嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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現代にて

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「警察ってのは嘘じゃないんだよ」
 ふはっと煙草の煙を吐き出した。今までこの家屋内で煙草を吸ったことはない。栗峰女史が吸ったのが、この家での最初で最後の煙草の煙だろうと男は思った。
「護廷隊ってのはもうないし、資料もほとんど残されていない。あまりメディアに顔を見せるものでもなかった。中尉……あなたの奥さんだな。彼女も嫌われ者になるために何度か顔を見せた以外はほぼ日の目を浴びたことがない」
「知らなかったよ。あの銀行事件で私を助けてくれたのが、彼女だったとは」
 男は驚嘆していた。若い頃、まだ准教授になる前の話だ。留学から帰ってきて、外貨を両替し、それが思いのほか多かったので、中学時代の同級生の父親がいた銀行に新しい口座を作りに行った日、彼は事件に巻き込まれた。今でも、その事件はネットや書籍を問わず、様々な媒体で研究や陰謀論などの論争が起こっている。
 都内の中学生が中心になって起こした集団的銃乱射事件。犯人は全員殺された。その中に、のちの妻がいたのだという。
「あんたあんま新聞読んでいなかったのか?」
「文化通俗を学ぶために、昔の新聞を読むことは多かったけど、現行の新聞はほぼ呼んだことがない。私にとって生活の糧も趣味も、歴史を学び、文学を学ぶことだった。そのために現行の新聞を読んだり、社会的なニュースを調べたりすることはなかったな」
「そんなんでよく教授になれるもんだな」
「まあ、学び舎にこもった子供が、そのまま大人になるとこうなるという悪い見本みたいなものだよ」
「ははあ……でも、あんたは中尉に手紙を書いた」
「感謝したかったんだよ、純粋に。銃なんて見たこともない人間が、あわや死ぬところを助けてもらった。そうなるとお礼の手紙の一つも書きたくなるさ」
「それなのに気づかなかったのか?」
「まあ……恥ずかしい話だが、厳めしく、血まみれで私を助けてくれた妻と、その後食事やデートを重ねた妻の姿が重ならなかった。今もそうさ」
「写真ではあんなに厳めしいけれど」
 栗峰女史は、壁に掛けられた額をちらりと見た。その頬に、火傷の跡が残っている。元々のドングリ目が、老いによって張りを失い垂れ下がっているが、その柔らかくなった人相からは考えつかない過去があるのだと思わされた。
「あの写真を撮った時、すでに歯が弱くなっていてね。笑うと歯抜けの顔が映るからいやだと言って、奥歯を噛みしめていたそうなんだよ」
「なるほど、中尉らしいや……」
 懐かしがるように、垂れ下がった眼を細めた。
「ところで、なぜこのナイフを私に送ってくれたんだね?」
 桐箱に入ったままのナイフを、机に置く。
「……終わったんだよ」
「どういうことだい?」
「あの事件には、今まで報道規制があった。護廷隊も、闇に葬られた。なあ、あんた。護廷隊のこと、今まで知らなかったってことは、教えられなかったってことだよな。教育者の端くれとして、教科書にはそれなり目を通せる立場だろ?私も何回か近代史の教科書を取り寄せたことがあるんだ。そこにはたった一行だけ、こう書いてる」
 ―――護廷隊と、国防軍の一部によるクーデター。
「……ああ、そうだ。それ以上は、何も書かれていない。クーデターという大掛かりな言葉とは裏腹に、その詳細や参加人員についても何も記されていない」
「そうだ。普通ならあけすけになる。その悲劇を繰り返さないためにも、その愚かさを知らしめるためにも。だけど、それは……あまりにもくだらない、たった一人の女がけしかけた戦争だったんだよ」

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