上 下
13 / 38

第12話 月明かりの夜

しおりを挟む
 翌日の予定と現在の状況を全員に周知し、討伐に編成された団員たちは体を休めるため、食事を済ませると早々に天幕に下がった。

 明日は野営地に救護班と遊撃隊が幾人か残る。
 いざという時に動ける者を残して置く必要があり、交代で見張りもする。

 すっかり日が落ちた野営地の上空、暗い空には月が浮かんでいた。
 静まり返った森では小さな虫の音が響くだけでも、とっさに耳をそばだててしまうだろう。

 天幕を離れ、森の境目に立ったリューウェイクはひたと木々の奥、薄暗い空間を見つめた。
 いつもと変わらない夜の景色のようで、どこか違和感も覚える静かすぎる暗闇。

 危険は感じなくとも、落ち着かないピリピリとした緊張がまとわりついてくる。

「リュイ?」

 かすかな砂利の音と共に、自分の名を呼ぶ柔らかな声が聞こえ、途端に意識を引き戻された。
 踏み出しかけた足を引くと、研ぎ澄ませた神経を綻ばせて、リューウェイクは声の主を振り返った。

 闇に溶け込みそうな黒髪と、わずかに着崩れた黒色の騎士服。
 月明かりの下で煌めく雪兎の双眸だけが、やけにはっきりと見える。

 心配の色を浮かべる暗赤色の瞳は、じっとリューウェイクを見つめたのち、安堵したのかゆるりと瞬いた。

「姿が見えないと思ったら、こんな外れで一人なんて。いくら獣避けがされているとはいえ、リュイは危機管理能力が低いんじゃないのか?」

「これでも僕はほかの者たちに比べ、それなりに強いつもりなんだけど」

 リューウェイクはいまの役職に就いてから、団長やベイク以外に心配をされた経験がない。
 だというのに雪兎があまりに真剣で、おかしくて思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「平時にどんな強くとも、慢心は思わぬミスに繋がるぞ」

「あっ、ごめんなさい。ここでは不謹慎だった」

 相手が雪兎と言うこともあり、リューウェイクは緊張感が欠けていた。もっともな苦言と一緒に、伸ばされた雪兎の手に頬を撫でられる。

「ユキさん?」

(なんで急にこんなに触れてくるんだ? バグるというのはこれか? 距離が近いだけでも戸惑うのに、触れられるのはもっと慣れない)

 温かな手のひらの熱にリューウェイクは驚き、言葉を発せぬままうっすらと唇を開いてしまった。
 ほうけた間抜けな顔が美しい瞳に映っている――わかっていても、慣れないぬくもりは判断力を鈍らせてしまうのだ。

 いままで経験のなかった優しいぬくもり。
 周りの者たちもリューウェイクを心配してくれるけれど、雪兎から感じる想いはどこか特別に思えた。

「ユキさん、心配をかけてごめん」

「リュイ、俺は本当に君がとても心配だ。見ているとひどく不安を覚える」

「ユキさん? どうしたの突然。大丈夫、今回の遠征はそこまで危険はないはずだから」

「絶対なんて保証はない。油断からもしもが起きたらどうするんだ」

 普段の落ち着き払った態度とは違う切羽詰まった様子に、リューウェイクのほうが心配になってくる。
 諭すためか強く掴まれた両腕が痛む。だがいまは気安く受け流してはいけない気がして、そっとリューウェイクは雪兎の胸元に片手を置いた。

 厚手の布越しからも感じる彼の心音はやや忙しない。
 同じ天幕で一緒に横になった時までは、特に変わったところはなかった。

 ならば一度眠りに落ちて、目覚めたあとここへ来るまでになにかあったのか。
 それとも慌てて出てきたような身なりだから、夢見が悪かったのだろうか。

 古い書物に残された記録の中で、非常に勘が冴えた聖女がいたとあった。
 元より彼女たちは第六感と呼ばれる、通常とは異なる感覚が優れているらしい。

 中でも記された聖女は予感により、予言めいた出来事を国に知らせ、危機を退けたとある。

「ユキさん、大丈夫だよ。僕は貴方がいれば、きっと大丈夫な気がしているんだ。だってユキさんは女神さまに選ばれた異世界の聖者なんだから」

「それは……桜花に、聞いたのか?」

「うん、ここへ来るちょっと前にね」

「いいか、リュイ。俺は確かに喚ばれはしたが決してご都合的な、絶対的で万能な存在じゃない。大層な力なんてまったく持っていない一般人と変わらない。だけど明日は傍を離れないでほしい。いや、俺を傍から離さないでほしい」

(いつも堂々としている人がこんなに悲愴な顔をするなんて。ユキさんは一体なにを知ったのだろう。それともなにか夢でも視たのか?)

「わかった。明日は出来る限り一緒に行動しよう」

「……リュイ。少しだけ、抱きしめてもいいか」

「えっ、あ……もちろん、いいよ」

 不安そうな目を見ると、恥ずかしさや戸惑いなど放り投げるしかない。
 せめてわずかでも安心できるよう願い、リューウェイクは自ら腕を伸ばして雪兎の背を抱いた。

 いつかの彼がしてくれたみたいに、トントンと広い背中を優しくあやす。
 その仕草に雪兎がなにを感じたかはわからない。

 ぎゅっと些か痛いくらいに抱きしめられて、心配をかけて申し訳ない気持ちと、心を痛めるほど心配してくれる嬉しさが、リューウェイクの心でない交ぜになった。

「リュイの姿が見えないと、最近落ち着かない」

「そう、なんだ。なんだかんだと毎日一緒だしね」

「……俺は自分がよくわからない」

「え? それはどういう意味?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 まったくなんでもなさそうな台詞だった。とはいえ雪兎の様子から、踏み込むのはためらわれ、リューウェイクは口を噤んだ。
 しかし黙っているとかすかに感じる彼の心音が、先ほどより騒がしくなった気がする。

 訝しく思い、雪兎の顔を見ようと顔を上げかけたリューウェイクだが、ぎゅっと頭を抱き込まれて遮られた。

「ユ、ユキさん? どうしたの? どこか具合が悪い?」

 キツいほどではないものの、これでは身動きが取れず顔を上げられない。
 振りほどけばリューウェイクには可能だとしても、そこまでするのもどうかと思う。

 トクトクと聞こえてくる音につられて、リューウェイクの心臓も駆け足し始める。
 なんとももどかしい状態だ。雪兎だけではなく自分も落ち着かない。

 それでもこの腕の中から、抜け出すのがもったいないと感じる。
 唯一、自分を抱きしめてくれる存在。
 無意識にリューウェイクは、彼の背中を抱きしめる手に力を込めていた。

「すまない。そろそろ戻ろうか」

「……うん。そうだね。特に問題はなさそうだし」

 どのくらいそうしていたのだろう。
 しんとした空間で二人の足元の砂利が擦れる音が響く。お互い一歩ずつ下がり、そわそわした雰囲気になった。

「リュイ」

「どうしたの?」

「俺は、君を護りたいと思ってる」

「…………」

 いまの雪兎ならおそらく互角か、わずかにリューウェイクのほうが実力は上だ。
 しかし彼は物理的な意味で言っているわけではない。

 平和が続くこの国に、雪兎は一体どんな役割を持って、女神に喚ばれたのだろうか。

「ありがとう。僕はユキさんを信頼してる」

「リュイの感情すべてが俺に向けられたらいいのに」

「え?」

「あ、いや、なんでも」

「ユキさん、さっきからそればかりだ」

(独占欲? 僕の一番になりたいとか、そういうのだろうか。ユキさんがそんな子供みたいなこと、考えるのかな)

 なんだか先ほどから雪兎の情緒が不安定で、リューウェイクは心配になってくる。

「頼む、そこまで訝しそうな、不安そうな顔をしないでくれ」

 顔に気持ちが出すぎたのか、雪兎がいたたまれないと言わんばかりの表情になった。
 恥ずかしげに口元を手のひらで覆い、ふいと視線をそらされる。

「ごめん。今夜のユキさんは、可愛らしいな」

「リュイには言われたくない」

「酷いな。……ユキさん、天幕に戻ろうか」

「ああ」

 話をしていたら随分と時間が経っていたようだ。野営地の方角からランプの明かりが近づいてくる。
 リューウェイクたちがいないのに気づいた誰かが、心配をして見に来たのだろう。

「お、いた。なんだよ。ただの逢い引きか?」

「ベイクさん」

 視線の先から草を踏む音が聞こえ、現れたのはベイクだった。
 予想はしていたものの、発された第一声にリューウェイクは声を低くして彼の名を呼ぶ。

「二人揃っていないから、なにかあったのかと心配したんだぞ」

「それは申し訳ないと思うが、ベイクさんは最近、一言多い」

「……いや、お前らの距離感がおかしいんじゃねぇか」

「なに?」

「なんでもないです。異変がないのなら自分は失礼します」

 ぼそっと呟いたベイクの言葉を聞き返したら、彼はビシッと姿勢を正したのちくるりと踵を返し去っていく。
 雪兎もベイクの声がはっきりと聞こえなかったのか。リューウェイクと一緒に顔を見合わせて首を傾げた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

愛をなくした大公は精霊の子に溺愛される

葉月めいこ
BL
マイペースなキラキラ王子×不憫で苦労性な大公閣下 命尽きるその日までともに歩もう 全35話 ハンスレット大公領を治めるロディアスはある日、王宮からの使者を迎える。 長らく王都へ赴いていないロディアスを宴に呼び出す勅令だった。 王都へ向かう旨を仕方なしに受け入れたロディアスの前に、一歩踏み出す人物。 彼はロディアスを〝父〟と呼んだ。 突然現れた元恋人の面影を残す青年・リュミザ。 まっすぐ気持ちを向けてくる彼にロディアスは調子を狂わされるようになる。 そんな彼は国の運命を変えるだろう話を持ちかけてきた。 自身の未来に憂いがあるロディアスは、明るい未来となるのならとリュミザに協力をする。 そしてともに時間を過ごすうちに、お互いの気持ちが変化し始めるが、二人に残された時間はそれほど多くなく。 運命はいつでも海の上で揺るがされることとなる。

【完結】最初で最後の恋をしましょう

関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。 そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。 恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。 交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。 《ワンコ系王子×幸薄美人》

獣人王と番の寵妃

沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――

悪役のはずだった二人の十年間

海野璃音
BL
 第三王子の誕生会に呼ばれた主人公。そこで自分が悪役モブであることに気づく。そして、目の前に居る第三王子がラスボス系な悪役である事も。  破滅はいやだと謙虚に生きる主人公とそんな主人公に執着する第三王子の十年間。  ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

あなたが愛してくれたから

水無瀬 蒼
BL
溺愛α×β(→Ω) 独自設定あり ◇◇◇◇◇◇ Ωの名門・加賀美に産まれたβの優斗。 Ωに産まれなかったため、出来損ない、役立たずと言われて育ってきた。 そんな優斗に告白してきたのは、Kコーポレーションの御曹司・αの如月樹。 Ωに産まれなかった優斗は、幼い頃から母にΩになるようにホルモン剤を投与されてきた。 しかし、優斗はΩになることはなかったし、出来損ないでもβで良いと思っていた。 だが、樹と付き合うようになり、愛情を注がれるようになってからΩになりたいと思うようになった。 そしてダメ元で試した結果、βから後天性Ωに。 これで、樹と幸せに暮らせると思っていたが…… ◇◇◇◇◇◇

愛しい番の囲い方。 半端者の僕は最強の竜に愛されているようです

飛鷹
BL
獣人の国にあって、神から見放された存在とされている『後天性獣人』のティア。 獣人の特徴を全く持たずに生まれた故に獣人とは認められず、獣人と認められないから獣神を奉る神殿には入れない。神殿に入れないから婚姻も結べない『半端者』のティアだが、孤児院で共に過ごした幼馴染のアデルに大切に守られて成長していった。 しかし長く共にあったアデルは、『半端者』のティアではなく、別の人を伴侶に選んでしまう。 傷付きながらも「当然の結果」と全てを受け入れ、アデルと別れて獣人の国から出ていく事にしたティア。 蔑まれ冷遇される環境で生きるしかなかったティアが、番いと出会い獣人の姿を取り戻し幸せになるお話です。

落第騎士の拾い物

深山恐竜
BL
「オメガでございます」  ひと月前、セレガは医者から第三の性別を告知された。将来は勇猛な騎士になることを夢見ていたセレガは、この診断に絶望した。  セレガは絶望の末に”ドラゴンの巣”へ向かう。そこで彼は騎士見習いとして最期の戦いをするつもりであった。しかし、巣にはドラゴンに育てられたという男がいた。男は純粋で、無垢で、彼と交流するうちに、セレガは未来への希望を取り戻す。  ところがある日、発情したセレガは男と関係を持ってしまって……? オメガバースの設定をお借りしています。 ムーンライトノベルズにも掲載中

処理中です...