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中編
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「落ち着いたか?」
「…はい…」
本当は落ち着いていないけど。
先刻よりは冷静になってきた頭で私は頷いた。
突然の求婚に意識を飛ばしてしまった私は、気がつくと個室のソファに腰掛けていた。
…いや、正確には座っていたのは王太子の膝の上だ。
———何でも私は意識を失い…王太子に抱き上げられ…この、学園にある貴賓室まで運ばれたらしい。
そうして王太子は私の意識が戻るまで私を抱きかかえたままだったと。
観衆の目の前で王太子にお姫様抱っこ?!
やだそんなシーン、見たかったのに!!
咄嗟にそう思ったが…抱っこされたのは私だ。
自分で自分が見えるはずもないし…何より恥ずかしすぎる。
何がなんだか分からない。
どうしてモブの私が、それまで目を合わせた事すらない王太子に求婚され、お姫様抱っこをされ…
そうして今、ぴったりとくっつくように並んでソファに座っているのか。
意識が戻ってきたとき、私は王太子の腕の中にいた。
心配そうに私を見つめる、麗しい推しの顔が目の前にあった。
その事実が理解できずパニックになった私を…王太子は優しく抱きしめ、私が落ち着くまでずっと背中を撫でてくれたのだ。
それもまた恥ずかしく、せめて膝の上から下ろしてくれと抗議すると———本当に渋々といった顔で下ろしたのだ。
———もうやだ、何なのこの状況。
訳が分からない。
推しは遠くから見守るからいいのであって、こんな風に触れ合いたいなど、微塵にも思っていなかったのに。
どうして…この人は、こんな優しい目で私を見るのだろう。
「驚かせてすまなかったな」
王太子は眉を下げると申し訳なさそうに言った。
「だが私は今日で卒業する身。あすこで君に声をかけなければ機会が失われてしまうと慌てたのだ。それに交換留学の期限は一年、君はもう国に帰ってしまうのだろう?」
「…はい…」
私の事を知っているのかと驚いたが、そういえば名前を呼ばれたのだ。
私が留学生である事は知っていたのだろう。
私がここが乙女ゲームの世界だと分かるのに時間がかかった理由の一つ。
それは私が生まれたのが隣国だったからだ。
同じ国に生まれていれば幼い時から自然と登場人物の情報は入ってきたのだろうが、他国にいる私の元までは届かない。
だから地理の勉強でホイートストン王国の地図を見ていた時に、いくつか覚えのある地名を見つけ、それで気がついたのだ。
隣国の学園に入るには交換留学生となるしかない。
それには優秀な成績でなければならず、私は必死に勉強した。
そうして無事にこの国に来られたのだ。
「…あの…私、殿下とお会いするのは今日が初めてだと思うのですが」
ようやく落ち着いてきた私は疑問をぶつける事にした。
「どうして私に…その、婚約者になどど…」
「君は気づいていないだろうが、私は以前から君を見ていたよ」
にっこりと笑顔で王太子は言った。
くっ、推しの笑顔…尊い…
デレそうになるのを淑女教育で鍛えた表情筋を引き締め抑える。
って見ていた?どこで?
「最初はあの鬱陶しい元婚約者から逃れるために隠れた図書室だ。真剣な顔で本を読む君を見て凛としていて美しい令嬢だと思ったのだ」
「は…あ」
そういえばそんなシーンがゲームにあった。
ゲームではその後、別の本を取りに行こうと向かった書架の前で王太子に声をかけられるのだ。
「だが最初は真剣に読んでいたのが、ふいに笑顔になったり泣きそうになったり。本を読みながら表情がコロコロ変わるのが面白くてな、興味を持ったのだ」
王太子の言葉に私は硬直した。
それは私の前世から続く癖だった。
本の世界に入り込みすぎてしまうのだ。
淑女たるもの、本を読みながら変な顔をするのは駄目だとお母様達に何度も注意されていたのだが、一度その世界に入ると止まらなくなってしまう。
ならば人目に触れる場所で読まなければいいのだが…持ち出し禁止の本の中に、自国にはないけれど読んでみたかった古典の、しかも初版本があるのだ。
読まずにはいられなかった。
それでも人気の少ない場所を選んでいたのに…まさか王太子に見られていたとは。
「それ以来、君の事が心に焼き付いていた。そして君の事を調べたらワインバーグ帝国からの留学生だと知ったのだ」
それまで笑顔だった王太子の顔がふと真顔になった。
「君は入学する半年前にホワイトリー伯爵家に養子に入ったそうだな。その前は貧しい子爵の家にいたが、成績が優秀なのを認められたと」
「…はい…」
「でもそれは表向きの理由だよね?」
射抜くような強い光を持つ瞳が私をまっすぐに見つめる。
この人はどこまで知っているのだろう。
———でも私の経歴に落ち度はないはずだ。
この学園に提出した書類は〝本物〟なのだ。
「…どうして…そう思うのですか」
「爵位が低いにしては君の所作は洗練されすぎている。高位貴族以上と言われた方が自然だ。それに」
強い光が和らいだ。
「今君の国に行っている、うちからの交換留学生の中に私の側近がいてね、彼の報告にあったのだ。第二皇子が、本当は自分が留学するはずだったのが妹が代わりに行っていると言っていたと」
「っ」
———あ…んのバカ兄!!
心の中で淑女らしからぬ言葉を叫んでしまう。
「今年の交換留学生で女子は二人。一人は私と同じ二年生だから年齢が違うし彼女の経歴に気になる所はない。君の事だよね?クラリッサ皇女というのは」
「……」
「別に皇女だという事を隠さなくとも留学生にはなれるだろうに、何故わざわざ偽名を使ったのだ?」
責めるのではなく…優しい声で王太子は尋ねた。
「…留学に行かせてもらえる条件でした、肩書きを使わず自力で留学生の資格を勝ち取れと」
仕方なく私は答えた。
過保護な父は私が留学したいと言うと大反対した。
でも私だって折れたくない。
ここが乙女ゲームの世界だと知った時から、あの学園にどうしても入りたかったのだ。
そしてもう一つ…前世を思い出し、自由な生き方を知っている私は、皇女として城に閉じ込められた籠の鳥の生活から少しでも出てみたかったのだ。
私は初めて父である皇帝に抵抗した。
父は動揺し…長兄達の仲介もあって妥協案を出した。
私が皇女である事を隠す事。
そして推薦ではなく、自力で留学生になるならば行っても良いと。
留学生に選ばれる方法は二つ。
一つは将来外交の仕事に就く予定の者や皇族が対象の「推薦枠」に入る事。
そしてもう一つが試験に合格して選ばれる事。
私は必死に勉強した。
元から勉強は好きだったが、更に勉強した。
結果、試験の成績はトップとなり、渋々父は留学を認めたのだ。
この一年、私は伯爵令嬢となり、一留学生として学園生活を堪能する事ができた。
この目で見る事を切望していた乙女ゲームの結末は…納得いかないものだけれど、仕方ない。
実際のゲームだってバッドエンドになる事はあるのだ。
「そうか。確かに君は優秀だ、試験でも常に主席争いをしている」
ぽん、と頭に重みを感じた。
「私はそうやって、自分で道を開き、歩こうとする君の事を愛しいと思う」
ドクン、と心が震えた。
そんな風に言ってくれた人は初めてだ。
家族は皆…私が隣国に留学したいと言ったのを我儘だ、無理だと否定する言葉ばかりだったのに。
それにこれ…ゲームでヒロインが言われる言葉だ。
ドキドキしながらふいに思い出した。
でも…私はヒロインじゃないのに…どうして…
「伯爵令嬢でも問題ないが、皇女ならば私の婚約者として反対する者はいないだろう。…もちろん、私は君が皇女だから婚約を申し込んだのではないよ」
どうして…私の頭を撫でながら、そんなに愛おしそうな顔で私を見つめるのだろう。
私の知らない所で王太子は私を見染め、私の事を調べて…婚約者にしたいと思っていたの?
「クラリッサ皇女。私の婚約者になってくれる?」
「…それは…突然言われても…」
王太子は前から考えていたかもしれないけれど、私は寝耳に水だ。
急に言われても困るし、それに皇女である私の結婚を決めるのは私ではなく…
「ああ、ちなみに。皇帝にはもう許可は取ってあるよ」
「は?」
今、何と?
私は耳を疑った。
「…はい…」
本当は落ち着いていないけど。
先刻よりは冷静になってきた頭で私は頷いた。
突然の求婚に意識を飛ばしてしまった私は、気がつくと個室のソファに腰掛けていた。
…いや、正確には座っていたのは王太子の膝の上だ。
———何でも私は意識を失い…王太子に抱き上げられ…この、学園にある貴賓室まで運ばれたらしい。
そうして王太子は私の意識が戻るまで私を抱きかかえたままだったと。
観衆の目の前で王太子にお姫様抱っこ?!
やだそんなシーン、見たかったのに!!
咄嗟にそう思ったが…抱っこされたのは私だ。
自分で自分が見えるはずもないし…何より恥ずかしすぎる。
何がなんだか分からない。
どうしてモブの私が、それまで目を合わせた事すらない王太子に求婚され、お姫様抱っこをされ…
そうして今、ぴったりとくっつくように並んでソファに座っているのか。
意識が戻ってきたとき、私は王太子の腕の中にいた。
心配そうに私を見つめる、麗しい推しの顔が目の前にあった。
その事実が理解できずパニックになった私を…王太子は優しく抱きしめ、私が落ち着くまでずっと背中を撫でてくれたのだ。
それもまた恥ずかしく、せめて膝の上から下ろしてくれと抗議すると———本当に渋々といった顔で下ろしたのだ。
———もうやだ、何なのこの状況。
訳が分からない。
推しは遠くから見守るからいいのであって、こんな風に触れ合いたいなど、微塵にも思っていなかったのに。
どうして…この人は、こんな優しい目で私を見るのだろう。
「驚かせてすまなかったな」
王太子は眉を下げると申し訳なさそうに言った。
「だが私は今日で卒業する身。あすこで君に声をかけなければ機会が失われてしまうと慌てたのだ。それに交換留学の期限は一年、君はもう国に帰ってしまうのだろう?」
「…はい…」
私の事を知っているのかと驚いたが、そういえば名前を呼ばれたのだ。
私が留学生である事は知っていたのだろう。
私がここが乙女ゲームの世界だと分かるのに時間がかかった理由の一つ。
それは私が生まれたのが隣国だったからだ。
同じ国に生まれていれば幼い時から自然と登場人物の情報は入ってきたのだろうが、他国にいる私の元までは届かない。
だから地理の勉強でホイートストン王国の地図を見ていた時に、いくつか覚えのある地名を見つけ、それで気がついたのだ。
隣国の学園に入るには交換留学生となるしかない。
それには優秀な成績でなければならず、私は必死に勉強した。
そうして無事にこの国に来られたのだ。
「…あの…私、殿下とお会いするのは今日が初めてだと思うのですが」
ようやく落ち着いてきた私は疑問をぶつける事にした。
「どうして私に…その、婚約者になどど…」
「君は気づいていないだろうが、私は以前から君を見ていたよ」
にっこりと笑顔で王太子は言った。
くっ、推しの笑顔…尊い…
デレそうになるのを淑女教育で鍛えた表情筋を引き締め抑える。
って見ていた?どこで?
「最初はあの鬱陶しい元婚約者から逃れるために隠れた図書室だ。真剣な顔で本を読む君を見て凛としていて美しい令嬢だと思ったのだ」
「は…あ」
そういえばそんなシーンがゲームにあった。
ゲームではその後、別の本を取りに行こうと向かった書架の前で王太子に声をかけられるのだ。
「だが最初は真剣に読んでいたのが、ふいに笑顔になったり泣きそうになったり。本を読みながら表情がコロコロ変わるのが面白くてな、興味を持ったのだ」
王太子の言葉に私は硬直した。
それは私の前世から続く癖だった。
本の世界に入り込みすぎてしまうのだ。
淑女たるもの、本を読みながら変な顔をするのは駄目だとお母様達に何度も注意されていたのだが、一度その世界に入ると止まらなくなってしまう。
ならば人目に触れる場所で読まなければいいのだが…持ち出し禁止の本の中に、自国にはないけれど読んでみたかった古典の、しかも初版本があるのだ。
読まずにはいられなかった。
それでも人気の少ない場所を選んでいたのに…まさか王太子に見られていたとは。
「それ以来、君の事が心に焼き付いていた。そして君の事を調べたらワインバーグ帝国からの留学生だと知ったのだ」
それまで笑顔だった王太子の顔がふと真顔になった。
「君は入学する半年前にホワイトリー伯爵家に養子に入ったそうだな。その前は貧しい子爵の家にいたが、成績が優秀なのを認められたと」
「…はい…」
「でもそれは表向きの理由だよね?」
射抜くような強い光を持つ瞳が私をまっすぐに見つめる。
この人はどこまで知っているのだろう。
———でも私の経歴に落ち度はないはずだ。
この学園に提出した書類は〝本物〟なのだ。
「…どうして…そう思うのですか」
「爵位が低いにしては君の所作は洗練されすぎている。高位貴族以上と言われた方が自然だ。それに」
強い光が和らいだ。
「今君の国に行っている、うちからの交換留学生の中に私の側近がいてね、彼の報告にあったのだ。第二皇子が、本当は自分が留学するはずだったのが妹が代わりに行っていると言っていたと」
「っ」
———あ…んのバカ兄!!
心の中で淑女らしからぬ言葉を叫んでしまう。
「今年の交換留学生で女子は二人。一人は私と同じ二年生だから年齢が違うし彼女の経歴に気になる所はない。君の事だよね?クラリッサ皇女というのは」
「……」
「別に皇女だという事を隠さなくとも留学生にはなれるだろうに、何故わざわざ偽名を使ったのだ?」
責めるのではなく…優しい声で王太子は尋ねた。
「…留学に行かせてもらえる条件でした、肩書きを使わず自力で留学生の資格を勝ち取れと」
仕方なく私は答えた。
過保護な父は私が留学したいと言うと大反対した。
でも私だって折れたくない。
ここが乙女ゲームの世界だと知った時から、あの学園にどうしても入りたかったのだ。
そしてもう一つ…前世を思い出し、自由な生き方を知っている私は、皇女として城に閉じ込められた籠の鳥の生活から少しでも出てみたかったのだ。
私は初めて父である皇帝に抵抗した。
父は動揺し…長兄達の仲介もあって妥協案を出した。
私が皇女である事を隠す事。
そして推薦ではなく、自力で留学生になるならば行っても良いと。
留学生に選ばれる方法は二つ。
一つは将来外交の仕事に就く予定の者や皇族が対象の「推薦枠」に入る事。
そしてもう一つが試験に合格して選ばれる事。
私は必死に勉強した。
元から勉強は好きだったが、更に勉強した。
結果、試験の成績はトップとなり、渋々父は留学を認めたのだ。
この一年、私は伯爵令嬢となり、一留学生として学園生活を堪能する事ができた。
この目で見る事を切望していた乙女ゲームの結末は…納得いかないものだけれど、仕方ない。
実際のゲームだってバッドエンドになる事はあるのだ。
「そうか。確かに君は優秀だ、試験でも常に主席争いをしている」
ぽん、と頭に重みを感じた。
「私はそうやって、自分で道を開き、歩こうとする君の事を愛しいと思う」
ドクン、と心が震えた。
そんな風に言ってくれた人は初めてだ。
家族は皆…私が隣国に留学したいと言ったのを我儘だ、無理だと否定する言葉ばかりだったのに。
それにこれ…ゲームでヒロインが言われる言葉だ。
ドキドキしながらふいに思い出した。
でも…私はヒロインじゃないのに…どうして…
「伯爵令嬢でも問題ないが、皇女ならば私の婚約者として反対する者はいないだろう。…もちろん、私は君が皇女だから婚約を申し込んだのではないよ」
どうして…私の頭を撫でながら、そんなに愛おしそうな顔で私を見つめるのだろう。
私の知らない所で王太子は私を見染め、私の事を調べて…婚約者にしたいと思っていたの?
「クラリッサ皇女。私の婚約者になってくれる?」
「…それは…突然言われても…」
王太子は前から考えていたかもしれないけれど、私は寝耳に水だ。
急に言われても困るし、それに皇女である私の結婚を決めるのは私ではなく…
「ああ、ちなみに。皇帝にはもう許可は取ってあるよ」
「は?」
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私は耳を疑った。
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