はじまりの恋

葉月めいこ

文字の大きさ
上 下
190 / 249
疑惑

22

しおりを挟む
 走り去った制服の犯人は混雑した人波に紛れて行方がわからなくなったようだ。あの場にしばらく立ち尽くしていた様子といい、やはりうちの学校の生徒だったのだろうかという疑念が浮かぶ。けれどなんのためにあんなことをしたのだろう。ここ最近を思い出してみても、生徒に恨みを買うようなことをした覚えはない。それともやはりほかの二件の出来事となにか関連性はあるのだろうか。
 しかし悩んでみるものの、いくら考えても僕の頭では答えを導き出せなかった。

「保健室の第一号が先生だなんて」

「すみません」

 額を打った棒状のものは、途中で投げ捨てられていたらしい。芯になっているものは硬い鉄パイプのようなもので、段ボールらしきものがそれに巻いてあったようだ。そのままパイプで殴られていたら流血ものだったかもしれないが、段ボールが緩衝材の役割を果たしてくれたので額は痛みこそあれ、幸いたんこぶ程度で済んだ。
 擦り傷が少しあったので念のため保健室で消毒をしてもらっているところだ。

「はい、もう大丈夫ですよ。あまりぼんやりと歩かないようにしてくださいね」

 少し呆れた顔で笑った医務の先生に、僕は何度目かもわからないくらい頭を下げた。額の傷はよそ見をしていてぶつかったということにしてある。そのまま疑うことなく信じられてしまうのもなんとなく恥ずかしいのだが、この際は仕方がない。

「西岡先生!」

「ん?」

 治療も終わりそろそろこの場をあとにしようと立ち上がったら、急に保健室の戸が勢いよく開かれた。思わず肩が跳ねるほど大きな音だったので、僕と医務の先生は驚きに目を丸くしてしまう。けれどそんな僕たちの視線に気づいていないのか、保健室にやってきた間宮は青い顔をして僕のほうへ歩み寄ってくる。

「どうした血相変えて」

「ど、どうしたって、西岡先生が怪我したと聞いて」

「え?」

 どんな尾ひれがついて伝わったのだろうかと心配になるほどの慌てぶりだ。驚いて立ち尽くす僕を間宮はひどく心配げな面持ちで見つめる。

「大げさだな。擦り傷とたんこぶができただけだぞ」

 落ち着かない様子の間宮に僕はほら、と額を見せた。すると食い入るようにまじまじと額を見つめられる。そんな反応に苦笑いを浮かべたら、ようやく間宮は大きく長い息を吐き出した。

「よかった」

「あらあら、二人とも慌てん坊さんね。気をつけて巡回してくださいね」

「ありがとうございました。お前は慌て過ぎだよ、まったく」

 うな垂れるように下を向いている間宮の頭を軽く手のひらで叩き、僕は医務の先生に会釈をしてから廊下に足を踏み出した。その後ろを間宮は慌ただしく追いかけてくる。

「怪我、大きくなくてよかったです」

「どう伝わったらさっきみたいな慌てっぷりになるんだよ」

「すみません。怪我をしたって聞いたら気が動転してしまって」

 あの場に居合わせた生徒には、騒ぎにしたくないので詳細を口外することはしないでくれと念を押した。制服を着た人物に殴られただなんて、そんな話が流れたら文化祭が中断されてしまうかもしれない。それに犯人捜しだなんて大ごとになったらそれもまた厄介だ。
 なぜそんなことになったのかなどと聞かれても、正直答えようもないし。変に探られてほかの事件のことまで知られたら収集がつかなくなる。

「まあ、心配かけて悪かったな」

「いえ私も早とちりしてしまってすみません」

 それにしても写真のことといい、事故のことといい、なんの意味があるのかわからない。僕になにか危害を加えることが目的なのだろうか。

「あ、そうだ」

「どうしたんですか」

「あー、いや、人を待たせてたことを思い出して。悪いちょっと抜けるな」

 先ほどの出来事に気を取られて明良のことを忘れていた。なんだかんだと随分時間が過ぎてしまった。目を瞬かせている間宮に両手を合わせると、僕は少し足を早めて廊下を抜ける。そして外に出るべく職員玄関へ急いだ。
 待ち合わせの場所は屋外投票所のテントの近くだ。そこは立ち並ぶ出店の白いテントとは違い、オレンジ色のテントなのですぐ目に付く。肝心の明良は視線を巡らすと、その姿はすぐに見つけられた。

「明良」

「よお、遅かったな」

「西岡先生、遅ーい! 明良さん二十分くらい待ってたよ」

 呼びかけた声にのんびりと振り返った明良。そしてそれと共に彼の傍にいた生徒たちがこぞって振り返った。予想通り女子生徒に囲まれたかと思ったが、中には男子生徒も混じっていてなんだかみんな和気あいあいとしている。
 そういえば一見するときつそうに見えるけれど、明良は昔から人を惹きつけるタイプだった。学生時代からこの男が一人でぽつんとしているところは見たことがない。

「待ちぼうけに付き合わせて悪かったな」

「いいよー! 楽しかった」

 ひらひらと明良が手を振れば、生徒たちはみんな満面の笑みを浮かべてその場を離れていった。

「なんの話をしてたんだ?」

「ああ、お前の話。なんか変わったことねぇかなと思ってな」

「あ、……えっと、それなんだけどな」

 さっきまさにその変わったことに遭遇していた僕はつい口ごもってしまう。無意識に鈍い痛みを持つ額に触れたら、すぐさま明良の手が伸びてきて僕の前髪をかきあげた。

「お前これ、どうしたんだ」

「ああ、うーん、実はさっき殴られて」

 擦り傷ができ、腫れて赤くなっている額を見つめ、眉をひそめる明良の表情に僕の声は一段と小さくなる。長いため息を吐き出されれば申し訳なさでいっぱいになった。

「気をつけろって言ったのに」

「悪い、学校の中だったし、意識してなかった」

「とりあえず、ちょっと詳しく話を聞かせろ」

 僕の肩に腕を回すと、明良はそれを強引に引き寄せた。間近に迫った顔に少しばかり驚いてしまったが、頭を優しく撫でられて肩の力が抜ける。
 人に聞かれるのは避けたい話なので、賑やかな校庭を離れてひと気の少ない旧校舎がある場所まで移動した。途中で買った飲み物を片手に階段のふちに二人で腰かけると、ふいにまた頭を撫でられた。
 くしゃくしゃと髪を乱すその手は乱雑だけれど優しかった。言葉で慰めてはこないけれど、僕の心配をしてくれているのだろう。

「制服か」

「うん、考えてみたんだけど三件とも人が違う気がするんだよな」

 一件目と先ほどの三件目は犯人に躊躇いがあった。しかし二件目の歩道橋は僕を突き飛ばしたその手に迷いがなかったような気がする。一件目は姿を見ていないのでなんとも言えないが、二件目と三件目は明らかに人が違った。三件目の学生はそれほど身体が大きい子ではないように見えたし、二件目はもっと身体の大きい大人だったと思う。

「まあ、でも全部が別人でも大して驚きはないけどな。いまどき金で動く人間は珍しくないからな」

「金、か。わざわざそんなことする意味がわからない」

「そうだなぁ、ただのストーカーにしちゃ手が込み過ぎてるしなぁ」

 やはり藤堂の母親絡みのことなのだろうか。だとすると写真は僕のことを知っているという証拠で、事故はなにかを示唆しているのか。そもそも思い返せば僕は運がよかっただけで、先の二件は周りに助けられなければ大怪我もしくは命に関わっていたかもしれない。示唆ではなくそれが「排除」なのだとしたら――そう考えると血の気が引いていく思いがした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!

煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。 最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。 俺の死亡フラグは完全に回避された! ・・・と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」 と言いやがる!一体誰だ!? その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・ ラブコメが描きたかったので書きました。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

恋のキューピットは歪な愛に招かれる

春於
BL
〈あらすじ〉 ベータの美坂秀斗は、アルファである両親と親友が運命の番に出会った瞬間を目の当たりにしたことで心に深い傷を負った。 それも親友の相手は自分を慕ってくれていた後輩だったこともあり、それからは二人から逃げ、自分の心の傷から目を逸らすように生きてきた。 そして三十路になった今、このまま誰とも恋をせずに死ぬのだろうと思っていたところにかつての親友と遭遇してしまう。 〈キャラクター設定〉 美坂(松雪) 秀斗 ・ベータ ・30歳 ・会社員(総合商社勤務) ・物静かで穏やか ・仲良くなるまで時間がかかるが、心を許すと依存気味になる ・自分に自信がなく、消極的 ・アルファ×アルファの政略結婚をした両親の元に生まれた一人っ子 ・両親が目の前で運命の番を見つけ、自分を捨てたことがトラウマになっている 養父と正式に養子縁組を結ぶまでは松雪姓だった ・行方をくらますために一時期留学していたのもあり、語学が堪能 二見 蒼 ・アルファ ・30歳 ・御曹司(二見不動産) ・明るくて面倒見が良い ・一途 ・独占欲が強い ・中学3年生のときに不登校気味で1人でいる秀斗を気遣って接しているうちに好きになっていく ・元々家業を継ぐために学んでいたために優秀だったが、秀斗を迎え入れるために誰からも文句を言われぬように会社を繁栄させようと邁進してる ・日向のことは家族としての好意を持っており、光希のこともちゃんと愛している ・運命の番(日向)に出会ったときは本能によって心が惹かれるのを感じたが、秀斗の姿がないのに気づくと同時に日向に向けていた熱はすぐさま消え去った 二見(筒井) 日向 ・オメガ ・28歳 ・フリーランスのSE(今は育児休業中) ・人懐っこくて甘え上手 ・猪突猛進なところがある ・感情豊かで少し気分の浮き沈みが激しい ・高校一年生のときに困っている自分に声をかけてくれた秀斗に一目惚れし、絶対に秀斗と結婚すると決めていた ・秀斗を迎え入れるために早めに子どもをつくろうと蒼と相談していたため、会社には勤めずにフリーランスとして仕事をしている ・蒼のことは家族としての好意を持っており、光希のこともちゃんと愛している ・運命の番(蒼)に出会ったときは本能によって心が惹かれるのを感じたが、秀斗の姿がないのに気づいた瞬間に絶望をして一時期病んでた ※他サイトにも掲載しています  ビーボーイ創作BL大賞3に応募していた作品です

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

俺のこと、冷遇してるんだから離婚してくれますよね?〜王妃は国王の隠れた溺愛に気付いてない〜

明太子
BL
伯爵令息のエスメラルダは幼い頃から恋心を抱いていたレオンスタリア王国の国王であるキースと結婚し、王妃となった。 しかし、当のキースからは冷遇され、1人寂しく別居生活を送っている。 それでもキースへの想いを捨てきれないエスメラルダ。 だが、その思いも虚しく、エスメラルダはキースが別の令嬢を新しい妃を迎えようとしている場面に遭遇してしまう。 流石に心が折れてしまったエスメラルダは離婚を決意するが…? エスメラルダの一途な初恋はキースに届くのか? そして、キースの本当の気持ちは? 分かりづらい伏線とそこそこのどんでん返しありな喜怒哀楽激しめ王妃のシリアス?コメディ?こじらせ初恋BLです! ※R指定は保険です。

君がいないと

夏目流羽
BL
【BL】年下イケメン×年上美人 大学生『三上蓮』は同棲中の恋人『瀬野晶』がいても女の子との浮気を繰り返していた。 浮気を黙認する晶にいつしか隠す気もなくなり、その日も晶の目の前でセフレとホテルへ…… それでも笑顔でおかえりと迎える晶に謝ることもなく眠った蓮 翌朝彼のもとに残っていたのは、一通の手紙とーーー * * * * * こちらは【恋をしたから終わりにしよう】の姉妹作です。 似通ったキャラ設定で2つの話を思い付いたので……笑 なんとなく(?)似てるけど別のお話として読んで頂ければと思います^ ^ 2020.05.29 完結しました! 読んでくださった皆さま、反応くださった皆さま 本当にありがとうございます^ ^ 2020.06.27 『SS・ふたりの世界』追加 Twitter↓ @rurunovel

貧乏Ωの憧れの人

ゆあ
BL
妊娠・出産に特化したΩの男性である大学1年の幸太には耐えられないほどの発情期が周期的に訪れる。そんな彼を救ってくれたのは生物的にも社会的にも恵まれたαである拓也だった。定期的に体の関係をもつようになった2人だが、なんと幸太は妊娠してしまう。中絶するには番の同意書と10万円が必要だが、貧乏学生であり、拓也の番になる気がない彼にはどちらの選択もハードルが高すぎて……。すれ違い拗らせオメガバースBL。 エブリスタにて紹介して頂いた時に書いて貰ったもの

もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 衝撃で前世の記憶がよみがえったよ! 推しのしあわせを応援するため、推しとBLゲームの主人公をくっつけようと頑張るたび、推しが物凄くふきげんになるのです……! ゲームには全く登場しなかったもふもふ獣人と、騎士見習いの少年の、両片想いな、いちゃらぶもふもふなお話です。

処理中です...