しあわせのカタチ

葉月めいこ

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レンアイモヨウ

07

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 お互い真っ正直なんだろうなと思うと、ほんの少し羨ましくもある。自分はひねくれて、素直に心の内側にある気持ちさえ言葉にできない。

 それを言葉というカタチにしてしまったら、なにかがガラガラと崩れ落ちていきそうで、隣にある手さえ握れない。
 この微妙な距離感だから、まだ自分を保っていられる。もしかしたら言ってしまうと、逃げ道がなくなるから言えないのかもしれない。

 この先も一緒にいるだろうと、想像はできているのに。
 そういえば誰かに好き――の言葉を告げたことは、一度もなかった気がする。しかしそれを告げる、最初の相手が隣に立つ男なのか、それはまだ想像ができていない。

「色々びっくりしました。でも同性同士のカップルは気づかないことのほうが多いし、俺も出会えて嬉しかったです。知ってると相談できること多いですよね。連絡先を交換しちゃった」

「お前はすでにあちこちに筒抜けじゃねぇか」

「う、まあ、わりとそうですけど。広海先輩ってあまりそういう交友関係ないですよね」

「確かにないな。そもそも長続きしないからほかの縁もほとんど続かない」

「友達も少なめですよね」

「うるせぇよ」

 少しすっきりしたように笑みを浮かべて、帰って行った二人の距離は、指先を伸ばせば届きそうな近さだった。
 満足げに見つめ合って、もう仲違いなんてしそうにも見えないほどで、サプライズもきっと成功するのだろう。

 たまに喧嘩しながらも、お互い変わることなく歩いて行けそうに見える。それがやはり羨ましく思える。

「俺は幸せ者ですね。こうして先輩を独り占めできてる」

「いつまでもつかわかんねぇぞ」

「大丈夫です。俺はどんなことがあっても手を離さないですから」

「……飯どうすんだ。どっかで食って帰るか」

「広海先輩、俺、ほんとに絶対に手を離さないよ。だから逃げられても追いかけるから」

 踏み出した足を止めずに歩く、俺の背中に執着心が絡みついた。赤い糸という名のそれは、ふらふらとした気持ちを雁字搦めにして、繋ぎ止めて離そうとしない。
 いままでならきっとぷつりと、自分から切っていた縁だ。

 けれどいまはそのしがらみが、心地よいとさえ思う。まっすぐに自分へ向けられる感情が嬉しくて、胸が震える。しかしそれはやはり言葉にならなかった。

「俺はずっと先輩といるから、忘れないでいてね」

「……っ」

 ふいに通り過ぎた声と気配が先へと進んでいく。それに気づいてとっさに手を伸ばしたら、目の前の背中は立ち止まり、いつもの笑みが振り返った。
 伸ばした指先が震えて、ぎゅっと握りしめて手を引けば、その手は強く握られた。

「遅くなっちゃったし、どっか定食屋とかラーメン屋とかでもいい?」

「なんでもいい」

「よーし、この近くならね」

 そっと握り込んでいた手を解くと、手のひらに熱が重なった。小さな画面に、視線を落としている横顔を見上げて、温かなぬくもりをもっと感じられるように、指先に力を込める。
 驚いた視線が振り向いたけれど、黙ったまま俯いて足を踏み出す。

 気持ちを問いただそうとしたのは、これまでで一度だけ。それ以降どんな場面でも、俺の気持ちを問いただそうとはしなくなった。
 言葉にしたら、それだけで安心させてやれるのだろう。自分だって気持ちを伝えてもらえるだけで、ほっとした気持ちになる。

「瑛冶」

「ん? なに?」

「……あ、いや、……なんでも、ない」

「ねぇ、こことかどう? 前に行ったことあるんだけど、チャーシュー麺がおいしかったよ」

「お前は、なにも聞かねぇな」

 聞かれたいわけでもないのに、そんな言葉が出たのは、気づいていないふりをして振り向いたからだ。
 どれだけこの男に我慢を強いているのだろう。そう思うと言葉をカタチにするのは、必要なのかもしれない。

「……無理、しなくていいよ。俺、ちゃんとわかってるし、ちゃんと伝わってる。言葉がなくても広海先輩が、俺のこと大好きなのは知ってます。だから言葉がなくても大丈夫。いつか言いたくなったら言ってください」

 立ち止まって、手を握ってただいつものように笑う。言わなくてもわかっていると、言われたのは初めてではないけれど、なぜだかやけに胸に染みてくる。
 視界がぼやけて俯いたら、感情がこぼれ落ちた。

「先輩は、俺が思っているよりずっと、俺とのこと考えてくれてるんですよね。でも俺はいまが幸せだから、あなたのいない世界なんて考えられないし、道の先を変えるなんて一生できない。……あ、それと実は俺も言っちゃってるんです」

「……なにをだ」

「親に、広海先輩のこと」

「はっ?」

「だってこの先を考えると言っておかないと。結婚できないし、子供も無理だし、そういうのは全部、下の子たちに任せることになっちゃうでしょ。だから正式に一緒に暮らすのが決まった時に、言っちゃいました」

 思わず睨み付けるみたいに視線を上げたら、後ろめたさを感じさせるどころか、開き直っていた。
 それは様子を窺うどころか、間違ったことを一つもしていないみたいな顔だ。

 ムカついて手を振り解こうとすると、強く握られる。

「なんで、お前たちはそんなに簡単に」

「簡単じゃない。……簡単なことじゃないから言うんだよ。嘘をつくのも嫌だし、彼女は結婚はって言われても困るし。なにより俺にはあなたしかないってことを、知っておいてもらいたい。さっき穂村くんに本当のこと言った、先輩の誤魔化したくないって気持ちも似たようなものでしょ?」

「結婚、……時期が来たらする、って言ってなかったか」

 ふと記憶が巻き戻る。数日前くらい、電話口で笑いながら話していたあれは、なんだったのだろう。
 親からの言葉を、やり過ごすような返事なのかと思いはした。なにげなく耳に留めて、なにげなく通り過ぎたけれど、ずっと引っかかっていたのはこれだ。

 その場の嘘なのだとしても、そういう言葉が出てくるのは、いつか正しいレールに戻るからなのかと思った。

「あっ、あれは、なんて言うか」

「そういうつもりが片隅にでもあるってことか」

「……うん、あるよ」

 慌てたような声を上げたが、問いかければまっすぐな目で返事をする。その視線にまた胸の奥がじくりと痛んで、息が詰まりそうになった。
 もう一度手に力を込めたけれど、離すつもりがないのかビクともしない。

 手が震えているのが伝わってしまう。それが嫌で目をそらしたら手を引かれて、抱きしめられた。

「離せ、これ以上目立ちたくない」

「ごめん、でも誤解されたままは嫌だから離したくない」

 駅前で人が多い夕刻。穂村たちのように騒いでいるわけでなくとも、男同士で抱き合う構図は目を引く。
 それなのに身をよじっても、抱きしめる腕は離れていかなくて、焦りなのか頬が火照る。

「結婚っていうのは言葉のたとえみたいなもので、この先、誰かと籍を入れるとかじゃないよ。いま住んでるところにパートナー制度があるのに申請しないのかって言われて、そういうのはもう少し先かなって話してただけ。俺が一人で答えを出せるものじゃないし。でも今日の話を聞いたらそれもそろそろ必要かなって思った。想像以上に不安にさせてた」

 するりと手を離れたぬくもりが、頬に触れるとそっと額を合わせられた。その仕草に胸の音が一瞬大きく脈打つけれど、近づいてくる気配を感じて、それを押し止める。

 拗ねるみたいに口を尖らせるが、なお近づいてこようとする顔を、今度は押し退けた。

「やめろ」

「キスしたい」

「したら殴る」

「しおらしくて可愛い先輩だと思ったのに」

「時と場所を考えろ」

 力一杯の抵抗をしたら、諦めたのかふっと力が抜ける。
 触れていたぬくもりが遠ざかって、合間を冷たい風が通り抜けた。しかし息をついた瞬間に、離れた距離は突然狭まり、額に熱を感じる。

 驚いて視線を上げたら、目の前の男は悪びれることなく、緩みきった顔で満面の笑みを浮かべた。

「時と場所、考えられなくなっちゃった」

「ば、馬鹿じゃねぇの!」

「ご飯テイクアウトして帰りませんか。もっと一杯ぎゅってしたくなった。うん、そうしよう」

「自己完結すんな!」

 急に生き生きしだした瞳に、嫌な予感しか湧いてこない。繋がれた手を解こうと引いたが、それよりも強く引っ張られる。
 大きく足を踏み出した背中を渋々ついていくと、振り返った顔が柔らかく綻んだ。

「広海先輩、好きだよ」

「……っ! 俺だって、……だ」

「んふふ、声ちっちゃ。可愛い」

 言葉になっていないような、小さな声が本当に届いたのかわからないが、嬉しそうな表情を浮かべるその反応に、心が軽くなった。

 言ったら取り返しが、つかないんじゃないかと思っていたのに、言ってしまったら大したことではないような気持ちになる。
 だからと言って何度もは言えそうにない。それに気づいているはずなのに、こちらを見る目は意地の悪い色を見せた。

「もう一回、おっきな声で言って」

「絶対もう言わねぇ!」

「えー、まあ仕方ないか、先輩のデレは貴重だからなぁ。次に期待します」

「次はないって言ってんだろ!」

「はいはい。さあ、早く帰りましょう」

 楽しそうに笑う横顔がいつも以上に機嫌が良くて、改札の前で離れた手が寂しくなかった。
 こんなにもこの男が、自分の中に浸食していたことに驚くけれど、指折り数えたら片手じゃ足りないくらい、傍にいるんだと言うことにも気づいた。

 日常の中にいつの間にか入り込んで、図々しくも居座ったこの男の粘り勝ちに近い。しかしそれは長いあいだ一ミリもぶれることなく、気持ちが向けられていたから許せたことだ。

 いままで不安になる要素なんて一つもなかった。
 もっと自分はこの感情を信じるべきなんだと思った。


レンアイモヨウ/end
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