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第12話 月明かりの夜
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翌日の予定と現在の状況を全員に周知し、討伐に編成された団員たちは体を休めるため、食事を済ませると早々に天幕に下がった。
明日は野営地に救護班と遊撃隊が幾人か残る。
いざという時に動ける者を残して置く必要があり、交代で見張りもする。
すっかり日が落ちた野営地の上空、暗い空には月が浮かんでいた。
静まり返った森では小さな虫の音が響くだけでも、とっさに耳をそばだててしまうだろう。
天幕を離れ、森の境目に立ったリューウェイクはひたと木々の奥、薄暗い空間を見つめた。
いつもと変わらない夜の景色のようで、どこか違和感も覚える静かすぎる暗闇。
危険は感じなくとも、落ち着かないピリピリとした緊張がまとわりついてくる。
「リュイ?」
かすかな砂利の音と共に、自分の名を呼ぶ柔らかな声が聞こえ、途端に意識を引き戻された。
踏み出しかけた足を引くと、研ぎ澄ませた神経を綻ばせて、リューウェイクは声の主を振り返った。
闇に溶け込みそうな黒髪と、わずかに着崩れた黒色の騎士服。
月明かりの下で煌めく雪兎の双眸だけが、やけにはっきりと見える。
心配の色を浮かべる暗赤色の瞳は、じっとリューウェイクを見つめたのち、安堵したのかゆるりと瞬いた。
「姿が見えないと思ったら、こんな外れで一人なんて。いくら獣避けがされているとはいえ、リュイは危機管理能力が低いんじゃないのか?」
「これでも僕はほかの者たちに比べ、それなりに強いつもりなんだけど」
リューウェイクはいまの役職に就いてから、団長やベイク以外に心配をされた経験がない。
だというのに雪兎があまりに真剣で、おかしくて思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「平時にどんな強くとも、慢心は思わぬミスに繋がるぞ」
「あっ、ごめんなさい。ここでは不謹慎だった」
相手が雪兎と言うこともあり、リューウェイクは緊張感が欠けていた。もっともな苦言と一緒に、伸ばされた雪兎の手に頬を撫でられる。
「ユキさん?」
(なんで急にこんなに触れてくるんだ? バグるというのはこれか? 距離が近いだけでも戸惑うのに、触れられるのはもっと慣れない)
温かな手のひらの熱にリューウェイクは驚き、言葉を発せぬままうっすらと唇を開いてしまった。
ほうけた間抜けな顔が美しい瞳に映っている――わかっていても、慣れないぬくもりは判断力を鈍らせてしまうのだ。
いままで経験のなかった優しいぬくもり。
周りの者たちもリューウェイクを心配してくれるけれど、雪兎から感じる想いはどこか特別に思えた。
「ユキさん、心配をかけてごめん」
「リュイ、俺は本当に君がとても心配だ。見ているとひどく不安を覚える」
「ユキさん? どうしたの突然。大丈夫、今回の遠征はそこまで危険はないはずだから」
「絶対なんて保証はない。油断からもしもが起きたらどうするんだ」
普段の落ち着き払った態度とは違う切羽詰まった様子に、リューウェイクのほうが心配になってくる。
諭すためか強く掴まれた両腕が痛む。だがいまは気安く受け流してはいけない気がして、そっとリューウェイクは雪兎の胸元に片手を置いた。
厚手の布越しからも感じる彼の心音はやや忙しない。
同じ天幕で一緒に横になった時までは、特に変わったところはなかった。
ならば一度眠りに落ちて、目覚めたあとここへ来るまでになにかあったのか。
それとも慌てて出てきたような身なりだから、夢見が悪かったのだろうか。
古い書物に残された記録の中で、非常に勘が冴えた聖女がいたとあった。
元より彼女たちは第六感と呼ばれる、通常とは異なる感覚が優れているらしい。
中でも記された聖女は予感により、予言めいた出来事を国に知らせ、危機を退けたとある。
「ユキさん、大丈夫だよ。僕は貴方がいれば、きっと大丈夫な気がしているんだ。だってユキさんは女神さまに選ばれた異世界の聖者なんだから」
「それは……桜花に、聞いたのか?」
「うん、ここへ来るちょっと前にね」
「いいか、リュイ。俺は確かに喚ばれはしたが決してご都合的な、絶対的で万能な存在じゃない。大層な力なんてまったく持っていない一般人と変わらない。だけど明日は傍を離れないでほしい。いや、俺を傍から離さないでほしい」
(いつも堂々としている人がこんなに悲愴な顔をするなんて。ユキさんは一体なにを知ったのだろう。それともなにか夢でも視たのか?)
「わかった。明日は出来る限り一緒に行動しよう」
「……リュイ。少しだけ、抱きしめてもいいか」
「えっ、あ……もちろん、いいよ」
不安そうな目を見ると、恥ずかしさや戸惑いなど放り投げるしかない。
せめてわずかでも安心できるよう願い、リューウェイクは自ら腕を伸ばして雪兎の背を抱いた。
いつかの彼がしてくれたみたいに、トントンと広い背中を優しくあやす。
その仕草に雪兎がなにを感じたかはわからない。
ぎゅっと些か痛いくらいに抱きしめられて、心配をかけて申し訳ない気持ちと、心を痛めるほど心配してくれる嬉しさが、リューウェイクの心でない交ぜになった。
「リュイの姿が見えないと、最近落ち着かない」
「そう、なんだ。なんだかんだと毎日一緒だしね」
「……俺は自分がよくわからない」
「え? それはどういう意味?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
まったくなんでもなさそうな台詞だった。とはいえ雪兎の様子から、踏み込むのはためらわれ、リューウェイクは口を噤んだ。
しかし黙っているとかすかに感じる彼の心音が、先ほどより騒がしくなった気がする。
訝しく思い、雪兎の顔を見ようと顔を上げかけたリューウェイクだが、ぎゅっと頭を抱き込まれて遮られた。
「ユ、ユキさん? どうしたの? どこか具合が悪い?」
キツいほどではないものの、これでは身動きが取れず顔を上げられない。
振りほどけばリューウェイクには可能だとしても、そこまでするのもどうかと思う。
トクトクと聞こえてくる音につられて、リューウェイクの心臓も駆け足し始める。
なんとももどかしい状態だ。雪兎だけではなく自分も落ち着かない。
それでもこの腕の中から、抜け出すのがもったいないと感じる。
唯一、自分を抱きしめてくれる存在。
無意識にリューウェイクは、彼の背中を抱きしめる手に力を込めていた。
「すまない。そろそろ戻ろうか」
「……うん。そうだね。特に問題はなさそうだし」
どのくらいそうしていたのだろう。
しんとした空間で二人の足元の砂利が擦れる音が響く。お互い一歩ずつ下がり、そわそわした雰囲気になった。
「リュイ」
「どうしたの?」
「俺は、君を護りたいと思ってる」
「…………」
いまの雪兎ならおそらく互角か、わずかにリューウェイクのほうが実力は上だ。
しかし彼は物理的な意味で言っているわけではない。
平和が続くこの国に、雪兎は一体どんな役割を持って、女神に喚ばれたのだろうか。
「ありがとう。僕はユキさんを信頼してる」
「リュイの感情すべてが俺に向けられたらいいのに」
「え?」
「あ、いや、なんでも」
「ユキさん、さっきからそればかりだ」
(独占欲? 僕の一番になりたいとか、そういうのだろうか。ユキさんがそんな子供みたいなこと、考えるのかな)
なんだか先ほどから雪兎の情緒が不安定で、リューウェイクは心配になってくる。
「頼む、そこまで訝しそうな、不安そうな顔をしないでくれ」
顔に気持ちが出すぎたのか、雪兎がいたたまれないと言わんばかりの表情になった。
恥ずかしげに口元を手のひらで覆い、ふいと視線をそらされる。
「ごめん。今夜のユキさんは、可愛らしいな」
「リュイには言われたくない」
「酷いな。……ユキさん、天幕に戻ろうか」
「ああ」
話をしていたら随分と時間が経っていたようだ。野営地の方角からランプの明かりが近づいてくる。
リューウェイクたちがいないのに気づいた誰かが、心配をして見に来たのだろう。
「お、いた。なんだよ。ただの逢い引きか?」
「ベイクさん」
視線の先から草を踏む音が聞こえ、現れたのはベイクだった。
予想はしていたものの、発された第一声にリューウェイクは声を低くして彼の名を呼ぶ。
「二人揃っていないから、なにかあったのかと心配したんだぞ」
「それは申し訳ないと思うが、ベイクさんは最近、一言多い」
「……いや、お前らの距離感がおかしいんじゃねぇか」
「なに?」
「なんでもないです。異変がないのなら自分は失礼します」
ぼそっと呟いたベイクの言葉を聞き返したら、彼はビシッと姿勢を正したのちくるりと踵を返し去っていく。
雪兎もベイクの声がはっきりと聞こえなかったのか。リューウェイクと一緒に顔を見合わせて首を傾げた。
明日は野営地に救護班と遊撃隊が幾人か残る。
いざという時に動ける者を残して置く必要があり、交代で見張りもする。
すっかり日が落ちた野営地の上空、暗い空には月が浮かんでいた。
静まり返った森では小さな虫の音が響くだけでも、とっさに耳をそばだててしまうだろう。
天幕を離れ、森の境目に立ったリューウェイクはひたと木々の奥、薄暗い空間を見つめた。
いつもと変わらない夜の景色のようで、どこか違和感も覚える静かすぎる暗闇。
危険は感じなくとも、落ち着かないピリピリとした緊張がまとわりついてくる。
「リュイ?」
かすかな砂利の音と共に、自分の名を呼ぶ柔らかな声が聞こえ、途端に意識を引き戻された。
踏み出しかけた足を引くと、研ぎ澄ませた神経を綻ばせて、リューウェイクは声の主を振り返った。
闇に溶け込みそうな黒髪と、わずかに着崩れた黒色の騎士服。
月明かりの下で煌めく雪兎の双眸だけが、やけにはっきりと見える。
心配の色を浮かべる暗赤色の瞳は、じっとリューウェイクを見つめたのち、安堵したのかゆるりと瞬いた。
「姿が見えないと思ったら、こんな外れで一人なんて。いくら獣避けがされているとはいえ、リュイは危機管理能力が低いんじゃないのか?」
「これでも僕はほかの者たちに比べ、それなりに強いつもりなんだけど」
リューウェイクはいまの役職に就いてから、団長やベイク以外に心配をされた経験がない。
だというのに雪兎があまりに真剣で、おかしくて思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「平時にどんな強くとも、慢心は思わぬミスに繋がるぞ」
「あっ、ごめんなさい。ここでは不謹慎だった」
相手が雪兎と言うこともあり、リューウェイクは緊張感が欠けていた。もっともな苦言と一緒に、伸ばされた雪兎の手に頬を撫でられる。
「ユキさん?」
(なんで急にこんなに触れてくるんだ? バグるというのはこれか? 距離が近いだけでも戸惑うのに、触れられるのはもっと慣れない)
温かな手のひらの熱にリューウェイクは驚き、言葉を発せぬままうっすらと唇を開いてしまった。
ほうけた間抜けな顔が美しい瞳に映っている――わかっていても、慣れないぬくもりは判断力を鈍らせてしまうのだ。
いままで経験のなかった優しいぬくもり。
周りの者たちもリューウェイクを心配してくれるけれど、雪兎から感じる想いはどこか特別に思えた。
「ユキさん、心配をかけてごめん」
「リュイ、俺は本当に君がとても心配だ。見ているとひどく不安を覚える」
「ユキさん? どうしたの突然。大丈夫、今回の遠征はそこまで危険はないはずだから」
「絶対なんて保証はない。油断からもしもが起きたらどうするんだ」
普段の落ち着き払った態度とは違う切羽詰まった様子に、リューウェイクのほうが心配になってくる。
諭すためか強く掴まれた両腕が痛む。だがいまは気安く受け流してはいけない気がして、そっとリューウェイクは雪兎の胸元に片手を置いた。
厚手の布越しからも感じる彼の心音はやや忙しない。
同じ天幕で一緒に横になった時までは、特に変わったところはなかった。
ならば一度眠りに落ちて、目覚めたあとここへ来るまでになにかあったのか。
それとも慌てて出てきたような身なりだから、夢見が悪かったのだろうか。
古い書物に残された記録の中で、非常に勘が冴えた聖女がいたとあった。
元より彼女たちは第六感と呼ばれる、通常とは異なる感覚が優れているらしい。
中でも記された聖女は予感により、予言めいた出来事を国に知らせ、危機を退けたとある。
「ユキさん、大丈夫だよ。僕は貴方がいれば、きっと大丈夫な気がしているんだ。だってユキさんは女神さまに選ばれた異世界の聖者なんだから」
「それは……桜花に、聞いたのか?」
「うん、ここへ来るちょっと前にね」
「いいか、リュイ。俺は確かに喚ばれはしたが決してご都合的な、絶対的で万能な存在じゃない。大層な力なんてまったく持っていない一般人と変わらない。だけど明日は傍を離れないでほしい。いや、俺を傍から離さないでほしい」
(いつも堂々としている人がこんなに悲愴な顔をするなんて。ユキさんは一体なにを知ったのだろう。それともなにか夢でも視たのか?)
「わかった。明日は出来る限り一緒に行動しよう」
「……リュイ。少しだけ、抱きしめてもいいか」
「えっ、あ……もちろん、いいよ」
不安そうな目を見ると、恥ずかしさや戸惑いなど放り投げるしかない。
せめてわずかでも安心できるよう願い、リューウェイクは自ら腕を伸ばして雪兎の背を抱いた。
いつかの彼がしてくれたみたいに、トントンと広い背中を優しくあやす。
その仕草に雪兎がなにを感じたかはわからない。
ぎゅっと些か痛いくらいに抱きしめられて、心配をかけて申し訳ない気持ちと、心を痛めるほど心配してくれる嬉しさが、リューウェイクの心でない交ぜになった。
「リュイの姿が見えないと、最近落ち着かない」
「そう、なんだ。なんだかんだと毎日一緒だしね」
「……俺は自分がよくわからない」
「え? それはどういう意味?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
まったくなんでもなさそうな台詞だった。とはいえ雪兎の様子から、踏み込むのはためらわれ、リューウェイクは口を噤んだ。
しかし黙っているとかすかに感じる彼の心音が、先ほどより騒がしくなった気がする。
訝しく思い、雪兎の顔を見ようと顔を上げかけたリューウェイクだが、ぎゅっと頭を抱き込まれて遮られた。
「ユ、ユキさん? どうしたの? どこか具合が悪い?」
キツいほどではないものの、これでは身動きが取れず顔を上げられない。
振りほどけばリューウェイクには可能だとしても、そこまでするのもどうかと思う。
トクトクと聞こえてくる音につられて、リューウェイクの心臓も駆け足し始める。
なんとももどかしい状態だ。雪兎だけではなく自分も落ち着かない。
それでもこの腕の中から、抜け出すのがもったいないと感じる。
唯一、自分を抱きしめてくれる存在。
無意識にリューウェイクは、彼の背中を抱きしめる手に力を込めていた。
「すまない。そろそろ戻ろうか」
「……うん。そうだね。特に問題はなさそうだし」
どのくらいそうしていたのだろう。
しんとした空間で二人の足元の砂利が擦れる音が響く。お互い一歩ずつ下がり、そわそわした雰囲気になった。
「リュイ」
「どうしたの?」
「俺は、君を護りたいと思ってる」
「…………」
いまの雪兎ならおそらく互角か、わずかにリューウェイクのほうが実力は上だ。
しかし彼は物理的な意味で言っているわけではない。
平和が続くこの国に、雪兎は一体どんな役割を持って、女神に喚ばれたのだろうか。
「ありがとう。僕はユキさんを信頼してる」
「リュイの感情すべてが俺に向けられたらいいのに」
「え?」
「あ、いや、なんでも」
「ユキさん、さっきからそればかりだ」
(独占欲? 僕の一番になりたいとか、そういうのだろうか。ユキさんがそんな子供みたいなこと、考えるのかな)
なんだか先ほどから雪兎の情緒が不安定で、リューウェイクは心配になってくる。
「頼む、そこまで訝しそうな、不安そうな顔をしないでくれ」
顔に気持ちが出すぎたのか、雪兎がいたたまれないと言わんばかりの表情になった。
恥ずかしげに口元を手のひらで覆い、ふいと視線をそらされる。
「ごめん。今夜のユキさんは、可愛らしいな」
「リュイには言われたくない」
「酷いな。……ユキさん、天幕に戻ろうか」
「ああ」
話をしていたら随分と時間が経っていたようだ。野営地の方角からランプの明かりが近づいてくる。
リューウェイクたちがいないのに気づいた誰かが、心配をして見に来たのだろう。
「お、いた。なんだよ。ただの逢い引きか?」
「ベイクさん」
視線の先から草を踏む音が聞こえ、現れたのはベイクだった。
予想はしていたものの、発された第一声にリューウェイクは声を低くして彼の名を呼ぶ。
「二人揃っていないから、なにかあったのかと心配したんだぞ」
「それは申し訳ないと思うが、ベイクさんは最近、一言多い」
「……いや、お前らの距離感がおかしいんじゃねぇか」
「なに?」
「なんでもないです。異変がないのなら自分は失礼します」
ぼそっと呟いたベイクの言葉を聞き返したら、彼はビシッと姿勢を正したのちくるりと踵を返し去っていく。
雪兎もベイクの声がはっきりと聞こえなかったのか。リューウェイクと一緒に顔を見合わせて首を傾げた。
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