上 下
7 / 31

高鳴る鼓動

しおりを挟む
 昨晩、長居したカフェを出たのは、閉店時刻の二十一時を三十分ほど過ぎた頃だ。

 いくら彼の自宅が二階だとは言え、毎度毎度、遅くまで居座るのはどうかと思う。しかし自分でも言葉にしたとおり、いつも雄史はあそこへ行くと根っこが生える。
 ひどく居心地が良くて、行かなければ落ち着かないし、行けば行ったで帰りたくなくなる。

 不思議な引力でもあるのでは、などと馬鹿げたことを考えるが、単にここ一番の癒やしスポットなのだろう、と思っていた。

「やっとお昼だー! 今日は朝から忙しかったな」

 キーボードの上で動かしていた手を止めて、パソコン画面の時計を見ると、正午をかなり過ぎている。目線を上げて周りのデスクを見回せば、大半の人がお昼に出ているようだった。
 いつもならば雄史も会社の食堂へ足を伸ばすのだけれど、今日は足元の鞄に手を伸ばす。

 そこからハンカチに包まれたものを取り出すと、鼻歌でも歌い出しそうな調子で結び目をほどいて、現れた弁当箱の蓋を開いた。

「ごっはん、ご飯っ」

 二段の弁当箱は、敷き詰められた白米とおかかの載った下段と、惣菜がぎっしり詰まった上段に分かれている。詰め込んだのは自分なのだが、雄史は瞳を輝かせて箸を手に取る。
 けれど弁当へ箸先を伸ばそうとしたところで、声をかけられた。

「高塚、これ見て、……あれ? 珍しい、弁当? なに彼女?」

「違います。どれですか?」

 背後から顔を覗かせて来る部署の先輩に、ランチタイムを邪魔された雄史は、少しばかりムッとした。それでもちょっとだけ――の言葉に、渋々のていで紙の束を受け取る。
 だが書類の数字をまじまじ見ていると、後ろの人物もまじまじと弁当を覗いていた。その視線に気づき、書類で遮ったらもの言いたげな目線を向けられる。

「こんなにしっかりした弁当、自分でじゃないだろ? やっぱり彼女できたんだ?」

「できてません! いまだに独り身です! これはカフェのマスターさんが、残り物をくれたんです」

「ああ、最近行きつけって言う?」

「そうです。これ、このページのこことここの数字が違ってます。あとで事務の子に直してもらいますね」

 赤ペンで書類にチェックを入れて、右手にある確認の文字が貼られたファイルトレーに置く。これで用件はおしまいかと思ったが、後ろの視線がなくならない。眉を顰めて雄史が振り返れば、ぱっと彼の表情が明るくなった。

「今度、俺も連れて行けよ。うまいんだろ? 飯とかケーキとか」

「嫌ですよ」

「なんでだよ。いいじゃねぇか。お前、そこに行くようになってから、仕事が絶好調じゃないか。その秘訣を味わわせろ」

「絶対にやです! あそこは俺の癒やしの場所なんです! 知っている人と行きたくないです」

「やっぱり彼女と一緒にとかそういうの?」

「ち、が、い、ます! もう! 吉田先輩もさっさと食事に行ってください。時間なくなりますよ」

 彼とは甘いもの、おいしいもの好き男子同盟として、普段は色々な情報を共有する仲ではあるが、なぜだか今回ばかりはあの場所を教えたくなかった。
 なおも食い下がろうとする厄介者を追い払って、ため息とともに雄史が弁当に向き直ると、五分以上も消費している。

 ゆっくり食事もできやしないと、またため息が出るが、ひょいとつまみ上げたミートボールを口にしたら、ふにゃりと口元が緩んだ。

「……しまった。食べる前に写真写真。志織さんにお礼しなきゃ」

 一つばかり減ってしまったが、まあいいと、弁当にカメラを向けて、撮ったものをそそくさと送った。一緒に出かけるからと、昨日あの人が連絡先を教えてくれたのだ。
 おいしいご飯いただきます。そうメッセージも送ってから、今度は両手を合わせていただきます、と頭を下げる。そして再び雄史は弁当へ箸を向けた。

「ミートボール、タコさんウィンナー、ニンニク抜きのペペロンチーノ、卵焼き。野菜のマリネと、もやしと大根のナムルは作り置きかな? 残り物って言ってたけど。手がかかってる気がする」

 ミートボールはハンバーグの残りだろうが、あんかけになっているし、わざわざウィンナーの形も整えてある。
 パスタは茹で置きだとしても炒めて作ったのだろう。さらにあの店で卵焼きなんて出ていただろうかと首を捻る。

 店で出るマリネには、ブロッコリーが混じっているのだが、一度よけたら次からは出てこなくなった。
 なんだか色々と気を使われているように思えるが、どれもおいしくて箸が止まらない。ごま油の利いたナムルはご飯が進む味付けで、黙々と箸を動かした。

「あ、返事、来た!」

 弁当に夢中になっていると、デスクの上のスマートフォンがメッセージの着信を知らせる。

 タップして確認するとやはり志織からだったようで、お疲れさまの文字と、遅い時間だな、ゆっくり食えよと、労りの言葉があった。
 それを見てますます頬が緩んで、変な含み笑いをしてしまう。

「んふふ、志織さん優しい。すごく、おいしい、です、よっと」

 行儀悪く指先だけで返信を打ち込むと、今度はすぐメッセージが表示されて――それは良かった。今日は楽しみにしている、と返ってくる。
 なにげないその言葉は別段珍しいわけでもないのに、胸の音がまた大きく跳ねた。

「なんだろう? 最近どっか悪いのかな、俺」

 このところおかしい自分の反応に、胸に手を当てながら雄史は首を傾げた。ドキドキとする胸の音はまだ止まなくて、気持ちが変にそわそわとする。
 けれど自分でもよく理解できていない、この反応に戸惑いはするけれど、心はとても温かかった。

「志織さん、癒やし系だよな」

 暗くなった画面をコツンと指先でつついて、バックライトを灯すと、先ほどの文字を目で追う。不思議とそこからも、いつもの優しさとぬくもりが感じられた。
 それとともに胸の奥からふんわりと、湧き上がってくる気持ち。

 嬉しい、楽しい、もう一つは――と、思考を巡らせたところで、人の気配が増えて思考が途切れる。時刻を見ると休憩時間はあとわずかだ。
 慌てて弁当に箸を向けた雄史は、なるべくたくさん味わうように、ゆっくりおかずを堪能した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

琥珀糖とおんなじ景色

不来方しい
BL
──メールから始まる勘違いと、恋。 祖母の和菓子屋で働く柊藍の元に届いたメールは「取り扱いのない琥珀糖を作ってほしい」というものだった。作ったことがないのに祖母に任せされ、試行錯誤を繰り返しながら腕を上げていく。メールでやりとりをしているうちに、相手はぜひ会ってお礼がしたいと言う。彼の優しさに好意を寄せていくが、名前のせいか、女性だと勘違いをされているのだと気づく。言い出せないまま、当日を迎え、ふたりは……。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

良縁全部ブチ壊してくる鬼武者vs俺

青野イワシ
BL
《あらすじ》昔々ある寒村に暮らす百姓の長治郎は、成り行きで鬼を助けてしまう。その後鬼と友人関係になったはずだったが、どうも鬼はそう思っていなかったらしい。 鬼は長治郎が得るであろう良縁に繋がる“赤い糸”が結ばれるのを全力で邪魔し、長治郎を“娶る”と言い出した。 長治郎は無事祝言をあげることが出来るのか!? という感じのガチムチ鬼武者終着系人外×ノンケ百姓の話です

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)

怖がりな少年は時計塔の怪物に溺愛される

ミヅハ
BL
私立明成男子高等学校には、いつからか囁かれ始めた噂がある。 『旧校舎の時計塔には怪物がいて、夜な夜な血肉を求めて獲物を探している』と。 そんな話を友人から聞かされた深月は大の怖がりであり、恐怖心からそんなものはいないと突っぱねる。 だがその日の夜、友人たちとのジャンケンで棄権負けした深月は旧校舎に連れて行かれてしまった。怯えながらもどうにか時計塔を登り切った深月は、そこにいた綺麗な男の人と目が合ってしまい慌てて逃げ帰る。 次の日、その男との思わぬ再会を果たした深月だったが……? 穏やかで優しい訳あり美形(攻)×食いしん坊で怖がりな愛されおバカ(受) ※性的描写あり 話によっては微流血表現有 不定期更新になります

幸せの温度

本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。 まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。 俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。 陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。 俺にあんまり触らないで。 俺の気持ちに気付かないで。 ……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。 俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。 家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。 そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

処理中です...