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邂逅
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楽しげに笑う藤堂から逃れてキッチンに入った僕は、準備していた食事をカウンターテーブルに並べる。
「あれ? 佐樹さん、朝ご飯を作ったんですか」
「もう朝昼兼用だ」
欠伸を噛み締め、のんびりとした足取りでカウンターまでやってきた藤堂は、目を丸くしながらそこに乗せられている皿を見つめる。しかし作ったと言ってもそう大層なものではなく、ハムエッグにトースト、そしてサラダ。とりあえず切って焼いて盛ったというだけの代物だ。
「ああ、もう十一時だったんですね。佐樹さんは何時から起きてたの?」
「うーん、九時くらい」
椅子を引いて目の前に座った藤堂が、カウンターテーブルの上にある時計を見ながら小さく首を傾げる。その仕草に僕は肩をすくめ、珈琲をカップに注いだ。
「着替え、わざわざ買いに行ってくれたんですね」
「休みの日に起きてすぐ、制服を着るのってテンションが下がるだろ」
「ありがとうございます」
「うん」
至極嬉しそうに笑う藤堂の表情につられ、思わず頬が緩んでしまう。けれどそんなふわふわとした気分が恥ずかしくて、無駄に誤魔化そうとしたら、力み過ぎた眉間にしわが寄ってしまった。しかしそんなことはお見通しなのだろう、藤堂はますます笑みを深くする。
「やっぱりこういうのいいですね。朝起きたら佐樹さんがいて、一緒にご飯食べて、なに気ない時間を過ごせるって、すごく幸せな気分」
「大袈裟だな」
「でもほんとにそう思います」
「んー、まあ。思うけど」
思わず素っ気ないもの言いになってしまったが、藤堂の言うようにのんびり過ぎるほどのんびりとしたこの時間は、確かに自分も幸せを感じる。もっと一緒にいる時間を増やすことができればいいとさえ思う。けれどそれは簡単そうでひどく難しい。
「ねぇ佐樹さん」
「ん?」
二つのカップを手に、カウンターへ回った僕を藤堂はじっと見つめる。
「なんだ?」
その視線に僕が首を傾げれば、カップを手から取り上げられテーブルに置かれた。藤堂の行動の意図がよくわからずますます首を捻ると、今度は手を取られ隣り合わせの椅子に座らされる。
「土曜日の夜は、ここに来てもいいですか?」
「え?」
まるで自分の気持ちが見透かされていたみたいで、藤堂の言葉に僕の心臓は跳ね上がった。
「もちろん佐樹さんが都合のいい時ですけど。一緒にいさせてくれませんか」
毎週日曜日、藤堂はバイトが休みだ。土曜日のバイト終わりに来てくれれば、次の日は夕方か夜まで、時間を気にせず一緒にいられる。しかしそれは普段でも少ない藤堂のプライベートな時間を、僕が奪ってしまうことにもなる。だからそう思っても口には出せなかった。
「迷惑ですか?」
「……じゃない。迷惑なんかじゃない」
「一緒にいてもいい?」
「ああ」
「じゃあ、土曜日はここに帰ってくるので、都合の悪い日は連絡くださいね」
気恥ずかしさと嬉しさで頭も気持ちもごちゃ混ぜで、自分がいまどんな表情をしているのか、それさえわからなくなる。俯いてじっと握られた手を見つめていると、ふいに持ち上げられた指先へ唇が寄せられる。
おまじない――あなたが幸せになれるように。
ふと初めて出会った時の、藤堂の言葉を思い出した。いつもなに気ない素振りで繰り返すこの行為に含まれる優しさは、いつも自分を温かさで包み癒やしてくれる。いままでこうして触れられるたび感じていた、切ないような苦しさは、それを忘れている自分に対するものだったんだ。大事なことを忘れている自分に自分が伝えようとしていた。
これがどれほど大切な行為なのかということを。
「なあ、藤堂」
その優しさに、自分はちゃんと応えられているだろうか。
「なんですか?」
「進路って、どうするんだ」
「え? 進路ですか?」
突然なんの脈絡もない問いかけをされ、藤堂は一瞬固まり、ゆるりと首を傾げる。
「……とりあえず、家を出ていまのバイト先で働きながら、そこで紹介して貰った専門行く予定です」
「え、家を出るって、もしかしてあれから親御さんと、うまくいってないのか?」
専門学校へ行くまでは予想できていたが、まさか家まで出るとは思いもしなかった。
「うまく、と言うか……なんでしょうね。赤の他人同士が一緒に暮らしてる感じです。けど、いまは生活の面倒も見て貰ってますし、干渉し合わないので楽ですけどね」
ふっと困惑したような表情で笑う藤堂の様子からは、まったく好転の兆しは感じられない。
「だから……毎日バイトを入れてるんだな。お前は働き過ぎだって言うのに」
「なにかと入り用ですから」
苦笑いを浮かべて肩をすくめる藤堂に、思わずため息をついてしまった。いつからそう考えていたのか――正直、胸が痛むばかりで知りたくもない。
「いま、言うつもりはなかったんだけど気が変わった」
「なんですか?」
「卒業して家を出るなら、ここに来い。ここで一緒に暮らそう」
僕が藤堂に返せるものは、多分これくらいしかないと思う。叶うなら僕は、藤堂の家族になりたい。でもそれは現実的に考えると少し困難だ。だからせめて、彼の帰る場所になれればそれだけでいい。
「いますぐ決めなくても」
「……俺は、どんなことがあっても佐樹さんがいるところに必ず帰ってくるから」
「藤堂?」
ふいに過ぎる触れるだけの優しい口づけと、自分を見つめる彼の温かな微笑み。やはりすべてを見透かされているような気がする。
「俺の最後に帰る場所は佐樹さん、あなただよ。ありがとう、すごく嬉しいです」
その優しさにひどく泣きそうになる。
僕らのはじまりは思いがけぬ巡り合わせだった。けれどいまはそれさえも必然に変わり始めたような気がする。
「ん、わかった。じゃあ、ここでお前のこと、待ってる」
もしかしたら――本当のはじまりは、これからなのかもしれない。
[邂逅 / end]
「あれ? 佐樹さん、朝ご飯を作ったんですか」
「もう朝昼兼用だ」
欠伸を噛み締め、のんびりとした足取りでカウンターまでやってきた藤堂は、目を丸くしながらそこに乗せられている皿を見つめる。しかし作ったと言ってもそう大層なものではなく、ハムエッグにトースト、そしてサラダ。とりあえず切って焼いて盛ったというだけの代物だ。
「ああ、もう十一時だったんですね。佐樹さんは何時から起きてたの?」
「うーん、九時くらい」
椅子を引いて目の前に座った藤堂が、カウンターテーブルの上にある時計を見ながら小さく首を傾げる。その仕草に僕は肩をすくめ、珈琲をカップに注いだ。
「着替え、わざわざ買いに行ってくれたんですね」
「休みの日に起きてすぐ、制服を着るのってテンションが下がるだろ」
「ありがとうございます」
「うん」
至極嬉しそうに笑う藤堂の表情につられ、思わず頬が緩んでしまう。けれどそんなふわふわとした気分が恥ずかしくて、無駄に誤魔化そうとしたら、力み過ぎた眉間にしわが寄ってしまった。しかしそんなことはお見通しなのだろう、藤堂はますます笑みを深くする。
「やっぱりこういうのいいですね。朝起きたら佐樹さんがいて、一緒にご飯食べて、なに気ない時間を過ごせるって、すごく幸せな気分」
「大袈裟だな」
「でもほんとにそう思います」
「んー、まあ。思うけど」
思わず素っ気ないもの言いになってしまったが、藤堂の言うようにのんびり過ぎるほどのんびりとしたこの時間は、確かに自分も幸せを感じる。もっと一緒にいる時間を増やすことができればいいとさえ思う。けれどそれは簡単そうでひどく難しい。
「ねぇ佐樹さん」
「ん?」
二つのカップを手に、カウンターへ回った僕を藤堂はじっと見つめる。
「なんだ?」
その視線に僕が首を傾げれば、カップを手から取り上げられテーブルに置かれた。藤堂の行動の意図がよくわからずますます首を捻ると、今度は手を取られ隣り合わせの椅子に座らされる。
「土曜日の夜は、ここに来てもいいですか?」
「え?」
まるで自分の気持ちが見透かされていたみたいで、藤堂の言葉に僕の心臓は跳ね上がった。
「もちろん佐樹さんが都合のいい時ですけど。一緒にいさせてくれませんか」
毎週日曜日、藤堂はバイトが休みだ。土曜日のバイト終わりに来てくれれば、次の日は夕方か夜まで、時間を気にせず一緒にいられる。しかしそれは普段でも少ない藤堂のプライベートな時間を、僕が奪ってしまうことにもなる。だからそう思っても口には出せなかった。
「迷惑ですか?」
「……じゃない。迷惑なんかじゃない」
「一緒にいてもいい?」
「ああ」
「じゃあ、土曜日はここに帰ってくるので、都合の悪い日は連絡くださいね」
気恥ずかしさと嬉しさで頭も気持ちもごちゃ混ぜで、自分がいまどんな表情をしているのか、それさえわからなくなる。俯いてじっと握られた手を見つめていると、ふいに持ち上げられた指先へ唇が寄せられる。
おまじない――あなたが幸せになれるように。
ふと初めて出会った時の、藤堂の言葉を思い出した。いつもなに気ない素振りで繰り返すこの行為に含まれる優しさは、いつも自分を温かさで包み癒やしてくれる。いままでこうして触れられるたび感じていた、切ないような苦しさは、それを忘れている自分に対するものだったんだ。大事なことを忘れている自分に自分が伝えようとしていた。
これがどれほど大切な行為なのかということを。
「なあ、藤堂」
その優しさに、自分はちゃんと応えられているだろうか。
「なんですか?」
「進路って、どうするんだ」
「え? 進路ですか?」
突然なんの脈絡もない問いかけをされ、藤堂は一瞬固まり、ゆるりと首を傾げる。
「……とりあえず、家を出ていまのバイト先で働きながら、そこで紹介して貰った専門行く予定です」
「え、家を出るって、もしかしてあれから親御さんと、うまくいってないのか?」
専門学校へ行くまでは予想できていたが、まさか家まで出るとは思いもしなかった。
「うまく、と言うか……なんでしょうね。赤の他人同士が一緒に暮らしてる感じです。けど、いまは生活の面倒も見て貰ってますし、干渉し合わないので楽ですけどね」
ふっと困惑したような表情で笑う藤堂の様子からは、まったく好転の兆しは感じられない。
「だから……毎日バイトを入れてるんだな。お前は働き過ぎだって言うのに」
「なにかと入り用ですから」
苦笑いを浮かべて肩をすくめる藤堂に、思わずため息をついてしまった。いつからそう考えていたのか――正直、胸が痛むばかりで知りたくもない。
「いま、言うつもりはなかったんだけど気が変わった」
「なんですか?」
「卒業して家を出るなら、ここに来い。ここで一緒に暮らそう」
僕が藤堂に返せるものは、多分これくらいしかないと思う。叶うなら僕は、藤堂の家族になりたい。でもそれは現実的に考えると少し困難だ。だからせめて、彼の帰る場所になれればそれだけでいい。
「いますぐ決めなくても」
「……俺は、どんなことがあっても佐樹さんがいるところに必ず帰ってくるから」
「藤堂?」
ふいに過ぎる触れるだけの優しい口づけと、自分を見つめる彼の温かな微笑み。やはりすべてを見透かされているような気がする。
「俺の最後に帰る場所は佐樹さん、あなただよ。ありがとう、すごく嬉しいです」
その優しさにひどく泣きそうになる。
僕らのはじまりは思いがけぬ巡り合わせだった。けれどいまはそれさえも必然に変わり始めたような気がする。
「ん、わかった。じゃあ、ここでお前のこと、待ってる」
もしかしたら――本当のはじまりは、これからなのかもしれない。
[邂逅 / end]
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