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邂逅
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僕の視線に振り向いた彼は、戸惑う僕を労るように優しく笑う。でもぽつりぽつりと語る声はどこか寂しげで、彼の心を思うと喉の奥がひりひりと熱くなってくる。子供らしくない愁いを含む眼差しは、背伸びをしているわけでも、元から持っているわけでもない。きっと彼の置かれた環境がそうせざる得ない状況に追いやったのだ。
「父親が違うと色々不都合があるらしいんだけど、母親はそれを隠して結婚したみたいでさ。でも今頃そんなこと俺に言われたって、どうしようもない」
肩をすくめた彼の表情は、切なくなるくらい諦めを含んだものだった。本来ならもっと、屈託なく笑える年頃のはずだ。それなのに彼はやけに大人びた雰囲気をまとって笑う。
「そんなの絶対におかしい。親の都合で君が疎まれるなんて理不尽だ」
「……」
呟いた僕の声に目を細めた彼の表情からは、その気持ちを読み取ることができない。馬鹿にされたと思ってしまっただろうか。同情なんて本人からすれば迷惑なだけかもしれない。でもどうして彼がこんな思いをしなければいけないのか。
「そんな顔しないで、変な話を聞かせてごめん」
「いや、こっちが聞いたんだ。……悪い」
興味本位で聞こうとした自分の浅はかさに心底嫌気がさす。けれど彼は思わず立ち止まってしまった僕の頬を、そっとなだめるように撫でた。そしてその感触に顔を上げれば、やんわりと目を細めて微笑んでくれる。
「そんなことないよ。あなたはすごく優しい人だ。こんなあなたを遺して逝った人が、ちょっと妬ましい」
「え?」
彼の言葉に僕は思わず目を瞬かせてしまった。しかし至極優しく微笑んだ彼の顔を見つめていると、ふいに繋がれた手を引き寄せられる。そしてゆっくりと持ち上げられたその手の先に、彼の唇が触れた。あまりにもさり気ないその仕草に、火がついたように顔が熱くなる。
「な、なんだ」
「おまじない、かな」
「なんの?」
うろたえた僕を見て、彼は悪戯っ子のような目をして笑う。そしてまた手を握り、再び同じ場所へ唇を落とした。ほんの少しのぬくもりなのに、なぜだかそこに熱を持ったような気持ちになる。
「あなたが幸せになれるように」
「どうして、そんなに君は僕に優しいんだ」
彼は僕を見かけたと言っていたが、実際にはまだお互い顔を合わせるのは初めてだ。あの時の僕を見ていたとしても、僕のことなどなにもわからないだろう。でも――彼の温かさには偽りがない気がして、疑えない。まっすぐなその瞳があまりにも綺麗過ぎる。
「あの日あなたに会って、放っておけない気持ちになった。傍に行って抱きしめたいって思った。けどあんな状況じゃ、そんなこともできないし、だから今日会えて嬉しかったよ。場面的には、かなり焦ったけどね」
苦笑いを浮かべながらも、どこか照れたように笑う彼の表情に僕は首を傾げた。
「それってどういう意味だ?」
「……好きなんだ。あの日から忘れられなくて」
僕が問いかけたのと同時か、ふいに彼に腕を引かれ抱き寄せられた。彼の胸元からは、少し忙しない心音が聞こえる。その音に自分の音が重なって、つられるように鼓動が速くなった。
「見ず知らずの人間に、いきなりこんなこと言われても迷惑だよね」
「そんなこと、ない。けど見てわかる通り僕は男だし、それはどう意味で捉えたらいいんだろうか」
じっと僕を見つめる彼を戸惑いながら見上げると、ふいに顔を強張らせた彼が離れていく。肩を押され引き離されると、じんわりと感じていた熱までなくなってしまう。心許ない気持ちで彼を見つめるけれど、彼は口を引き結び目を伏せた。
「……そうか、そうだよな、ごめん。いまのは聞かなかったことにしていいよ」
「なんで、いまのは嘘?」
少し泣きそうに歪んだ彼の表情に、ひどく僕は動揺した。とっさに彼の両腕を掴むが、拒むように身をよじられる。僕はまたなにかを間違えてしまったのだろうか。
「嘘じゃないけど、俺の想いはあなたに相応しくない。ごめん、気持ち悪かったよね」
「違う、そんなつもりで言ったんじゃない。嫌じゃない。ただ男の人にそんなことを言われるのは初めてだったから、だから」
彼のまっすぐな気持ちは、本当に嫌ではない。むしろ彼のぬくもりと優しさを感じて、できることならばもっと傍にいて欲しいとさえ思う。けれどしがみ付くように彼の手を握れば、僕の手を見下ろし困ったように笑った。そして僕の目をひどく悲しそうに見つめる。
「いま、寂しい?」
「え?」
小さな彼の声で、僕はその呟かれた言葉と表情の意味を知った。
「……ごめん、寂しい。すごく寂しいよ」
「仕方ないことだから、そんなに泣きそうな顔しないで」
再び優しく抱きしめてくれる彼に、胸が痛んで息が止まりそうになる。
彼は僕を好きだと言ってくれた。それなのに、僕は寂しくて傍にいて欲しいと言った。寂しさを埋めたくて、彼の気持ちと優しさにすがろうとしたのだ。
「でも、嫌じゃない。本当に僕はそんな風に思っていない」
「じゃあ、そうだな。もしこの先また俺とあなたが出逢えて、あなたがいまの寂しさを抱えていなかったら、もう一度言う。だからその時また、答えを聞かせて」
そっと僕の頬に口づけて、彼はなだめすかすように何度も背を撫でてくれた。そんな彼の優しさに、枯れていた涙が溢れそうになる。もしかしたらこれで最後になるのかもしれない。そう思ったら、離れてしまいたくないなんて考えさえもよぎる。
「それはいつだ」
「さすがにそれは、わからないけど」
問い詰めるような僕の剣幕に苦笑いを浮かべ、彼は少し思案するように首を傾げる。その瞳がこちらを向くまで見つめると、やんわりと温かい光を宿した目を向けられた。
「もしもいま、あなたがすべてを捨てて死んでしまっても、絶対に誰も救われない。だから俺はあなたには生きていて欲しいと思うよ」
「……それは生きてれば、会えるかもしれないってことか?」
「うん、すごく大雑把な約束だけどね」
「それでもいい。僕はまた、君に会いたい」
愛おしむような優しい目で、僕を見つめる彼がくれた小さな約束。それがたとえどんなに曖昧だったとしても、あの時の僕はそれが嬉しいと確かに感じた。彼への想いは寂しさから来るものだったかもしれない。それでも目の前にいる彼の存在が、その時なによりも色鮮やかに見えた。
いま思い返してみれば、あの時の僕たちには本当にお互いが必要だったのかもしれない。結局あの日の出来事を僕は一人で抱え生きて行くことができなかった。彼女に対する深い罪悪感と共に、生きて行くには重過ぎる感情と記憶を、心の奥底にしまい込んでしまった。
そして彼もまた、そんな記憶に紛れ僕の中から消えた。
「父親が違うと色々不都合があるらしいんだけど、母親はそれを隠して結婚したみたいでさ。でも今頃そんなこと俺に言われたって、どうしようもない」
肩をすくめた彼の表情は、切なくなるくらい諦めを含んだものだった。本来ならもっと、屈託なく笑える年頃のはずだ。それなのに彼はやけに大人びた雰囲気をまとって笑う。
「そんなの絶対におかしい。親の都合で君が疎まれるなんて理不尽だ」
「……」
呟いた僕の声に目を細めた彼の表情からは、その気持ちを読み取ることができない。馬鹿にされたと思ってしまっただろうか。同情なんて本人からすれば迷惑なだけかもしれない。でもどうして彼がこんな思いをしなければいけないのか。
「そんな顔しないで、変な話を聞かせてごめん」
「いや、こっちが聞いたんだ。……悪い」
興味本位で聞こうとした自分の浅はかさに心底嫌気がさす。けれど彼は思わず立ち止まってしまった僕の頬を、そっとなだめるように撫でた。そしてその感触に顔を上げれば、やんわりと目を細めて微笑んでくれる。
「そんなことないよ。あなたはすごく優しい人だ。こんなあなたを遺して逝った人が、ちょっと妬ましい」
「え?」
彼の言葉に僕は思わず目を瞬かせてしまった。しかし至極優しく微笑んだ彼の顔を見つめていると、ふいに繋がれた手を引き寄せられる。そしてゆっくりと持ち上げられたその手の先に、彼の唇が触れた。あまりにもさり気ないその仕草に、火がついたように顔が熱くなる。
「な、なんだ」
「おまじない、かな」
「なんの?」
うろたえた僕を見て、彼は悪戯っ子のような目をして笑う。そしてまた手を握り、再び同じ場所へ唇を落とした。ほんの少しのぬくもりなのに、なぜだかそこに熱を持ったような気持ちになる。
「あなたが幸せになれるように」
「どうして、そんなに君は僕に優しいんだ」
彼は僕を見かけたと言っていたが、実際にはまだお互い顔を合わせるのは初めてだ。あの時の僕を見ていたとしても、僕のことなどなにもわからないだろう。でも――彼の温かさには偽りがない気がして、疑えない。まっすぐなその瞳があまりにも綺麗過ぎる。
「あの日あなたに会って、放っておけない気持ちになった。傍に行って抱きしめたいって思った。けどあんな状況じゃ、そんなこともできないし、だから今日会えて嬉しかったよ。場面的には、かなり焦ったけどね」
苦笑いを浮かべながらも、どこか照れたように笑う彼の表情に僕は首を傾げた。
「それってどういう意味だ?」
「……好きなんだ。あの日から忘れられなくて」
僕が問いかけたのと同時か、ふいに彼に腕を引かれ抱き寄せられた。彼の胸元からは、少し忙しない心音が聞こえる。その音に自分の音が重なって、つられるように鼓動が速くなった。
「見ず知らずの人間に、いきなりこんなこと言われても迷惑だよね」
「そんなこと、ない。けど見てわかる通り僕は男だし、それはどう意味で捉えたらいいんだろうか」
じっと僕を見つめる彼を戸惑いながら見上げると、ふいに顔を強張らせた彼が離れていく。肩を押され引き離されると、じんわりと感じていた熱までなくなってしまう。心許ない気持ちで彼を見つめるけれど、彼は口を引き結び目を伏せた。
「……そうか、そうだよな、ごめん。いまのは聞かなかったことにしていいよ」
「なんで、いまのは嘘?」
少し泣きそうに歪んだ彼の表情に、ひどく僕は動揺した。とっさに彼の両腕を掴むが、拒むように身をよじられる。僕はまたなにかを間違えてしまったのだろうか。
「嘘じゃないけど、俺の想いはあなたに相応しくない。ごめん、気持ち悪かったよね」
「違う、そんなつもりで言ったんじゃない。嫌じゃない。ただ男の人にそんなことを言われるのは初めてだったから、だから」
彼のまっすぐな気持ちは、本当に嫌ではない。むしろ彼のぬくもりと優しさを感じて、できることならばもっと傍にいて欲しいとさえ思う。けれどしがみ付くように彼の手を握れば、僕の手を見下ろし困ったように笑った。そして僕の目をひどく悲しそうに見つめる。
「いま、寂しい?」
「え?」
小さな彼の声で、僕はその呟かれた言葉と表情の意味を知った。
「……ごめん、寂しい。すごく寂しいよ」
「仕方ないことだから、そんなに泣きそうな顔しないで」
再び優しく抱きしめてくれる彼に、胸が痛んで息が止まりそうになる。
彼は僕を好きだと言ってくれた。それなのに、僕は寂しくて傍にいて欲しいと言った。寂しさを埋めたくて、彼の気持ちと優しさにすがろうとしたのだ。
「でも、嫌じゃない。本当に僕はそんな風に思っていない」
「じゃあ、そうだな。もしこの先また俺とあなたが出逢えて、あなたがいまの寂しさを抱えていなかったら、もう一度言う。だからその時また、答えを聞かせて」
そっと僕の頬に口づけて、彼はなだめすかすように何度も背を撫でてくれた。そんな彼の優しさに、枯れていた涙が溢れそうになる。もしかしたらこれで最後になるのかもしれない。そう思ったら、離れてしまいたくないなんて考えさえもよぎる。
「それはいつだ」
「さすがにそれは、わからないけど」
問い詰めるような僕の剣幕に苦笑いを浮かべ、彼は少し思案するように首を傾げる。その瞳がこちらを向くまで見つめると、やんわりと温かい光を宿した目を向けられた。
「もしもいま、あなたがすべてを捨てて死んでしまっても、絶対に誰も救われない。だから俺はあなたには生きていて欲しいと思うよ」
「……それは生きてれば、会えるかもしれないってことか?」
「うん、すごく大雑把な約束だけどね」
「それでもいい。僕はまた、君に会いたい」
愛おしむような優しい目で、僕を見つめる彼がくれた小さな約束。それがたとえどんなに曖昧だったとしても、あの時の僕はそれが嬉しいと確かに感じた。彼への想いは寂しさから来るものだったかもしれない。それでも目の前にいる彼の存在が、その時なによりも色鮮やかに見えた。
いま思い返してみれば、あの時の僕たちには本当にお互いが必要だったのかもしれない。結局あの日の出来事を僕は一人で抱え生きて行くことができなかった。彼女に対する深い罪悪感と共に、生きて行くには重過ぎる感情と記憶を、心の奥底にしまい込んでしまった。
そして彼もまた、そんな記憶に紛れ僕の中から消えた。
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