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疑惑
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藤堂に隠しごとをする必要がなくなってだいぶ気持ちが落ち着いた。あのあとも写真のほうは相変わらず届いていたが、思い悩むことは少なくなったように思う。藤堂も母親の動向を以前よりも注意深く見てくれるようになり、その安心感からかもしれない。とはいえなにがあるかわからないので油断は禁物だ。それでなくとも僕はうっかりしたところが多いのだから、これ以上は藤堂に心配をかけるわけにはいかない。まだ根本的な問題が解決したわけではないのだ。
「西岡、聞いたか」
「ん? なにを?」
職員室の自席で書類を整理していると、ふいに横から覗き込んでくる視線を感じた。その視線と名前を呼ぶ声に顔を上げれば、同期の飯田が僕の顔を見つめてにやにやしている。相変わらず整った飯田の顔は、唇を歪めにやついていても崩れることなく男前だ。そんな隙のない顔に首を傾げて話の続きを促すと、飯田は隣の席にある椅子を引いてそこに背もたれを抱えるようにして座った。
「キングとクイーンと王子が一堂に会すらしいぞ」
「なんだそれは」
楽しげな飯田の目に少し呆気にとられながら、僕はまた小さく首を傾げた。王子というのはおそらくあだ名で、藤堂のことだろう。けれどキングにクイーンは初耳だ。しかし僕のそんな反応は予測済みだったのか、飯田はさして気分を害することもなくまた深い笑みを浮かべる。
「文化祭、峰岸のクラスと藤堂のクラス合同でやるらしい」
「あ、文化祭。そういえばもうすぐだな」
「お前は相変わらず校内行事に疎いな」
どこか呆れたような飯田の目に僕は苦笑いを返した。文化祭は学校で一番生徒が楽しみにしている一大イベントだ。けれどクラスを持っていなく、部活の顧問にもなっていない僕はあまり関わり合いのないところにいた。
「でもなんだ、キングとクイーンって」
「ああ、峰岸と鳥羽は生徒会引退しただろう。会長と副会長っていう肩書きがなくなって、新しくついたあだ名だな。引退しても二人の存在感はなくならないってやつだ」
「ふーん」
確かに峰岸も鳥羽も昨今の生徒会の中でも群を抜いて存在感があり、それは比べようがないくらいだ。そして存在感だけでなくその有能さも僕が知る中ではピカイチだろう。
「新しい生徒会には顔を出したか」
「んー、いや、まだだけど」
今月の初めに行われた生徒会選挙が終わってもう二週間以上は経つけれど、代理顧問が終わってからは特別な用件もないので生徒会には顔を出す機会もない。まったく気になっていないわけではないが、用事もないのに気安く出入りするのもどうかと思ってしまう。けれど少し返事を濁した僕に飯田はなぜか満面の笑みを浮かべた。
「なんだその笑顔」
さわやかな笑みだがなんだかひどく胡散臭い。目を細めてじっと見つめると、やたらとにこにこと笑い、なにやら大判の封筒を差し出された。
「まだ行ったことのない西岡にきっかけを与えてやろう」
「別に頼んでない」
これはあれだ。飯田は面倒くさい案件を僕に回してこようとしている。それを察して眉をひそめたらますます笑みが深くなった。煌びやかな光をまとったような笑みに、僕はなんだか嫌な予感がしてますます頷きたくない気持ちになる。
「俺、こう見えて忙しいんだ」
「だから?」
「みんな気づいていないみたいだけど、ここに暇を持て余してる奴がいると言ってもいいぞ」
「脅す気か」
確かに僕は職員室にいる時間がほかの先生たちよりも短いので、面倒ごとに関わる機会も少ない。おかげで文化祭のことも忘れかけていたくらいだ。決して仕事をするのが嫌なわけではないけれど、こういう忙しい時期は急に降って湧いたようにあちこちから仕事を持ちかけられそうで、少しばかり遠慮したいのだ。
「届けるだけか?」
「ああ、生徒会長に渡してくれればいいだけだ」
「わかったよ」
ほかの用件を頼まれるよりこちらのほうがどう考えても簡単なことだと、僕は飯田の差し出す封筒を受け取った。すると飯田は任を解かれて安堵したのかあからさまに機嫌よく笑う。
しかし書類を届けるだけならばなんてことない用事な気がするけれど、なにをそんなに避けているのだろうと、僕は不思議に思いながら手に残された封筒を見つめた。
放課後を迎えると、僕は用事を早く済ませてしまおうと生徒会室へ足を向けた。顔を出すのは創立祭が終わって以来で、おそらく五ヶ月ぶりくらいだ。新生徒会になってからはもちろん初めてで、少しばかり緊張のような背筋が伸びるような不思議な気持ちになった。けれどそんな気持ちは生徒会室の戸をノックし、聞こえた返事と共に室内へ足を踏み入れた瞬間に消し飛んだ。
「ニッシー久しぶりぃ」
のんびりとした野上の声は予想できたし、その姿があることにもなんの疑念も浮かばない。けれど生徒会長の椅子に座っているはずの野上は、長机に備え付けられたパイプ椅子に腰かけており、会長の椅子にはさも当たり前のような顔をした峰岸が座っていた。
「あら、西岡先生」
そしてもう一人、なんの違和感もなく珈琲ポットを片手に鳥羽が振り返った。春の頃とほとんど変わりのないその光景に、僕は思わず立ち止まったまま目を瞬かせてしまう。
「お前たちなにしてるんだ」
しばらく固まってしまっていた僕の口から、ようやく言葉が紡ぎだされる。新生徒会になった様子を見にいこうと僕はやってきたはずなのに、この違和感がありそうでまったくない状況に遭遇して、ありきたりな言葉しか思い浮かばなかった。
「ようセンセ、今日はどうした?」
堂々とした佇まいで椅子に腰かけている峰岸が立ち尽くしている僕に声をかける。
小さく首を傾げ目を細める峰岸の仕草に、創立祭の準備をしていた頃にタイムスリップしたような錯覚を起こしてしまいそうだった。
「いや、どうしたじゃないだろ。なに我が物顔でくつろいでいるんだよ」
慌てて頭を軽く振ると、僕は現実を思い返した。この場に峰岸と鳥羽がいることはおかしいのだと、思い直して僕は室内に視線を向ける。しかしそこにいたのは見覚えのある顔だけで、新しく生徒会に入った生徒はいないようだった。
いま生徒会室にいるのは、なぜか当たり前の顔をしてそこにいる峰岸と鳥羽、前職書記から昇格して新しく生徒会長になった二年の野上。そして生徒会補佐からこちらも昇格して副会長なった一年の柏木だ。このメンバーだけを見ていると本当に頭が混乱しそうになるが、このほかにも書記と会計が二人ずついるはずだ。
「そう堅いこと言うなよ」
「いや、僕は普通のことを言っている」
なんとなく峰岸と言い合うと堂々巡りになりそうな予感がして、僕はため息をついて開いた戸を閉めると野上のもとへ足を進めた。
「ニッシーありがと! あれ? この書類って飯田のじゃない?」
手にしていた封筒を渡すと野上は中を覗いたまま首を傾げた。
「ああ、頼まれた」
そしていま頼まれた意味がなんとなくわかった。飯田はあまり峰岸と接するのが得意ではないので、この状況を想定して逃げたのだ。生徒に振り回されてどうすると言いたいところだが、相手が峰岸では仕方がないかと僕は肩をすくめた。
「そういえば文化祭、張り切ってるみたいだな」
ふと飯田の話を思いだし僕は峰岸と鳥羽を交互に見つめる。すると二人ではなく野上のほうから声が上がった。
「聞いてよニッシー! この二人ってば職権乱用なんだよ」
「職権乱用?」
「人聞きの悪いこと言うな、平等なのは変わらないぜ」
泣きつくように僕にしがみついた野上の背中をなだめるように叩いてやると、峰岸が至極楽しげな声で笑った。ちらりと峰岸と鳥羽を振り返れば、二人はなにやら含みのある笑みを浮かべている。またなにか悪知恵でも働いているのだろうか。考えが読み切れないこの二人の笑みに冷や汗が出た。
「西岡、聞いたか」
「ん? なにを?」
職員室の自席で書類を整理していると、ふいに横から覗き込んでくる視線を感じた。その視線と名前を呼ぶ声に顔を上げれば、同期の飯田が僕の顔を見つめてにやにやしている。相変わらず整った飯田の顔は、唇を歪めにやついていても崩れることなく男前だ。そんな隙のない顔に首を傾げて話の続きを促すと、飯田は隣の席にある椅子を引いてそこに背もたれを抱えるようにして座った。
「キングとクイーンと王子が一堂に会すらしいぞ」
「なんだそれは」
楽しげな飯田の目に少し呆気にとられながら、僕はまた小さく首を傾げた。王子というのはおそらくあだ名で、藤堂のことだろう。けれどキングにクイーンは初耳だ。しかし僕のそんな反応は予測済みだったのか、飯田はさして気分を害することもなくまた深い笑みを浮かべる。
「文化祭、峰岸のクラスと藤堂のクラス合同でやるらしい」
「あ、文化祭。そういえばもうすぐだな」
「お前は相変わらず校内行事に疎いな」
どこか呆れたような飯田の目に僕は苦笑いを返した。文化祭は学校で一番生徒が楽しみにしている一大イベントだ。けれどクラスを持っていなく、部活の顧問にもなっていない僕はあまり関わり合いのないところにいた。
「でもなんだ、キングとクイーンって」
「ああ、峰岸と鳥羽は生徒会引退しただろう。会長と副会長っていう肩書きがなくなって、新しくついたあだ名だな。引退しても二人の存在感はなくならないってやつだ」
「ふーん」
確かに峰岸も鳥羽も昨今の生徒会の中でも群を抜いて存在感があり、それは比べようがないくらいだ。そして存在感だけでなくその有能さも僕が知る中ではピカイチだろう。
「新しい生徒会には顔を出したか」
「んー、いや、まだだけど」
今月の初めに行われた生徒会選挙が終わってもう二週間以上は経つけれど、代理顧問が終わってからは特別な用件もないので生徒会には顔を出す機会もない。まったく気になっていないわけではないが、用事もないのに気安く出入りするのもどうかと思ってしまう。けれど少し返事を濁した僕に飯田はなぜか満面の笑みを浮かべた。
「なんだその笑顔」
さわやかな笑みだがなんだかひどく胡散臭い。目を細めてじっと見つめると、やたらとにこにこと笑い、なにやら大判の封筒を差し出された。
「まだ行ったことのない西岡にきっかけを与えてやろう」
「別に頼んでない」
これはあれだ。飯田は面倒くさい案件を僕に回してこようとしている。それを察して眉をひそめたらますます笑みが深くなった。煌びやかな光をまとったような笑みに、僕はなんだか嫌な予感がしてますます頷きたくない気持ちになる。
「俺、こう見えて忙しいんだ」
「だから?」
「みんな気づいていないみたいだけど、ここに暇を持て余してる奴がいると言ってもいいぞ」
「脅す気か」
確かに僕は職員室にいる時間がほかの先生たちよりも短いので、面倒ごとに関わる機会も少ない。おかげで文化祭のことも忘れかけていたくらいだ。決して仕事をするのが嫌なわけではないけれど、こういう忙しい時期は急に降って湧いたようにあちこちから仕事を持ちかけられそうで、少しばかり遠慮したいのだ。
「届けるだけか?」
「ああ、生徒会長に渡してくれればいいだけだ」
「わかったよ」
ほかの用件を頼まれるよりこちらのほうがどう考えても簡単なことだと、僕は飯田の差し出す封筒を受け取った。すると飯田は任を解かれて安堵したのかあからさまに機嫌よく笑う。
しかし書類を届けるだけならばなんてことない用事な気がするけれど、なにをそんなに避けているのだろうと、僕は不思議に思いながら手に残された封筒を見つめた。
放課後を迎えると、僕は用事を早く済ませてしまおうと生徒会室へ足を向けた。顔を出すのは創立祭が終わって以来で、おそらく五ヶ月ぶりくらいだ。新生徒会になってからはもちろん初めてで、少しばかり緊張のような背筋が伸びるような不思議な気持ちになった。けれどそんな気持ちは生徒会室の戸をノックし、聞こえた返事と共に室内へ足を踏み入れた瞬間に消し飛んだ。
「ニッシー久しぶりぃ」
のんびりとした野上の声は予想できたし、その姿があることにもなんの疑念も浮かばない。けれど生徒会長の椅子に座っているはずの野上は、長机に備え付けられたパイプ椅子に腰かけており、会長の椅子にはさも当たり前のような顔をした峰岸が座っていた。
「あら、西岡先生」
そしてもう一人、なんの違和感もなく珈琲ポットを片手に鳥羽が振り返った。春の頃とほとんど変わりのないその光景に、僕は思わず立ち止まったまま目を瞬かせてしまう。
「お前たちなにしてるんだ」
しばらく固まってしまっていた僕の口から、ようやく言葉が紡ぎだされる。新生徒会になった様子を見にいこうと僕はやってきたはずなのに、この違和感がありそうでまったくない状況に遭遇して、ありきたりな言葉しか思い浮かばなかった。
「ようセンセ、今日はどうした?」
堂々とした佇まいで椅子に腰かけている峰岸が立ち尽くしている僕に声をかける。
小さく首を傾げ目を細める峰岸の仕草に、創立祭の準備をしていた頃にタイムスリップしたような錯覚を起こしてしまいそうだった。
「いや、どうしたじゃないだろ。なに我が物顔でくつろいでいるんだよ」
慌てて頭を軽く振ると、僕は現実を思い返した。この場に峰岸と鳥羽がいることはおかしいのだと、思い直して僕は室内に視線を向ける。しかしそこにいたのは見覚えのある顔だけで、新しく生徒会に入った生徒はいないようだった。
いま生徒会室にいるのは、なぜか当たり前の顔をしてそこにいる峰岸と鳥羽、前職書記から昇格して新しく生徒会長になった二年の野上。そして生徒会補佐からこちらも昇格して副会長なった一年の柏木だ。このメンバーだけを見ていると本当に頭が混乱しそうになるが、このほかにも書記と会計が二人ずついるはずだ。
「そう堅いこと言うなよ」
「いや、僕は普通のことを言っている」
なんとなく峰岸と言い合うと堂々巡りになりそうな予感がして、僕はため息をついて開いた戸を閉めると野上のもとへ足を進めた。
「ニッシーありがと! あれ? この書類って飯田のじゃない?」
手にしていた封筒を渡すと野上は中を覗いたまま首を傾げた。
「ああ、頼まれた」
そしていま頼まれた意味がなんとなくわかった。飯田はあまり峰岸と接するのが得意ではないので、この状況を想定して逃げたのだ。生徒に振り回されてどうすると言いたいところだが、相手が峰岸では仕方がないかと僕は肩をすくめた。
「そういえば文化祭、張り切ってるみたいだな」
ふと飯田の話を思いだし僕は峰岸と鳥羽を交互に見つめる。すると二人ではなく野上のほうから声が上がった。
「聞いてよニッシー! この二人ってば職権乱用なんだよ」
「職権乱用?」
「人聞きの悪いこと言うな、平等なのは変わらないぜ」
泣きつくように僕にしがみついた野上の背中をなだめるように叩いてやると、峰岸が至極楽しげな声で笑った。ちらりと峰岸と鳥羽を振り返れば、二人はなにやら含みのある笑みを浮かべている。またなにか悪知恵でも働いているのだろうか。考えが読み切れないこの二人の笑みに冷や汗が出た。
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