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別離
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藤堂の過去を知るミナトについていけば、なにかがわかるかもしれないと思っていた。だけど蓋を開けてみれば、ミナトの気持ちの行き先が気になったり、僕を諦めるためにほかの誰かと向き合おうとしていた藤堂が気になったり。僕の心はまったく違うことで揺れていた。
「いまでもユウのこと気にする子は多いけど、みんな懐かしい思い出だって思ってるよ」
「本当に藤堂はモテてたんだな」
真面目な藤堂のことだから、相手にまっすぐと優しさをかけていたのだろうと想像できる。だけど傍にいるほどみんな苦しかったのかもしれないけれど、それは藤堂も同じだったのではないだろうか。
どんなに試してみても僕以外の人を好きになれなかったと藤堂は言っていた。結局、藤堂を苦しめていたのは僕だったんだ。
初めて会ったあの日、確かに僕の中に想いが生まれた。その芽生えた想いが恋心じゃなかったとしても、はじまりから僕は藤堂に惹かれていた。きっとどんな道を選んだとしても藤堂を好きになっていたんじゃないかと思う。だからあの日、やっぱり僕は藤堂の手を離してはいけなかったんだ。
いつだって僕は大切なことに気づくのが遅くて、想いを伝えられないまま藤堂はいなくなってしまう。――傍にいたい、離れたくない。会いたかった、僕も好きだ。藤堂のことが知りたい。痛みを分けて欲しい。たったそれだけのことが言えなくて、僕は後悔ばかりする。ちゃんと言葉にできていれば、藤堂がほかの誰かに心を砕くこともなかったかもしれない。
ちゃんと伝えていたら、藤堂を見失わずに済んだかもしれない。
「あれからずっと気になってたんだよね。ユウ、幸せになった?」
「……え?」
ぼんやりとしていた僕にふいに投げかけられたそれは、なに気ない純粋な問いかけだったんだろうと思う。だけど僕はその問いに言葉を詰まらせてしまった。嘘でもうんと頷けばいいのにそれができなくて、うろたえたように目をさ迷わせてしまう。好きでいてくれる、それはわかっている。しかしいま改めて問われると、その答えを僕は持っていない。
もし僕といるのが幸せだったのなら、こんな風に離れてしまうこともなかったんじゃないのか。目の前に突きつけられる現実に、また不安に押しつぶされそうになる。
「あれ、なにかあった?」
「ちょっと、色々とあって」
表情を曇らせた僕にミナトは心配そうな顔をする。しかしどう答えていいものか言葉を選んでしまう。いまここで込み入った事情は話せない。けれど昔のことを知っている彼なら、僕の知らない藤堂の交友関係を知っているはずだ。そうしたらなにか行き先の手がかりが見つかる可能性もある。いまは不安になって尻込みしている場合ではない。知りたいのなら踏み込むべきだ。
「あのさ、詳しくは話せないんだけど、藤堂が頼るような知人を知らないかな」
「え? ユウが頼るような人? うーん、誰かなぁ?」
「どんな些細なことでもいいから知りたいんだ!」
「あ、うん。……ちょっと待ってて、俺のお客さんユウのこと知ってる人も多いんだよ」
思わず身を乗り出してしまった僕に驚いた表情を浮かべたけれど、ミナトは嫌な顔一つせずに頷いてくれた。そして背後にあるガラス戸のついた吊り棚からファイルを取り出すと、それに一ページずつ目を走らせていく。
「このあいだユウの話題が上がった気がするんだけど」
ファイルの中身はどうやら名刺のようで、ミナトはそれを見ながらお客との会話を思い出しているようだ。考え込むような仕草をしてミナトは真剣に名刺を見つめている。なにか藤堂に関する収穫があればいいのだけれど。
「荻野さんじゃない?」
「え?」
ふいに静まり返っていた空間に聞き慣れない声が響き、思わず肩が跳ね上がってしまった。驚いて声がしたほうへ視線を向けると、カウンターの奥――店のバックヤードだろうか。そちらから背の高い黒髪の青年が近づいてきた。黒のスラックスにベスト、白いシャツという格好をしているところを見ると、先ほどミナトが言っていたバイトの子だろうか。
「あ、貴也。おはよう」
貴也と呼ばれた青年は華やいだ笑みを浮かべるミナトに、口を引き結んだまま小さく頷く。けれどそんな反応はいつものことなのか、ミナトは嬉しそうに手を伸ばし貴也の腕を捕まえた。
「ねぇ、貴也。荻野さんって誰だっけ?」
引き寄せた腕にもたれかかりながら、小さく首を傾げてミナトは貴也の顔を上目遣いで覗き込んだ。しかしどことなく色気すら感じさせるミナトの仕草にも、貴也は顔色一つ変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
「一昨日、常連の小林さんが奈智さんが帰ってきてるって」
「あ、ああ。奈智さんね。あ、そっかそんな話してたね。覚えてる覚えてる」
「ほんとかよ」
少しばかり無表情な貴也の態度は一見すると素っ気ないと思えるくらいだけれど、ミナトはまったくそれを気にしていないのか腕に抱きつき肩に頬を寄せている。
「あ、この子! さっき話した、いまの彼氏で貴也」
「ああ、うん。そうかなって思ってた」
少し慌てたようにミナトは僕を振り返ったが、予想はできていた。ただのバイトにしてはお互いのパーソナルスペースが近過ぎる。それにちょっとあの頃の藤堂とミナトを思い出した。いまの彼氏には悪いけれど、きっとミナトは藤堂みたいなタイプが好きなんだな。
「またユウに関係あるお客さん?」
無意識に見つめてしまっていたらしく、こちらを振り返った貴也と視線がバッチリと合ってしまった。その瞬間、きつい目で睨まれたような気がする。少し胸の辺りがひやりとした。
「そんなに怖い顔するなよ。話のネタだし、いまはお前一筋だし、それにこの人ユウの彼氏……だったよね?」
「なんだよその疑問系。知らない奴を気安く店に入れるなよ」
「あれ? そういえばちゃんと聞いてなかった。なにさんだっけ?」
言われてみれば確かに名乗ってもいないし、藤堂との関係も話していなかった。こちらもうっかりしていたが、ミナトのうっかりはもしかしたらいつものことなのかもしれない。首を傾げるミナトに貴也は呆れを含んだ大きなため息を吐き出した。
「お前は」
「……貴也待って、苦しいし痛い」
「反省してない」
「してるしてる。毎日してるー」
深いため息を吐いた貴也は片腕でミナトの首を絞め上げると、もう片方の拳でこめかみをぐりぐりと擦り上げた。貴也はあまり感情が表に出ないタイプなのかもしれないけれど、なんとなく怒っているのがひしひしと感じとれる。深く考えなくても恋人に昔の男の話をされるのは気分がいいものではないだろう。
話を聞く限りだといまもまだミナトはよく藤堂の話をしているみたいだし、僕と同じようにまだ気持ちが残っているかもしれないと思っていたら、気が気ではないはずだ。
「あ、僕もうっかりしてたし、悪かった! 西岡佐樹です!」
ギブっと叫ぶミナトに思わず助け舟を出していた。店内に響いた僕の声に二人の視線が集中する。
「西岡さん、ユウの彼氏だよね?」
「ああ、うん」
じっとまっすぐに視線を向けられて、改めて聞かれると少し胸がざわついた。いまのこの状況で頷いていいのかとまた不安になる。けれど否定することは絶対にしたくないと思っている自分もいた。
藤堂は僕になにも告げずにいなくなったけれど、まだ僕たちの想いは繋がっているはずだ。それにそう思わなくちゃ、僕は足元から崩れ落ちてしまいそうになる。
「あのさ、もしかして仲違いして困ってるとかじゃないよね?」
「あ、いやそういうことじゃない」
「それならいいんだけど」
不安が顔に出てしまっていたのか、ミナトが少し困ったような顔で僕の顔を見る。しかしこれは仲違い、したわけではないだろう。そもそも仲違いをする隙もなくいなくなってしまったから、なにもわからないことが不安なんだ。僕はまだなにも教えてもらっていない。退学届のことも、事件の真相も、どうして急にいなくなってしまったのかも。
「さっき名前が出た荻野奈智さん。この人ならユウが頼るんじゃないかなって思うんだけど。ほんとに仲違いしてるわけじゃないんだよね?」
「ああ」
何度も大丈夫だよねと念を押して聞かれる。けれどなぜだろうという疑問はすぐに解消された。
「それなら言うけど、この人はユウが一番初めに付き合ってた人。ユウを店に連れてくるようになったのも彼だし、あの頃は絶対的な信頼を寄せてる相手だったと思うよ」
「そう、なんだ」
想像以上のこと聞かされて、なにもうまい言葉が出てこなかった。胸が締めつけられるように痛んで、少し息が詰まった。そしてじわじわと心の中に広がる焦燥――この焦りはいったいなんだろう。誰かに藤堂を盗られるだなんて考えたこともなかったけれど、その可能性が一パーセントもないという保証はどこにもありはしないのだ。それにいま気づかされたような気分だった。
踏み込んだ足で地雷を踏んだ気がする。全部を知ると言うことはこういうことなんだ。握りしめた手が震えてしまった。
「いまでもユウのこと気にする子は多いけど、みんな懐かしい思い出だって思ってるよ」
「本当に藤堂はモテてたんだな」
真面目な藤堂のことだから、相手にまっすぐと優しさをかけていたのだろうと想像できる。だけど傍にいるほどみんな苦しかったのかもしれないけれど、それは藤堂も同じだったのではないだろうか。
どんなに試してみても僕以外の人を好きになれなかったと藤堂は言っていた。結局、藤堂を苦しめていたのは僕だったんだ。
初めて会ったあの日、確かに僕の中に想いが生まれた。その芽生えた想いが恋心じゃなかったとしても、はじまりから僕は藤堂に惹かれていた。きっとどんな道を選んだとしても藤堂を好きになっていたんじゃないかと思う。だからあの日、やっぱり僕は藤堂の手を離してはいけなかったんだ。
いつだって僕は大切なことに気づくのが遅くて、想いを伝えられないまま藤堂はいなくなってしまう。――傍にいたい、離れたくない。会いたかった、僕も好きだ。藤堂のことが知りたい。痛みを分けて欲しい。たったそれだけのことが言えなくて、僕は後悔ばかりする。ちゃんと言葉にできていれば、藤堂がほかの誰かに心を砕くこともなかったかもしれない。
ちゃんと伝えていたら、藤堂を見失わずに済んだかもしれない。
「あれからずっと気になってたんだよね。ユウ、幸せになった?」
「……え?」
ぼんやりとしていた僕にふいに投げかけられたそれは、なに気ない純粋な問いかけだったんだろうと思う。だけど僕はその問いに言葉を詰まらせてしまった。嘘でもうんと頷けばいいのにそれができなくて、うろたえたように目をさ迷わせてしまう。好きでいてくれる、それはわかっている。しかしいま改めて問われると、その答えを僕は持っていない。
もし僕といるのが幸せだったのなら、こんな風に離れてしまうこともなかったんじゃないのか。目の前に突きつけられる現実に、また不安に押しつぶされそうになる。
「あれ、なにかあった?」
「ちょっと、色々とあって」
表情を曇らせた僕にミナトは心配そうな顔をする。しかしどう答えていいものか言葉を選んでしまう。いまここで込み入った事情は話せない。けれど昔のことを知っている彼なら、僕の知らない藤堂の交友関係を知っているはずだ。そうしたらなにか行き先の手がかりが見つかる可能性もある。いまは不安になって尻込みしている場合ではない。知りたいのなら踏み込むべきだ。
「あのさ、詳しくは話せないんだけど、藤堂が頼るような知人を知らないかな」
「え? ユウが頼るような人? うーん、誰かなぁ?」
「どんな些細なことでもいいから知りたいんだ!」
「あ、うん。……ちょっと待ってて、俺のお客さんユウのこと知ってる人も多いんだよ」
思わず身を乗り出してしまった僕に驚いた表情を浮かべたけれど、ミナトは嫌な顔一つせずに頷いてくれた。そして背後にあるガラス戸のついた吊り棚からファイルを取り出すと、それに一ページずつ目を走らせていく。
「このあいだユウの話題が上がった気がするんだけど」
ファイルの中身はどうやら名刺のようで、ミナトはそれを見ながらお客との会話を思い出しているようだ。考え込むような仕草をしてミナトは真剣に名刺を見つめている。なにか藤堂に関する収穫があればいいのだけれど。
「荻野さんじゃない?」
「え?」
ふいに静まり返っていた空間に聞き慣れない声が響き、思わず肩が跳ね上がってしまった。驚いて声がしたほうへ視線を向けると、カウンターの奥――店のバックヤードだろうか。そちらから背の高い黒髪の青年が近づいてきた。黒のスラックスにベスト、白いシャツという格好をしているところを見ると、先ほどミナトが言っていたバイトの子だろうか。
「あ、貴也。おはよう」
貴也と呼ばれた青年は華やいだ笑みを浮かべるミナトに、口を引き結んだまま小さく頷く。けれどそんな反応はいつものことなのか、ミナトは嬉しそうに手を伸ばし貴也の腕を捕まえた。
「ねぇ、貴也。荻野さんって誰だっけ?」
引き寄せた腕にもたれかかりながら、小さく首を傾げてミナトは貴也の顔を上目遣いで覗き込んだ。しかしどことなく色気すら感じさせるミナトの仕草にも、貴也は顔色一つ変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
「一昨日、常連の小林さんが奈智さんが帰ってきてるって」
「あ、ああ。奈智さんね。あ、そっかそんな話してたね。覚えてる覚えてる」
「ほんとかよ」
少しばかり無表情な貴也の態度は一見すると素っ気ないと思えるくらいだけれど、ミナトはまったくそれを気にしていないのか腕に抱きつき肩に頬を寄せている。
「あ、この子! さっき話した、いまの彼氏で貴也」
「ああ、うん。そうかなって思ってた」
少し慌てたようにミナトは僕を振り返ったが、予想はできていた。ただのバイトにしてはお互いのパーソナルスペースが近過ぎる。それにちょっとあの頃の藤堂とミナトを思い出した。いまの彼氏には悪いけれど、きっとミナトは藤堂みたいなタイプが好きなんだな。
「またユウに関係あるお客さん?」
無意識に見つめてしまっていたらしく、こちらを振り返った貴也と視線がバッチリと合ってしまった。その瞬間、きつい目で睨まれたような気がする。少し胸の辺りがひやりとした。
「そんなに怖い顔するなよ。話のネタだし、いまはお前一筋だし、それにこの人ユウの彼氏……だったよね?」
「なんだよその疑問系。知らない奴を気安く店に入れるなよ」
「あれ? そういえばちゃんと聞いてなかった。なにさんだっけ?」
言われてみれば確かに名乗ってもいないし、藤堂との関係も話していなかった。こちらもうっかりしていたが、ミナトのうっかりはもしかしたらいつものことなのかもしれない。首を傾げるミナトに貴也は呆れを含んだ大きなため息を吐き出した。
「お前は」
「……貴也待って、苦しいし痛い」
「反省してない」
「してるしてる。毎日してるー」
深いため息を吐いた貴也は片腕でミナトの首を絞め上げると、もう片方の拳でこめかみをぐりぐりと擦り上げた。貴也はあまり感情が表に出ないタイプなのかもしれないけれど、なんとなく怒っているのがひしひしと感じとれる。深く考えなくても恋人に昔の男の話をされるのは気分がいいものではないだろう。
話を聞く限りだといまもまだミナトはよく藤堂の話をしているみたいだし、僕と同じようにまだ気持ちが残っているかもしれないと思っていたら、気が気ではないはずだ。
「あ、僕もうっかりしてたし、悪かった! 西岡佐樹です!」
ギブっと叫ぶミナトに思わず助け舟を出していた。店内に響いた僕の声に二人の視線が集中する。
「西岡さん、ユウの彼氏だよね?」
「ああ、うん」
じっとまっすぐに視線を向けられて、改めて聞かれると少し胸がざわついた。いまのこの状況で頷いていいのかとまた不安になる。けれど否定することは絶対にしたくないと思っている自分もいた。
藤堂は僕になにも告げずにいなくなったけれど、まだ僕たちの想いは繋がっているはずだ。それにそう思わなくちゃ、僕は足元から崩れ落ちてしまいそうになる。
「あのさ、もしかして仲違いして困ってるとかじゃないよね?」
「あ、いやそういうことじゃない」
「それならいいんだけど」
不安が顔に出てしまっていたのか、ミナトが少し困ったような顔で僕の顔を見る。しかしこれは仲違い、したわけではないだろう。そもそも仲違いをする隙もなくいなくなってしまったから、なにもわからないことが不安なんだ。僕はまだなにも教えてもらっていない。退学届のことも、事件の真相も、どうして急にいなくなってしまったのかも。
「さっき名前が出た荻野奈智さん。この人ならユウが頼るんじゃないかなって思うんだけど。ほんとに仲違いしてるわけじゃないんだよね?」
「ああ」
何度も大丈夫だよねと念を押して聞かれる。けれどなぜだろうという疑問はすぐに解消された。
「それなら言うけど、この人はユウが一番初めに付き合ってた人。ユウを店に連れてくるようになったのも彼だし、あの頃は絶対的な信頼を寄せてる相手だったと思うよ」
「そう、なんだ」
想像以上のこと聞かされて、なにもうまい言葉が出てこなかった。胸が締めつけられるように痛んで、少し息が詰まった。そしてじわじわと心の中に広がる焦燥――この焦りはいったいなんだろう。誰かに藤堂を盗られるだなんて考えたこともなかったけれど、その可能性が一パーセントもないという保証はどこにもありはしないのだ。それにいま気づかされたような気分だった。
踏み込んだ足で地雷を踏んだ気がする。全部を知ると言うことはこういうことなんだ。握りしめた手が震えてしまった。
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