上 下
13 / 22
第三章 誠実な恋人たち

04

しおりを挟む
 ここ数日、王宮は緊張と喜びの空気が入り混じり、落ち着かない空気が流れていた。
 側妃アメーリアが出産間近なのだ。
 医師や助産師たちが待機し、何があってもいいように万全の体制で備え、占星術士と歴史学者たちが集められ、複数の名前の候補が用意されていた。

(ああ、気分が悪い)
 王太子妃シャーロットはため息をついた。
 浮ついた空気は自室にいても感じられた。――その空気を持ち込んでいるのは王太子メイナードだ。

 最初側妃を娶ることに否定的だったメイナードだったが、アメーリアが妊娠したという報を聞いて以来、彼女を気遣い、その元へ行く頻度も増えていった。
 そうしてここ数日は、シャーロットと共にいても心ここにあらずといった感じなのだ。

「子供……」
 シャーロットはそっと自分のお腹を撫でた。
 相変わらず妊娠の気配はない。
 生理も規則正しく来ているし、前世の知識を元に妊娠しやすい時期を選んでいるのだけれど。
(やっぱりストレス……だよね)
『お妃様に子ができないのは――』
 先日ふと耳に入った侍女の会話が蘇った。

『やっぱり呪いなんじゃないかしら』
『呪い?』
『噂で聞いたの、王太子殿下の元の婚約者様を追い出して死なせたから、その呪いで子供ができないんですって』
『ええ、こわーい』

(そんなんじゃない。だって私は『ヒロイン』だもの)
 パトリシアが追放されたのは、悪役令嬢だからだ。
 彼女が死んだのはその役目をきちんと果たさなかったから、そのバチが当たったんだ――。
 不意に外が騒がしくなったような気配を感じた。

「生まれたんですって!」
「まあ、どっち?」
「元気な男の子よ!」
「良かった、お世継ぎね!」
 ドアの向こうから浮ついた声が聞こえる。

「……男――」
 シャーロットは震える手をきつく握りしめた。



「殿下によく似たお子ですわ」
 そう言って助産師は、メイナードたちが顔を見やすいように赤子を抱き抱え直した。
「本当ね。なんて可愛いのかしら」
 王妃が喜びの声を上げた。
『クリストファー』と名付けられた、ふわふわとした銀色の髪に青い瞳の赤子は確かに父親によく似ているようだった。
「抱いてみますか? 殿下」
「……ああ」
 促され、メイナードは恐る恐る赤子を受け取った。

「――こんなに小さいのに、生きているんだな」
 小さな温もりを抱き抱えてメイナードは不思議そうに呟いた。
「ふふ、陛下もあなたが生まれた時同じことを言ったわ」
「父上も?」
「やっぱり親子なのねえ」
 笑顔でそう言うと、王妃は助産師を見た。
「アメーリアの容態は?」
「はい、落ち着いており明日にはベッドから出られるかと」
「それは良かったわ」
「では私はアメーリアの元へ行ってきます」
 メイナードが言った。
「ちゃんと労ってあげるのよ」
「分かっています」
 そう言い残して、メイナードは赤子を王妃へ預けると隣の部屋へと向かった。

 出産したのは昨日だったが、かなりの難産だった。
 赤子は無事元気に産まれたもののアメーリアは体力を消耗しきっており、面会することができなかったのだ。

 部屋に入るとベッドの上に座っていたアメーリアがこちらを向いた。
「殿下」
「ご苦労だった」
 メイナードはベッドの傍に置かれた椅子へ腰を下ろした。
「体は大丈夫なのか」
「ええ」
 アメーリアは小さく頷くと微笑んだ。
「クリストファーには会いましたか」
「ああ。不思議なものだな、自分の子というのは。それにあんな小さいのに生きていて……本当に、不思議だ」
「まあ」
 メイナードの言葉にアメーリアは微笑んだ。
「子供の成長は早いですから、すぐに大きくなりますわ」
「そうか。それは楽しみだ」
 頬を緩めたメイナードを見て、アメーリアは小さく息を吐いた。
「――これで、最低限の務めが果たせました」
「……ああ。ありがとう」
 王太子の子を成すために側妃となったアメーリアにとって、この出産はかなりの重圧だっただろう。――しかも夫となった王太子は、アメーリアの親友を死なせた……いわば仇のようなものなのだ。
 様々な葛藤を抱えて、それでも男子を産むという務めを果たしてくれたアメーリアには、きっと一生頭が上がらないだろう。
「これでエリオット殿下とルーシーの婚約の件も進展しますね」
「――そうだな」
 メイナードは頷いた。

 エリオットとブリトニーの婚約解消は未だ保留となっていた。
 その理由の一つが、ルーシーと再婚約する場合、エリオットはアングラード家に婿入りすることになるからだ。
 王位継承権を持つ者の内、現王の直系はメイナードとエリオットの二人。エリオットが抜ければメイナード一人となってしまう。
 王妃やアメーリアに気に入られているルーシーとエリオットの仲は、既に王宮内でも公然のものとなっていたが、二人を婚約させられないのはそれが大きな理由だった。
 だがメイナードの息子が産まれたことで、王位継承者が増えた。子供一人では不安定だが、今後まだ産まれる可能性は十分にあるのだ。

「母上も同じことを言っていた。……本当に皆、ルーシー嬢のことが好きなのだな」
「別人だとは分かっていても、どうしても重ねて見てしまうものですわ」
 独り言のようなメイナードの言葉にアメーリアはそう答えた。
「あの子には幸せになってもらいたいんです」
「そうか……そうだな」
 ふ、とメイナードは息を吐いた。

「今まで考えないようにしていたが……昔のことをよく思い出すんだ」
 窓の外へと視線を移してメイナードは言った。
「もっと別の道があったはずなのに……どうすれば良かったのかと」
「――それは私もよく考えますわ。助けられることがあったのではと」
 そう言って、アメーリアはメイナードの横顔を見つめた。
「どうして……追放などしたのです?」

「――あの時はそれが正しいと、そう思っていた」
 メイナードは答えた。
「若気の至りだったと……そんな言葉で片付けられるものではないが。だが、どうしてあんなことをしたのか……自分でも愚かだったと思っている」
 あまりにも大きい代償だった。
 その代償と引き換えに手に入れたものは……それは、パトリシアの命よりも重要なものだっただろうか。

「時間を戻せたならばやり直せるだろうかと、そんなことを最近よく思うんだ」
 遠くを見つめたままメイナードは呟いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

シナリオではヒロインと第一王子が引っ付くことになっているので、脇役の私はーー。

ちょこ
恋愛
婚約者はヒロインさんであるアリスを溺愛しているようです。 そもそもなぜゲームの悪役令嬢である私を婚約破棄したかというと、その原因はヒロインさんにあるようです。 詳しくは知りませんが、殿下たちの会話を盗み聞きした結果、そのように解釈できました。 では私がヒロインさんへ嫌がらせをしなければいいのではないでしょうか? ですが、彼女は事あるごとに私に噛みついてきています。 出会いがしらに「ちょっと顔がいいからって調子に乗るな」と怒鳴ったり、私への悪口を書いた紙をばら撒いていたりします。 当然ながらすべて回収、処分しております。 しかも彼女は自分が嫌がらせを受けていると吹聴して回っているようで、私への悪評はとどまるところを知りません。 まったく……困ったものですわ。 「アリス様っ」 私が登校していると、ヒロインさんが駆け寄ってきます。 「おはようございます」と私は挨拶をしましたが、彼女は私に恨みがましい視線を向けます。 「何の用ですか?」 「あんたって本当に性格悪いのね」 「意味が分かりませんわ」 何を根拠に私が性格が悪いと言っているのでしょうか。 「あんた、殿下たちに色目を使っているって本当なの?」 「色目も何も、私は王太子妃を目指しています。王太子殿下と親しくなるのは当然のことですわ」 「そんなものは愛じゃないわ! 男の愛っていうのはね、もっと情熱的なものなのよ!」 彼女の言葉に対して私は心の底から思います。 ……何を言っているのでしょう? 「それはあなたの妄想でしょう?」 「違うわ! 本当はあんただって分かっているんでしょ!? 好きな人に振り向いて欲しくて意地悪をする。それが女の子なの! それを愛っていうのよ!」 「違いますわ」 「っ……!」 私は彼女を見つめます。 「あなたは人を愛するという言葉の意味をはき違えていますわ」 「……違うもん……あたしは間違ってないもん……」 ヒロインさんは涙を流し、走り去っていきました。 まったく……面倒な人だこと。 そんな面倒な人とは反対に、もう一人の攻略対象であるフレッド殿下は私にとても優しくしてくれます。 今日も学園への通学路を歩いていると、フレッド殿下が私を見つけて駆け寄ってきます。 「おはようアリス」 「おはようございます殿下」 フレッド殿下は私に手を伸ばします。 「学園までエスコートするよ」 「ありがとうございますわ」 私は彼の手を取り歩き出します。 こんな普通の女の子の日常を疑似体験できるなんて夢にも思いませんでしたわ。 このままずっと続けばいいのですが……どうやらそうはいかないみたいですわ。 私はある女子生徒を見ました。 彼女は私と目が合うと、逃げるように走り去ってしまいました。

断罪されて婚約破棄される予定のラスボス公爵令嬢ですけど、先手必勝で目にもの見せて差し上げましょう!

ありあんと
恋愛
ベアトリクスは突然自分が前世は日本人で、もうすぐ婚約破棄されて断罪される予定の悪役令嬢に生まれ変わっていることに気がついた。 気がついてしまったからには、自分の敵になる奴全部酷い目に合わせてやるしか無いでしょう。

執着王子の唯一最愛~私を蹴落とそうとするヒロインは王子の異常性を知らない~

犬の下僕
恋愛
公爵令嬢であり第1王子の婚約者でもあるヒロインのジャンヌは学園主催の夜会で突如、婚約者の弟である第二王子に糾弾される。「兄上との婚約を破棄してもらおう」と言われたジャンヌはどうするのか…

婚約破棄されたので王子様を憎むけど息子が可愛すぎて何がいけない?

tartan321
恋愛
「君との婚約を破棄する!!!!」 「ええ、どうぞ。そのかわり、私の大切な子供は引き取りますので……」 子供を溺愛する母親令嬢の物語です。明日に完結します。

悪役令嬢より取り巻き令嬢の方が問題あると思います

恋愛
両親と死別し、孤児院暮らしの平民だったシャーリーはクリフォード男爵家の養女として引き取られた。丁度その頃市井では男爵家など貴族に引き取られた少女が王子や公爵令息など、高貴な身分の男性と恋に落ちて幸せになる小説が流行っていた。シャーリーは自分もそうなるのではないかとつい夢見てしまう。しかし、夜会でコンプトン侯爵令嬢ベアトリスと出会う。シャーリーはベアトリスにマナーや所作など色々と注意されてしまう。シャーリーは彼女を小説に出て来る悪役令嬢みたいだと思った。しかし、それが違うということにシャーリーはすぐに気付く。ベアトリスはシャーリーが嘲笑の的にならないようマナーや所作を教えてくれていたのだ。 (あれ? ベアトリス様って実はもしかして良い人?) シャーリーはそう思い、ベアトリスと交流を深めることにしてみた。 しかしそんな中、シャーリーはあるベアトリスの取り巻きであるチェスター伯爵令嬢カレンからネチネチと嫌味を言われるようになる。カレンは平民だったシャーリーを気に入らないらしい。更に、他の令嬢への嫌がらせの罪をベアトリスに着せて彼女を社交界から追放しようともしていた。彼女はベアトリスも気に入らないらしい。それに気付いたシャーリーは怒り狂う。 「私に色々良くしてくださったベアトリス様に冤罪をかけようとするなんて許せない!」 シャーリーは仲良くなったテヴァルー子爵令息ヴィンセント、ベアトリスの婚約者であるモールバラ公爵令息アイザック、ベアトリスの弟であるキースと共に、ベアトリスを救う計画を立て始めた。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。 ジャンルは恋愛メインではありませんが、アルファポリスでは当てはまるジャンルが恋愛しかありませんでした。

婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢推しの美形従者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜
恋愛
アナベル・ハワード侯爵令嬢は婚約者のイーサン王太子殿下を心から慕い、彼の伴侶になるための勉強にできる限りの時間を費やしていた。二人の仲は順調で、結婚の日取りも決まっていた。 しかし、王立学園に入学したのち、イーサン王太子は真実の愛を見つけたようだった。 お相手はエリーナ・カートレット男爵令嬢。 二人は相思相愛のようなので、アナベルは将来王妃となったのち、彼女が側妃として召し上げられることになるだろうと覚悟した。 「悪役令嬢、アナベル・ハワード! あなたにイーサン様は渡さない――!」 アナベルはエリーナから「悪」だと断じられたことで、自分の存在が二人の邪魔であることを再認識し、エリーナが王妃になる道はないのかと探り始める――。 「エリーナ様を王妃に据えるにはどうしたらいいのかしらね、エリオット?」 「一つだけ方法がございます。それをお教えする代わりに、私と約束をしてください」 「どんな約束でも守るわ」 「もし……万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください」 これは、悪役令嬢を溺愛する従者が合法的に推しを手に入れる物語である。 ※タイトル通りのご都合主義なお話です。 ※他サイトにも投稿しています。

婚約破棄されて幽閉された毒王子に嫁ぐことになりました。

氷雨そら
恋愛
聖女としての力を王国のために全て捧げたミシェルは、王太子から婚約破棄を言い渡される。 そして、告げられる第一王子との婚約。 いつも祈りを捧げていた祭壇の奥。立ち入りを禁止されていたその場所に、長い階段は存在した。 その奥には、豪華な部屋と生気を感じられない黒い瞳の第一王子。そして、毒の香り。  力のほとんどを失ったお人好しで世間知らずな聖女と、呪われた力のせいで幽閉されている第一王子が出会い、幸せを見つけていく物語。  前半重め。もちろん溺愛。最終的にはハッピーエンドの予定です。 小説家になろう様にも投稿しています。

婚約破棄されたのたが、兄上がチートでツラい。

藤宮
恋愛
「ローズ。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを国母と迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにアロー皇国皇子イヴァン・カイ・アローとローザリア公爵家ローズ・ロレーヌ・ローザリアの婚約を破棄する。そして、私、アロー皇国第二皇子イヴァン・カイ・アローは真に王妃に相応しき、このカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を宣言する」 婚約破棄モノ実験中。名前は使い回しで← うっかり2年ほど放置していた事実に、今驚愕。

処理中です...