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大巫女

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「着いたで」
 船長はそう言った。たっぷり二時間ばかり青年は無言だった。一日一便の連絡船だから、今日はもう来ない。観光客が来ない理由もここいら辺にあるのだろう。橘翼はそう分析しつつ、上陸した。
 否、出来なかった。どうにもタイミング悪く、降り立つ瞬間に船が上に揺れ、こけた。
 べちっと鼻に強烈な痛み。固いコンクリートにぶつかる。
「ぶげっ」
 間抜けな声まで出た。
「あーあーあー……大丈夫な?お客さん」
「いっつう……え、な」
「ああ、鼻血、出とるなあ。にしても思いっきりこけたねえ」
 こんなはずではなかったのだ。普通に降り立とうとしたというのに、あっさりこけた。この島とのファーストコンタクトは最悪だ。地面にキスまでしてしまった。
「だ、大丈夫……おおぅ」
 うめいた。めちゃくちゃに恥ずかしい。いい年こいてこのざま。穴があったら入りたい。あれ?
「あの、おじさん」
 船長に問いかけると、すでにもやい綱を解き始めていた船長は五月蠅げに顔をこっちに向けた。
「なんじゃね」
「あれ、なんです?」
 指さしたのは島の中心部にある山の壁面に点在している洞窟と、それを見下ろすように頂上に建てられた拝殿の屋根だった。
「あれは岩屋よ」
「岩屋?」
「要するに天然の洞窟じゃ。理屈は知らんが、いつからか勝手にある。長いのやらちっこいのやら……まあ、二、三〇はあるな。そんなに珍しいもんじゃないよ」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……あんたァ、学術に来た割に、何も知らんのんかい?」
 誤魔化すために適当にでっちあげた理由を突かれる。だが、残念だったなおじさん。この程度のことは予測済みだ。言い訳ならいくらでもある。ふっふっふ。
「ああ、まだ実際に見たことがなかったものですから。岩屋、岩屋ね。ふふふ」
「なんじゃ。学者さんは机の上におるけん、あんま外行かんのんか。それならしゃあないわなあ」
 余計なお世話だ。それに学者ではない。僕は退魔師だ。絶対に正体は明かさない。冷たい目をされるのは一回で十分だ。勝手に勘違いしてくれるなら好都合だが、そのどうしようもないガキを見るような目で僕を見るな!
 そんな心中はひた隠しにしにへらと笑って見せた。そうすれば老人の受けはいいのだ。
「そうなんですよねえ。えへへ」
「ま、そんなら調べて見んさい。なんかあるかもしれんよ。でも、奥まで行きんさんな。迷うても助けられん。携帯も通じんでな」
「肝に銘じます。ははは」
 鼻血がだらだら流れているのがかえって良かったのかもしれない。老船長は早めに話を切り上げようとしてくれた。ありがたい。僕はハンカチで鼻を抑え、船から離れた。
 船着き場はかつての繁栄の名残か、結構整備されている。ただ、それももうすぐ風化する廃墟然としたものだった。ターミナルとして建てられたはずの大ぶりな建物には立ち入り禁止の文字が躍っている。だから僕が入ったのはすぐそばのプレハブだった。
「くっそう」
 初陣だというのに、ひどい話だ。鼻が曲がっていないだけましかもしれない。だらだら流れる血が、よりにもよって白のポロシャツにぼとぼととついていく。
「クリーニング屋なんかないよなあ」
 プレハブのドアを開けた。真ん中に、巫女服を着た女性がいた。目を丸くした後、何がおかしいのか手を叩いて笑っている。
「坊、お前どんな風に打ち付けたんじゃ!えろうに血ィ出とるで!」
 言われなくても分かっている。イライラしながら、僕はハンカチで鼻を抑えていた。なんでここに巫女がいるんだ。神社らしきものは上にあるのに。そう思って彼女を見やった。
 デカい。
 何が、ではない。全てが、だ。背丈は二メートル以上ある。体重も――これは、女性に対して聞くべきではないかもだが――も八十は超えている体格だ。太っているわけではなく、この島を歩き回っていて勝手に筋肉がついたというような体躯である。それに応じるように目も大きい。
「かかか、にしても、今日は間抜けが来たもんじゃな。退魔師が来ると思い、身構えておったが、これは困った。このような子供とはのう」
「……っ、あんた!」
 僕は一歩下がった。こいつ、もしや。
 巫女は椅子に座ったまま、両手を挙げた。参った、とでもいうつもりか。だが、そこから先に出た言葉は豪快な笑いのままの声だった。
「やめいやめい。滅せど殺せど、ろくなことにはならん。おぬしは仕事でここにおる。儂も同じよ。仕事をしておる。それならば、お互いに話し合うことが肝要じゃろうて」
「お前の話なんか聞きたくない!」
「ふむ……教育の賜物というべきかの。儂のような者の声に惑わされるなと、こういうわけか」
 巫女が立ち上がる。明らかに人のサイズを超えた女性だ。二メートルを超えた背丈。それが僕を見下ろしている。退魔師として、この世にはびこるそうした者は見逃せない。ポロシャツの胸ポケット。そこに折りたたんだ札がある。これはいうなればマジックアイテムみたいなもの。人間ならざるものを葬るものだ。
「さっさと居なくなれ!」
「青いのー……それで、どうするわけじゃ。血にまみれて汚れた御札で何をするんじゃ」
 ハッとする。
 僕が掴んでいたそれはすでにべたべただった。御札に血がついてしまえば、その効力は半減だ。
「半減した札で、儂を滅せられると思うてか。なんと笑える話よ。まだまだ青二才のようじゃのう」
「この程度でも、貴様一人を滅するのには訳はない!」
「はっ、笑かすなァ。儂もこの島で過ごして幾百年!ここで貴様の――」
 プレハブの小屋のドアが開いた。目線が移る。目の前の巫女と僕。その二つの視線を集めたのは釣竿を担いだ褐色の少女だった。
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