニカ様」
いつの間にか側に来ていたエリアスが、ヴェロニカに向かって手を差し出した。
「踊っていただけますでしょうか」
「ええ」
ヴェロニカはエリアスの手に自分の手を重ねた。
「――殿下はまったく意識されていませんね」
ヴェロニカたちの後ろ姿を見送ってディルクはため息混じりに言った。
「ええ。ヴェロニカは誰にも友情以上の好意を持っていないようですね」
やり取りを見守っていたルイーザが答えた。
「そうですか」
「殿下はやはり、ヴェロニカを婚約者の第一候補に考えているのですか?」
「……ええ」
ディルクは小さくうなずいた。
「ですが正直、ヴェロニカ様はお妃にふさわしくないように思います」
「それは、どうしてですか?」
「王太子妃になると、他の方々からの嫉妬や悪意といったものを多く受けることになります。ヴェロニカ様がそれに耐えられるかどうか……」
「ああ……確かに。ヴェロニカは競争心や、他人を出し抜こうという気持ちがないから耐えられないかも」
「ええ」
ルイーザの言葉にディルクはうなずいた。
「殿下が想いを寄せているという理由だけで選ぶのも難しいんです」
「そうなんですね」
(ヴェロニカには穏やかに暮らして欲しいわね)
エリアスと楽しそうに踊るヴェロニカを見つめてルイーザは内心思った。
初めてヴェロニカと会ったのは十一歳の頃。同じ年の子がいるからと初めてフォッケル領に招かれた時だ。
五ヶ月ほど前に治療院から帰ってきたというヴェロニカは、挨拶をするとおずおずと手を差し出した。
その手をルイーザが握りしめると、不安そうだったヴェロニカは目を瞬かせてすぐにその顔をほころばせた。
その笑顔の可愛らしさに心がぎゅっとして――この子を守りたいと、そうルイーザは強く思ったのだ。
ヴェロニカは怪我の傷が顔に残り、そのせいで王太子との婚約を解消するという不幸な境遇にありながらも、誰かを恨むようなことは決してしなかった。
穏やかで優しい性格のヴェロニカは、確かにお妃には向いていないのかもしれない。
「では、殿下はヴェロニカを諦めるのですか?」
「……諦められるくらいなら最初のダンスパートナーに選ばないでしょうね」
フロアで踊るフィンセントたちを見つめてディルクはため息をついた。
二曲目のダンスを終えたヴェロニカたちと入れ替わるように、ルイーザがダンスサロンのメンバーとフロアへ入っていった。
「休憩なさいますか」
「そうね。喉が渇いたわ」
ルイーザを見送りながら、ヴェロニカはエリアスの言葉にうなずいた。
二人は料理や飲み物が並べられたスペースへ向かった。
エリアスが取ってきたジュースを受け取り、ヴェロニカは空いていたイスに腰を下ろした。
「ダンスをする時に前髪は気になりませんか」
エリアスが尋ねた。
「ええ。そのために前髪も伸ばしているから大丈夫よ」
エリアスからもらったワックスは、普段も少し使うようにしている。
長く伸ばした前髪もそうすれば邪魔になりにくいし、傷を隠せるよう固定できるからだ。
「エリアスのおかげね」
「ありがとうございます」
お礼を言うとエリアスは深く頭を下げた。
「ヴェロニカさん」
声をかけられ、振り返るとフィンセントと踊っていた二年生の女生徒が立っていた。
「はい」
「私、サラ・ビクネーゼと申します。ヴェロニカさんに少しお伺いしたいことがありますの」
「何でしょう」
「ヴェロニカさんは王太子殿下の有力な婚約者候補と聞いておりますが、本当ですの?」
「……それはどなたからお聞きになったのでしょうか」
「社交界でうわさになっておりますわ。王太子殿下が心を許しているのはヴェロニカさんだけだと」
「……確かに殿下とは他の方よりも親しくさせていただいているとは思います。けれど、私は一度婚約を解消した身です。再び婚約することはありません」
ヴェロニカは言った。
フィンセントからは自分が婚約者候補だとは言われている。
けれど、ヴェロニカはフィンセントと婚約するつもりは全くなかった。
(私も殿下も前世とは違うけれど……でもまた同じことを繰り返さないという保証はないもの)
前世と同じ過ちを繰り返さない。
それがヴェロニカにとって一番大事なことだ。
「……それは本心で言っていますの?」
「はい。私よりふさわしい方がいらっしゃいますでしょうし」
「そう……分かりましたわ」
ヴェロニカをじっと見つめていたサラは、そう言うと身をひるがえして立ち去っていった。
「――ビクネーゼ家は、侯爵家の中では歴史が浅くその立場も弱いですから。王太子妃を出すことで地位向上を狙いたいのでしょう」
エリアスが言った。
「家のためにお妃になりたいということなのね……大変だわ」
「貴族の結婚は多くが家のためですから――」
「ボーハイツ様」
小声で話していると、二人の女生徒が近づいてきた。
「あの……私と踊ってくださいませんか」
その内の一人がエリアスにそう言った。
「私ですか」
「はい、ぜひ」
「申し訳ございませんが私は……」
「エリアス、踊ってきたら?」
断ろうとしたエリアスを見上げてヴェロニカは言った。
「せっかく声をかけていただいたのだし」
「ですが、ヴェロニカ様をお一人にするわけには……」
「ヴェロニカは俺と踊るから心配すんな」
いつの間にか側に現れたカインがそう言ってヴェロニカに手を差し出してきた。
「そうね。私も踊ってくるわ」
ヴェロニカは差し出されたカインの手を取ると立ち上がった。
「知ってるか。あんたの執事、人気があるんだぜ」
フロアへ向かいながらカインが言った。
「そうなの?」
「見た目も頭もいい。それに子爵とはいえ国内の執事を仕切る家として地位が高いからな。その嫡男なんだ、将来有望だろう」
「そうなのね。……そうね、エリアスも結婚しないとならないものね」
うなずきながらヴェロニカは言った。
「いい人と出会えるといいのだけれど」
「――それ本気で言っているのか」
「ええ。当然でしょう」
カインを見上げてヴェロニカは答えた。
前世のこともあり、エリアスには幸せになって長生きしてほしいと心から願っている。
「あんたって、ほんと鈍いというか残酷というか……まあそういう純真な所がいいんだけど」
「え?」
聞こえないくらいの声でつぶやいたカインにヴェロニカは首をかしげた。
「そうだ、騎士団の訓練に参加すると言っただろう」
「ええ」
「今日明日は新年の祝いで休みなんだが。筋がいいと言われたよ、卒業後は騎士団に来てほしいって」
「まあ。じゃあ騎士になるの?」
「そうだな。で、騎士になったら俺と結婚してくれる?」
「それは……」
「俺は本気だから」
ヴェロニカを見つめてカインは真剣な顔でそう言った。
「……どうして」
「俺さ、生まれた時からずっと、恨みしかなくて。このまま一生あいつらを恨みながら生きていくんだと思っていたんだ」
そこまで言って、カインは表情を和らげた。
「でもヴェロニカと出会って、そうじゃない、穏やかで幸せな生き方もできるんじゃないかと気付いたんだ」
「幸せ……」
「ああ。俺はヴェロニカと幸せに生きたいんだ」
穏やかな瞳と声に、ヴェロニカは心の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
それでもフィンセントが現れると大きな歓声が上がり、会場は一気に華やかな空気となった。
「さすが王子様。今日は正装なのね」
感心したようにルイーザが言った。
フィンセントは夜会服ではなく、儀礼用に装飾を施した騎士服に赤いサッシュをかけた、王太子としての正装を着用していた。
「ヴェロニカ」
その姿を見つけたフィンセントが歩み寄ってきた。
「新年のお喜びを申し上げます、王太子殿下」
ヴェロニカはドレスの裾をつまむと深く礼をとった。
「王家と王国の繁栄と豊年をお祈りいたします」
「ああ。ヴェロニカにも今年一年の幸福を祈ろう」
そう答えて、フィンセントは会場内を見渡した。
「国王陛下より新年の祝福を預かってきた。皆の今年一年の幸福を祈り、更なる成長を得られるよう祈ると」
フィンセントの言葉にわあっと歓声があがった。
(殿下も……そういえば前世とかなり雰囲気が違うのよね)
柔らかな笑顔で皆に手を振って応えるフィンセントの姿にヴェロニカは思った。
前世のフィンセントは自分に寄ってくる者たちに当たり障りのない対応はするものの、自分からは決して接しようとはしなかった。
その顔にはいつも穏やかな笑みを浮かべていたし人当たりは良かったけれど、本当の姿は冷酷で自分にも他人にも厳しいものだった。
フィンセントが心を開いたのはただ一人、アリサ・ベイエルスだけだったのだ。
「ヴェロニカ」
フィンセントが手を差し出した。
その手を取ると、フィンセントはフロアの中央へと向かっていった。
最初のダンス音楽が始まり、フロアにいる十組ほどが踊り始めた。
新年を祝う華やかな曲で、ステップも軽やかに大きな動きで踊っていく。
「今日のドレスもよく似合っていて綺麗だな」
フィンセントが言った。
今日のヴェロニカは白いドレスで、腰に水色のリボンを巻いていた。
大きく結ばれたリボンのたれはドレスの裾まであり、後ろ姿を華やかに飾っている。
「ありがとうございます」
(こんな風に褒めてもらったことも、一度もなかったわ)
前世を思い出しながらヴェロニカはお礼を言った。
上位貴族、そして王太子の婚約者なのだから美しさも優秀さも持っていて当然なのだとお妃教育で言われていたし、フィンセントの態度からも彼もそう思っているであろうことを感じていた。
どうして死に戻ったのか――前世で死んだあとの世界はどうなったのか、魔女とどう関係があるのか。
ヴェロニカには分からないけれど、それでもヴェロニカ以外の者にとっても、前世より今世の方がその境遇は良いように思えた。
「ヴェロニカ。考え事か?」
思いを巡らせているとフィンセントが尋ねた。
「あ……思い出していて」
「何を?」
「……入学してからのことです」
ヴェロニカはそう答えた。
「入学する前は不安だったけれど……毎日楽しく過ごせて良かったと思いまして」
前世のように、自分で感情をコントロールできなくなってしまうのではないか。
そんな不安がずっとあった。
前世を思い出させる出来事は何度か起きてはいるけれど、ヴェロニカ自身は何も変わっていない。
それは安心できる事実だ。
「そうか。私も不安だった」
「え?」
「君がまだ傷ついていないか、私を恨んでいないか……ずっと気がかりだった」
「恨むだなんて、そんなことは」
「君がそんな人間ではないことは分かっている。それでも……私が君にしたことは許されないことだ。だから君に恨まれても仕方ないという気持ちと、けれど嫌われなくないという気持ちとで……揺れていたんだ」
ヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。
「君に婚約破棄を言い渡したあの時に時間が戻ってやり直せたらいいと何度も思ったよ」
「それは……」
「そんなこと、出来るはずもないけれどね」
フィンセントは小さく笑った。
(ああ……殿下にとっては、これは後悔している未来なのね)
前世の記憶があるヴェロニカは、婚約破棄はむしろ喜ばしいことだったけれど。それを知らないフィンセントにとって、己の行為は後悔することなのだ。
(むしろ殿下には感謝しているのに……)
それを伝えられないのがもどかしい。
「……本当に、私は気にしていません」
ヴェロニカにはそう答えるのが精一杯だった。
「王太子殿下!」
ダンスが終わってフロアから出ると、一人の女生徒が駆け寄ってきた。
「お約束いたしましたわよね」
「……ああ」
一瞬わずかに眉をひそめて、すぐにフィンセントは女生徒に笑顔を向けると手を差し出した。
「国王陛下に命じられているんです」
フィンセントが女生徒と共にフロアへ戻っていくのをヴェロニカが見送っているとディルクが言った。
「何をですか?」
「本来ならば殿下は今日、王宮のパーティに参加すべきなのですが。ここに来る代わりに最低でも三人と踊るようにと」
「そうなのですか」
「王宮のパーティで婚約者候補の方々と顔を合わせる予定だったのを蹴った代償ですね。いい加減決めて欲しいと大臣たちも痺れを切らしはじめているんです」
フィンセントの方へ視線を送りながらディルクは言った。
「ちなみにあの方も候補のお一人で、二年生のサラ・ビクネーゼ侯爵令嬢です」
「華やかでお綺麗な方ですね」
くっきりとした顔立ちに、真っ赤なドレスがよく似合う女性だ。
「殿下ともお似合いだと思います」
「……そうですね」
「ヴェロニカ様」
いつの間にか側に来ていたエリアスが、ヴェロニカに向かって手を差し出した。
「踊っていただけますでしょうか」
「ええ」
ヴェロニカはエリアスの手に自分の手を重ねた。
「――殿下はまったく意識されていませんね」
ヴェロニカたちの後ろ姿を見送ってディルクはため息混じりに言った。
「ええ。ヴェロニカは誰にも友情以上の好意を持っていないようですね」
やり取りを見守っていたルイーザが答えた。
「そうですか」
「殿下はやはり、ヴェロニカを婚約者の第一候補に考えているのですか?」
「……ええ」
ディルクは小さくうなずいた。
「ですが正直、ヴェロニカ様はお妃にふさわしくないように思います」
「それは、どうしてですか?」
「王太子妃になると、他の方々からの嫉妬や悪意といったものを多く受けることになります。ヴェロニカ様がそれに耐えられるかどうか……」
「ああ……確かに。ヴェロニカは競争心や、他人を出し抜こうという気持ちがないから耐えられないかも」
「ええ」
ルイーザの言葉にディルクはうなずいた。
「殿下が想いを寄せているという理由だけで選ぶのも難しいんです」
「そうなんですね」
(ヴェロニカには穏やかに暮らして欲しいわね)
エリアスと楽しそうに踊るヴェロニカを見つめてルイーザは内心思った。
初めてヴェロニカと会ったのは十一歳の頃。同じ年の子がいるからと初めてフォッケル領に招かれた時だ。
五ヶ月ほど前に治療院から帰ってきたというヴェロニカは、挨拶をするとおずおずと手を差し出した。
その手をルイーザが握りしめると、不安そうだったヴェロニカは目を瞬かせてすぐにその顔をほころばせた。
その笑顔の可愛らしさに心がぎゅっとして――この子を守りたいと、そうルイーザは強く思ったのだ。
ヴェロニカは怪我の傷が顔に残り、そのせいで王太子との婚約を解消するという不幸な境遇にありながらも、誰かを恨むようなことは決してしなかった。
穏やかで優しい性格のヴェロニカは、確かにお妃には向いていないのかもしれない。
「では、殿下はヴェロニカを諦めるのですか?」
「……諦められるくらいなら最初のダンスパートナーに選ばないでしょうね」
フロアで踊るフィンセントたちを見つめてディルクはため息をついた。
二曲目のダンスを終えたヴェロニカたちと入れ替わるように、ルイーザがダンスサロンのメンバーとフロアへ入っていった。
「休憩なさいますか」
「そうね。喉が渇いたわ」
ルイーザを見送りながら、ヴェロニカはエリアスの言葉にうなずいた。
二人は料理や飲み物が並べられたスペースへ向かった。
エリアスが取ってきたジュースを受け取り、ヴェロニカは空いていたイスに腰を下ろした。
「ダンスをする時に前髪は気になりませんか」
エリアスが尋ねた。
「ええ。そのために前髪も伸ばしているから大丈夫よ」
エリアスからもらったワックスは、普段も少し使うようにしている。
長く伸ばした前髪もそうすれば邪魔になりにくいし、傷を隠せるよう固定できるからだ。
「エリアスのおかげね」
「ありがとうございます」
お礼を言うとエリアスは深く頭を下げた。
「ヴェロニカさん」
声をかけられ、振り返るとフィンセントと踊っていた二年生の女生徒が立っていた。
「はい」
「私、サラ・ビクネーゼと申します。ヴェロニカさんに少しお伺いしたいことがありますの」
「何でしょう」
「ヴェロニカさんは王太子殿下の有力な婚約者候補と聞いておりますが、本当ですの?」
「……それはどなたからお聞きになったのでしょうか」
「社交界でうわさになっておりますわ。王太子殿下が心を許しているのはヴェロニカさんだけだと」
「……確かに殿下とは他の方よりも親しくさせていただいているとは思います。けれど、私は一度婚約を解消した身です。再び婚約することはありません」
ヴェロニカは言った。
フィンセントからは自分が婚約者候補だとは言われている。
けれど、ヴェロニカはフィンセントと婚約するつもりは全くなかった。
(私も殿下も前世とは違うけれど……でもまた同じことを繰り返さないという保証はないもの)
前世と同じ過ちを繰り返さない。
それがヴェロニカにとって一番大事なことだ。
「……それは本心で言っていますの?」
「はい。私よりふさわしい方がいらっしゃいますでしょうし」
「そう……分かりましたわ」
ヴェロニカをじっと見つめていたサラは、そう言うと身をひるがえして立ち去っていった。
「――ビクネーゼ家は、侯爵家の中では歴史が浅くその立場も弱いですから。王太子妃を出すことで地位向上を狙いたいのでしょう」
エリアスが言った。
「家のためにお妃になりたいということなのね……大変だわ」
「貴族の結婚は多くが家のためですから――」
「ボーハイツ様」
小声で話していると、二人の女生徒が近づいてきた。
「あの……私と踊ってくださいませんか」
その内の一人がエリアスにそう言った。
「私ですか」
「はい、ぜひ」
「申し訳ございませんが私は……」
「エリアス、踊ってきたら?」
断ろうとしたエリアスを見上げてヴェロニカは言った。
「せっかく声をかけていただいたのだし」
「ですが、ヴェロニカ様をお一人にするわけには……」
「ヴェロニカは俺と踊るから心配すんな」
いつの間にか側に現れたカインがそう言ってヴェロニカに手を差し出してきた。
「そうね。私も踊ってくるわ」
ヴェロニカは差し出されたカインの手を取ると立ち上がった。
「知ってるか。あんたの執事、人気があるんだぜ」
フロアへ向かいながらカインが言った。
「そうなの?」
「見た目も頭もいい。それに子爵とはいえ国内の執事を仕切る家として地位が高いからな。その嫡男なんだ、将来有望だろう」
「そうなのね。……そうね、エリアスも結婚しないとならないものね」
うなずきながらヴェロニカは言った。
「いい人と出会えるといいのだけれど」
「――それ本気で言っているのか」
「ええ。当然でしょう」
カインを見上げてヴェロニカは答えた。
前世のこともあり、エリアスには幸せになって長生きしてほしいと心から願っている。
「あんたって、ほんと鈍いというか残酷というか……まあそういう純真な所がいいんだけど」
「え?」
聞こえないくらいの声でつぶやいたカインにヴェロニカは首をかしげた。
「そうだ、騎士団の訓練に参加すると言っただろう」
「ええ」
「今日明日は新年の祝いで休みなんだが。筋がいいと言われたよ、卒業後は騎士団に来てほしいって」
「まあ。じゃあ騎士になるの?」
「そうだな。で、騎士になったら俺と結婚してくれる?」
「それは……」
「俺は本気だから」
ヴェロニカを見つめてカインは真剣な顔でそう言った。
「……どうして」
「俺さ、生まれた時からずっと、恨みしかなくて。このまま一生あいつらを恨みながら生きていくんだと思っていたんだ」
そこまで言って、カインは表情を和らげた。
「でもヴェロニカと出会って、そうじゃない、穏やかで幸せな生き方もできるんじゃないかと気付いたんだ」
「幸せ……」
「ああ。俺はヴェロニカと幸せに生きたいんだ」
穏やかな瞳と声に、ヴェロニカは心の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
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