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疑惑
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走り去った制服の犯人は混雑した人波に紛れて行方がわからなくなったようだ。あの場にしばらく立ち尽くしていた様子といい、やはりうちの学校の生徒だったのだろうかという疑念が浮かぶ。けれどなんのためにあんなことをしたのだろう。ここ最近を思い出してみても、生徒に恨みを買うようなことをした覚えはない。それともやはりほかの二件の出来事となにか関連性はあるのだろうか。
しかし悩んでみるものの、いくら考えても僕の頭では答えを導き出せなかった。
「保健室の第一号が先生だなんて」
「すみません」
額を打った棒状のものは、途中で投げ捨てられていたらしい。芯になっているものは硬い鉄パイプのようなもので、段ボールらしきものがそれに巻いてあったようだ。そのままパイプで殴られていたら流血ものだったかもしれないが、段ボールが緩衝材の役割を果たしてくれたので額は痛みこそあれ、幸いたんこぶ程度で済んだ。
擦り傷が少しあったので念のため保健室で消毒をしてもらっているところだ。
「はい、もう大丈夫ですよ。あまりぼんやりと歩かないようにしてくださいね」
少し呆れた顔で笑った医務の先生に、僕は何度目かもわからないくらい頭を下げた。額の傷はよそ見をしていてぶつかったということにしてある。そのまま疑うことなく信じられてしまうのもなんとなく恥ずかしいのだが、この際は仕方がない。
「西岡先生!」
「ん?」
治療も終わりそろそろこの場をあとにしようと立ち上がったら、急に保健室の戸が勢いよく開かれた。思わず肩が跳ねるほど大きな音だったので、僕と医務の先生は驚きに目を丸くしてしまう。けれどそんな僕たちの視線に気づいていないのか、保健室にやってきた間宮は青い顔をして僕のほうへ歩み寄ってくる。
「どうした血相変えて」
「ど、どうしたって、西岡先生が怪我したと聞いて」
「え?」
どんな尾ひれがついて伝わったのだろうかと心配になるほどの慌てぶりだ。驚いて立ち尽くす僕を間宮はひどく心配げな面持ちで見つめる。
「大げさだな。擦り傷とたんこぶができただけだぞ」
落ち着かない様子の間宮に僕はほら、と額を見せた。すると食い入るようにまじまじと額を見つめられる。そんな反応に苦笑いを浮かべたら、ようやく間宮は大きく長い息を吐き出した。
「よかった」
「あらあら、二人とも慌てん坊さんね。気をつけて巡回してくださいね」
「ありがとうございました。お前は慌て過ぎだよ、まったく」
うな垂れるように下を向いている間宮の頭を軽く手のひらで叩き、僕は医務の先生に会釈をしてから廊下に足を踏み出した。その後ろを間宮は慌ただしく追いかけてくる。
「怪我、大きくなくてよかったです」
「どう伝わったらさっきみたいな慌てっぷりになるんだよ」
「すみません。怪我をしたって聞いたら気が動転してしまって」
あの場に居合わせた生徒には、騒ぎにしたくないので詳細を口外することはしないでくれと念を押した。制服を着た人物に殴られただなんて、そんな話が流れたら文化祭が中断されてしまうかもしれない。それに犯人捜しだなんて大ごとになったらそれもまた厄介だ。
なぜそんなことになったのかなどと聞かれても、正直答えようもないし。変に探られてほかの事件のことまで知られたら収集がつかなくなる。
「まあ、心配かけて悪かったな」
「いえ私も早とちりしてしまってすみません」
それにしても写真のことといい、事故のことといい、なんの意味があるのかわからない。僕になにか危害を加えることが目的なのだろうか。
「あ、そうだ」
「どうしたんですか」
「あー、いや、人を待たせてたことを思い出して。悪いちょっと抜けるな」
先ほどの出来事に気を取られて明良のことを忘れていた。なんだかんだと随分時間が過ぎてしまった。目を瞬かせている間宮に両手を合わせると、僕は少し足を早めて廊下を抜ける。そして外に出るべく職員玄関へ急いだ。
待ち合わせの場所は屋外投票所のテントの近くだ。そこは立ち並ぶ出店の白いテントとは違い、オレンジ色のテントなのですぐ目に付く。肝心の明良は視線を巡らすと、その姿はすぐに見つけられた。
「明良」
「よお、遅かったな」
「西岡先生、遅ーい! 明良さん二十分くらい待ってたよ」
呼びかけた声にのんびりと振り返った明良。そしてそれと共に彼の傍にいた生徒たちがこぞって振り返った。予想通り女子生徒に囲まれたかと思ったが、中には男子生徒も混じっていてなんだかみんな和気あいあいとしている。
そういえば一見するときつそうに見えるけれど、明良は昔から人を惹きつけるタイプだった。学生時代からこの男が一人でぽつんとしているところは見たことがない。
「待ちぼうけに付き合わせて悪かったな」
「いいよー! 楽しかった」
ひらひらと明良が手を振れば、生徒たちはみんな満面の笑みを浮かべてその場を離れていった。
「なんの話をしてたんだ?」
「ああ、お前の話。なんか変わったことねぇかなと思ってな」
「あ、……えっと、それなんだけどな」
さっきまさにその変わったことに遭遇していた僕はつい口ごもってしまう。無意識に鈍い痛みを持つ額に触れたら、すぐさま明良の手が伸びてきて僕の前髪をかきあげた。
「お前これ、どうしたんだ」
「ああ、うーん、実はさっき殴られて」
擦り傷ができ、腫れて赤くなっている額を見つめ、眉をひそめる明良の表情に僕の声は一段と小さくなる。長いため息を吐き出されれば申し訳なさでいっぱいになった。
「気をつけろって言ったのに」
「悪い、学校の中だったし、意識してなかった」
「とりあえず、ちょっと詳しく話を聞かせろ」
僕の肩に腕を回すと、明良はそれを強引に引き寄せた。間近に迫った顔に少しばかり驚いてしまったが、頭を優しく撫でられて肩の力が抜ける。
人に聞かれるのは避けたい話なので、賑やかな校庭を離れてひと気の少ない旧校舎がある場所まで移動した。途中で買った飲み物を片手に階段のふちに二人で腰かけると、ふいにまた頭を撫でられた。
くしゃくしゃと髪を乱すその手は乱雑だけれど優しかった。言葉で慰めてはこないけれど、僕の心配をしてくれているのだろう。
「制服か」
「うん、考えてみたんだけど三件とも人が違う気がするんだよな」
一件目と先ほどの三件目は犯人に躊躇いがあった。しかし二件目の歩道橋は僕を突き飛ばしたその手に迷いがなかったような気がする。一件目は姿を見ていないのでなんとも言えないが、二件目と三件目は明らかに人が違った。三件目の学生はそれほど身体が大きい子ではないように見えたし、二件目はもっと身体の大きい大人だったと思う。
「まあ、でも全部が別人でも大して驚きはないけどな。いまどき金で動く人間は珍しくないからな」
「金、か。わざわざそんなことする意味がわからない」
「そうだなぁ、ただのストーカーにしちゃ手が込み過ぎてるしなぁ」
やはり藤堂の母親絡みのことなのだろうか。だとすると写真は僕のことを知っているという証拠で、事故はなにかを示唆しているのか。そもそも思い返せば僕は運がよかっただけで、先の二件は周りに助けられなければ大怪我もしくは命に関わっていたかもしれない。示唆ではなくそれが「排除」なのだとしたら――そう考えると血の気が引いていく思いがした。
しかし悩んでみるものの、いくら考えても僕の頭では答えを導き出せなかった。
「保健室の第一号が先生だなんて」
「すみません」
額を打った棒状のものは、途中で投げ捨てられていたらしい。芯になっているものは硬い鉄パイプのようなもので、段ボールらしきものがそれに巻いてあったようだ。そのままパイプで殴られていたら流血ものだったかもしれないが、段ボールが緩衝材の役割を果たしてくれたので額は痛みこそあれ、幸いたんこぶ程度で済んだ。
擦り傷が少しあったので念のため保健室で消毒をしてもらっているところだ。
「はい、もう大丈夫ですよ。あまりぼんやりと歩かないようにしてくださいね」
少し呆れた顔で笑った医務の先生に、僕は何度目かもわからないくらい頭を下げた。額の傷はよそ見をしていてぶつかったということにしてある。そのまま疑うことなく信じられてしまうのもなんとなく恥ずかしいのだが、この際は仕方がない。
「西岡先生!」
「ん?」
治療も終わりそろそろこの場をあとにしようと立ち上がったら、急に保健室の戸が勢いよく開かれた。思わず肩が跳ねるほど大きな音だったので、僕と医務の先生は驚きに目を丸くしてしまう。けれどそんな僕たちの視線に気づいていないのか、保健室にやってきた間宮は青い顔をして僕のほうへ歩み寄ってくる。
「どうした血相変えて」
「ど、どうしたって、西岡先生が怪我したと聞いて」
「え?」
どんな尾ひれがついて伝わったのだろうかと心配になるほどの慌てぶりだ。驚いて立ち尽くす僕を間宮はひどく心配げな面持ちで見つめる。
「大げさだな。擦り傷とたんこぶができただけだぞ」
落ち着かない様子の間宮に僕はほら、と額を見せた。すると食い入るようにまじまじと額を見つめられる。そんな反応に苦笑いを浮かべたら、ようやく間宮は大きく長い息を吐き出した。
「よかった」
「あらあら、二人とも慌てん坊さんね。気をつけて巡回してくださいね」
「ありがとうございました。お前は慌て過ぎだよ、まったく」
うな垂れるように下を向いている間宮の頭を軽く手のひらで叩き、僕は医務の先生に会釈をしてから廊下に足を踏み出した。その後ろを間宮は慌ただしく追いかけてくる。
「怪我、大きくなくてよかったです」
「どう伝わったらさっきみたいな慌てっぷりになるんだよ」
「すみません。怪我をしたって聞いたら気が動転してしまって」
あの場に居合わせた生徒には、騒ぎにしたくないので詳細を口外することはしないでくれと念を押した。制服を着た人物に殴られただなんて、そんな話が流れたら文化祭が中断されてしまうかもしれない。それに犯人捜しだなんて大ごとになったらそれもまた厄介だ。
なぜそんなことになったのかなどと聞かれても、正直答えようもないし。変に探られてほかの事件のことまで知られたら収集がつかなくなる。
「まあ、心配かけて悪かったな」
「いえ私も早とちりしてしまってすみません」
それにしても写真のことといい、事故のことといい、なんの意味があるのかわからない。僕になにか危害を加えることが目的なのだろうか。
「あ、そうだ」
「どうしたんですか」
「あー、いや、人を待たせてたことを思い出して。悪いちょっと抜けるな」
先ほどの出来事に気を取られて明良のことを忘れていた。なんだかんだと随分時間が過ぎてしまった。目を瞬かせている間宮に両手を合わせると、僕は少し足を早めて廊下を抜ける。そして外に出るべく職員玄関へ急いだ。
待ち合わせの場所は屋外投票所のテントの近くだ。そこは立ち並ぶ出店の白いテントとは違い、オレンジ色のテントなのですぐ目に付く。肝心の明良は視線を巡らすと、その姿はすぐに見つけられた。
「明良」
「よお、遅かったな」
「西岡先生、遅ーい! 明良さん二十分くらい待ってたよ」
呼びかけた声にのんびりと振り返った明良。そしてそれと共に彼の傍にいた生徒たちがこぞって振り返った。予想通り女子生徒に囲まれたかと思ったが、中には男子生徒も混じっていてなんだかみんな和気あいあいとしている。
そういえば一見するときつそうに見えるけれど、明良は昔から人を惹きつけるタイプだった。学生時代からこの男が一人でぽつんとしているところは見たことがない。
「待ちぼうけに付き合わせて悪かったな」
「いいよー! 楽しかった」
ひらひらと明良が手を振れば、生徒たちはみんな満面の笑みを浮かべてその場を離れていった。
「なんの話をしてたんだ?」
「ああ、お前の話。なんか変わったことねぇかなと思ってな」
「あ、……えっと、それなんだけどな」
さっきまさにその変わったことに遭遇していた僕はつい口ごもってしまう。無意識に鈍い痛みを持つ額に触れたら、すぐさま明良の手が伸びてきて僕の前髪をかきあげた。
「お前これ、どうしたんだ」
「ああ、うーん、実はさっき殴られて」
擦り傷ができ、腫れて赤くなっている額を見つめ、眉をひそめる明良の表情に僕の声は一段と小さくなる。長いため息を吐き出されれば申し訳なさでいっぱいになった。
「気をつけろって言ったのに」
「悪い、学校の中だったし、意識してなかった」
「とりあえず、ちょっと詳しく話を聞かせろ」
僕の肩に腕を回すと、明良はそれを強引に引き寄せた。間近に迫った顔に少しばかり驚いてしまったが、頭を優しく撫でられて肩の力が抜ける。
人に聞かれるのは避けたい話なので、賑やかな校庭を離れてひと気の少ない旧校舎がある場所まで移動した。途中で買った飲み物を片手に階段のふちに二人で腰かけると、ふいにまた頭を撫でられた。
くしゃくしゃと髪を乱すその手は乱雑だけれど優しかった。言葉で慰めてはこないけれど、僕の心配をしてくれているのだろう。
「制服か」
「うん、考えてみたんだけど三件とも人が違う気がするんだよな」
一件目と先ほどの三件目は犯人に躊躇いがあった。しかし二件目の歩道橋は僕を突き飛ばしたその手に迷いがなかったような気がする。一件目は姿を見ていないのでなんとも言えないが、二件目と三件目は明らかに人が違った。三件目の学生はそれほど身体が大きい子ではないように見えたし、二件目はもっと身体の大きい大人だったと思う。
「まあ、でも全部が別人でも大して驚きはないけどな。いまどき金で動く人間は珍しくないからな」
「金、か。わざわざそんなことする意味がわからない」
「そうだなぁ、ただのストーカーにしちゃ手が込み過ぎてるしなぁ」
やはり藤堂の母親絡みのことなのだろうか。だとすると写真は僕のことを知っているという証拠で、事故はなにかを示唆しているのか。そもそも思い返せば僕は運がよかっただけで、先の二件は周りに助けられなければ大怪我もしくは命に関わっていたかもしれない。示唆ではなくそれが「排除」なのだとしたら――そう考えると血の気が引いていく思いがした。
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