嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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日常 手紙より

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二、

「遅い!走れ!」
「は、はいいっ!」
 木場一等兵が慣れない怒号を挙げて、新兵をしごいていた。テントの下でそれを見守っていた彩音は、ふとあくびが出そうになる。春になり、どこか気持ちが浮ついていた。
 秋葉原銀行占拠事件(と、あの事件は名付けられたらしい)が、血なまぐさい形で解決した日から二か月。彩音達第一護廷隊は平和を享受していた。新人隊員たちの教育にも力が入り、第三護廷隊との演習でもそれなりにいい成果が出せた。何となく、今年度はいい年になりそう。そんな気すらしている。
 いい兆候だ。そもそもテロなんて起こらなければいい。護廷隊は伝家の宝刀、陛下の懐刀。使う機会なぞ永遠に来なければいいのだ。研ぎ澄まして、いつしか床の間の飾り程度のものになるのが一番。隊長としては失格かもしれないが、彩音の考えは一貫してこうだった。
 それよりも。
「んふふ……」
 彩音は懐に手を伸ばす。封筒が指の先に触れた。
「えへへ」
 それを触る度、最近はにやけが止まらない。


 訓練後、足早に私室に戻る。それを見て、恵美と、すぐそばにいた神崎が首を傾げた。
「なんだいありゃ?最近中尉は何してんだ?」
 売店の前の、安い椅子と机で、訓練後のビールを楽しんでいた恵美は、すでに出来上がりかけていた神崎にそう話しかけた。崩れた金色の髪に黒のメッシュが入っている。目はとろんとした垂れ目だ。年がら年中呑んでいると、こうだらしない顔になるのかもしれない。
「ほうっすねえ……何をしよるんか、よう分かりませんよ」
 狙撃班で観測手を務める神崎は、少し紅が差した頬に手をあてて頬づえをついていた。後継のなり手がいないせいで、たった二人、狙撃手と観測手しかいない狙撃班員だ。その絆はそこそこに強い。拳銃とナイフだけで、テロ組織に立ち向かう強い隊長を慕う気持ちも同じくだ。
「あれじゃないっすかね。いよいよの大尉昇進。何でも三護(第三護廷隊)の秋山中尉殿が昇進するとかなんとか」
「まじでか?あの人、何にもやってないぜ。そうでなくても、三護の当番月には何にも起こらないから、あの人勲章ゼロだもんなあ」
「隊長は結構つっさげてますよね。胸にじゃらじゃら。あの胸であれだと、年取ったら垂れますよ。かけてもいい」
「そうじゃねえと、こっちがみじめすぎら。こちとら成長期の大半を狙撃姿勢で過ごしたもんだから……なあ。たまには代われよ」
「やーですよ」
 神崎は飲んだくれだが、目だけはいい。観測手としては最低限のスキルではあるが。視力は二・〇だそうだが、小学校の時図るとそれ以上がないから、詳しくは分からないそうだ。
「ま、たぶん違うがね。中尉は二か月も前に落っこちたばっかだぜ」
「あ、やっぱり?」
「なんだ、もう噂は流れてんのか」
「まー、わかりますよ。あの人指揮取れないじゃないすか。私の背中についてこいっていうか、真っ先に突入してあと水野少尉にまかせっきりでしょ?少尉、愚痴ってましたよ」
「お前、あいつと同じ小学校だっけ?」
「少尉は中学行って、そのまんま軍学校。私は高等小学校の後に専門行っとりましたけど、ダメでしたよ。結局行くとこなくってここですけんねえ」
「とは言うがよ、案外居心地はいいでしょ、ねえ」
「そりゃ、上等兵となれば、売店行けるし、面倒ごとは新兵にうっちゃっておけばいいんですけんね」
「そういうもんさ、軍なんてのは」
「っすね」
 ぐいっとビールを飲む。しかし、頭の中にめぐるのはアルコールよりも、彩音の見せる笑顔だ。いつもの厭世的な吐き捨てるような笑いと違う、何かを楽しむような、宝箱を開ける子どものような笑顔。気になる、気になって仕方がない。
「にしても、あの中尉がニヤニヤしているのはめっちゃくちゃ気持ち悪いな」
「そうっすねえ。この間の制圧作戦の時のような顔がお似合いですよ。隊長は確かにきれいな方ですけど、男性受けするタイプじゃないんっすよね。おっかなくて、ひな壇に上げときたいかんじっす」
「そうそう。とどのつまり、そういうこと。おい、足元ふらふらじゃねえよな。大丈夫か?」
「まあ、そりゃ。何をするんです?」
「何、ただの出刃亀だ」

 私室にいる時くらい、気を抜いてもいいはずだ。彩音は、便せんに書かれた文面を、何度も読み返しながら、顔を緩めた。
 中学にいたころから、まあ、人並みに交際経験くらいはあるし、それなりに付き合ってきた。が、残念ながら学び舎を出ると、そこは嫉妬とお局が支配する護廷隊。化粧の匂いを嗅ぐたびに、新人少尉だった何年か前を思い出してしまう程になってしまった。
 しかし、しかしである。この手紙に書かれていることが嘘でないとするならば、彩音にとって何年かぶりの春が来た、ということになる。春よ、来い。そう願って幾星霜。心焦がれたそれが来ると、胸が高鳴るし、よだれも出る。おとと。
 ノックが鳴った。慌てて顔を整え、緩んだ形跡を無くす。奥歯をかみしめて、真一文字を作り、端正と言われる顔を引き締めてから、扉に向かって言った。
「開いてるわよ」
「おー、中尉。入るぞー」
 緩み切った声がして、ほっと息をついた。考えてみれば、彩音の私室に入ってくるのは恵美くらいだ。ほかにも同年代や同階級の隊長格がいないわけでもないが、彩音とは趣味も話も合わない。将校としては失格級のコミュニケーション不足だが、この際仕方がないと割り切って、研鑽に勤めてきた。
 扉を開けて、恵美が入ってくる。いつも酒席を共にしている神崎も一緒だ。
「やー、お疲れ様」
「ええ、ご苦労様。なにかあったの?」
 実際、緊急出動などがあれば、日ごとに割り振っている当直班員が出ていくはずだ。海外に比べれば三ツ星クラスの治安の良さがあるにしろ、テロも増えているし怖いことこの上ない。護廷隊はそうした時、他人事みたいに怖いと思ってはいけないのだ。怖がる人を助ける商売なのだから。
 恵美の顔を見て、ため息をついた。今日何か出動しなくてはならないわけでもないらしい。酒を楽しんでいた二人がいきなり私室に来るので、何事かと思った。
 恵美は勝手知ったるように他人の部屋、とばかりに私室に入る。机の上にある便せんに目を向けていた。
「あ、それはっ」
「こりゃ、手紙かい?ずいぶんローテクな。なになに……?」
「止めなさいっての!」
 すぐさまとびかかると、降参とばかりに手紙を置いた。全くプライバシーの意識がみじんもない。最も、共同生活をしているものだから、そうした意識はすぐに吹っ飛んでしまう。
「わあっ、すまんって。いや、降参降参!」
「ちゅ、中尉」
 馬乗りになってビンタでもしてやろうかと思ったが、さすがに神崎の前で殴ると、恵美の立場もない。将校は下士官を罵倒し、下士官は兵を殴る。国防軍や護廷隊では大なり小なり暴行事件がつきものだ。だといっても、それを顕在化させることもない。
「私生活と仕事は別。それくらいわきまえてよね」
「わかってるって、中尉。ところで、明日のデートには何を着ていくんだ?」
 それを聞いた途端、顔が熱くなる。
「あんた……」
「怒んなよ。読めちまったんだから……羨ましいことだよ、神崎。お前、ファッション専門だろ?見立ててやれよ。チョウセンアサガオをヒマワリみたいにするプロだろ」
「なんすか、そりゃ」
 そんな植物は聞いたこともないのか、それとも酒に巻かれた頭では思いつきもしなかったのか、神崎は間抜けにそう返した。
「ファッションの基本さ。まあ、我らが隊長はトリカブトでもあるけれど」
 好き勝手に言ってくれる。彩音は怒りか、それとも恥ずかしさからかは分からないが、とにかく会緒が熱くなった。もちろん、本気で怒るわけにもいかないが、年甲斐もなくはしゃいでじゃれる気にもなれない。
「ただの食事のお誘いよ。こないだの銀行強盗を解決してくれたお礼がしたいんだって。ま、食餌とは違う、良い処に連れてってくれるんでしょ」
「食餌ね。確かに」
 護廷隊の食事はシンプルだ。出てくる時間も決まり切っていて、メニューも一汁三菜。それだけがずっと続くものだから、口の悪い隊員を中心に、食事の皮を被った餌というあだ名がついている。それだけに、土曜日曜の休日に外出して、外食をするのを楽しみにしている隊員は多い。
「な、ならデートっすか。っか~、いいなあっ。こっちは合コンでそんなこと言えないっすもんね。ドン引かれるし、間違ってもそんなこと言えないすよ」
 神崎は本当にうらやまし気にそう言った。
「お前、合コンなんて行ってんのか。たまには私も誘え、この馬鹿」
「い、いやあ……軍曹はちょっと」
「何がちょっとだ。お前だけにいい思いはさせないぞ」
 合コンの単語が出た瞬間、恵美は神崎の首を脇の下で締める。こうした体育会系の女性だから、神崎もあまり誘いたくないのだろう。ついでに言えば、護廷隊は殉職率も高く、仕事の呼び出しもおおい組織だから、男性からの受けはよくない。警察、国防軍、護廷隊は合コン三大地雷、と呼ばれているほどだそうだ。
「はいはい。そんなじゃれ合いは売店でやっててちょうだい。ここは一応将校の私室よ。ちょっとは、時と場所を考えなさい」
「はいはい。それで……中尉はどんな服装で行くんだ?」
「服?」
 一応私服はあるが、あまり使わない。せいぜい休日に食べ歩きに行ったり、映画を見に行ったりする際に着ることはあるが、別に明日何を着ようと思ってはいなかった。
「普通に軍服で行くわよ。公務の一つだからね、人質のアフターケア」
「中尉……少し考えろよ。キャビア使った料理でも、しょうゆぶち込んだら台無しだぜ」
「……どういうこと?
「要するにだなあ……あー、神崎、少しアドバイスを」
「わ、私がっすか?」
 キラーパスを渡された神崎は慌てたように頭を押さえた。
「あ、あのですねえ……中尉もたまにはおめかししたらどうですかってことですよ。いかつい軍礼装で料理屋に行けば、周りが騒ぎますよ。ただでさえ、中尉は今有名人なんですから」
「うーん、確かに……」
 新聞や雑誌の特集を組まれたせいか、先月まで取材の対応に追われてしまった。そのせいで、ほとんど休暇らしい休暇もとれなかったのである。趣味の将棋も読書も、時間が取れずに断念していたので、一気に解消してしまいたかったが、それを吹き飛ばすこの申し出。色恋沙汰は大分ご無沙汰だった。なるほど言われてみれば、神崎の言うように、おしゃれにかまけてもいいのかもしれない。だが……。
「でも、私このガタイよ、はっきり言って神崎みたいなパンクなのは好きじゃないし、流行りのゆるふわ系なんてした日には、示しがつかないわよ」
「まあ、そりゃ……あ」
 神崎に向き合っている彩音の死角で、大笑いしている上官の姿があった。彩音が気づかないよう、声を極力抑えていた。
「実際、私に一番似合う服装は軍服なのよ。凛々しさと荒々しさが同居しているうえに、組織の強さも示せている。十分正装として成り立つの」
「そりゃあ、そうなんですけどォ……」
 彩音の答えに、神崎は不服そうだった。周りからの意見を聞く限り、彩音の自己評価とは裏腹に、外見の評価は高い方らしい。とりあえず、出ていけと二人を追い出して、ようやく一息ついた。
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