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夏日
01
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夏の陽射しが降り注ぐ七月。学校はまもなく夏休みに入る。長い休みを前に、生徒たちの気持ちが浮ついているのが見て取れるほどだ。
かくいう僕も夏休みを待ち焦がれている一人なのだが、残念ながら教師の夏休みは生徒とは違いそんなに長くはない。それでも今年の夏は楽しみがあるので、それを想像するだけで自然と笑みが浮かんでくる。
「西岡先生、最近ご機嫌ですね」
「え?」
急に背後から声をかけられた僕は、自分が鼻歌を歌っていたことに気がついた。慌てて背後を振り返ると、白衣を着た間宮が椅子に腰かけこちらを見ている。眼鏡を指で押し上げる彼は不思議そうな顔をしていた。
「結構長く見ていますけど、そんな西岡先生は初めて見ました」
間宮の黒目がちな瞳が、僕を意外そうに見つめ瞬きを繰り返す。そして小さく首を傾げると、癖のないこげ茶色の髪がさらりと揺れた。
「別にいいだろ」
にやけた顔を引き締めるように口を結ぶと、間宮は楽しげに声を上げて笑った。
「悪いわけではないですけど」
「だったら笑うな」
「はは、すみません」
のんきそうな表情を浮かべる間宮は、先月の終わりやっと学校に復帰したばかり。全治三週間が二ヶ月も経って帰ってくるあたり間宮らしいというか、いまやみんなの笑いのネタだ。リハビリ中にまた階段から落ちて同じ足を痛めたなんて、そんな真似をするのはコイツくらいだ。しかし松葉杖が取れたいまでもほんの少し足を引きずる仕草をするから、心配と言えば心配だ。
「それにしてもお前はほんと暇人だな」
「そんなこと言わないでくださいよ、寂しいじゃないですか」
もはやこれは癖なのだろうか。間宮は毎日のように僕の小さな城である教科準備室に入り浸り、茶を啜っている。
ここへ来て間宮がなにをしているかというと、特別これといったこともなく。学校や日常での出来事を僕に語っているだけ。しかも話すことは至って普通なことで、愚痴とか悪口とかそんなものはほとんどない。おかげで気分を害することはまずないが、そんなに普段から話し相手がいないのかと疑問に思ってしまうほど、彼はここにいる。
しかしいまこのことで少々問題が起きた。いや、問題というには大げさかもしれない。けれど困っているのは確かだ。間宮のことは別に嫌いじゃないから、鬱陶しがることもなく色んなことを受け入れていたのだが、それが原因でいま複雑な状況になっていた。ふいに痛んだ頭を押さえてため息を吐き出したのと同時か、教科準備室の戸をノックする音が室内に響いた。
「……どうぞ」
その音に気がつき返事をすれば、ゆっくりと戸が引かれる。
「失礼します……って、間宮先生また、いるんですね」
現れた人物に僕の心臓が少し早く動き出した。
「あ、藤堂くんも毎日ご苦労様だね」
戸口に立っている藤堂の顔が、間宮の姿を認めると思いきり不機嫌に歪んだ。しかしそんな若干黒いオーラをまとう藤堂などお構いなしに、間宮は平和そうな顔をして笑った。この空気の読めなさ感は、僕よりも上を行くと思う。自分もかなり鈍いことを自覚しているけれど、間宮のスルー加減は半端ではない。向けられる悪意を、悪意として感じていないのではないかとそう感じてしまうほどだ。
そんな性格だから憎めなくて、邪険に扱う気も起きないのだが。しかしこの状況はあまり喜ばしくない。そう頭を悩ませる問題とは藤堂と間宮だ。
「藤堂、中に、入れば?」
むすっとした表情の藤堂に苦笑いを浮かべれば、じとりとこちらを睨まれた。そしてふっと息を吐いたかと思えば、藤堂は早足にこちらに近づくと、紙袋を僕の机に置いてさっさと踵を返そうとした。
「ちょ、っと」
思わず藤堂の腕を掴むが、すっかり背を向けられてしまい藤堂の表情は覗えない。
「帰らなくてもいいのに」
ぽつりと呟いた間宮の言葉で、藤堂の腕に力がこもった。このままでは振り払われてしまうのが目に見えていた。
「間宮は黙ってろ、藤堂ちょっとこっち」
振り払われる前に腕を引いて廊下へと促せば、抵抗することなく藤堂は大人しくついて来る。
準備室から少し離れ、渡り廊下の辺りまで行くと、僕は周りに人がいないのを確認して振り返った。すると俯き加減だった藤堂もゆっくりと顔を上げた。
「そんなに怒るなよ」
こちらを見る藤堂の顔は眉間にしわが寄っていて、まだ不機嫌さは払拭されていないようだ。でもそんな表情を見ていると、胸の辺りがきゅっと締め付けられるような、むず痒いような不思議な感覚に陥る。ふて腐れている藤堂に申し訳ないけれど、多分そんな彼が僕は可愛くて仕方がないのだ。
「悪い、間宮のやつ学校に着任して以来ずっとあの調子だから、それが習慣づいてて。あー、その、ゆっくりできなくてごめんな」
なにも言わずにじっとこちらを見つめる藤堂の視線に、さすがの僕も焦りが出てくる。しかし自分の授業がない時間、間宮は呼ばずとも準備室にやってくる。もちろん僕がいない時は職員室にいるようだけれど、基本ほぼあの場所に現れる。
そしていまこの昼休みにも、なに食わぬ顔で現れるものだから、学校での藤堂の機嫌は最近かなり悪い。思えば間宮が学校を休み始めたのと、藤堂が僕の前に現れたのはちょうど入れ違いに近かった。もう少し早い時点でこの状況を藤堂が知っていたら、少しは違っていただろうか。
かくいう僕も夏休みを待ち焦がれている一人なのだが、残念ながら教師の夏休みは生徒とは違いそんなに長くはない。それでも今年の夏は楽しみがあるので、それを想像するだけで自然と笑みが浮かんでくる。
「西岡先生、最近ご機嫌ですね」
「え?」
急に背後から声をかけられた僕は、自分が鼻歌を歌っていたことに気がついた。慌てて背後を振り返ると、白衣を着た間宮が椅子に腰かけこちらを見ている。眼鏡を指で押し上げる彼は不思議そうな顔をしていた。
「結構長く見ていますけど、そんな西岡先生は初めて見ました」
間宮の黒目がちな瞳が、僕を意外そうに見つめ瞬きを繰り返す。そして小さく首を傾げると、癖のないこげ茶色の髪がさらりと揺れた。
「別にいいだろ」
にやけた顔を引き締めるように口を結ぶと、間宮は楽しげに声を上げて笑った。
「悪いわけではないですけど」
「だったら笑うな」
「はは、すみません」
のんきそうな表情を浮かべる間宮は、先月の終わりやっと学校に復帰したばかり。全治三週間が二ヶ月も経って帰ってくるあたり間宮らしいというか、いまやみんなの笑いのネタだ。リハビリ中にまた階段から落ちて同じ足を痛めたなんて、そんな真似をするのはコイツくらいだ。しかし松葉杖が取れたいまでもほんの少し足を引きずる仕草をするから、心配と言えば心配だ。
「それにしてもお前はほんと暇人だな」
「そんなこと言わないでくださいよ、寂しいじゃないですか」
もはやこれは癖なのだろうか。間宮は毎日のように僕の小さな城である教科準備室に入り浸り、茶を啜っている。
ここへ来て間宮がなにをしているかというと、特別これといったこともなく。学校や日常での出来事を僕に語っているだけ。しかも話すことは至って普通なことで、愚痴とか悪口とかそんなものはほとんどない。おかげで気分を害することはまずないが、そんなに普段から話し相手がいないのかと疑問に思ってしまうほど、彼はここにいる。
しかしいまこのことで少々問題が起きた。いや、問題というには大げさかもしれない。けれど困っているのは確かだ。間宮のことは別に嫌いじゃないから、鬱陶しがることもなく色んなことを受け入れていたのだが、それが原因でいま複雑な状況になっていた。ふいに痛んだ頭を押さえてため息を吐き出したのと同時か、教科準備室の戸をノックする音が室内に響いた。
「……どうぞ」
その音に気がつき返事をすれば、ゆっくりと戸が引かれる。
「失礼します……って、間宮先生また、いるんですね」
現れた人物に僕の心臓が少し早く動き出した。
「あ、藤堂くんも毎日ご苦労様だね」
戸口に立っている藤堂の顔が、間宮の姿を認めると思いきり不機嫌に歪んだ。しかしそんな若干黒いオーラをまとう藤堂などお構いなしに、間宮は平和そうな顔をして笑った。この空気の読めなさ感は、僕よりも上を行くと思う。自分もかなり鈍いことを自覚しているけれど、間宮のスルー加減は半端ではない。向けられる悪意を、悪意として感じていないのではないかとそう感じてしまうほどだ。
そんな性格だから憎めなくて、邪険に扱う気も起きないのだが。しかしこの状況はあまり喜ばしくない。そう頭を悩ませる問題とは藤堂と間宮だ。
「藤堂、中に、入れば?」
むすっとした表情の藤堂に苦笑いを浮かべれば、じとりとこちらを睨まれた。そしてふっと息を吐いたかと思えば、藤堂は早足にこちらに近づくと、紙袋を僕の机に置いてさっさと踵を返そうとした。
「ちょ、っと」
思わず藤堂の腕を掴むが、すっかり背を向けられてしまい藤堂の表情は覗えない。
「帰らなくてもいいのに」
ぽつりと呟いた間宮の言葉で、藤堂の腕に力がこもった。このままでは振り払われてしまうのが目に見えていた。
「間宮は黙ってろ、藤堂ちょっとこっち」
振り払われる前に腕を引いて廊下へと促せば、抵抗することなく藤堂は大人しくついて来る。
準備室から少し離れ、渡り廊下の辺りまで行くと、僕は周りに人がいないのを確認して振り返った。すると俯き加減だった藤堂もゆっくりと顔を上げた。
「そんなに怒るなよ」
こちらを見る藤堂の顔は眉間にしわが寄っていて、まだ不機嫌さは払拭されていないようだ。でもそんな表情を見ていると、胸の辺りがきゅっと締め付けられるような、むず痒いような不思議な感覚に陥る。ふて腐れている藤堂に申し訳ないけれど、多分そんな彼が僕は可愛くて仕方がないのだ。
「悪い、間宮のやつ学校に着任して以来ずっとあの調子だから、それが習慣づいてて。あー、その、ゆっくりできなくてごめんな」
なにも言わずにじっとこちらを見つめる藤堂の視線に、さすがの僕も焦りが出てくる。しかし自分の授業がない時間、間宮は呼ばずとも準備室にやってくる。もちろん僕がいない時は職員室にいるようだけれど、基本ほぼあの場所に現れる。
そしていまこの昼休みにも、なに食わぬ顔で現れるものだから、学校での藤堂の機嫌は最近かなり悪い。思えば間宮が学校を休み始めたのと、藤堂が僕の前に現れたのはちょうど入れ違いに近かった。もう少し早い時点でこの状況を藤堂が知っていたら、少しは違っていただろうか。
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