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接近
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通りを抜けきり目的の場所へたどり着くと、僕は上がった息を整えるように両膝に手をつき俯いた。その目の前では藤堂がしれっとした顔で立っている。
こんなところで歳の差を大いに感じて、自分の体力のなさを恨めしく思ってしまった。いや、日頃の運動不足も大いにあるのかもしれないけれども、それでもちょっと走っただけでこんなにも息が上がるとは情けない。
「大丈夫ですか?」
「……全然、大丈夫じゃない」
心配そうな藤堂の声に思わず棘のある言い方をしてしまう。そしてそんな僕の様子に藤堂の気配が変わる。情けないくらいにしょげた様子を見せる藤堂の姿に、僕は大きくため息を吐いた。――だから、弱いんだってその顔。
「怒ってますよね?」
僕のため息の意味を、別の方向で捉えてしまったらしい藤堂は、ますます困ったように眉尻を下げる。
「……怒ってない。もういい」
実際、数秒前まで怒ってはいたが、もうほんとにどうでもよくなってきた。なんだかんだと僕は藤堂に甘いようだ。というより、つい甘やかしたくなる。
「なんでだ?」
そして思わず自分で自分に聞いてしまう。なんでこうも僕は藤堂に弱いんだろうかと、不思議でならない。確かに藤堂はすごくいいやつで、まっすぐで素直だし、優しいし、ずっと傍にいてもちっとも不快にはならない。最近はなぜかもやもやすることも多かったけど、やはり嫌じゃないし――とそこまで考えて、なにか違う方向に考えが行ってしまっていることに気づく。
結局、考えても僕が藤堂に弱い理由が思いつかなかった。
「先生?」
急に考え込み始めた僕を見て藤堂が心配げに眉を寄せるが、僕はなにも答えずにじっとその顔を見つめた。不可解な感情がまた一つ増える。
「なんでもない」
「そう、ですか」
戸惑いがちに見る藤堂の目はまだ僕の機嫌を窺っているようだ。そしてそれがやはり可愛いと思う。思わず口元が緩んだ。
「……?」
突然にやけた僕を、藤堂はまるで自分の目を疑うかのように何度も瞬きをして見ていた。
「行くぞ」
珍しく固まってしまった藤堂にそう言って、僕は近くの入り口へ足を進める。そして開いた自動ドアをくぐり抜け、後ろを振り返ると、藤堂はやっと我に返ったのか僕の元へ駆け寄ってきた。
「すみません」
謝る藤堂を一瞥して僕は上階へ行くエレベーターを呼んだ。
「有名な人なんですね」
エレベーターの中でふいに藤堂が小さく呟く。背後に立っていた藤堂を振り返れば、壁に貼られた写真展のポスターを見つめていた。
大きなポスターには、今回の写真展を主催するたくさんの会社と雑誌社の名前が記載されている。そこには簡単な経歴も載っていてそれはそうそうたるものだ。
「ああ、そうなんだよ。結構大きな賞とか獲ってたりしてて、色んなところからオファーが来るらしい。最近は風景だけじゃなくて人物も撮るようになったみたいだけど、まだそれは見たことないなぁ」
「へぇ」
曖昧な相槌を打つ藤堂を横目に僕もポスターを見上げ、その画を見る。
数枚の写真が綺麗にレイアウトされたそのポスターからも、独特な世界観が垣間見えた。なに気ない日常のはずなのにそれを切り抜く視点に感動を覚え、その美しさは何度見ても心が震える。目に見るより色鮮やかで、世界はこんなにも美しいのかとため息が出てしまうのだ。
「でも、本人はかなり変わってるけど」
「先生の、どういった知り合いなんですか」
あの人のことを思い出し思わず笑っていると、藤堂がなぜか眉を寄せて振り向く。
「え? ああ、知り合いと言うか。元は友達の知り合い? 好きだって言ったら紹介してくれたんだ。うーん、いまは友達かな?」
少し不機嫌そうな藤堂の表情に戸惑いながらそう答えると、ますます眉間のしわが深くなる。なぜこんなに突然、機嫌が悪くなったのかその理由がよくわからない。
「そんなに好きですか」
「あ、え? うん、まあ好きだよ」
「……そうですか」
問い詰められるような勢いに目を瞬かせ、小さく頷くとふっと目が細められる。どこか冷たい視線に胸の辺りがざわりとした。
藤堂の様子が突然おかしくなった理由がわからず、困惑しながら僕は首を傾げてしまう。その間も藤堂はため息を吐き、髪をかき上げてふいに視線を落とした。
「藤、ど……」
急に落ち込んだ様子を見せる藤堂に声をかけようとした瞬間。エレベーターの中に階の到着を告げる音が響き渡った。
それに気づき、ゆっくりと開き始めた扉の向こうを見た僕は、その隙間から見えた人物に目を見張った。そしてその向こう側の人物も僕の姿を見て目を丸くする。
「あれ、佐樹ちゃん?」
開ききった扉の向こうで、彼は何度も目を瞬かせ僕の名を呼んだ。
突然目の前に現れたその人物は、僕を目に留めるなり大きく腕を広げ抱きついてきた。エレベーターの内側から引っ張り出すように抱き寄せられ、僕はバランスを崩し彼の腕に収まった。
「久しぶりだね。まさか今日、佐樹ちゃんに会えるとは思わなかったよ」
突然の抱擁に驚いていると何度も背を叩かれる。強く叩かれているわけではないから、痛くはないけれどその勢いに相変わらず戸惑う。
「まあ、僕も渉さんに会うとは思わなかったけど」
休日の展示場に本人がいるとはまさか思わない。
駅前から少し外れたビルにも関わらず、奥の受付でひっきりなしに人が出入りしているのが見て取れる。売れっ子写真家が白昼堂々、会場にいるなんて誰が想像しただろう。
「ほとんど顔出ししてないからね、よっぽどじゃないとバレないよ」
戸惑う僕の心情を読んだかのように、渉さんは楽しげに笑みを浮かべる。
その言葉を聞いて軽く辺りを見回してみれば、彼の言う通り来場者は写真家――月島渉の存在に気がついていないようだ。彼はメディアに顔出ししていればすぐに目につく人だ。
「うーん、渉さんはモデルさんとかに見えるかも」
「そうかな? 自分は見た目とかあまり気にしないけど、佐樹ちゃんが褒めてくれるなら、なんでも嬉しいかな」
そう言って笑った渉さんを少し身体を引いて見上げれば、淡いブルーのサングラスの向こう側で目を細められる。その目に気づき、僕は改めて彼の姿をまじまじと見つめてしまった。
上下黒で統一された装いなのだが、相変わらず派手な人だと思った。彼は肩先まであるキラキラとした金茶色の髪を首元で結い、エメラルドを思わせるような緑の瞳をサングラスの向こう側に隠している。僕より確か四つ年上だった気がするが、学生の頃に会った時とあまり変わっていない気がする。年齢不詳はハーフだからなのか。だいぶ前に聞いた話に寄れば、母親がイギリスの人だった気がする。
見るからに外国の人かと思わせる髪や瞳、白い肌。彼の顔立ちは鼻筋が高く、目は切れ長でバランスが完璧に整った綺麗な芸術品のようだ。
「元気そうでなにより、佐樹ちゃんが俺のこと忘れてなくてよかったぁ」
両手で僕の頬を挟みながら、渉さんは満面の笑みを浮かべる。相変わらずスキンシップが激しい人だが、これはもはや身に染み付いた習慣なのだろう。彼のこの反応には、さすがに僕も付き合いが長いのでもう慣れた。
「渉さんも元気そうでよかったよ」
「俺はねぇ、今日打ち合わせに呼ばれてきたんだけど。面倒くさがらず来てラッキーだった」
にんまりと口角を上げて笑うと、渉さんは僕の頬に口づける。これもいつもの挨拶のようなものだ。
そんな彼の後ろにはスーツ姿の男の人が数人立っていた。年齢は様々なようだが、突然僕に抱きついた渉さんの行動に、ほんの一瞬だけ驚いた表情を浮かべはしたが、彼らは月島渉という人物を心得ているのだろう。いまは何事もなかったような涼しい顔をしている。
出会い頭にハグ、キスは彼の中ではごく自然なことらしい。
「あれ?」
彼のスキンシップを受け止めていると、急に渉さんは目を瞬かせて首を捻った。
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「怒ってますよね?」
僕のため息の意味を、別の方向で捉えてしまったらしい藤堂は、ますます困ったように眉尻を下げる。
「……怒ってない。もういい」
実際、数秒前まで怒ってはいたが、もうほんとにどうでもよくなってきた。なんだかんだと僕は藤堂に甘いようだ。というより、つい甘やかしたくなる。
「なんでだ?」
そして思わず自分で自分に聞いてしまう。なんでこうも僕は藤堂に弱いんだろうかと、不思議でならない。確かに藤堂はすごくいいやつで、まっすぐで素直だし、優しいし、ずっと傍にいてもちっとも不快にはならない。最近はなぜかもやもやすることも多かったけど、やはり嫌じゃないし――とそこまで考えて、なにか違う方向に考えが行ってしまっていることに気づく。
結局、考えても僕が藤堂に弱い理由が思いつかなかった。
「先生?」
急に考え込み始めた僕を見て藤堂が心配げに眉を寄せるが、僕はなにも答えずにじっとその顔を見つめた。不可解な感情がまた一つ増える。
「なんでもない」
「そう、ですか」
戸惑いがちに見る藤堂の目はまだ僕の機嫌を窺っているようだ。そしてそれがやはり可愛いと思う。思わず口元が緩んだ。
「……?」
突然にやけた僕を、藤堂はまるで自分の目を疑うかのように何度も瞬きをして見ていた。
「行くぞ」
珍しく固まってしまった藤堂にそう言って、僕は近くの入り口へ足を進める。そして開いた自動ドアをくぐり抜け、後ろを振り返ると、藤堂はやっと我に返ったのか僕の元へ駆け寄ってきた。
「すみません」
謝る藤堂を一瞥して僕は上階へ行くエレベーターを呼んだ。
「有名な人なんですね」
エレベーターの中でふいに藤堂が小さく呟く。背後に立っていた藤堂を振り返れば、壁に貼られた写真展のポスターを見つめていた。
大きなポスターには、今回の写真展を主催するたくさんの会社と雑誌社の名前が記載されている。そこには簡単な経歴も載っていてそれはそうそうたるものだ。
「ああ、そうなんだよ。結構大きな賞とか獲ってたりしてて、色んなところからオファーが来るらしい。最近は風景だけじゃなくて人物も撮るようになったみたいだけど、まだそれは見たことないなぁ」
「へぇ」
曖昧な相槌を打つ藤堂を横目に僕もポスターを見上げ、その画を見る。
数枚の写真が綺麗にレイアウトされたそのポスターからも、独特な世界観が垣間見えた。なに気ない日常のはずなのにそれを切り抜く視点に感動を覚え、その美しさは何度見ても心が震える。目に見るより色鮮やかで、世界はこんなにも美しいのかとため息が出てしまうのだ。
「でも、本人はかなり変わってるけど」
「先生の、どういった知り合いなんですか」
あの人のことを思い出し思わず笑っていると、藤堂がなぜか眉を寄せて振り向く。
「え? ああ、知り合いと言うか。元は友達の知り合い? 好きだって言ったら紹介してくれたんだ。うーん、いまは友達かな?」
少し不機嫌そうな藤堂の表情に戸惑いながらそう答えると、ますます眉間のしわが深くなる。なぜこんなに突然、機嫌が悪くなったのかその理由がよくわからない。
「そんなに好きですか」
「あ、え? うん、まあ好きだよ」
「……そうですか」
問い詰められるような勢いに目を瞬かせ、小さく頷くとふっと目が細められる。どこか冷たい視線に胸の辺りがざわりとした。
藤堂の様子が突然おかしくなった理由がわからず、困惑しながら僕は首を傾げてしまう。その間も藤堂はため息を吐き、髪をかき上げてふいに視線を落とした。
「藤、ど……」
急に落ち込んだ様子を見せる藤堂に声をかけようとした瞬間。エレベーターの中に階の到着を告げる音が響き渡った。
それに気づき、ゆっくりと開き始めた扉の向こうを見た僕は、その隙間から見えた人物に目を見張った。そしてその向こう側の人物も僕の姿を見て目を丸くする。
「あれ、佐樹ちゃん?」
開ききった扉の向こうで、彼は何度も目を瞬かせ僕の名を呼んだ。
突然目の前に現れたその人物は、僕を目に留めるなり大きく腕を広げ抱きついてきた。エレベーターの内側から引っ張り出すように抱き寄せられ、僕はバランスを崩し彼の腕に収まった。
「久しぶりだね。まさか今日、佐樹ちゃんに会えるとは思わなかったよ」
突然の抱擁に驚いていると何度も背を叩かれる。強く叩かれているわけではないから、痛くはないけれどその勢いに相変わらず戸惑う。
「まあ、僕も渉さんに会うとは思わなかったけど」
休日の展示場に本人がいるとはまさか思わない。
駅前から少し外れたビルにも関わらず、奥の受付でひっきりなしに人が出入りしているのが見て取れる。売れっ子写真家が白昼堂々、会場にいるなんて誰が想像しただろう。
「ほとんど顔出ししてないからね、よっぽどじゃないとバレないよ」
戸惑う僕の心情を読んだかのように、渉さんは楽しげに笑みを浮かべる。
その言葉を聞いて軽く辺りを見回してみれば、彼の言う通り来場者は写真家――月島渉の存在に気がついていないようだ。彼はメディアに顔出ししていればすぐに目につく人だ。
「うーん、渉さんはモデルさんとかに見えるかも」
「そうかな? 自分は見た目とかあまり気にしないけど、佐樹ちゃんが褒めてくれるなら、なんでも嬉しいかな」
そう言って笑った渉さんを少し身体を引いて見上げれば、淡いブルーのサングラスの向こう側で目を細められる。その目に気づき、僕は改めて彼の姿をまじまじと見つめてしまった。
上下黒で統一された装いなのだが、相変わらず派手な人だと思った。彼は肩先まであるキラキラとした金茶色の髪を首元で結い、エメラルドを思わせるような緑の瞳をサングラスの向こう側に隠している。僕より確か四つ年上だった気がするが、学生の頃に会った時とあまり変わっていない気がする。年齢不詳はハーフだからなのか。だいぶ前に聞いた話に寄れば、母親がイギリスの人だった気がする。
見るからに外国の人かと思わせる髪や瞳、白い肌。彼の顔立ちは鼻筋が高く、目は切れ長でバランスが完璧に整った綺麗な芸術品のようだ。
「元気そうでなにより、佐樹ちゃんが俺のこと忘れてなくてよかったぁ」
両手で僕の頬を挟みながら、渉さんは満面の笑みを浮かべる。相変わらずスキンシップが激しい人だが、これはもはや身に染み付いた習慣なのだろう。彼のこの反応には、さすがに僕も付き合いが長いのでもう慣れた。
「渉さんも元気そうでよかったよ」
「俺はねぇ、今日打ち合わせに呼ばれてきたんだけど。面倒くさがらず来てラッキーだった」
にんまりと口角を上げて笑うと、渉さんは僕の頬に口づける。これもいつもの挨拶のようなものだ。
そんな彼の後ろにはスーツ姿の男の人が数人立っていた。年齢は様々なようだが、突然僕に抱きついた渉さんの行動に、ほんの一瞬だけ驚いた表情を浮かべはしたが、彼らは月島渉という人物を心得ているのだろう。いまは何事もなかったような涼しい顔をしている。
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