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夏日
48
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花火を掲げる片平に目を丸くしていると、「早く早く」と彼女はリビングから続く縁側に行くなり僕たちを急かして手を招く。
「お庭に出るサンダルが足りないから、さっちゃんは玄関から持ってきてね」
片平の背を追い庭に下りた母は、バケツに水を溜めて庭の真ん中辺りにそれを置いた。待ちきれない様子の片平は手元の袋を開けて花火を取り出す。それを振り回してまた僕たちを呼ぶので、立ち尽くしている藤堂と三島の背中を押して僕は片平のほうへと促した。
「僕は表から回っていくから、先にそっちに行ってろ」
「あ、はい」
振り返った藤堂に笑みを返して、僕は玄関に回ると適当なサンダルをつっかけて外に出た。そして腰の高さほどある庭の門を開いてリビングのあるほうへと足を向ける。リビングの灯りがない場所では、しんとした夜の帳の中で夏の虫が鳴いていて田舎らしい雰囲気が広がっていた。
その静けさにつられてふと空を見上げたら、雲一つなく月がとても綺麗に見えた。けれどリビングの灯りのもとへ行けば、片平の笑い声と共にぱちぱちと花火が鮮やかに火花を散らす光景が見えてくる。静けさもいいけれど、この賑やかな笑い声や色鮮やかな光も夏のよさだなと思った。
「ちょっと待った! あっちゃん人に向けない」
「あずみ! 火が点いてるものを振り回すな」
賑やかな声を聞きながら縁側に腰かけると、母が冷えた麦茶を持ってきてくれた。
「さっちゃんは一緒にやらないの?」
「うーん、いまは見てるほうがいいや」
「そう」
僕の言葉に目を細めて笑った母は藤堂たちに優しい眼差しを向けた。その眼差しを見て僕も自然と笑みが浮かんだ。無邪気に笑っている藤堂を見るとほっとした気分になる。いつもは大人びて僕が負けてしまうほどだけれど、片平や三島といると歳相応な姿が垣間見られるので正直言って嬉しい気持ちになる。
もっと色んなことを感じてたくさん笑って欲しい。そう思わずにはいられない。そしてまた来年もこうして過ごせたらどんなにいいだろうかと、それを想像すると少し胸が熱くなる。
これからもっと傍にいる時間が増えたら、どんな風に僕たちはなっていくのだろうか。多分きっとたまには喧嘩もするだろうなとは思う。いまはまだ遠慮がお互いにあるけれど、距離が近くなればその分だけぶつかるところも増えてくる。
いまは離れている時間が少しでも長いと物足りなくなってしまうけれど、お互い毎日が忙しくなってすれ違いになっても平気になったりするのだろうか。それとも傍にいればいるほどに、離れている時間が寂しくなるのだろうか。
藤堂と僕のこれからはどんな世界だろう。しかしそう思うたびに様々なことが次々と浮かんでくるけれど、想像ばかりではわからないことだらけだ。しかしそんな未来を心に描くのはなんだか楽しい。
まだ先のことなのに、色んなことを想像してしまう自分がおかしくて小さく笑ったら、傍にいた母が不思議そうに首を傾げた。
「佐樹さん」
ふいに声をかけられて振り返ると、先ほどまで片平や三島と一緒にいた藤堂が目の前に立っていた。不思議に思い首を傾げると長細いひも状のものを差し出される。
「線香花火?」
「一緒にやりませんか」
小さく首を傾げた藤堂にじっと見つめられていると、自然に手が伸びていた。指先で僕が花火を摘めば藤堂は僕の横に座り、先ほどまで傍にいた母は気を利かせてくれたのか、リビングの姉たちのところへ戻っていた。
「佐樹さん、これ先に落としたほうがキスすることにしましょう」
「えっ!」
火が点いた瞬間に藤堂が呟いた言葉で、僕の肩は大きく跳ね上がった。小さな音を立てて燃え始めた花火に心臓がうるさいほどに鼓動を早めていく。笑みを浮かべている藤堂の横顔を見つめていると、その顔がふいにこちらを向いた。
「ぼんやりしてるとすぐに落ちちゃいますよ」
「え、あ、急に、変なこと言うからだろ」
ふっと目を細めて柔らかく笑う藤堂の視線に、落ち着かない心臓はますます早まっていく。口から出た文句もなぜか最後のほうは尻すぼみになってしまった。
そんなやり取りをしているあいだにもちりちりと導火線が短くなった線香花火は、小さな火花を散らし始める。
そんな小さな火花は花火の名の如く綺麗な花のようで、見ていると少しだけ気持ちが落ち着いた。けれどまだ気が抜けなくてついまじまじと花火を見つめてしまう。僕のそんな心境を予想しているだろう藤堂は口元に笑みを浮かべたままだ。
「俺いつも線香花火はすぐに落としちゃうほうなんですけど、いまは落としたくないな」
「そう言うやつに限って落とすんだぞ」
「佐樹さんもですよ。そんなこと言ってると落としちゃいますよ」
小さな笑い声を上げて笑う藤堂があまりにも楽しそうで、思わず肩を寄せたくなってしまう。けれどいま動いたら重たげになってきた火薬が間違いなく落ちてしまう。むっと口を引き結び火花を見つめたが、ふとどちらが落ちてもいいような気にもなってきた。それよりも二人の手が並ぶ、ほんのわずかな距離を埋めてしまいたい。
「優哉!」
そう思った瞬間、片平の声が響き顔を上げた僕たちの線香花火は両方とも火種を落とした。ほぼ同時に顔を上げてしまったので、どちらが先に落ちたかはわからない。
「電話」
どうやら三島のほうに電話がかかってきたようで、藤堂は立ち上がるとそちらへと向かっていった。電話を替わり話しているようだが小声で話しているのか、声はこちらまでは届かない。けれどこうして一緒にいるあいだに電話に出ることができてよかった。
そう思いながら手にした線香花火の残骸を見つめるが、なんとなく胸に引っかかりが残っていた。それがなんなのか、わからないけれどすっきりとしない感情。
「まだこれで全部が解決したわけじゃない、のか」
くすぶる感情に思考を巡らし、ぽつりと呟く。確かにいまの証明はかたちだけできたけれど、これで安心というわけではない。まだこれからも同じことは続いていく。引っかかった感情――それはいつまで続くのだろう、という想い。
藤堂が卒業するまで? それとも藤堂の両親が離婚するまで? 答えが見つからなくてぼんやりと焼けた花火を見つめてしまう。
それまであと何回、藤堂は辛い思いをしなければならないのだろう。ふと電話口から聞こえた泣き出しそうな藤堂の声を思い出した。僕は傷ついた藤堂をしっかりと支えてあげられるだろうか。苦しみに気づいてあげられるだろうか。そんな不安がよぎり胸が詰まる。
「佐樹さん」
人の近づいてきた気配に顔を上げると、藤堂が先ほどと変わらない優しい笑みを浮かべて僕の名前を呼んだ。その笑みをじっと見つめて、僕はとっさに腕を伸ばして藤堂を抱き寄せた。そしてそっと両頬に手を添えると、驚いている藤堂の唇にやんわりと口づける。
いまどうしても触れたくて仕方がなかった。なぜだかわからないけれど、藤堂のぬくもりを触れて確かめたかったのだ。僕が不安になってはいけないと、そう思ったはずなのに心が揺れる。
この時の不安がのちに大きな波紋を広げることを、僕はまだ知らない――。
[夏日/end]
「お庭に出るサンダルが足りないから、さっちゃんは玄関から持ってきてね」
片平の背を追い庭に下りた母は、バケツに水を溜めて庭の真ん中辺りにそれを置いた。待ちきれない様子の片平は手元の袋を開けて花火を取り出す。それを振り回してまた僕たちを呼ぶので、立ち尽くしている藤堂と三島の背中を押して僕は片平のほうへと促した。
「僕は表から回っていくから、先にそっちに行ってろ」
「あ、はい」
振り返った藤堂に笑みを返して、僕は玄関に回ると適当なサンダルをつっかけて外に出た。そして腰の高さほどある庭の門を開いてリビングのあるほうへと足を向ける。リビングの灯りがない場所では、しんとした夜の帳の中で夏の虫が鳴いていて田舎らしい雰囲気が広がっていた。
その静けさにつられてふと空を見上げたら、雲一つなく月がとても綺麗に見えた。けれどリビングの灯りのもとへ行けば、片平の笑い声と共にぱちぱちと花火が鮮やかに火花を散らす光景が見えてくる。静けさもいいけれど、この賑やかな笑い声や色鮮やかな光も夏のよさだなと思った。
「ちょっと待った! あっちゃん人に向けない」
「あずみ! 火が点いてるものを振り回すな」
賑やかな声を聞きながら縁側に腰かけると、母が冷えた麦茶を持ってきてくれた。
「さっちゃんは一緒にやらないの?」
「うーん、いまは見てるほうがいいや」
「そう」
僕の言葉に目を細めて笑った母は藤堂たちに優しい眼差しを向けた。その眼差しを見て僕も自然と笑みが浮かんだ。無邪気に笑っている藤堂を見るとほっとした気分になる。いつもは大人びて僕が負けてしまうほどだけれど、片平や三島といると歳相応な姿が垣間見られるので正直言って嬉しい気持ちになる。
もっと色んなことを感じてたくさん笑って欲しい。そう思わずにはいられない。そしてまた来年もこうして過ごせたらどんなにいいだろうかと、それを想像すると少し胸が熱くなる。
これからもっと傍にいる時間が増えたら、どんな風に僕たちはなっていくのだろうか。多分きっとたまには喧嘩もするだろうなとは思う。いまはまだ遠慮がお互いにあるけれど、距離が近くなればその分だけぶつかるところも増えてくる。
いまは離れている時間が少しでも長いと物足りなくなってしまうけれど、お互い毎日が忙しくなってすれ違いになっても平気になったりするのだろうか。それとも傍にいればいるほどに、離れている時間が寂しくなるのだろうか。
藤堂と僕のこれからはどんな世界だろう。しかしそう思うたびに様々なことが次々と浮かんでくるけれど、想像ばかりではわからないことだらけだ。しかしそんな未来を心に描くのはなんだか楽しい。
まだ先のことなのに、色んなことを想像してしまう自分がおかしくて小さく笑ったら、傍にいた母が不思議そうに首を傾げた。
「佐樹さん」
ふいに声をかけられて振り返ると、先ほどまで片平や三島と一緒にいた藤堂が目の前に立っていた。不思議に思い首を傾げると長細いひも状のものを差し出される。
「線香花火?」
「一緒にやりませんか」
小さく首を傾げた藤堂にじっと見つめられていると、自然に手が伸びていた。指先で僕が花火を摘めば藤堂は僕の横に座り、先ほどまで傍にいた母は気を利かせてくれたのか、リビングの姉たちのところへ戻っていた。
「佐樹さん、これ先に落としたほうがキスすることにしましょう」
「えっ!」
火が点いた瞬間に藤堂が呟いた言葉で、僕の肩は大きく跳ね上がった。小さな音を立てて燃え始めた花火に心臓がうるさいほどに鼓動を早めていく。笑みを浮かべている藤堂の横顔を見つめていると、その顔がふいにこちらを向いた。
「ぼんやりしてるとすぐに落ちちゃいますよ」
「え、あ、急に、変なこと言うからだろ」
ふっと目を細めて柔らかく笑う藤堂の視線に、落ち着かない心臓はますます早まっていく。口から出た文句もなぜか最後のほうは尻すぼみになってしまった。
そんなやり取りをしているあいだにもちりちりと導火線が短くなった線香花火は、小さな火花を散らし始める。
そんな小さな火花は花火の名の如く綺麗な花のようで、見ていると少しだけ気持ちが落ち着いた。けれどまだ気が抜けなくてついまじまじと花火を見つめてしまう。僕のそんな心境を予想しているだろう藤堂は口元に笑みを浮かべたままだ。
「俺いつも線香花火はすぐに落としちゃうほうなんですけど、いまは落としたくないな」
「そう言うやつに限って落とすんだぞ」
「佐樹さんもですよ。そんなこと言ってると落としちゃいますよ」
小さな笑い声を上げて笑う藤堂があまりにも楽しそうで、思わず肩を寄せたくなってしまう。けれどいま動いたら重たげになってきた火薬が間違いなく落ちてしまう。むっと口を引き結び火花を見つめたが、ふとどちらが落ちてもいいような気にもなってきた。それよりも二人の手が並ぶ、ほんのわずかな距離を埋めてしまいたい。
「優哉!」
そう思った瞬間、片平の声が響き顔を上げた僕たちの線香花火は両方とも火種を落とした。ほぼ同時に顔を上げてしまったので、どちらが先に落ちたかはわからない。
「電話」
どうやら三島のほうに電話がかかってきたようで、藤堂は立ち上がるとそちらへと向かっていった。電話を替わり話しているようだが小声で話しているのか、声はこちらまでは届かない。けれどこうして一緒にいるあいだに電話に出ることができてよかった。
そう思いながら手にした線香花火の残骸を見つめるが、なんとなく胸に引っかかりが残っていた。それがなんなのか、わからないけれどすっきりとしない感情。
「まだこれで全部が解決したわけじゃない、のか」
くすぶる感情に思考を巡らし、ぽつりと呟く。確かにいまの証明はかたちだけできたけれど、これで安心というわけではない。まだこれからも同じことは続いていく。引っかかった感情――それはいつまで続くのだろう、という想い。
藤堂が卒業するまで? それとも藤堂の両親が離婚するまで? 答えが見つからなくてぼんやりと焼けた花火を見つめてしまう。
それまであと何回、藤堂は辛い思いをしなければならないのだろう。ふと電話口から聞こえた泣き出しそうな藤堂の声を思い出した。僕は傷ついた藤堂をしっかりと支えてあげられるだろうか。苦しみに気づいてあげられるだろうか。そんな不安がよぎり胸が詰まる。
「佐樹さん」
人の近づいてきた気配に顔を上げると、藤堂が先ほどと変わらない優しい笑みを浮かべて僕の名前を呼んだ。その笑みをじっと見つめて、僕はとっさに腕を伸ばして藤堂を抱き寄せた。そしてそっと両頬に手を添えると、驚いている藤堂の唇にやんわりと口づける。
いまどうしても触れたくて仕方がなかった。なぜだかわからないけれど、藤堂のぬくもりを触れて確かめたかったのだ。僕が不安になってはいけないと、そう思ったはずなのに心が揺れる。
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