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レンアイモヨウ
03
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本当に好きになった人は、あなた一人だけだ。そんなことをウザいくらいの絡み酒で言っていた。
それがいつだったかはもう覚えていないけれど、自分から好きになったのは俺だけだと、言われて少し気分が良かった。
誰の手垢もついていない、まっさらな感情とあいつ自身。自分の色に染まっていくような、そんな感覚はちょっとした優越感も与えた。
おそらく穂村の相手は、それを受け入れるのが怖いのかもしれない。
真っ白すぎるから見る間に染まっていく、それに追いつけない。でもその気持ちは少しわかる。
「相手は年上とかだろう?」
「えっ、あ、……はい。そうです」
「じゃあ、もっと相手の言うことも、考えてやったほうがいいんじゃないのか。自分以外が見えていないってのは嬉しいかもしれないが、視野が狭くなるのはいいことじゃない」
「そうか? ベタ惚れされたら嬉しいもんじゃねぇの?」
「そんなだからあんたは毎度失敗してんだよ!」
至極真面目な顔でこちらの話を聞いている穂村をよそに、ひどく訝しげな顔をして九条が声を上げる。けれどその言葉に思わず、重たい息を吐いてしまう。
その執着心で何度相手に逃げられているのか。
「執着されるのは悪い気はしないかもしれねぇが、それだけになったら愛情過多になるし、相手の伸びしろがなくなって、自分が枷になっているみたいで不安になる」
初めのうちはそれでも嬉しいと思える。ほかのなにも映さない眼差しは特別のことのようで、気持ちが浮かれ騒ぐ。しかし本当にそれ以外のものを、見られなくなったらおしまいだ。
それはもう恋愛感情よりも依存に近い。
俺の部屋に転がり始めた頃、あの男も一歩そこに足を踏み出しかけたことがある。家族も友人も、仕事仲間も、あまつさえ俺までも見えていないんじゃないかと思った。
だからその時ばかりは、追いすがるあいつを家から追い出した。
頭が冷えて、いまの状況が理解できるようになるまで戻ってくるなと。
「……そう、ですよね。そうなのかもしれません。いまだによく言うんです。自分で本当にいいのかって。それってそういうことですよね。俺は感情ばかりが先走るから」
「まあ、広海の言うこともわかるけど。別に悪い感情じゃねぇだろ? 人間は理屈じゃねぇよ。好きだと思ったらそれしかない」
「あんたのその短絡思考なんとかしろよ。それだけじゃ駄目なんだよ。それじゃあ片方だけに重心がかかるだろう。あんたはそうやって自分の感情で、相手を押しつぶしちまうから上手く行かないんだ」
好きだという感情だけで成り立つなら簡単だ。けれど人間ってものは強欲だから、その感情に次々と欲がぶら下がる。
そのうち笑っている顔が見ていられたら幸せ、なんてそんなものじゃ足りなくなる。
のめり込んで相手のすべてを手に入れないと、気が済まなくなるんだ。そうしているうちに視野が狭くなって、目の前が黒く塗りつぶされて、自分の足元も見えなくなる。
そうなったらそこから抜け出すのは容易じゃない。
感情だけに振り回されて分別ができなくて、相手が本当に望む声さえ届かなくなる。
「盲目的、なんて言葉は大していい言葉じゃない」
「あの、なんだかこんなこと言うと失礼ですけど、春日野さんがそんな風に考えているのは意外でした」
「ミキちゃんは愛されてんな」
「どうしたらそういう話になるんだよ! あいつは関係ない!」
「そうかぁ、実感がこもってたけどな」
意味ありげな顔で目を細めた男を睨み付ければ、ニヤニヤと口元を緩めて笑う。
その顔に腹が立って、思いきり横っ面を押し退けたが、ますます笑みを深くするばかりで苛立ちが増した。
「俺、もう少し自分自身のことも考えようと思います。ちょっと周りが見えていなかったのかもしれないです」
「よしよし、冬司は素直でいい子だな。そういや指輪の予算は決まってんのか?」
「はい、一応は」
「じゃあ、俺がいいところ紹介してやるよ。広海、一緒に行ってこい」
「なんで俺が!」
「一人で指輪を買いに行くのも気合いがいるし、お前が行けば指のサイズ合わせやすくていいだろ」
いきなり想定外のことを言う男を振り返ったら、左手を取られて薬指に嵌まったままの輪っかに視線を向けられた。
それに目を輝かせるような反応をされると、その先の言葉を紡げなくなる。
ため息を吐き出せば、途端に不安そうな顔をする。
こいつも犬か、犬だな。しかも忠犬みたいな賢い顔をしているがまだ子犬だ。
ここは大人になれ、そんなことを思いながらまた息をついてしまった。
予定があるからと、断ってしまうこともできるのだが、さすがに話を聞いてしまうと放っておけなくなる。
こんなに自分は、お人好しだっただろうかと考えるものの、この場面ですげない態度をするのも可哀想だ。
だいぶあいつに感化されている気はするけれど、後輩が可愛くないというわけでもない。
宝飾店という感じではなく、アクセサリーショップのような店だと九条は言っているが、一人で向かうのは緊張するのだろう。了承するとあからさまに喜ばれた。
仕方なしに、先約の男に連絡しようかと携帯電話を取り出したところで、終わったあとで連絡したらいいかと、またポケットに逆戻りした。
とりあえず指の輪っかを返却して仕事に専念することにする。
思えばいつも残業をするので、定時に帰るということが少ない。たぶんそれも見越されているだろうから、時間が遅くなるのは問題ないはずだ。
だが少しばかり気にかかる。あんなに浮かれていたのに、いつも自分の都合で潰している気がした。
けれどそれを考えてから、すぐにため息でうやむやにする。以前に比べたら周りを顧みないような、ひどい執着心はなくなった。
走り出したら止まらない性格だが、学習力はあるようだ。それなのに逆に自分が、傾き始めているんじゃないかと思いもする。
居心地が良くて、そこに立ち止まってしまいそうな不安を感じる。
いままでは誰かに心を止めている時間は短かった。強い力で流れていたものが、勢いをなくすような感覚だ。
しかし慣れない感情にむず痒さを覚えながらも、不安と反比例する安心感があったりもする。
この先を歩いて行って、駄目になるのは自分のほうなんじゃないかなんて考えまで浮かんできた。
だからと言っていまさら手を離せるのだろうか。道を引き返すには進みすぎている。
「あー、駄目だ。全然進まねぇ」
モヤモヤした頭のままでパソコンに向かっていても、仕事が捗らない。
放り投げるように席を立つと、仕事を積み上げた女子どもに文句を言われるが、それを無視してフロアを出た廊下の先にある非常階段に足を向けた。
外は冬の気配からかなり和み始めたけれど、まだ少し肌寒い。それでも頭をすっきりさせるのにはいいだろうと、踊り場の手すりに背中を預けた。
そしてポケットに突っ込まれていた、携帯電話を取り出す。
案の定それには通知が来ていて、またくだらないメッセージをたくさん受信していた。
食べ物の写真を撮るなんて、なんとか映えする、とか言う女子かとも思うが、なんとなくいまはそれを眺めているだけで、落ち着いた。
ファーストフードで腹ごしらえをして、映画を見たあとは野郎三人でパンケーキ。クリームが山盛りになったそれに、見ているだけで胸焼けしそうになる。
そういえばわりと甘いものが、好きだったなと思い出す。
こちらはそれほど興味がないから、買うことも食べることも少ないが、誕生日ケーキの三分の二はあいつの腹の中だった。
作れるらしいが、食べるのは自分だけとわかっているからか、家で甘いものは出てこない。
――休憩中?
ふいに眺めていた画面に、メッセージがぽんと表示される。それを見てどうしようかと、考えているうちにメッセージは立て続く。
返事が来ることは想定していないその反応に、指先が動いた。
――暇人かよ。
――珍しい、どうしたの? 煮詰まり中? いまゲーセンで白熱中。
素早い返信のあとに写真が送られてくる。クレーンゲームに向かっている男二人の背中があり、さらにガラスの向こうを写したものがもう一枚届く。
先のものはゲームかなにかのキャラクターだったが、それは猫のマスコットだった。
――この黒いの先輩みたいで可愛い。狙ってるんだけど先輩に似てつれないの。
真ん中当たりに写っている、一匹だけぽつんと残されたような黒猫は一際目つきが悪い。
ここまで自分は目つきが悪くないと返せば、会った頃のツンツンしてた俺に似ていると抜かす。
――でもいまも昔も先輩は可愛いよ。
しばらく黙っていたら、また次から次へと言葉が押し寄せてくる。口を挟む隙がないと思うけれど、おそらく挟まなくてもいいようにしているのだろう。
こういったやり取りが慣れないのも知っているし、面倒くさいと感じているのも知っている。
それでもいま、この指が動かないことがもどかしくなった。
それがいつだったかはもう覚えていないけれど、自分から好きになったのは俺だけだと、言われて少し気分が良かった。
誰の手垢もついていない、まっさらな感情とあいつ自身。自分の色に染まっていくような、そんな感覚はちょっとした優越感も与えた。
おそらく穂村の相手は、それを受け入れるのが怖いのかもしれない。
真っ白すぎるから見る間に染まっていく、それに追いつけない。でもその気持ちは少しわかる。
「相手は年上とかだろう?」
「えっ、あ、……はい。そうです」
「じゃあ、もっと相手の言うことも、考えてやったほうがいいんじゃないのか。自分以外が見えていないってのは嬉しいかもしれないが、視野が狭くなるのはいいことじゃない」
「そうか? ベタ惚れされたら嬉しいもんじゃねぇの?」
「そんなだからあんたは毎度失敗してんだよ!」
至極真面目な顔でこちらの話を聞いている穂村をよそに、ひどく訝しげな顔をして九条が声を上げる。けれどその言葉に思わず、重たい息を吐いてしまう。
その執着心で何度相手に逃げられているのか。
「執着されるのは悪い気はしないかもしれねぇが、それだけになったら愛情過多になるし、相手の伸びしろがなくなって、自分が枷になっているみたいで不安になる」
初めのうちはそれでも嬉しいと思える。ほかのなにも映さない眼差しは特別のことのようで、気持ちが浮かれ騒ぐ。しかし本当にそれ以外のものを、見られなくなったらおしまいだ。
それはもう恋愛感情よりも依存に近い。
俺の部屋に転がり始めた頃、あの男も一歩そこに足を踏み出しかけたことがある。家族も友人も、仕事仲間も、あまつさえ俺までも見えていないんじゃないかと思った。
だからその時ばかりは、追いすがるあいつを家から追い出した。
頭が冷えて、いまの状況が理解できるようになるまで戻ってくるなと。
「……そう、ですよね。そうなのかもしれません。いまだによく言うんです。自分で本当にいいのかって。それってそういうことですよね。俺は感情ばかりが先走るから」
「まあ、広海の言うこともわかるけど。別に悪い感情じゃねぇだろ? 人間は理屈じゃねぇよ。好きだと思ったらそれしかない」
「あんたのその短絡思考なんとかしろよ。それだけじゃ駄目なんだよ。それじゃあ片方だけに重心がかかるだろう。あんたはそうやって自分の感情で、相手を押しつぶしちまうから上手く行かないんだ」
好きだという感情だけで成り立つなら簡単だ。けれど人間ってものは強欲だから、その感情に次々と欲がぶら下がる。
そのうち笑っている顔が見ていられたら幸せ、なんてそんなものじゃ足りなくなる。
のめり込んで相手のすべてを手に入れないと、気が済まなくなるんだ。そうしているうちに視野が狭くなって、目の前が黒く塗りつぶされて、自分の足元も見えなくなる。
そうなったらそこから抜け出すのは容易じゃない。
感情だけに振り回されて分別ができなくて、相手が本当に望む声さえ届かなくなる。
「盲目的、なんて言葉は大していい言葉じゃない」
「あの、なんだかこんなこと言うと失礼ですけど、春日野さんがそんな風に考えているのは意外でした」
「ミキちゃんは愛されてんな」
「どうしたらそういう話になるんだよ! あいつは関係ない!」
「そうかぁ、実感がこもってたけどな」
意味ありげな顔で目を細めた男を睨み付ければ、ニヤニヤと口元を緩めて笑う。
その顔に腹が立って、思いきり横っ面を押し退けたが、ますます笑みを深くするばかりで苛立ちが増した。
「俺、もう少し自分自身のことも考えようと思います。ちょっと周りが見えていなかったのかもしれないです」
「よしよし、冬司は素直でいい子だな。そういや指輪の予算は決まってんのか?」
「はい、一応は」
「じゃあ、俺がいいところ紹介してやるよ。広海、一緒に行ってこい」
「なんで俺が!」
「一人で指輪を買いに行くのも気合いがいるし、お前が行けば指のサイズ合わせやすくていいだろ」
いきなり想定外のことを言う男を振り返ったら、左手を取られて薬指に嵌まったままの輪っかに視線を向けられた。
それに目を輝かせるような反応をされると、その先の言葉を紡げなくなる。
ため息を吐き出せば、途端に不安そうな顔をする。
こいつも犬か、犬だな。しかも忠犬みたいな賢い顔をしているがまだ子犬だ。
ここは大人になれ、そんなことを思いながらまた息をついてしまった。
予定があるからと、断ってしまうこともできるのだが、さすがに話を聞いてしまうと放っておけなくなる。
こんなに自分は、お人好しだっただろうかと考えるものの、この場面ですげない態度をするのも可哀想だ。
だいぶあいつに感化されている気はするけれど、後輩が可愛くないというわけでもない。
宝飾店という感じではなく、アクセサリーショップのような店だと九条は言っているが、一人で向かうのは緊張するのだろう。了承するとあからさまに喜ばれた。
仕方なしに、先約の男に連絡しようかと携帯電話を取り出したところで、終わったあとで連絡したらいいかと、またポケットに逆戻りした。
とりあえず指の輪っかを返却して仕事に専念することにする。
思えばいつも残業をするので、定時に帰るということが少ない。たぶんそれも見越されているだろうから、時間が遅くなるのは問題ないはずだ。
だが少しばかり気にかかる。あんなに浮かれていたのに、いつも自分の都合で潰している気がした。
けれどそれを考えてから、すぐにため息でうやむやにする。以前に比べたら周りを顧みないような、ひどい執着心はなくなった。
走り出したら止まらない性格だが、学習力はあるようだ。それなのに逆に自分が、傾き始めているんじゃないかと思いもする。
居心地が良くて、そこに立ち止まってしまいそうな不安を感じる。
いままでは誰かに心を止めている時間は短かった。強い力で流れていたものが、勢いをなくすような感覚だ。
しかし慣れない感情にむず痒さを覚えながらも、不安と反比例する安心感があったりもする。
この先を歩いて行って、駄目になるのは自分のほうなんじゃないかなんて考えまで浮かんできた。
だからと言っていまさら手を離せるのだろうか。道を引き返すには進みすぎている。
「あー、駄目だ。全然進まねぇ」
モヤモヤした頭のままでパソコンに向かっていても、仕事が捗らない。
放り投げるように席を立つと、仕事を積み上げた女子どもに文句を言われるが、それを無視してフロアを出た廊下の先にある非常階段に足を向けた。
外は冬の気配からかなり和み始めたけれど、まだ少し肌寒い。それでも頭をすっきりさせるのにはいいだろうと、踊り場の手すりに背中を預けた。
そしてポケットに突っ込まれていた、携帯電話を取り出す。
案の定それには通知が来ていて、またくだらないメッセージをたくさん受信していた。
食べ物の写真を撮るなんて、なんとか映えする、とか言う女子かとも思うが、なんとなくいまはそれを眺めているだけで、落ち着いた。
ファーストフードで腹ごしらえをして、映画を見たあとは野郎三人でパンケーキ。クリームが山盛りになったそれに、見ているだけで胸焼けしそうになる。
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作れるらしいが、食べるのは自分だけとわかっているからか、家で甘いものは出てこない。
――休憩中?
ふいに眺めていた画面に、メッセージがぽんと表示される。それを見てどうしようかと、考えているうちにメッセージは立て続く。
返事が来ることは想定していないその反応に、指先が動いた。
――暇人かよ。
――珍しい、どうしたの? 煮詰まり中? いまゲーセンで白熱中。
素早い返信のあとに写真が送られてくる。クレーンゲームに向かっている男二人の背中があり、さらにガラスの向こうを写したものがもう一枚届く。
先のものはゲームかなにかのキャラクターだったが、それは猫のマスコットだった。
――この黒いの先輩みたいで可愛い。狙ってるんだけど先輩に似てつれないの。
真ん中当たりに写っている、一匹だけぽつんと残されたような黒猫は一際目つきが悪い。
ここまで自分は目つきが悪くないと返せば、会った頃のツンツンしてた俺に似ていると抜かす。
――でもいまも昔も先輩は可愛いよ。
しばらく黙っていたら、また次から次へと言葉が押し寄せてくる。口を挟む隙がないと思うけれど、おそらく挟まなくてもいいようにしているのだろう。
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