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本編
07 招集
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「どういうことです?! 父上!」
廊下から聞こえてきたお兄様の珍しい怒り声に、私とお母様は顔を見合わせた。
私たちは応接間で、教会のバザーで売る匂い袋に刺繍を刺していた。
乾燥させた花びらやオイルなどを混ぜて作ったポプリを詰め込む、その小さな袋に貴族の女性が刺繍を刺す匂い袋は、お手頃な値段で貴族の文化に触れることができるとバザーの人気商品なのだという。
応接間の扉が荒く開かれると、険しい顔のお父様が入ってきた。
「リナがお妃候補だなんてありえません!」
その背後から聞こえたお兄様の声に心臓がドクン、と震えた。
「お妃候補……? 何の話ですの」
刺繍の手を止めてお母様が尋ねた。
「――王太子妃を決める選考会を開くことになったそうだ」
椅子に腰を下ろしてお父様はため息をついた。
「条件は十代後半で婚約者のいない貴族令嬢。……リナも参加するよう王命が下った」
「選考会、とは何をするのですか」
「内容は分からないが……決まるまで、最低でもひと月は王宮に拘束されるらしい」
「まあ! ひと月もリナが王宮に?!」
お母様が悲鳴のような声を上げた。
「そんなこと、無理ですわ!」
「私もそう言ったのだが、侍女の同行は認められているし王宮側も万全の体制を敷くから大丈夫だと」
「それに選考だなんて、他のご令嬢たちとリナを競わせるというの? リナはまだ社交の場にもほとんど出たことがないのよ」
「そもそもリナがお妃などありえないです!」
(ついに来たのね)
本人そっちのけで抗議するお母様とお兄様を横目に、私は心の中でそっと息を吐いた。
十七歳になった時から、この日が来るのだと覚悟していた。
あのゲームの舞台である王太子妃選考会。
覚悟していたとはいえ、本当にその時が来たと思うと緊張してしまう。
「殿下はソフィア・ドルレアク嬢と婚約されるものだと思っておりましたのに……」
お母様がため息をついた。
「ソフィア様?」
「ドルレアク公爵家のご令嬢で、殿下とは幼い頃から親しくしていらっしゃるの」
「ああ、皆がそう思っていたのだが……」
お父様もため息をついた。
ソフィア様はゲームにも出ていた、候補者の一人だ。
大人びた雰囲気の知性派美人で、攻略に失敗すると彼女が妃に選ばれる。
最大のライバルなのだが……何故かヒロインに協力的で攻略のサポートもしてくれる、不思議なキャラだった。
現実のソフィア様もあのゲーム通りならば、立派なお妃になると思うのだけれど。
ゲームの殿下は、妃となる者は自分で選びたいと言っていたけれど、現実の殿下もそうなのだろうか。
二年前に一度だけ出会った、紫水晶の瞳を思い出した。
「リナ!」
ふいにお兄様が抱きしめてきた。
「ダメだ、王宮なんて危険な場所に行かせられない……!」
「……王宮は危険な所なのですか?」
王様がいるのだ、一番安全な場所のように思うのだけれど。
「あそこは権力や金、多くの物が集まるしそれらを求める者もまた集まり争いが起きる。欲望や陰謀が渦巻く危険な場所なんだ」
「そうなのですね……」
そういう意味の危険ならば、確かに世間知らずの私には厳しい場所だ。
他の候補者たちとも接したり、駆け引きなどもあるのだろう。
――家族以外の貴族と会ったことなんて、親戚筋のお茶会に出たくらいだ。
そんな自分が……大丈夫なのだろうか。
急激に不安に襲われた私の手をお兄様が握りしめてくれた。
「父上、辞退はできないのですか」
お兄様がお父様に尋ねる。
「宰相に既に伝えたのだが、認められないと言われた。これはもう決定事項だと」
「そんな」
「登城は三日後だ」
「三日後?!」
今度は私も声を上げてしまった。
「そんなに早くですか」
「宰相曰く、余計な工作など行わせないためらしい」
工作……替え玉を用意したりするとかそういうことだろうか。
「だからって急過ぎますわ。リナはほとんど外に出たことがないのですよ」
「そうだ。リナは病気になったことにして、妃が決まるまで領地で過ごさせればいいのでは」
お兄様がぶつぶつ言っている。
「ユリウス……それは嘘だとバレた時がまずい」
「バレなければいいでしょう」
「お兄様」
私は握られたままのお兄様の手に、空いた手を重ねた。
「『孤児院出身』の私が妃に選ばれるはずはありませんわ。勉強と思って行ってきます」
「――だから心配なんだ。出自のことで他の令嬢たちから嫌がらせを受けるかもしれないだろう」
「こんなことなら私の遠縁にしておけば良かったかしら」
「……あの時はそこまで出来なかったからな」
家族たちは揃ってため息をついた。
この家に引き取られてしばらくしてから知らされたのだけれど、私を養子にすることを実父には伝えなかったのだという。
私はあの日、教会へ行った後に訪れた孤児院で、あまりにも痩せこけた私を見て可哀想だと引き取ったことになっているのだと。
実父に伝えなかったのは、完全に関係を断ち切らせたかったからだそうだ。
あの後実父が私を探した形跡はなく、数日後、私の死亡届が国に出されたという。
――私がいなくなってちょうどいいと思ったのだろう。
この家の養子となって約四年。
ようやく娘らしい肉付きになってきたが、公爵令嬢としての立ち振る舞いはまだ怪しい所もある。
そんな私が王太子妃に選ばれるはずもない。
そもそも候補者にはソフィア様や――ヒロインのアリスがいるのだから。
廊下から聞こえてきたお兄様の珍しい怒り声に、私とお母様は顔を見合わせた。
私たちは応接間で、教会のバザーで売る匂い袋に刺繍を刺していた。
乾燥させた花びらやオイルなどを混ぜて作ったポプリを詰め込む、その小さな袋に貴族の女性が刺繍を刺す匂い袋は、お手頃な値段で貴族の文化に触れることができるとバザーの人気商品なのだという。
応接間の扉が荒く開かれると、険しい顔のお父様が入ってきた。
「リナがお妃候補だなんてありえません!」
その背後から聞こえたお兄様の声に心臓がドクン、と震えた。
「お妃候補……? 何の話ですの」
刺繍の手を止めてお母様が尋ねた。
「――王太子妃を決める選考会を開くことになったそうだ」
椅子に腰を下ろしてお父様はため息をついた。
「条件は十代後半で婚約者のいない貴族令嬢。……リナも参加するよう王命が下った」
「選考会、とは何をするのですか」
「内容は分からないが……決まるまで、最低でもひと月は王宮に拘束されるらしい」
「まあ! ひと月もリナが王宮に?!」
お母様が悲鳴のような声を上げた。
「そんなこと、無理ですわ!」
「私もそう言ったのだが、侍女の同行は認められているし王宮側も万全の体制を敷くから大丈夫だと」
「それに選考だなんて、他のご令嬢たちとリナを競わせるというの? リナはまだ社交の場にもほとんど出たことがないのよ」
「そもそもリナがお妃などありえないです!」
(ついに来たのね)
本人そっちのけで抗議するお母様とお兄様を横目に、私は心の中でそっと息を吐いた。
十七歳になった時から、この日が来るのだと覚悟していた。
あのゲームの舞台である王太子妃選考会。
覚悟していたとはいえ、本当にその時が来たと思うと緊張してしまう。
「殿下はソフィア・ドルレアク嬢と婚約されるものだと思っておりましたのに……」
お母様がため息をついた。
「ソフィア様?」
「ドルレアク公爵家のご令嬢で、殿下とは幼い頃から親しくしていらっしゃるの」
「ああ、皆がそう思っていたのだが……」
お父様もため息をついた。
ソフィア様はゲームにも出ていた、候補者の一人だ。
大人びた雰囲気の知性派美人で、攻略に失敗すると彼女が妃に選ばれる。
最大のライバルなのだが……何故かヒロインに協力的で攻略のサポートもしてくれる、不思議なキャラだった。
現実のソフィア様もあのゲーム通りならば、立派なお妃になると思うのだけれど。
ゲームの殿下は、妃となる者は自分で選びたいと言っていたけれど、現実の殿下もそうなのだろうか。
二年前に一度だけ出会った、紫水晶の瞳を思い出した。
「リナ!」
ふいにお兄様が抱きしめてきた。
「ダメだ、王宮なんて危険な場所に行かせられない……!」
「……王宮は危険な所なのですか?」
王様がいるのだ、一番安全な場所のように思うのだけれど。
「あそこは権力や金、多くの物が集まるしそれらを求める者もまた集まり争いが起きる。欲望や陰謀が渦巻く危険な場所なんだ」
「そうなのですね……」
そういう意味の危険ならば、確かに世間知らずの私には厳しい場所だ。
他の候補者たちとも接したり、駆け引きなどもあるのだろう。
――家族以外の貴族と会ったことなんて、親戚筋のお茶会に出たくらいだ。
そんな自分が……大丈夫なのだろうか。
急激に不安に襲われた私の手をお兄様が握りしめてくれた。
「父上、辞退はできないのですか」
お兄様がお父様に尋ねる。
「宰相に既に伝えたのだが、認められないと言われた。これはもう決定事項だと」
「そんな」
「登城は三日後だ」
「三日後?!」
今度は私も声を上げてしまった。
「そんなに早くですか」
「宰相曰く、余計な工作など行わせないためらしい」
工作……替え玉を用意したりするとかそういうことだろうか。
「だからって急過ぎますわ。リナはほとんど外に出たことがないのですよ」
「そうだ。リナは病気になったことにして、妃が決まるまで領地で過ごさせればいいのでは」
お兄様がぶつぶつ言っている。
「ユリウス……それは嘘だとバレた時がまずい」
「バレなければいいでしょう」
「お兄様」
私は握られたままのお兄様の手に、空いた手を重ねた。
「『孤児院出身』の私が妃に選ばれるはずはありませんわ。勉強と思って行ってきます」
「――だから心配なんだ。出自のことで他の令嬢たちから嫌がらせを受けるかもしれないだろう」
「こんなことなら私の遠縁にしておけば良かったかしら」
「……あの時はそこまで出来なかったからな」
家族たちは揃ってため息をついた。
この家に引き取られてしばらくしてから知らされたのだけれど、私を養子にすることを実父には伝えなかったのだという。
私はあの日、教会へ行った後に訪れた孤児院で、あまりにも痩せこけた私を見て可哀想だと引き取ったことになっているのだと。
実父に伝えなかったのは、完全に関係を断ち切らせたかったからだそうだ。
あの後実父が私を探した形跡はなく、数日後、私の死亡届が国に出されたという。
――私がいなくなってちょうどいいと思ったのだろう。
この家の養子となって約四年。
ようやく娘らしい肉付きになってきたが、公爵令嬢としての立ち振る舞いはまだ怪しい所もある。
そんな私が王太子妃に選ばれるはずもない。
そもそも候補者にはソフィア様や――ヒロインのアリスがいるのだから。
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