はじまりの恋

葉月めいこ

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別離

08

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 まっすぐと目を見て話す人だから、視線が絡むたびにドキドキとしてしまう。慌てて目をそらして俯くけれど、小さく笑うその雰囲気がまた藤堂に似ていて思わず顔を上げる。先ほどからそれの繰り返しだ。はっきり言って挙動不審で怪しいことこの上ない。
 それでも訝しむ顔などせずに時雨さんは僕を見つめる。そういう優しいところも藤堂みたいだと、やっぱり少し重ねて見てしまった。

「佐樹、素敵な名前ですね。佐樹さん」

「あ、いや、あの……佐樹で、佐樹でいいです」

 さりげなく名前を呼ばれて一気に顔が熱くなった。藤堂に名前を呼ばれている気分になってしまい、心臓まで思いきり跳ね上がり胸の鼓動がかなりうるさい。話をして藤堂とは違う人なんだと言う認識がちゃんとできているのに、この声は想像以上に破壊力がある。早鐘を打つ心臓をそっと抑えて息をつくと、僕はこっそりと深呼吸をした。

「佐樹はいつもお見舞いに来ているんですか?」

「はい、実はいま僕も怪我をしていて仕事を休んでいるんです。なので休みなのをいいことに毎日ここに来ています。さすがに毎日は来過ぎかなとは思ってはいるんですけど」

 僕の右腕の怪我も順調に回復している。いまでは三角巾も取れて、一見しただけでは怪我をしているようには見えないだろう。まだ無理はできないが、学校のほうも予定では週明けに復帰することになっている。二週間以上も休むことになってしまい、授業は小テストばかりになってしまった。けれど時折、同教科の木野先生が授業を見てくれているようで、授業の様子や生徒の様子を報告してくれる。休みが明けたらお礼を兼ねてなにか手伝いをさせてもらおう。

「佐樹が毎日見舞いに来てくれたら嬉しいですけどね」

「え?」

「いえ、長い入院ですと退屈しますし、来てくれるだけで気分転換になると思いますよ」

「そうだといいんですけど」

 藤堂がなにも言わないのをいいことに毎日通いつめているが、気分転換になっているだろうか。思い悩んでいることもまだ解決していないようだし、少しでも力になれたらいいのだけれど。当の本人はまったく口を開いてくれない。なんだか僕の気持ちばかりが空回っていきそうで、あまり深く考えたくないとも思ってしまう。
 もっと藤堂が僕を頼ってくれたらいいのに、そうしたら僕は全力で受け止めてあげるのに。それさえさせてくれない。それがひどくもどかしくて、僕まで思い詰めそうになる。

「時雨さんもよくお見舞いには来ているんですか?」

「週に二度くらいでしょうか。でも私の場合はあまり顔を出し過ぎても嫌われそうで」

「もっと顔を見せたほうが慣れるかもしれませんよ。それに気分転換ですよね」

 見舞いに行くのを躊躇っているようだけれど、なんだかとても寂しそうだ。本当はもっと甥の顔を見に行きたいのかもしれない。でも会ったことのない親戚が突然訊ねてきたら、戸惑って警戒してしまうのも仕方ない。時間が解決してくれればいいなと思う。

「日本にはいつまでいられるんですか?」

「そうですね、仕事が順調に行けばあとひと月ほどでしょうか」

「ひと月ですか、甥っ子くんはそれまでに馴染んでくれるといいですね」

「ええ、そうですね。そう願っています」

 僕の言葉に照れたように笑った時雨さんの表情から、甥へと向ける愛情が見て取れた。自分の子供が可愛いのはもちろんだけど、血の繋がった兄弟の子供も同じくらいに愛おしく思うものなのだろうか。残念ながら僕にはまだ甥も姪もいないので、その気持ちをいま知ることはできない。しかし早く姉夫婦に子供ができたらいいのになと思うほどに興味が湧いた。

「子供が可愛いだなんてそんなに思ったことはなかったのですが、いざ目にすると駄目ですね」

「ああ、そういうものなんでしょうね。特に兄弟の子供は無条件で可愛がれてしまうところもありますし」

「確かにそうですね。父と母も多分きっと私のようにあの子を目にしたらとても可愛がるでしょう。私たちに黙っていたことに腹を立てて孫には会わないなんて言ってましたが、すぐに気が変わりそうです」

 兄の子供を可愛がる両親を想像したのか、時雨さんは表情を和らげて優しく微笑んだ。やはり孫ともなると気持ちは大きく揺れるのだろう。会いに来なかったことをきっと後悔するはずだと、時雨さんは少し意地悪く笑った。

「叶うなら兄と一緒に連れて帰りたいですね」

「お兄さんと離れて長いんですか?」

「ええ、私が十歳になった頃に、家を離れてしまいました。もう二十五年は経ちますね」

「そうなんですか、それは長いですね」

 生まれも育ちも海外の時雨さんとは違い、時雨さんのお兄さんは家族のもとを離れて日本でずっと暮らしているようだ。幼い頃に日本に来て以来、海外よりも日本の生活に馴染んで母方の祖父母のもとで暮らすようになったらしい。
 しかし普段はしっかりしているお兄さんには欠点があるのだと言う。真面目だけれどひどくおっとりしたところがあるお兄さんは、手紙やメールを忘れるだけではなく寝食も忘れるような人らしい。なので家族は彼のことをいつも気にかけていたようだ。

「手紙をもらった時は正直驚きましたが、私からしてみればあの人だったらありえない話じゃないなって思いました。薄情な人ではないけれど、私たち家族のことを忘れてしまいがちな人だったので、手紙をくれただけでもよしと考えなければ。まあ、もう少し早く知らせてくれてもよかったんじゃないかとは思いましたけど」

「目の前のことに一生懸命になり過ぎる人、なんですね」

「そうなんです。私たちのことだけじゃなくて、自分のことも後回しにしてしまう困った人です。いつもそれで私たちは驚かされてばかりですよ」

 困っていると言いながらも時雨さんも目は優しかった。きっと家族仲がよくて、離れていようとも愛情にあふれた家庭なのだろうなと想像がついた。お兄さんも子供に会って欲しいと言うほどだから、そんな家族のことを大事に思っているに違いない。ますます時雨さんが甥と仲よくできればいいなと思ってしまった。

「頑張ってくださいね」

「そうですね、兄のためにも努力しようと思います」

 至極優しい笑みを浮かべた時雨さんは、ほんの少し眼差しを遠くへ向けた。その横顔をじっと見つめれば、僕の視線に気がついた時雨さんがやんわりと微笑んだ。その笑みは藤堂とはあまりに似ていない笑い方だった。

「紅茶ごちそうさまでした。話を聞いてもらって少し落ち着きました」

「いえいえ、どういたしまして。こちらこそなんだか色々と話を聞いて頂いてありがとうございました」

 二人でしばらく話し込んでしまったが、そろそろ次のバスも来るだろうと僕はベンチから立ち上がった。するとそんな僕の気持ちを察してくれたのか、時雨さんも僕に習うようにして立ち上がる。そして僕の手から空き缶を受け取ると背後を指差した。

「バスが来ますよ」

「ありがとうございます」

 指差されたほうを振り返るとバスがこちらに向かい近づいてくる。今度こそバスに乗ろうと僕は鞄からパスケースを取り出した。

「また会えたらいいですね」

「そうですね」

 次にいつ時雨さんがここへやってくるのかわからないけれど、ぜひその後の話など聞いてみたいものだと思った。

「時雨さん、ありがとうございました」

 バスが停留所の停まったのを見計らい僕は深々と頭を下げた。そんな僕に時雨さんは優しい眼差しで微笑み返してくれる。バスが発車するまで見送ってくれる時雨さんに車内から会釈をして返すと、彼はそれに片手を上げて応えてくれた。
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