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予感
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いつもと変わらぬ帰り道、珍しい人物が道沿いのガードレールに腰かけてぼんやりと暗い空を、月を眺めていた。
その様子は初めてあの人にメールをもらった時のことを思い出すけれど、もちろんそこにいる人はその時とは違う。
「おいコラ、藤堂シカトしてんじゃねぇ」
わざと気づかぬふりをしてその前を通り過ぎようとしたら、案の定不機嫌そうな声が俺を呼び止めた。蹴り飛ばされた小石が足元に転がる。
「なにしてるんだ」
「見りゃわかるだろ? お前を待ってたんだよ」
「ふぅん、珍しいな。いつもなら遠慮もなしに更衣室を陣取ってるくせに」
マネージャーの弟で、何度かバイトにも入ったことがある峰岸は、部外者でありながらもほぼ顔パスで守衛の前を通り過ぎることが可能だ。それを甘受するほうもどうかと思うが、いつもさも当たり前な顔であの場所に峰岸はいる。
「明日は雨か、雪でも降るか」
それなのに人目を避けるようにこんなとこで待ちぼうけているなんて、なんとなく面倒くさい予感がした。
「たまには二人で話したいこともあんだろ」
「俺にはないけどな」
足を止めない俺の後ろでゆっくりと立ち上がった峰岸は、さしてそれを気にした素振りも見せずに、軽い身のこなしで歩みより真後ろから腕を伸ばしてきた。
「相変わらず冷てぇ男だな」
「お前の行動ただの変質者だぞ」
背中にかかった重みをとっさに振り払いかけて、一息つきそれを躊躇してしまった。けれどしがみつくように強く峰岸の腕が首に絡み、正直ウザったくて重たくて邪魔くさい。
「最近お前の大事なセンセはモテモテだぜ。ほっとくと悪い虫つくんじゃねぇ?」
「お前以上に悪い虫はいないと思うけどな」
「あ、そ、俺を当て馬にして周り牽制してるわけな。別にいいけど、お前がいいなら」
適当なふりして相変わらず察しのいい男だ。けれどそうでなければこんな厄介なのをあの人の傍に放置しておくわけがない。同趣の要素を持ち合わせる人間を傍に置いておくなんて、本当ならしたくはない。でも自分が常に傍にいて見守ってあげることも叶わない。ならば使えるものはなんだって利用させてもらう。
それでなくともあの人は無意識に多種多様な人間を集めてしまうところがある。しかもたちが悪いくらいに人好きする雰囲気で、昔から好意を寄せる人間があとを絶たない。
「でも、もし俺が本気になったらどうすんだ?」
「……ならない、だろ」
冗談交じりのその言葉に少しだけ心臓が跳ねた。言葉が少し詰まるように掠れてしまう。
自分の弱味を見せたがらないこの男は、普段は決して相手に本音を見せない。それなのに最近の峰岸はどこか無防備で、すっかりあの人に懐いてしまっている。本当に珍しいくらい。
「わかんねぇだろ?」
「ありえない」
彼をすごく大事には思っているかもしれない。でも多分きっと峰岸は彼に本気にはならないと思う。それは自分をまだ好きでいるという自惚れなどではなく、ただなぜかそんな気がする。いや、もしかしたら自分がそう思いたいだけなのかもしれないが、いま以上に二人の距離が近くなるはずはない。
「へぇ、そうか。まあ、お前が言うならそうなのかもな」
俺の心情を知ってか知らずか、まるで他人事のように納得しながら、峰岸はさもおかしそうに笑う。
「まあ、俺もどっちか選べねぇしな」
ふとため息に混じった峰岸の小さな呟きは、あえて聞かぬふりをした。
「いい加減、離れろ。歩きにくい」
しばらくずるずると峰岸を軽く引きずるように歩いていたが、さすがに図体のデカイ荷物を背負って駅まで歩く気にはならない。振りほどいてやろうと腕を掴んだら、思いのほかそれは呆気なく離れて行った。
「あんま、いい予感しないぜ」
「は?」
「お前とセンセ」
どこか神妙な声音に振り向けば、峰岸はまた顔を上げ空を眺めていた。その姿を訝しく思い首を捻って見せると、ふっと苦笑いを浮かべて峰岸の視線がこちらを向く。
「お前、すっかり人間らしくなったな。前はどっか作りもんみたいな雰囲気だったのに、ほんと変わったな」
「なんなんだ、意味がわからない」
「近そうで遠い月みたいだったのに、いまじゃ太陽の光を追っかけてる昼間に咲く花だ」
ちっとも噛み合わない会話。けれど峰岸は一人納得したみたいに小さく笑って頷く。その少し寂しそうな横顔に胸がもやもやとしたが、また道沿いのガードレールに腰を下ろした峰岸がゆるりと笑みを浮かべたのを見て、思わず舌打ちしてしまった。
「甘いなぁお前は。俺を一人にしたこと後悔するなんてらしくもない。今更そんなものはいらねぇよ。お前が優しいのは気色悪い」
「……お前は一体なにしに来た」
昔話をわざわざしに来たわけではないだろう。あの時のことを蒸し返したいわけでもないはずだ。
一年の半ば頃、夏休みが終わってしばらく過ぎたくらいに、なぜか峰岸だけが内々に呼び出された。Rabbitに出入りしているのを見られたらしいと言っていたが、一緒にいたはずの俺に声がかかることもお咎めもなく、事実を認めたという理由で峰岸も厳重注意で済まされた。でもなにかをこいつが全部飲み込んだと思う。
少しずつ俺を避けだした峰岸は、一緒にいるとよくないことが起きそうだからと、笑ってはぐらかした。それをいつもの気まぐれだと思って、俺はこいつを放っておいてしまったんだ。俺の知らないところでなにかが起きているのかもしれない、そう思った時にはもう二人のあいだは随分と離れてしまっていた。
「峰岸」
「……なぁ、知ってるか」
俺の言葉を遮るように言葉を投げた峰岸は、こちらを見てにやりと笑う。この男はこうやって深いところに俺に立ち入らせない。面倒ごとはすべて飲み込んでしまう。
「あの日センセ、お前に会いに行く前に知らねぇ男と会ってた。金髪でえらく顔の整った綺麗な男。ほんとに好きな奴がいるからって謝ってたっけ」
「なんで」
知っているのかと聞きかけて、その言葉は飲み込んだ。あの日この場所であの人がくれた想いの裏側で起きたことなど、今更知っても仕方がない気がした。
月島渉――そういえばあれ以来、姿を存在を見せない。あの男がずっと彼を追いかけていたのは知っている。でも俺はそれをなかったことのように、頭の片隅からさえも消した。
あの人の、佐樹さんの想いだけを抱いていないと、余計なことで気持ちが揺れて彼を傷つけることになる。だからあの日のことを知っている峰岸の気持ちなど、いまの俺は知らなくていいんだ。
「センセ、いまが幸せなんだろうな。可愛いくらい真っ白でまっすぐで……見てると危なっかしい。あんまふわふわしてっとお前ら、どっかで怪我するぜ」
「余計なお世話だ」
わかってる。
そんなことはわかっている。お互いの気持ちが寄り添う度、少しずつ氷が溶けるみたいに張り詰めていたあの人の心も緩やかに変化してきた。でも時折甘えてくれるそれが嬉しいと思う反面、まっさら過ぎて危ういと思えてしまうこともあった。いままで人に対して壁を作っていた彼が、他人に無防備な笑みを浮かべる。いいことだけじゃなくて、悪いことまで引き寄せそうで怖い。
あの人が見かけによらず強い人だというのは知っている。なによりも自分より大人で聡明だ。人の心の機微には敏感でそっと手を伸ばしてくれる優しささえある。でも彼の笑顔が誰かのせいで傷つけられてしまうのは嫌だと思う。もしその誰かが自分だったりしたら、自分自身が許せないだろう。
周りが見えなくなるような恋をしている。そのことに自覚はある。
「お前さ、頭に血が上ると周り見えなくなるだろ? 二人で自爆すんなよ。俺ができんのはお前らの外っ側の虫、追っ払うくらいだ」
やっぱり面倒くさい予感は的中だ。
峰岸の勘はいままで外れた例しがない。いつだって先にキレるのは自分で、でもこいつは飄々とした顔でそれをうまく片付けてしまう。周りの抱くイメージとは異なり自制心がないのは俺で、冷静なのはいつも峰岸だった。それなのに警告だけで身を引かれた。それは本当にどうにもならないようなことが起きると、言われたようなものではないか。
「なぁ、優哉。見失うなよ」
「……」
立ち尽くした俺を呼ぶその声を、随分と久しぶりに聞いた気がした。峰岸が自分をいつからそう呼ばなくなったのか、それさえも忘れてしまった。
「じゃあな」
俺の肩を軽く叩き、足早に横を通り過ぎて行った峰岸の背中を振り返ることが俺はできなかった。振り返ったその先に、見えない一線を引かれたような気がした。
その様子は初めてあの人にメールをもらった時のことを思い出すけれど、もちろんそこにいる人はその時とは違う。
「おいコラ、藤堂シカトしてんじゃねぇ」
わざと気づかぬふりをしてその前を通り過ぎようとしたら、案の定不機嫌そうな声が俺を呼び止めた。蹴り飛ばされた小石が足元に転がる。
「なにしてるんだ」
「見りゃわかるだろ? お前を待ってたんだよ」
「ふぅん、珍しいな。いつもなら遠慮もなしに更衣室を陣取ってるくせに」
マネージャーの弟で、何度かバイトにも入ったことがある峰岸は、部外者でありながらもほぼ顔パスで守衛の前を通り過ぎることが可能だ。それを甘受するほうもどうかと思うが、いつもさも当たり前な顔であの場所に峰岸はいる。
「明日は雨か、雪でも降るか」
それなのに人目を避けるようにこんなとこで待ちぼうけているなんて、なんとなく面倒くさい予感がした。
「たまには二人で話したいこともあんだろ」
「俺にはないけどな」
足を止めない俺の後ろでゆっくりと立ち上がった峰岸は、さしてそれを気にした素振りも見せずに、軽い身のこなしで歩みより真後ろから腕を伸ばしてきた。
「相変わらず冷てぇ男だな」
「お前の行動ただの変質者だぞ」
背中にかかった重みをとっさに振り払いかけて、一息つきそれを躊躇してしまった。けれどしがみつくように強く峰岸の腕が首に絡み、正直ウザったくて重たくて邪魔くさい。
「最近お前の大事なセンセはモテモテだぜ。ほっとくと悪い虫つくんじゃねぇ?」
「お前以上に悪い虫はいないと思うけどな」
「あ、そ、俺を当て馬にして周り牽制してるわけな。別にいいけど、お前がいいなら」
適当なふりして相変わらず察しのいい男だ。けれどそうでなければこんな厄介なのをあの人の傍に放置しておくわけがない。同趣の要素を持ち合わせる人間を傍に置いておくなんて、本当ならしたくはない。でも自分が常に傍にいて見守ってあげることも叶わない。ならば使えるものはなんだって利用させてもらう。
それでなくともあの人は無意識に多種多様な人間を集めてしまうところがある。しかもたちが悪いくらいに人好きする雰囲気で、昔から好意を寄せる人間があとを絶たない。
「でも、もし俺が本気になったらどうすんだ?」
「……ならない、だろ」
冗談交じりのその言葉に少しだけ心臓が跳ねた。言葉が少し詰まるように掠れてしまう。
自分の弱味を見せたがらないこの男は、普段は決して相手に本音を見せない。それなのに最近の峰岸はどこか無防備で、すっかりあの人に懐いてしまっている。本当に珍しいくらい。
「わかんねぇだろ?」
「ありえない」
彼をすごく大事には思っているかもしれない。でも多分きっと峰岸は彼に本気にはならないと思う。それは自分をまだ好きでいるという自惚れなどではなく、ただなぜかそんな気がする。いや、もしかしたら自分がそう思いたいだけなのかもしれないが、いま以上に二人の距離が近くなるはずはない。
「へぇ、そうか。まあ、お前が言うならそうなのかもな」
俺の心情を知ってか知らずか、まるで他人事のように納得しながら、峰岸はさもおかしそうに笑う。
「まあ、俺もどっちか選べねぇしな」
ふとため息に混じった峰岸の小さな呟きは、あえて聞かぬふりをした。
「いい加減、離れろ。歩きにくい」
しばらくずるずると峰岸を軽く引きずるように歩いていたが、さすがに図体のデカイ荷物を背負って駅まで歩く気にはならない。振りほどいてやろうと腕を掴んだら、思いのほかそれは呆気なく離れて行った。
「あんま、いい予感しないぜ」
「は?」
「お前とセンセ」
どこか神妙な声音に振り向けば、峰岸はまた顔を上げ空を眺めていた。その姿を訝しく思い首を捻って見せると、ふっと苦笑いを浮かべて峰岸の視線がこちらを向く。
「お前、すっかり人間らしくなったな。前はどっか作りもんみたいな雰囲気だったのに、ほんと変わったな」
「なんなんだ、意味がわからない」
「近そうで遠い月みたいだったのに、いまじゃ太陽の光を追っかけてる昼間に咲く花だ」
ちっとも噛み合わない会話。けれど峰岸は一人納得したみたいに小さく笑って頷く。その少し寂しそうな横顔に胸がもやもやとしたが、また道沿いのガードレールに腰を下ろした峰岸がゆるりと笑みを浮かべたのを見て、思わず舌打ちしてしまった。
「甘いなぁお前は。俺を一人にしたこと後悔するなんてらしくもない。今更そんなものはいらねぇよ。お前が優しいのは気色悪い」
「……お前は一体なにしに来た」
昔話をわざわざしに来たわけではないだろう。あの時のことを蒸し返したいわけでもないはずだ。
一年の半ば頃、夏休みが終わってしばらく過ぎたくらいに、なぜか峰岸だけが内々に呼び出された。Rabbitに出入りしているのを見られたらしいと言っていたが、一緒にいたはずの俺に声がかかることもお咎めもなく、事実を認めたという理由で峰岸も厳重注意で済まされた。でもなにかをこいつが全部飲み込んだと思う。
少しずつ俺を避けだした峰岸は、一緒にいるとよくないことが起きそうだからと、笑ってはぐらかした。それをいつもの気まぐれだと思って、俺はこいつを放っておいてしまったんだ。俺の知らないところでなにかが起きているのかもしれない、そう思った時にはもう二人のあいだは随分と離れてしまっていた。
「峰岸」
「……なぁ、知ってるか」
俺の言葉を遮るように言葉を投げた峰岸は、こちらを見てにやりと笑う。この男はこうやって深いところに俺に立ち入らせない。面倒ごとはすべて飲み込んでしまう。
「あの日センセ、お前に会いに行く前に知らねぇ男と会ってた。金髪でえらく顔の整った綺麗な男。ほんとに好きな奴がいるからって謝ってたっけ」
「なんで」
知っているのかと聞きかけて、その言葉は飲み込んだ。あの日この場所であの人がくれた想いの裏側で起きたことなど、今更知っても仕方がない気がした。
月島渉――そういえばあれ以来、姿を存在を見せない。あの男がずっと彼を追いかけていたのは知っている。でも俺はそれをなかったことのように、頭の片隅からさえも消した。
あの人の、佐樹さんの想いだけを抱いていないと、余計なことで気持ちが揺れて彼を傷つけることになる。だからあの日のことを知っている峰岸の気持ちなど、いまの俺は知らなくていいんだ。
「センセ、いまが幸せなんだろうな。可愛いくらい真っ白でまっすぐで……見てると危なっかしい。あんまふわふわしてっとお前ら、どっかで怪我するぜ」
「余計なお世話だ」
わかってる。
そんなことはわかっている。お互いの気持ちが寄り添う度、少しずつ氷が溶けるみたいに張り詰めていたあの人の心も緩やかに変化してきた。でも時折甘えてくれるそれが嬉しいと思う反面、まっさら過ぎて危ういと思えてしまうこともあった。いままで人に対して壁を作っていた彼が、他人に無防備な笑みを浮かべる。いいことだけじゃなくて、悪いことまで引き寄せそうで怖い。
あの人が見かけによらず強い人だというのは知っている。なによりも自分より大人で聡明だ。人の心の機微には敏感でそっと手を伸ばしてくれる優しささえある。でも彼の笑顔が誰かのせいで傷つけられてしまうのは嫌だと思う。もしその誰かが自分だったりしたら、自分自身が許せないだろう。
周りが見えなくなるような恋をしている。そのことに自覚はある。
「お前さ、頭に血が上ると周り見えなくなるだろ? 二人で自爆すんなよ。俺ができんのはお前らの外っ側の虫、追っ払うくらいだ」
やっぱり面倒くさい予感は的中だ。
峰岸の勘はいままで外れた例しがない。いつだって先にキレるのは自分で、でもこいつは飄々とした顔でそれをうまく片付けてしまう。周りの抱くイメージとは異なり自制心がないのは俺で、冷静なのはいつも峰岸だった。それなのに警告だけで身を引かれた。それは本当にどうにもならないようなことが起きると、言われたようなものではないか。
「なぁ、優哉。見失うなよ」
「……」
立ち尽くした俺を呼ぶその声を、随分と久しぶりに聞いた気がした。峰岸が自分をいつからそう呼ばなくなったのか、それさえも忘れてしまった。
「じゃあな」
俺の肩を軽く叩き、足早に横を通り過ぎて行った峰岸の背中を振り返ることが俺はできなかった。振り返ったその先に、見えない一線を引かれたような気がした。
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