嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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「いやはや、ごめんね。来島にはちゃんと処分を下す。十日の営倉処分。兵の喧嘩で営倉を大占領するわけにもいかんからね」
 三護の隊長室にいた秋山を尋ねると、こちらが詰め寄る前にすぐ謝ってきた。なんだか毒気が抜かれる。秋山はいつもこうだ。プライドとは一線引いた何か。同年代とは思えないほど大人な側面が出てきて、言いくるめられてしまう。
「こちらだってたまりません。幸い神崎のけがは軽く、軽い脳震盪で気絶していただけとはいえ……」
 医務室で望月がぷりぷりと怒っていたのを思い返す。唯一の医者である望月はほとんど休みがなく、護廷隊にけが人が続出する状況を嫌う。夕食時に休憩と称してテレビゲームをしていたが、それくらいがただ一つの気晴らしなのだ。耳に痛いお小言も頂戴した。一応上官なのに。
「うん。申し訳ない。こちらも教育を正していくけん、今日のところは勘弁して」
「勘弁?それはないですよ大尉。きちんとした処罰をしてくれないことにはこっちの信頼まで失います」
「うーん、そやねえ。来島は殴られたから殴り返した、とか言うとったけど」
「それは事実ですが、明らかにやり過ぎです。一応は同僚なんだし、手打ちは必要でしょう」
「そこはおいおいやるよ。もうええでしょう?」
 まあ、コーヒーでも飲む?秋山は呑気な顔でそう聞いてきた。
「もらいますよ。好きなんで。頼みましたからね、本当に」
「じゃ、淹れるからそれまで雑談でもしよか。彩音」
 階級を外した言い方をする。そこまで打ち解けた仲でもないが、やはり同期だ。気安さが前面に出ることもなくはない。
「いいけどさ。大体、あんたんとこどうなのよ。あんないい子いたの?」
「言うたやん、同郷やったんよ。あの子らも行き場がなあてな。ウチが引き取ったらんとホームレスやっとったかもしれん」
「この日本で?」
「日本やいうても、景気がええんは工業地帯と東京くらいよ。シンクタンクが軒並み主要都市に行く。そうなるとウチの育った田舎なんかは衰退していくばっかよ」
「そうなのかしらね」
 生まれも育ちも東京の下町という彩音には考えづらい。一番接している恵美も同じく東京の生まれだ。都会っ子ばかり周りにいるから、地方の実情は理解しがたい。
「実際少数エリートだけで国を運営しとると、どうしても地方はおいてけぼりよ。スポーツチームがひしめき合っとる広島と、土地の位置が魅力的な北海道と台湾との貿易が盛んな沖縄。ここが地方ではトップクラスの経済力があるかもやけど。あとはどうやろうね。よう分からんけど……ウチの育ったのは愛媛やから」
「ああ、そうなの」
 反応しづらい。彩音自身、愛媛どころか四国に行ったこともない体たらくである。発展とは無縁の土地なのかもしれない。高学歴の人間は数が限られているのに、そうした純粋培養エリートの男性が行く場所はいつだって主要都市だ。仙台、東京、京都、大阪、福岡。これが一応主要五都市と呼ばれている。その都市の繁栄はそこらの小国一国の経済力を都道府県単位でしのげるぐらいだが、他は軒並み低調だそうだ。
「職はあっても、あの子らがつける仕事の大部分はただのバイトや。なんだかんだと金が出ていく立場になる。そうなると、護廷隊はええ職場や。嫌われ者やけどな」
「そう、でしょうね」
「だから、頼むんや。あの子らを投げ捨てんでやってくれ。彩音、頼むよ」
「処分は受けてほしいけど、それ以上は干渉しないわよ。それは大尉の仕事でしょ」
「そうか、それならええんや。安心したわ」
「あと、しっかりコミュニケーションくらいとらせなさい。あれじゃ苦労するわよ。風間軍曹をつけたほうがいいんじゃない?」
 風間幸子は三護の最先任下士官だ。苛烈な性格で、鬼軍曹でもある。
「それもおいおいな。ありがとう、はいコーヒー」
 白いコップが二つ出てくる。秋山はいそいそと煙草を取り出した。
「いいのそれ?」
「中佐もおらんし、中佐やて部屋では吸っとるよ。ストレス社会を煮詰めた護廷隊で酒たばこは嗜好品ではなく必需品なんよ」
「そうね」
 彩音はズズッとコーヒーを口に含んだ。苦みが強い。覚醒作用を無理やり強めたような味がした。
「苦いわね、これ」
「ミルクも砂糖もないけん、ごめんね」
「いや、いつも入れないからそれはいいんだけどさ……うわ、本当に苦い。よく呑めるわね」
「大変なんよ、大尉さんのお仕事は」
「まあ、いいんだけど……苦ァ」
 舌を出してみる。空気が少し入って、ようやくマシになったような感じがした。



「襟曲がってない?大丈夫?」
「大丈夫だよ。いつも通りかっちりしてっさ。それよかこっちを見てくれよ。今日日ネクタイもまともに締めれないなんて情けないけど、変じゃない?」
 鏡の前で確認しながら、黒い護廷隊の第一種正装のスーツを着こみ、ネクタイを締めた。そのあと、彩音は恵美の服装を確認する。神崎はすでに着替えた。念には念を入れて確認し、先に外に出させた。
「うん、大丈夫大丈夫。すごいかっこいいよ。まさに歴戦の軍曹って感じ」
「ありがとよ。その目が頬っぺたに向いてなかったら軍曹さんはもっと嬉しかったんだけどな。行こうぜ」
 護廷隊本部を出て、首脳を待つ。彩音たちは護廷隊の代表として首相の護衛をする予定になっていた。陛下はすでに横須賀で国防海軍の旗艦《神武》に座上していると連絡が入っていた。日本晴れで、天候が崩れる心配もなさそうだ。
 黒塗りのリンカーンコンチネンタルの前では、神崎がすでに待っていた。
「私たちは首相の護衛らしいわね。ま、何事もないでしょう」
「私もそうなんだよな。まいったな、近接戦闘の訓練なんぞしてないぜ。おとなしく道を見ますと言ったらだめだとさ。目を回していざとなれば狙撃するが、ナイフや爆発物には無力だな。頼むぜ」
「任せなさい……来たわよ」
 皇居から一人の男が歩いてきた。両手を後ろに回し、見せつけるようにゆっくりと歩む。中肉中背で、真面目さを表すような小さな目に質素この上ないロイド眼鏡をかけている。日本国首相、巣鴨英教。真面目だが、融通が利かず、国会との仲は良くないし、野党の質問に真摯に付き合うせいで毎回審議が特別国会を開くまで長引く。
リンカーンの前で、彩音と恵美が敬礼をする。巣鴨は敬礼にやや照れを感じていたのか、軽い会釈をするとそそくさと車に近づいた。
「どうぞ、総理」
「ああ、ありがとう……君たちは?」
「観艦式終了まで護衛を務めさせていただきます、神戸彩音中尉です。こちらは栗峰恵美軍曹、神崎有希上等兵。この三人が儀仗分隊として、総理をお守りします」
「うん、そうか」
 寛大というか、そこまで気にしていない風にそう言った。
「君は、去年の国体随行の際もいたな。今年もよろしく頼む」
「覚えて下さっていて光栄です総理。誠心誠意努めますので、こちらも宜しくお願いします」
「神戸中尉。陛下と海外首脳の警護が万全かどうか聞きたい」
「陛下はすでに神武へ御座上されたとの連絡がありました。海外の主席とご歓談されていると思います。陸軍の儀仗隊が警護を担当してますので安心かと」
「そうか、よかった……私の警護より万全に頼むぞ」
「問題ありません」
 彩音が中に入れた。真ん中に総理。車道に出て左のドアを開け、乗り込む。歩道側の後部座席左には恵美が乗り込み、助手席に神崎が乗った。運転手がアクセルを踏み、一路横須賀へと向かう。ここまでは、何事もなかった。
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