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想い
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煌びやかなシャンデリア。耳に優しく響くピアノとバイオリンの音色。そしてそれに紛れて微かに聞こえる食器の触れ合う音。
温かな明かりが灯る空間はセピア色に映り、どこかノスタルジックな風景。赤い絨毯の上を至極満足気な笑みを浮かべて歩く老夫婦を見送れば、その後ろ姿はアンティークの調度品と相まって、まるで映画のワンシーンのようだ。
「またのお越しをお待ちしております」
恭しく頭を下げれば、ぜひまた近いうちにと言って二人は笑った。
「いやー、助かった!」
テーブルの食器を片付け厨房へ入れば、急に肩を叩かれる。その手を振り返ると、ホール係の制服ではなくスーツを着た男が、こちらを見ながらニコニコと笑みを浮かべていた。その姿にふっと重たいため息を吐き出してしまった。
「拓真さん、いきなり声をかけないでください。俺、いま手が塞がってるんで」
にこやかなその笑顔に目を細めれば、悪い悪いと彼は口先ばかりの謝罪をする。
やや目尻の下がった切れ長の目に少し長めの明るい茶髪。人好きする笑みを浮かべる細身でスラリとした彼は、このレストラン、タン・カルムの店長にあたる人物だ。
「でも、ほんとに助かったよ。ホールの子が急に休んじゃって人が足りなかったからさ、ありがとな優哉」
「もうやりませんよ」
元々は厨房専門でこちらはホールのことはあまりよくわからない。忙しい時に駆り出されると、正直足でまといになりそうで嫌なのだ。少し拓真さんの言葉に被せる勢いで告げれば、まあまあとよくわからない返事をされる。
「そう何回も貸して貰えるとは思ってないけどな。料理長がおっかない顔をするし」
ははっと彼が軽く笑えば厨房の奥から、人が足りないなら仕事しろと、噂の料理長に一喝された。
「マネージャー、外に出てもらっていいですか」
「はいはい」
苦笑いを浮かべ肩をすくめていると、彼はさらにホールからも急かされた。そして参ったね、モテモテだ俺、などと呟きながらも足早にホールへと向かう。だがふいに彼は振り返り俺のことを指差した。
「あ、優哉。それを片したら今日は上がっていいぞ」
「え? まだ時間は」
急な言葉に驚いて時計を見れば、まだ時刻は二十時を回ったばかりだった。いつもの俺の就業時間は二十一時半までだ。
「今日はボーナスで上乗せといてやるから、帰って寝ろ。疲れた顔しやがって、学生の本分は勉強だぞ。久我さんの許可済み」
じゃあと言ってホールへ戻っていく彼の背を、驚きながら俺は見送った。
まさか本調子ではないことを見抜かれているとは思わなかった。そういえば彼は一見ホストかと思える顔立ちで雰囲気はいささか軽いが、若い割に仕事ができると料理長の久我さんは言っていた。
でも確かにここは有名ホテルにある看板的なレストランだ。そこをまだ三十路にも手が届かないような男が店長として仕切っている。人望や頭のよさ、そして腕がなければ難しいだろう。――がしかし、それを言えば図に乗るから言うなとも言っていた。なんとかは紙一重といったところか。
「早く片付けて帰っちまえ。代わりに瑛治を呼んでこい」
「あ、はい」
ホール係に的確な指示をしながらも、無駄な動きなく働く拓真さんの後ろ姿をぼんやりと見ていると、ふいに久我さんに声をかけられる。
「次は厨房入れよ」
壮年を過ぎて少々気難しさがあるが、長くこの店の味を一流に保つだけの腕がやはりある。図らずもその世界を目指す者としては、この人にそう言葉をかけて貰えるだけで素直に喜ばしい。
「あ、お疲れ優哉くん」
二人の言葉に甘え更衣室に戻れば、椅子に腰かけていた人物がふいに赤茶色い頭を上げ、こちらを振り返った。携帯電話をいじっていたらしい彼はそれを閉じて俺に手を上げる。
「瑛治さん、久我さんが早く戻って来いって」
「あ、ほんと? もうそんな時間か」
やばっと小さく呟き、瑛治さんは放り投げられていたコックコートに袖を通す。立ち上がった彼は随分と背が高い。
「久我さんまた怒ってる?」
「いえ、怒ってはなかったですよ」
どこかおっとりした雰囲気の瑛治さんは、久我さんにいつも怒鳴られたり、使えないと言われたりしているが、実のところ一番信頼されている右腕的存在だ。なので以前なぜそんなにきつく言うのかと思わず聞いたことがある。
その理由は褒めると伸びない、だった。なるほどと思ったと同時に、久我さんは本当によく人を見ているとしみじみ実感した瞬間でもあった。
「また電話?」
「ん、今日はメール」
携帯電話をロッカーに放り込んだ彼に首を傾げると、苦笑いを浮かべて肩をすくめられた。彼はいつも休憩時間に携帯電話をいじっている。付き合っている相手にマメに連絡をしているようだ。
「先輩、怒って口聞いてくんないの」
「こないだも喧嘩してましたよね?」
仲が悪いわけではないようだが、彼とその相手とはよく喧嘩ばかりしている。喧嘩するほど仲がいいという典型なのかもしれないが、本人はそのたびに肩を落としている。
「それは、まあ」
急にしょぼんとうな垂れた姿に苦笑してしまった。二十代半ばにもなるいい大人がなんとも情けない顔をする。それだけ相手に本気とも取れるけれど。
「年上ってやっぱり気難しいのかなぁ。うちはそんなに離れてないけど、男としてのプライドなのか気を使い過ぎたり、優しくし過ぎたりしても怒るんだ」
「元々ノンケの瑛治さんには難問だな」
「え! やっぱりそういうのって関係あるの?」
「うーん、感覚の違いかもしれないですね。対等でありたいんじゃないですか」
本人的にはこっそりと恋人との時間を共有しているつもりでいるようだが、この職場で彼に恋人がいることを知っているのは八割だろう。
そんな彼にいつの間にか恋愛相談を持ちかけられるようになった。相手は大学時代の先輩で、しかも男だと聞いた時は驚いた。さらに驚いたのは相手の家に押しかけて、強硬手段で居ついてしまっているという現状。俺も元々瑛治さんに付き合っている人がいるのは噂で知っていたので、真実を聞くまでは人当たりもよく優しい彼には、普通に可愛らしい彼女がいるのだろうと思っていた。
いまでこそこちらの性癖も知る彼だが、相談された当初はよくそんな話をしようという気になったものだと思った。口が堅そうだからと言う理由だったが、元が元だけに怖いもの知らずなのかもしれない。けれどあまりにも潔いその態度は少し羨ましくもある。俺には到底真似できないまっすぐさだ。
「まあ、瑛治さん優しいところは長所だとは思いますけど」
「でも優し過ぎると駄目なんだよね。難しい、わかんない!」
がっくりとうな垂れた姿につい笑ってしまった。好きな相手を女性のように扱ってしまうその心理はわからないでもない。彼にとっては極自然なことだろうし、誰しも好きな相手には優しくしたいものだ。
「そういう優哉くんはどうなんだよ」
「あの人はそういうのに疎いのであまり気にしてないと思いますよ」
あまり優しくし過ぎると照れて慌てふためいてしまうところはあるけれど、その内側にある俺の愛おしさを感じ取っていてくれるかと言うと、それは謎だ。
「なに気に両想いなんじゃないの?」
「だったら嬉しいですけど」
にやにやと笑みを浮かべ、細められた目にため息が漏れる。
丸二日も顔を合わさず言い訳もないままでは、いくら疎いと言っても愛想を尽かされても文句は言えない。いや、まったく向こうからも連絡がないことを考えれば、愛想どころか。そもそもなんとも想われていない可能性だってある。
「メールか電話してみたら」
「そうですね」
そう呟きながら白いシャツとサロンをクリーニング行きの籠に放り込むと、目の前のロッカーから微かに鈍い音が聞こえた。ハンガーにかかっていた制服に袖に通し、鞄から着信を知らせ点滅する携帯電話を取り出す。
「え?」
その着信に俺は思わず目を疑った。
「どうしたの優哉くん」
「お疲れ様です」
「は?」
その着信を認めてから次の行動に移るまで、自分でも驚くほどに早かった。とりあえず形だけの身支度を調え、驚きをあらわにされていることなど気にも留めず俺は走り出した。
温かな明かりが灯る空間はセピア色に映り、どこかノスタルジックな風景。赤い絨毯の上を至極満足気な笑みを浮かべて歩く老夫婦を見送れば、その後ろ姿はアンティークの調度品と相まって、まるで映画のワンシーンのようだ。
「またのお越しをお待ちしております」
恭しく頭を下げれば、ぜひまた近いうちにと言って二人は笑った。
「いやー、助かった!」
テーブルの食器を片付け厨房へ入れば、急に肩を叩かれる。その手を振り返ると、ホール係の制服ではなくスーツを着た男が、こちらを見ながらニコニコと笑みを浮かべていた。その姿にふっと重たいため息を吐き出してしまった。
「拓真さん、いきなり声をかけないでください。俺、いま手が塞がってるんで」
にこやかなその笑顔に目を細めれば、悪い悪いと彼は口先ばかりの謝罪をする。
やや目尻の下がった切れ長の目に少し長めの明るい茶髪。人好きする笑みを浮かべる細身でスラリとした彼は、このレストラン、タン・カルムの店長にあたる人物だ。
「でも、ほんとに助かったよ。ホールの子が急に休んじゃって人が足りなかったからさ、ありがとな優哉」
「もうやりませんよ」
元々は厨房専門でこちらはホールのことはあまりよくわからない。忙しい時に駆り出されると、正直足でまといになりそうで嫌なのだ。少し拓真さんの言葉に被せる勢いで告げれば、まあまあとよくわからない返事をされる。
「そう何回も貸して貰えるとは思ってないけどな。料理長がおっかない顔をするし」
ははっと彼が軽く笑えば厨房の奥から、人が足りないなら仕事しろと、噂の料理長に一喝された。
「マネージャー、外に出てもらっていいですか」
「はいはい」
苦笑いを浮かべ肩をすくめていると、彼はさらにホールからも急かされた。そして参ったね、モテモテだ俺、などと呟きながらも足早にホールへと向かう。だがふいに彼は振り返り俺のことを指差した。
「あ、優哉。それを片したら今日は上がっていいぞ」
「え? まだ時間は」
急な言葉に驚いて時計を見れば、まだ時刻は二十時を回ったばかりだった。いつもの俺の就業時間は二十一時半までだ。
「今日はボーナスで上乗せといてやるから、帰って寝ろ。疲れた顔しやがって、学生の本分は勉強だぞ。久我さんの許可済み」
じゃあと言ってホールへ戻っていく彼の背を、驚きながら俺は見送った。
まさか本調子ではないことを見抜かれているとは思わなかった。そういえば彼は一見ホストかと思える顔立ちで雰囲気はいささか軽いが、若い割に仕事ができると料理長の久我さんは言っていた。
でも確かにここは有名ホテルにある看板的なレストランだ。そこをまだ三十路にも手が届かないような男が店長として仕切っている。人望や頭のよさ、そして腕がなければ難しいだろう。――がしかし、それを言えば図に乗るから言うなとも言っていた。なんとかは紙一重といったところか。
「早く片付けて帰っちまえ。代わりに瑛治を呼んでこい」
「あ、はい」
ホール係に的確な指示をしながらも、無駄な動きなく働く拓真さんの後ろ姿をぼんやりと見ていると、ふいに久我さんに声をかけられる。
「次は厨房入れよ」
壮年を過ぎて少々気難しさがあるが、長くこの店の味を一流に保つだけの腕がやはりある。図らずもその世界を目指す者としては、この人にそう言葉をかけて貰えるだけで素直に喜ばしい。
「あ、お疲れ優哉くん」
二人の言葉に甘え更衣室に戻れば、椅子に腰かけていた人物がふいに赤茶色い頭を上げ、こちらを振り返った。携帯電話をいじっていたらしい彼はそれを閉じて俺に手を上げる。
「瑛治さん、久我さんが早く戻って来いって」
「あ、ほんと? もうそんな時間か」
やばっと小さく呟き、瑛治さんは放り投げられていたコックコートに袖を通す。立ち上がった彼は随分と背が高い。
「久我さんまた怒ってる?」
「いえ、怒ってはなかったですよ」
どこかおっとりした雰囲気の瑛治さんは、久我さんにいつも怒鳴られたり、使えないと言われたりしているが、実のところ一番信頼されている右腕的存在だ。なので以前なぜそんなにきつく言うのかと思わず聞いたことがある。
その理由は褒めると伸びない、だった。なるほどと思ったと同時に、久我さんは本当によく人を見ているとしみじみ実感した瞬間でもあった。
「また電話?」
「ん、今日はメール」
携帯電話をロッカーに放り込んだ彼に首を傾げると、苦笑いを浮かべて肩をすくめられた。彼はいつも休憩時間に携帯電話をいじっている。付き合っている相手にマメに連絡をしているようだ。
「先輩、怒って口聞いてくんないの」
「こないだも喧嘩してましたよね?」
仲が悪いわけではないようだが、彼とその相手とはよく喧嘩ばかりしている。喧嘩するほど仲がいいという典型なのかもしれないが、本人はそのたびに肩を落としている。
「それは、まあ」
急にしょぼんとうな垂れた姿に苦笑してしまった。二十代半ばにもなるいい大人がなんとも情けない顔をする。それだけ相手に本気とも取れるけれど。
「年上ってやっぱり気難しいのかなぁ。うちはそんなに離れてないけど、男としてのプライドなのか気を使い過ぎたり、優しくし過ぎたりしても怒るんだ」
「元々ノンケの瑛治さんには難問だな」
「え! やっぱりそういうのって関係あるの?」
「うーん、感覚の違いかもしれないですね。対等でありたいんじゃないですか」
本人的にはこっそりと恋人との時間を共有しているつもりでいるようだが、この職場で彼に恋人がいることを知っているのは八割だろう。
そんな彼にいつの間にか恋愛相談を持ちかけられるようになった。相手は大学時代の先輩で、しかも男だと聞いた時は驚いた。さらに驚いたのは相手の家に押しかけて、強硬手段で居ついてしまっているという現状。俺も元々瑛治さんに付き合っている人がいるのは噂で知っていたので、真実を聞くまでは人当たりもよく優しい彼には、普通に可愛らしい彼女がいるのだろうと思っていた。
いまでこそこちらの性癖も知る彼だが、相談された当初はよくそんな話をしようという気になったものだと思った。口が堅そうだからと言う理由だったが、元が元だけに怖いもの知らずなのかもしれない。けれどあまりにも潔いその態度は少し羨ましくもある。俺には到底真似できないまっすぐさだ。
「まあ、瑛治さん優しいところは長所だとは思いますけど」
「でも優し過ぎると駄目なんだよね。難しい、わかんない!」
がっくりとうな垂れた姿につい笑ってしまった。好きな相手を女性のように扱ってしまうその心理はわからないでもない。彼にとっては極自然なことだろうし、誰しも好きな相手には優しくしたいものだ。
「そういう優哉くんはどうなんだよ」
「あの人はそういうのに疎いのであまり気にしてないと思いますよ」
あまり優しくし過ぎると照れて慌てふためいてしまうところはあるけれど、その内側にある俺の愛おしさを感じ取っていてくれるかと言うと、それは謎だ。
「なに気に両想いなんじゃないの?」
「だったら嬉しいですけど」
にやにやと笑みを浮かべ、細められた目にため息が漏れる。
丸二日も顔を合わさず言い訳もないままでは、いくら疎いと言っても愛想を尽かされても文句は言えない。いや、まったく向こうからも連絡がないことを考えれば、愛想どころか。そもそもなんとも想われていない可能性だってある。
「メールか電話してみたら」
「そうですね」
そう呟きながら白いシャツとサロンをクリーニング行きの籠に放り込むと、目の前のロッカーから微かに鈍い音が聞こえた。ハンガーにかかっていた制服に袖に通し、鞄から着信を知らせ点滅する携帯電話を取り出す。
「え?」
その着信に俺は思わず目を疑った。
「どうしたの優哉くん」
「お疲れ様です」
「は?」
その着信を認めてから次の行動に移るまで、自分でも驚くほどに早かった。とりあえず形だけの身支度を調え、驚きをあらわにされていることなど気にも留めず俺は走り出した。
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