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三日後
しおりを挟む「ええ、と……本気、ってとっていいのよね」
三日後、広報班の詰め所を訪れた彩音に、班長である師岡真帆曹長はおそるおそる言った。
「あ、いえ、いいんですか?中尉」
「そう畏まらなくてもいいですって、師岡曹長」
歳で言えば、七、八歳ほど上になる。長い黒髪を綺麗に梳かし、引き締まったぁっ鶴を思わせる細身の体形。木場ほどではないが、長身で彩音より一〇センチ近く高く、敬礼の際には少し頭を上に向ける必要があった。彩音とは軍学校以来の中だ。彩音の班の教班長が、すでに曹長だった師岡だった。当時はそのまま昇進し、将校になるともっぱらの噂だったが、それも昔の話だ。
師岡はオッドアイだ。いな、オッドアイになった。元々両方茶色だった虹彩の色が、右目だけ灰色になっている。その目は何も写さない。角膜を損傷し、ぎりぎりで欠損こそ免れたが、失明してしまったのだ。かろうじて軍籍を残すことは出来たが出世街道からは脱落してしまっていた。
「ああ、そう。なら話しやすくて結構だけど、いや………まずいわよ、これは」
「何がです」
さすがにかつての恩師に向かって命令口調なのはためらわれた。そうでなくても、先任下士官の彼女は全ての将兵から一目置かれ、また、恐れられている存在である。
「親御さんすら呼ばないのよ。その理由わかってる?」
「わかってますよ。あんまりにも危険すぎるからでしょう」
「そうよ。私だって新人時代に先輩から殴られたりけられたりして、怖くなって脱走したくらいだもの」
「私は師岡曹長に腕を複雑骨折させられ、裸締めで気絶されられておもらしまでしました」
「そうだったわね。お互い、意地はって、審判をぶっ飛ばしてまでつづけたわね。今はそんな事出来ないけど」
何事にも例外はある。広報班は唯一技量確認に出場しない。審判役を務めたり集計をこなしたりとしたこまごまな任務を控えているからだ。都市伝説の域を出ないが、この技量確認に出たくないがために配置換えを希望した将校がいたと実しやかに話される程度には羨望の的のようだった。
「そこに記者入れて、写真写してさ、掲載されてごらんなさいよ。絶対抗議が山と来るわよ。広報としては、あんまり旨味なさそうな以来だというしかないわねえ」
「天下の好日新聞ですからね」
「全国紙ってのがまた怖いのよ。一応護廷隊は日本全国津々浦々からやってきているし、あまり親御さんや親族との連絡も取れない。最初のお手紙が結婚のお知らせだったなんてジョークもあるくらいだわ」
「事実ですからねえ」
溝端に至っては、ジョークですらなかった。あまり家族との関係が良くなかったらしく、遺品を送った後、何かしらの連絡が来たという話は聞かない。鳥取の山奥にいる彼女の家族には折りを見て尋ねなくてはならない。
「記者をいれて阿鼻叫喚の地獄を見せてもどうにもならないじゃない。広報班としては賛成しかねるわね」
「しかし、曹長。これはチャンスなんですよ。チャンス」
「チャンス?なんのチャンス?」
「怖がられる護廷隊を発信するチャンスです」
いいですか、と前置きし、彩音は持論を展開した。
護廷隊は都内の憲兵隊を受け継ぐ存在だ。暴力に対して暴力をもって対抗するという隊是の元、組織がつくられている。
しかし、昨今、テロの脅威は増すばかりだ。先日溝端上等兵が亡くなったこともあるし、創隊二十年で、四十人弱の殉職者を出すに至っている。
「テロが頻発するのは、平和を愛さない連中と、現体制に不満のある人間が武装組織とつながるのを防げないからです」
「続けて。中尉」
「残念ながら、この情報化社会で他者と他者の繋がりを防ぐのは不可能です。たとえ十年間家から出ない引きこもりでも、インターネットを通じてブラックマーケットから銃器を買うことは決して不可能ではありません」
「でしょうね。全く困ってるわ。税関の連中も躍起になって検閲の強化を進めているけど、この仕事はまさしくイタチごっこだわ」
「都内でテロが頻発するのは、憲兵たる護廷隊になんとなく勝てそうだと思われるからです。頑張ればなんとかなりそう。そんな考えがどこかにあるからですよ」
「大馬鹿ね」
「そうです。馬鹿です。馬鹿相手の商売だから、こちらは馬鹿でもわかる情報が必要なんですよ」
「その情報とは?」
「恐怖です。恐怖の顕在化。それが目的です。赤ん坊でも、鬼を見れば怖がる。恐怖が形をもって襲い掛かれば、馬鹿でも口を閉ざして許しを請う」
「ますます嫌われ者になるわね。女神様」
「それで十分なんですよ。愛される憲兵は存在しない。社会治安の柱石として、これは絶対に必要なんです。恐怖で支配。まるで中世のようですけどね」
師岡は、頭を抱えてうなった。不安なのだろう。暴力による支配の行き着く果て、それは結局、それ以上の暴力に屈する。だから、こうしたことは決してしてはならないことだと理解している。
テロは絶対に許せない。しかし、そのテロという恐怖を押さえつけるのは、またそれを上回る恐怖なのだ。そしてその恐怖の象徴は親しみとは無縁の存在であるべき。彩音はそう思っていた。
広報班の全員が彩音と師岡に興味を示していた。誰もがキーボードをたたく手を止め、二人のやり取りを見ている。口をはさみたい部下も何人かいるようだが、二人の間にある緊張を解こうとはしないようだ。
「歯が吹っ飛び、頭を5・56ミリ弾でぶち抜く。日常的にそんなことをする集団ははっきり異常です。人を殺すことにためらいのないヤクザ集団。そう思わせておけばいいんですよ。思わせるたびには情報発信が必要不可欠です」
「なるほどねえ……それで、私は何をすればいいんです?中尉」
「一応命令書を出します。命令書で責任を私の方に回してください。憎まれ者には慣れてますよ。それだけ」
「了解、中尉」
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