はじまりの恋

葉月めいこ

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夏日

05

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 夏らしい入道雲が真っ青な空に浮かぶ。八月になり毎日うだるような暑さが続くが、バテている暇もなくなにかと仕事が忙しい。ここ数年こんなに忙しかったことなんかなかったのにと思ったが、ふと我に返った。そういえばここ数年の自分は学校に出勤しているものの、ほとんどの時間を準備室で過ごし、用事がある時にしか出てこないような有様だった。

「職場で引きこもりとか、今更だけどタチ悪いな」

 けれど最近は職員室にいる時間も増えたし、ほかの先生たちと会話をする機会も増えた。元々、社交性がなかったわけではないから、なんとなく互いの間にあった溝がなくなると、あとはもう大人同士あっさりとしたものだ。いまでは遠慮なく用事を頼まれるし、あれこれと手伝わされたりもする。
 そうか、だからいまこんなに慌ただしいのかと、改めて納得してしまった。

「西岡先生もうそれが済んだらいいですよ」

「あ、わかった」

 遠くからかけられた声に返事をすると、僕は廊下の掲示板に貼られていたポスターを剥がし、手元にある最後の一枚を新しく貼り直した。

「生徒総会かぁ、いよいよ夏休みが終われば生徒会も入れ替え時期だな」

 新しく貼ったポスターは九月に行われる生徒総会と、生徒会選挙開催お知らせのポスターだ。

「よぉ、センセご苦労さん」

「暑いから抱きつくな」

 背後に感じた気配にさっと身体を横にずらすと、いままで自分がいたところで大きな手が空を切っていた。

「ケチだな、挨拶だろ」

「お前はいつから挨拶が欧米化したんだ」

 まためげずに寄ってくる峰岸をそれとなく避けながら、剥がしたポスターをまとめて歩き出すと、ぶつくさと文句を言いながらも峰岸は僕のあとをついてくる。
 今日は間宮の頼みで生徒会の仕事を手伝っている。そしてそれを知った峰岸は、さっきから人の周りをチョロチョロとしていた。

「お前も仕事しろよ」

「俺は休憩中だからいいんだよ」

「ほかのメンバーはちゃんと仕事してるぞ」

 休憩中と言いながらも周りへの気配りを忘れていない。それは見ていてわかるけど、こうも周りにいられるとこちらの気が散るというか、気になって仕方がない。それにこの男は本当は欧米人なんじゃないかと思うほど、抱きついてキスをしたがる。いや実際、欧米の人はハグはあってもキスはするもんじゃないのだが、なんというか峰岸は愛情表現が全部勢いになって現れているところがある。
 同じような人がもう一人身近にいるから、恥ずかしいとか照れくさいとか今更そんなのはまったくないが、戸惑いはある。

「はぁ……」

 ふいに渉さんのことを思い出したら、それと共にため息がこぼれてしまった。
 夏休み前に藤堂からもらったメール。あれはもしかしたら怒り込みのメールだったのかもしれない。時間的にいつもだったら電話がかかって来てもおかしくないのに、わざわざメールがきて、渉さんのことを確認すると「わかりました」の文字だけでその日の返事はなかった。そのあとも電話はなくて、いまだメールのやり取りだけだ。随分と経つけれどまだ怒ってたりするんだろうか。
 バイトのシフトがびっしりと入っている忙しい藤堂とはすれ違いが続いている。ちゃんと話さなければと思いながらタイミングを失い言い出せなくて、後回しにしてしまった。これはそのツケなのかもしれない。

「ため息ついて、あいつと喧嘩でもしてるのか?」

「耳ざといなお前は、って暑いって言ってるだろ」

 ぼんやり藤堂のことを考えていたらずしりと背中が重くなった。
 夏休みで節電中の校内は、廊下の窓から吹き込んでくる微かな風のみで涼しさがない。それなのに大きな図体で抱きつかれるとじんわり汗が滲んでくる。

「センセいい匂いする。シャンプーかなんか?」

「わぁっ、汗かいてんのに匂い嗅ぐな馬鹿っ」

 スンと頭の上で鼻を鳴らした峰岸は、さらに抱きつく力を込めようとする。それを察した僕は慌ててその場でしゃがみ、前屈みに倒れながらもそこから逃げ出した。

「犬みたいな真似するな」

「しょうがねぇだろ、いい匂いしてんだもん」

「だもん、じゃないっ」

 いまの無駄な動きでさらに汗をかいた気がする。早く涼しいところへ、職員室へ移動したい。

「喧嘩の原因って写真部に来るやつ?」

 暑くて俯いた僕の前で目線を合わせるようにしゃがんだ峰岸は、こちらを見つめてにやりと笑うと首を小さく傾げた。

「なんで」

「知ってるのかって? 部活動の届け出は生徒会経由だぜ、センセ」

「あ、そうか」

 うちは生徒が絡むことはほとんど生徒会が一枚噛んでくる。授業やそういったもので講師を招く場合は生徒会では関知しないが、部活動で外部講師を呼ぶ場合は顧問の先生から直接上へ行くのではなく、一旦生徒会に回されてから決定権のあるところに回されていくのだ。

「書類見たけど、あの人あれで日本人って詐欺だよな」

「……それは言うな」

「でも美人だよな」

「まあ、確かに、綺麗だと思う。でも渉さんそういうの嫌いだから、本人に会うことがあっても絶対に言うなよ」

 渉さんの顔や素性はおそらく一部の人しか知らないだろう。渉さん本人と彼の契約している会社の希望で、極力写真部以外には知られないようにと言われている。元々顔出ししていない人だから余計にそこだけは念を押された。
 しかしそんな渉さんがなぜ写真部に来ることになったかと聞かれれば――僕のうっかりのせいだ。片平や三島と渉さんの話をしているのを写真部の顧問である北条先生に聞かれてしまい、僕が渉さんの友人であることがバレたのだ。
 渉さんの大ファンだという北条先生がそれに食いつき、無理を承知で来てもらえないかと何度も頭を下げられ、仕方がなく連絡を取ったのがきっかけだ。

「で、あの人とセンセの関係は?」

「別に、ただの友達だ」

 直球で切り込んでくる峰岸にたじろぎながら答えると、ふっと目を細めて笑われた。少し見透かすような視線を向けられて、なんだかそわそわしてしまう。

「ふぅんそうか、でもただの友達ってだけであいつ怒るか?」

「そっ、それは」

 ブレなく痛いところを突かれた。というか峰岸相手に誤魔化したり、口で勝ったりできそうな気がしない。頭の回転が速いから僕の思考など簡単に読み取られる。

「センセ可愛いな」

 終いには頭を撫でられてしまった。遠慮のない子供扱いにため息が出る。

「あのさ俺、あの人がセンセに振られてんの見たんだよな」

「は?」

 いきなり告げられた峰岸の言葉がうまく飲み込めなかった。

「え? 嘘だろっ」

 しばらくしてやっと理解した僕は、予想外なその言葉に驚き過ぎて、しゃがんだ状態のまま後ろへ転がりそうになった。
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