嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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緊急出動 秋葉原にて

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「どうしたのさ、大尉のワッペンは」
 訓練後、さっそく抗議するように恵美が隊長室を訪れた。
「あのねえ……持ってはいるのよ。持っては」
「うそつけ、どうせ落ちたんだろ。正直に言ってよ。別に恥じることでもなんでもないんだから」
「うっさいな。そこそこショックなんだっての。いつまでも中尉じゃ恰好つかないでしょうが。見なさいよこの階級章。まるで一個星が落ちたみたいにみっともない」
「ショックなんて受ける必要ねえよ。実際がとこ、大尉でも中尉でも大差ないさ。結局は小隊編成の護廷隊の隊長。それには変わりないわけだろ?」
「そっちはどうなのよ。伍長と軍曹が大差ないなんて言われたら」
「あほぬかせ、そんなわけないでしょうがよ、つってもあんたは指揮官だ。ふてくされたり、みょうな功名心で変な指揮をとられたらたまったもんじゃない」
「わかったわかった。わかったから、訓練させときなさい。新人がええと……」
「話を逸らすな!」
 恵美は視線をそらさない。身長百六十五センチと、彩音と恵美の身長差はほぼない。ただ、いつもは楽し気に好奇心を浮かべているドングリ目が、怒りに満ちている。
「あによう」
「この際だ。落ちたことどうこうはどうでもいい。どうせあれだろ。いつものこった」
「いつもって何よ。変なこと言ったらぶっ飛ばしてもいいんだからね」
 もともと中学時代に空手部だったことから、彩音は軍隊に入っても人並み以上に格闘技に身を投じてきた。そのおかげで、護廷隊でも近接戦闘では指折りの実力者だという自負もある。
「そっち方面は不案内だけどさ。まあ、落ち着けって。あんた今混乱してんだよ。そもそもだな……」
 恵美が、びしっと彩音に指を突きつける。何かをしゃべろうとした瞬間、けたたましいサイレンが鳴った。出動要請。このところめっきりなかった治安出動のベルだった。それを聞くや否や、恵美はそのまま私室のロッカーに向かった。彩音も踵を返し、完全軍装を整えてからブリーフィングルームへと向かった。
「神戸彩音、まいりました!」
「ご苦労さん、立ったまま聞け」
 簡素なねぎらいで出迎えたのは、護廷隊総司令の三津田中佐だった。国防軍出身で、この前年より護廷隊に所属している。無精髭一つない卵のような顔に、小ぶりな目、口、鼻が顔の中心に寄り集まっている。
校用の若草色した軍服の下に、がっちりとした筋肉が浮き上がっていた。
「本日午後二時、都内は千代田区秋葉原にて、銀行強盗が発生。犯人は武装した男性が十名ないし十五名、要求は不明だが、すでに警視庁の係員を二名射殺しているとのことだ」
「けっこう大規模な強盗やないの。本気なんかいね」
 訛りかかった喋り方で、上官の話をさえぎったのは、彩音が隊長を務める第一護廷隊と同じ行動原理を持つ、第三護廷隊の秋山好美中尉だった。長い茶色の髪を結び、挑戦的な顔つきで三津田を見ている。
「現在、千代田署と警視庁が交渉に当たっているが、あっちは十人以上いる。おまけに人質も多い。昼時だったから多数のお客が来ていたようだ」
「そりゃまた……運のない連中やねえ」
「秋山中尉、口の利き方には……」
 彩音がやんわりと注意する。なんだか今日は口の悪い連中と衝突する日だ。別に臨んでいるわけではないのだが、こうした日に、治安出動。運のない日だと内心、頭を抱えた。
「ん。ごめんねえ。どうもこっち、田舎もんやから、口の利き方知らんでねえ。ほんで、うちらんに、どうせい言うん?」
「ここに来た以上わかっているだろ?」
 口の利き方については、三津田も大概諦めているらしい。好美の経歴は彩音とほぼ変わらない。狭き門である中学校をでて、その後幼年学校。護廷隊入り。すべて似通ったような経歴だ。違いといえば出生地。瀬戸内の網元の娘だという彼女は、上京してもう七年近くたつのに、どうにも標準語が苦手なようだった。
「警視庁のSATも出動したが、とん挫した。銀行の入り口にはトラップボム。そこを切り抜けた時、カラシニコフで一人がハチの巣になった。先ほど言った殉職者はこの二名だ」
「……銃の入手経路は?」
 彩音が質問した。いまするべき質問ではないし、それを調べるのは公安か、それでなくても警察だ。宮内省の一部署でしかない護廷隊に、捜査権などはない。ただ、カラシニコフなどの銃器は日本でライセンス生産をしていないし、十中八九コピー品だ。そうあたりをつけると、なんだか怖くなったのだ。一応都内の治安は警視庁と護廷隊が守っているのだから。
「おそらくは横須賀か、敦賀近辺を経由して都内に運ばれたと思われる。詳しくは不明」
 三津田は簡潔にそう言って、地図と見取り図を机の上に敷いた。
「現在安全のため、現場の半径二キロを交通封鎖している。そのせいで、都民の不満はうなぎのぼりだ」
「ちいたあ我慢すればええのに」
 にやついた顔で秋山が茶化した。
「そういうな。平和がただの珍しい国だからな、ここは。警視庁からの要請は一応逮捕だが、あまり真面目に考えなくてもいい」
 三津田は煙草をふかした。全面禁煙が当たり前となって久しいが、ブリーフィングルームは喫煙可。その理由はストレスを出来るだけ発散させるという名目だった。
「我々は半分警察半分軍隊。拘束なんて甘いことは考えなくてもいい」
「一応確認しておきますが、よろしいんですか?」
 彩音は確認だけした。そうすることで、責任者としての咎を最低限にしようとした。要するに保身のための質問である。三津田もそれはわかっていて、外見だけ重々しくうなずいた。きっと心の中ではベロがでていたはずだ。

 護廷隊、というのは四つの中隊でできている。その中隊はまた四つの小隊だ。国防軍の編成なら、ここに分隊も入ってきたり、指揮班だ参謀だと入ってくるからややこしいが、とりあえず護廷隊にそんなものはない。全体で五百人ほどの女性が勤務している。軍組織に例えればようやっと二個中隊ほどだろうか。元々が治安維持のための憲兵代行という立場だから、それほど人数を必要としているわけでもない。
 ただ、こうした治安出動の場合は話が別だ。警察では対処しきれない重大テロなどが起きると真っ先に駆り出される。彩音や秋山などの奇数の中隊が前線で戦い、偶数の小隊が後方支援や避難誘導を行う。
 今月の前線指揮担当は第一護廷隊だった。せめて来月まで待ってくれれば面倒ごとを秋山が全部担ってくれたのだがと、彩音はため息をついた。今や危険地帯と化した秋葉原には簡易的なバリケードが張られ、関係者以外は入れない。彩音とその部下を乗せたトラック二台がそのバリケードの中に入っていく。
「何の不満があってこんなことをするかね?」
 完全軍装を整えた恵美がため息交じりにそう言った。迷彩色の軍服に防弾ベスト、ケプラー製のヘルメットに身を包んでいる。彩音は同じ格好だが、指揮官ということもあり、ヘルメットの色が、従来の深緑ではなく、赤色だった。パトランプみたいだといつも思う。
「さあて、どうしてでしょうね」
 彩音の手元には、犯人グループを映した防犯カメラの映像をプリントアウトした書類があった。写真に写る犯人たちは誰も彼もがフルフェイスのメットや、仮面で顔を隠している。そのチョイスがどこか幼いのが気にかかった。
「刺激かねえ……そんなのバイクでもぶっ飛ばせばいいんじゃないか?」
「まだ乗ってんの、あんた?」
 恵美の趣味はバイクだ。女性には不釣り合いな大型バイクを休日の度にいじくったり、峠を責めたりしている。彩音には理解しがたい趣味だった。こうしてトラックに乗っているだけでもえずきがとまらず、胃の中身が全部飛び出してしまいそうになる。
「うん、まあね。いいもんだよ。誰も通んない道路なんていくらでもある。そこを法定速度無視して突っ走るんだ。気持ちいいよ」
「気をつけなさいよ。バイクですっころんだら、ただでさえ見られない顔が二目と目にしたくなくなる」
「お、今馬鹿にしたか、お前」
「しちゃいないわよ。それ以上傷ついてほしくないだけ」
 恵美の顔には痛々しいやけどの跡がある。幾度かあった治安出動。その時についた傷だった。ドングリ目でのんびりした顔をしている分、そのやけどの物々しさが目立ってしょうがない。
「太ももの傷はバイク乗りの勲章だよ。誰だってそうさ。あんたもそうだろ?今日もそうだ。顔だけ傷ついていないだけで、それ以外は傷だらけ。それでいいのか?隊長殿よ」
「……それ以外のやり方なんて、わかんないわよ」
 腰だめに下げたサバイバルナイフの柄を抑える。最初の給料を頭金に買った特注品だ。日本刀の切れ味に、鉈の頑丈さを組み合わせた逸品。そこそこ値の張る買い物になったが、後悔はしていない。
「あんたが大尉になれないのはそこさ。前線指揮をするのが将校の役割だろ。前線ドンパチは私の役目だ」
「そうかもしれないわね」
 トラックが止まる。現場となった銀行だ。地上二階、地下一階。犯人たちは白昼堂々AK―47を担ぎ、警備員を射殺して立てこもっている。彩音は時計を見た。午後三時半。人質の体力を考えれば、あまり時間をかけるわけにもいかない。
「どうするか……?」
 パトカーのそばで、制服警官がほとんど意味のない投降の呼びかけをしていた。無駄な抵抗は止めておとなしく出てこい。無駄な抵抗の割には、死傷者が出ているし、大体目的が判明していない。
「いつも通りでいいの?」
「まあ、そうなるかな。正面玄関からの殴り込みは無謀。となると地下駐車場からの包囲戦かな。木葉、無線を貸して」
 ビクン、と肩をすくめた。百八十センチを超える長身の女性で、顔を隠すような長い髪を垂らしている。猫背の背中に、無線機を担いでいる。まだ新人の域を出ていないが、それでも今日先輩となったのだから、しっかりしてほしい。
「は、は、はい」
「おい、木葉一等兵。慌てんな。中尉殿が道を開いてくれる。ついでにインカムの調子も確認したんだろうな」
 先ほどまでの友人の顔を一瞬で消し去り、理不尽と剛直さを併せ持つ顔になる。やけどの跡も、どこか頼もしさの象徴のひとつに代わっていた。
「そ、その、ばっちり、です」
「ありがと」
 巨大な足がフェンスを連続で蹴りつけたような音が鳴り響く。足元のアスファルトによっつの穴が開いた。
「……まじでカラシニコフだな」
 バイクでわかるように、機械関係に強い恵美が一瞬で見当をつけた。音だけでわかるものか、と思っていたが、彩音は彼女が利き酒ならぬ聞き銃をして、音だけで銃の種類を全て当てたところを見たことがある。だから、二階からこちらを狙っているのが、カラシニコフなのは間違いない。
「射程はそこまで長くないが、装填されている弾薬によっては厄介だ。持ってきた盾を貫いちゃう。どうするよ。隊長」
 分かっているが、とりあえず聞いた。そんな態度。
「栗峰軍曹。一小隊を率いて、狙撃ポイントを探し、支援射撃を開始すること」
「はっ」
 敬礼もそこそこに、恵美は自分の小隊を集めた。
「行くぞ、隊長殿のご命令だ!栗峰小隊は二階窓際の敵戦力を無力化する。人質は撃つな、敵を撃て!」
 恵美が行くと、彩音は自分と同じ将校用の迷彩服を着た女性を呼びつけた。
「水野少尉。今から私が将校偵察に向かう。その間スモークを焚くなり、一斉射撃をするなりの中隊指揮を任せるわ」
「また、ですか?」
 水野玲奈少尉は、唖然としたようにそう聞き返した。まだ幼年学校を出て、一年もたっていない。そんな青臭い少尉に、いきなり指揮を任せるのも不安ではあるが、仕方がない。はっきり言って、隊長である自分が将校偵察を行うなんて愚策だ。普通、偵察を出すにしても、他に任せて、そこから来る情報を取捨選択し、指揮を執る。
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