はじまりの恋

葉月めいこ

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決別

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 こうなることは予想できていたのだから、もう失敗したとか、馬鹿なことをやってしまったとか、なにもかも後悔してもどうにもならない。逆を言えば、あのまま逃げ出そうとしたあの人を、無理やりに引き止めて押し倒さなかっただけ偉いと自分を褒めたい。はっきり言って虚しい慰めにしかならないが、それでも理性が勝ったことだけは安堵できる。
 これまでも随分我慢してきたつもりでいたけれど、さすがに二人きりで無防備に、しかも無邪気に寄ってこられると、どうしようもない気分になってくる。比較的こういうことに関して我慢強いほうだと自分でも思うが、軽く笑って過ごせるほど大人でもない。心の中では正直、色んなものがフル稼働して理性と本能が戦っているわけだ。正直それはかなり辛い。しかし、かと言っていまだよく理解をしていないあの人に対して、無理に関係を迫る気にもなれない。そもそも――。

「全力で拒否られたらさすがに立ち直れない」

 しかし今回あの人が逃げ出したのは、あの様子を見る限り嫌悪とかではなくて、羞恥的なものだろうと思う。あのまま我に返らなければ、ちょっと落とせそうな雰囲気であったのも確かだ。でも一度失敗すると、次が難しいのも確かだ。

「さて、どうしたもんかな」

 とりあえず本当に風呂へと行ったのならば、あの人は少なくとも一時間は帰ってこない。一緒に過ごすようになってあの人の長風呂には慣れた。ただし家では寝る癖があるので危なっかしいのだが、さすがに大浴場ではそれはないだろうと思う。そうすると一時間もかからずに帰ってくるだろうか。と言うか、帰ってくるのか心配になる。

「いや、さすがに帰ってくるだろう」

 自分で考えて自分で突っ込みを入れてしまう。ここではほかに帰る場所なんてない、はずだ。
 ただぼんやり待っているのもなんなので、自分も風呂に入ってしまおうと内風呂へと足を向けた。そこはあの人が絶景と言っただけのことはあり、とても趣がある。きっと露天風呂に浸かれば、静けさの中に浮かぶ柔らかい街の灯りや満天の星が見えるだろう。


 熱い湯に浸かり、温まった身体がすっかり落ち着いてきた頃。静かに時を刻む時計の針が、俺はやたらと気になりだしていた。

「本気で帰ってこないつもりか」

 部屋を飛び出して行ってから、かれこれ一時間半は過ぎている。しかし一向にあの人が帰ってくる気配はない。さすがにこのまま帰ってくるのを待ち続けるのは、俺の気持ち的にも限界だ。もしかしたら顔を合わせづらくなっていて、どこかで時間を潰しているだけなのかもしれないし、俺のほうから迎えに行ってあげるのがあの人にとってはいいのかもしれない。意外と意固地な部分もあるし、テンパるとなにをしでかすか正直わからないところもある。
 そこはそこで可愛らしいし愛おしいと思うが、こちらは心配でたまらない。外には出ていないだろうから、宿の中を探せばいいだろう。広い宿ではあるが公衆の場は限られている。浴場や売店、レストランやカフェ、あとは大広間くらいだと思う。とりあえず一通り回ってみようと俺は部屋をあとにした。
 しかし予想に反して、すぐに見つかるだろうと思っていたあの人はなかなか探し出すことができなかった。

「外ってことはないよな」

 宿の中にいないとなれば外しかないが、まさかそれはないだろうと慌ててフロントに声をかけてみた。丁度そこにいた相手は受付をしてくれた女性で、あの人のこともよく覚えていた。

「ああ、お連れさまでしたら多分、大広間じゃないでしょうか」

「え?」

 彼女の言葉に思わず驚きをあらわにしてしまった。先ほど覗いた時にはそこにはいなかったような気がするのだが、さらに彼女は俺を驚かせる言葉を発した。その言葉に、俺は礼もそこそこに急いで大広間へと向かった。
 大広間は座敷になっていて、テーブルがいくつも並び、風呂上がりに一服したり、お喋りをしていたり、売店などで買ったものを持ち寄って宴会を開いている者がいるような場所だ。確かに人は多いがそう簡単に見落とすはずはないと思っていた。けれど聞いた話に正直頭が痛くなった。

「なに考えてんだあの人は」

 まさかそんなところに紛れていると誰が想像するだろうか。俺は周りも気にせずずかずかと足を進め、大広間の奥、十数人ほどで宴会を開いている大学生らしき集団に近づいた。そしてそこで俺はやっと彼を見つけた。

「佐樹さんっ、なにやってんですか」

 とっさに出た声は思っている以上に大きかったらしく、一瞬だけ周りがしんとなった。

「あれ? もしかして連れの人?」

 突然現れた俺にさして驚いた様子も見せず、彼の隣に座っていた男がこちらを見て笑った。明らかに不機嫌な表情を浮かべているだろう俺を見ながら、やたらと楽しげな顔をして男は彼の肩を揺する。けれどすっかり酔いつぶれているのか、彼は微かに身じろぎしただけだった。

「一人で飲んでるから誘ったんだけど、まさか潰れると思わなくてさ。部屋もわかんないしどうしよっかなぁって思ってたんだよね」

 男の言葉にその場にいた全員がドッと笑い、また賑やかな雰囲気になる。どうやらこの男がこの場の中心人物のようだ。けれどそんな笑いを無視して、俺はテーブルに突っ伏して潰れきっている彼の腕を引いた。

「佐樹さん、立てる?」

「あ、れ、藤堂? んーん、無理」

「……無理って、飲めないって言ってたの誰ですか」

 ぼんやりとした顔でこちらを見る目は酔いのせいか少し潤んで目元が紅い。普段とは違うその表情に胸がざわめく。身体を起こして子供みたいに両腕を伸ばしてくる彼の身体を抱き上げると、無意識なのか彼の腕が俺の首元に巻きつき、肩に額をすり寄せてきた。

「酔っ払い過ぎです」

 無防備に甘えた仕草をする彼に、思わず舌打ちしそうになったのをため息で誤魔化し、やんわりと彼の腕をほどいて力の入っていない身体を支えた。

「ご迷惑おかけしました。この人は連れて行くので」

「こちらこそごめんねぇ」

 西岡くん気をつけてねだの、佐樹くんまたねだの、言われてるのを背中で聞いて、無性に苛々とした気分になってきた。どこまで無防備なのだろう。これで素面だったらガチギレしているところだ。酔っ払った姿を他人に見せていること自体正直許しがたいのに、ここでどんな顔をしていたのかと思うほど腹の奥に黒いものがたまる。支えた彼の身体を引き寄せるように力を込めてしまった。
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