27 / 54
第3章 飛び降り続ける霊
第27話 いつか、そのときまで一緒に
しおりを挟む
自宅マンションに戻ってきた千夏と元気。
元気は玄関で靴を脱ぐと、部屋に上がった。別にそのまま入っても実体のない彼が部屋を汚すことはないのに、相変わらず脱がないと気持ちが悪いようだ。
千夏も、彼の後をついてリビングへいく。
あのあとずっと、気になっていたことがあった。気になっていたけど、聞けないでいた。
マンションで悪霊に落とされそうになった、あのとき。
(助けてくれたとき。元気は、確かに私の身体を掴んでいたよね……?)
そのあと、千夏の無事を喜んで抱きしめてくれたときもそうだった。今もあのときの感触を身体が覚えている。幽霊である元気には触《さわ》ることはできないはずなのに、あのとき確かにお互い触れあっていたのだ。
もしかして夢か幻覚を見ていたのかもしれない。それとも、そうだったらいいなと願うあまりそう見えてしまっただけだったのだろうか。
もしかして元気は私に触《さわ》れるの? 私は元気に触れるの? なんで? いままで触れなかったのに。本当は触ろうと思えば触れたの? そのことを、もしかしたら元気は知っていたの?
ずっとそんな疑問が頭の中を渦巻いていた。
意を決して、千夏は元気の背中に問いかける。
「……ねぇ、元気。さっきさ。私のこと触ったよね。私も、触れたよね。……気のせいじゃ、ないよね……?」
元気は足を止めた。少しの沈黙。彼はこちらを振り返らず、背中を向けたまま言いにくそうに口を開いた。
「……ああ。本当は、やろうと思えば触れるよ」
「……!」
千夏は胸でぎゅっと両手を握る。なんで、いままで教えてくれなかったんだろう。ずっと、元気のことは触れることができないのだと思っていた。幽霊だから、彼に触れようとしても手がすり抜けてしまうことは、当たり前で仕方のないことだと思っていた。
千夏の戸惑いをよそに、元気はぽつりぽつりと話を続ける。
「前にさ。田辺幸子さんの霊が、千夏の足を掴んだことがあっただろ?」
こちらに背を向けたままの元気には見えていないことはわかっていながらも、千夏はこくこくと頷く。あの時は、幸子に冷たい手で足を掴まれて、気を失いそうになった。
「基本的には触れないのがデフォルトなんだけど、俺たち幽霊は生きている人にも触ろうと意識すれば触れるんだ。こっちが触れるんだから、そっちも触れるんだろうな。さっき、千夏のことをつい抱きしめちゃって、それに気づいた」
「なんで……教えてくれなかったの?」
元気はこちらを振り向くと、困ったような泣きそうなような顔で千夏を見た。
「触《さわ》ってしまったら、もっと触《ふ》れたくなるから。もっと……君の元から離れたくなくなってしまうから。でも、そんなのダメだろ。だって、俺は死んだ人間で。君はまだいっぱい人生が残っている生きている人間だ。いくら君との生活が楽しくても。いくら君と一緒にいたくても。君が君の人生を生きる邪魔をするわけにはいかない。それだけは、絶対に。だから、もうこれ以上君に……」
泣きそうな顔のまま、彼は笑った。
「君に惹かれていくのを、止めなくちゃいけないんだ。触れてしまったら、もう」
そこまで聞いて、千夏はもう自分の中から湧き上がってくる気持ちを止められなかった。元気の言うことはわかる。元気が自分のことを考えて、そう言ってくれているのもわかる。それでも。
元気の方へ踏み出すと、千夏は彼に抱き着いた。
今度は、千夏の腕は彼の身体をすり抜けることはなかった。
しっかりと、彼の大きな胸に顔を埋めて抱きしめる。彼の身体はじんわりとほんの少し温かくて、そしてやっぱり心臓の鼓動の音は聞こえてはこないのだ。それでも、彼がそこにいるのが、触れているところを通して全身で感じられた。
それが、心の底から嬉しくて、ポロポロと涙がこぼれてくる。
「私も、ずっと元気に触りたかったの。こうやって、抱きしめたかったの」
「千夏……」
「だから、元気に触れるのがこんなにうれしい。すごく、嬉しいの。嬉しくて、たまらない」
「……いいの? 俺が、千夏に触れても」
躊躇いがちな元気の言葉に、千夏は力いっぱい頷いた。笑顔に涙が伝った。
「私は、元気にそばにいてほしいの。元気が好き。本当はそんなこと願っちゃいけない相手だってのはわかってるけど。でも、アナタがこの世から消えるときまで一緒にいたい。それが明日なのか、十年後なのか、私の寿命が尽きるまでなのかわからないけど。その瞬間まで、元気と一緒にいたい」
彼と一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、心の中に少しずつ降り積もってきた想い。それが、どんどん口をついて出てくる。
迷うように躊躇いながら千夏の背に触れていた元気の腕が、千夏を抱きしめた。
「俺も千夏と一緒にいたい」
「うん。一緒に生きよう。ああ……そうか、元気は死んでるんだった。ううん。それでも、一緒にいよう。これからも」
幽霊と生きている人間。ともに暮らして人生を共にするのは、とても奇妙なことなのだろう。きっと、生きている人間同士のつきあいにはない不便さや不自由さも、これからもたくさんあるだろう。それでも、一緒に生きていきたいと共に願った。
「でも、成仏しそうになったら、ちゃんと成仏してね? 私が元気の未練になって元気が成仏できなくなるとか嫌だからね?」
元気がクスリと笑みをこぼす。
「ああ。わかってる。そのときがきたら、ちゃんと成仏するよ」
だから、いまは。この奇跡ともいうべき巡り合わせを大切にしたかった。
ともに過ごせるときを、大事にしたかった。
(第3章 完)
元気は玄関で靴を脱ぐと、部屋に上がった。別にそのまま入っても実体のない彼が部屋を汚すことはないのに、相変わらず脱がないと気持ちが悪いようだ。
千夏も、彼の後をついてリビングへいく。
あのあとずっと、気になっていたことがあった。気になっていたけど、聞けないでいた。
マンションで悪霊に落とされそうになった、あのとき。
(助けてくれたとき。元気は、確かに私の身体を掴んでいたよね……?)
そのあと、千夏の無事を喜んで抱きしめてくれたときもそうだった。今もあのときの感触を身体が覚えている。幽霊である元気には触《さわ》ることはできないはずなのに、あのとき確かにお互い触れあっていたのだ。
もしかして夢か幻覚を見ていたのかもしれない。それとも、そうだったらいいなと願うあまりそう見えてしまっただけだったのだろうか。
もしかして元気は私に触《さわ》れるの? 私は元気に触れるの? なんで? いままで触れなかったのに。本当は触ろうと思えば触れたの? そのことを、もしかしたら元気は知っていたの?
ずっとそんな疑問が頭の中を渦巻いていた。
意を決して、千夏は元気の背中に問いかける。
「……ねぇ、元気。さっきさ。私のこと触ったよね。私も、触れたよね。……気のせいじゃ、ないよね……?」
元気は足を止めた。少しの沈黙。彼はこちらを振り返らず、背中を向けたまま言いにくそうに口を開いた。
「……ああ。本当は、やろうと思えば触れるよ」
「……!」
千夏は胸でぎゅっと両手を握る。なんで、いままで教えてくれなかったんだろう。ずっと、元気のことは触れることができないのだと思っていた。幽霊だから、彼に触れようとしても手がすり抜けてしまうことは、当たり前で仕方のないことだと思っていた。
千夏の戸惑いをよそに、元気はぽつりぽつりと話を続ける。
「前にさ。田辺幸子さんの霊が、千夏の足を掴んだことがあっただろ?」
こちらに背を向けたままの元気には見えていないことはわかっていながらも、千夏はこくこくと頷く。あの時は、幸子に冷たい手で足を掴まれて、気を失いそうになった。
「基本的には触れないのがデフォルトなんだけど、俺たち幽霊は生きている人にも触ろうと意識すれば触れるんだ。こっちが触れるんだから、そっちも触れるんだろうな。さっき、千夏のことをつい抱きしめちゃって、それに気づいた」
「なんで……教えてくれなかったの?」
元気はこちらを振り向くと、困ったような泣きそうなような顔で千夏を見た。
「触《さわ》ってしまったら、もっと触《ふ》れたくなるから。もっと……君の元から離れたくなくなってしまうから。でも、そんなのダメだろ。だって、俺は死んだ人間で。君はまだいっぱい人生が残っている生きている人間だ。いくら君との生活が楽しくても。いくら君と一緒にいたくても。君が君の人生を生きる邪魔をするわけにはいかない。それだけは、絶対に。だから、もうこれ以上君に……」
泣きそうな顔のまま、彼は笑った。
「君に惹かれていくのを、止めなくちゃいけないんだ。触れてしまったら、もう」
そこまで聞いて、千夏はもう自分の中から湧き上がってくる気持ちを止められなかった。元気の言うことはわかる。元気が自分のことを考えて、そう言ってくれているのもわかる。それでも。
元気の方へ踏み出すと、千夏は彼に抱き着いた。
今度は、千夏の腕は彼の身体をすり抜けることはなかった。
しっかりと、彼の大きな胸に顔を埋めて抱きしめる。彼の身体はじんわりとほんの少し温かくて、そしてやっぱり心臓の鼓動の音は聞こえてはこないのだ。それでも、彼がそこにいるのが、触れているところを通して全身で感じられた。
それが、心の底から嬉しくて、ポロポロと涙がこぼれてくる。
「私も、ずっと元気に触りたかったの。こうやって、抱きしめたかったの」
「千夏……」
「だから、元気に触れるのがこんなにうれしい。すごく、嬉しいの。嬉しくて、たまらない」
「……いいの? 俺が、千夏に触れても」
躊躇いがちな元気の言葉に、千夏は力いっぱい頷いた。笑顔に涙が伝った。
「私は、元気にそばにいてほしいの。元気が好き。本当はそんなこと願っちゃいけない相手だってのはわかってるけど。でも、アナタがこの世から消えるときまで一緒にいたい。それが明日なのか、十年後なのか、私の寿命が尽きるまでなのかわからないけど。その瞬間まで、元気と一緒にいたい」
彼と一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、心の中に少しずつ降り積もってきた想い。それが、どんどん口をついて出てくる。
迷うように躊躇いながら千夏の背に触れていた元気の腕が、千夏を抱きしめた。
「俺も千夏と一緒にいたい」
「うん。一緒に生きよう。ああ……そうか、元気は死んでるんだった。ううん。それでも、一緒にいよう。これからも」
幽霊と生きている人間。ともに暮らして人生を共にするのは、とても奇妙なことなのだろう。きっと、生きている人間同士のつきあいにはない不便さや不自由さも、これからもたくさんあるだろう。それでも、一緒に生きていきたいと共に願った。
「でも、成仏しそうになったら、ちゃんと成仏してね? 私が元気の未練になって元気が成仏できなくなるとか嫌だからね?」
元気がクスリと笑みをこぼす。
「ああ。わかってる。そのときがきたら、ちゃんと成仏するよ」
だから、いまは。この奇跡ともいうべき巡り合わせを大切にしたかった。
ともに過ごせるときを、大事にしたかった。
(第3章 完)
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
JOLENEジョリーン・鬼屋は人を許さない 『こわい』です。気を緩めると巻き込まれます。
尾駮アスマ(オブチアスマ おぶちあすま)
ホラー
ホラー・ミステリー+ファンタジー作品です。残酷描写ありです。苦手な方は御注意ください。
完全フィクション作品です。
実在する個人・団体等とは一切関係ありません。
あらすじ
趣味で怪談を集めていた主人公は、ある取材で怪しい物件での出来事を知る。
そして、その建物について探り始める。
あぁそうさ下らねぇ文章で何が小説だ的なダラダラした展開が
要所要所の事件の連続で主人公は性格が変わって行くわ
だんだーん強くうぅううー・・・大変なことになりすすぅーあうあうっうー
めちゃくちゃなラストに向かって、是非よんでくだせぇ・・・・え、あうあう
読みやすいように、わざと行間を開けて執筆しています。
もしよければお気に入り登録・イイネ・感想など、よろしくお願いいたします。
大変励みになります。
ありがとうございます。
【完結】わたしの娘を返してっ!
月白ヤトヒコ
ホラー
妻と離縁した。
学生時代に一目惚れをして、自ら望んだ妻だった。
病弱だった、妹のように可愛がっていたイトコが亡くなったりと不幸なことはあったが、彼女と結婚できた。
しかし、妻は子供が生まれると、段々おかしくなって行った。
妻も娘を可愛がっていた筈なのに――――
病弱な娘を育てるうち、育児ノイローゼになったのか、段々と娘に当たり散らすようになった。そんな妻に耐え切れず、俺は妻と別れることにした。
それから何年も経ち、妻の残した日記を読むと――――
俺が悪かったっ!?
だから、頼むからっ……
俺の娘を返してくれっ!?
女だけど男装して陰陽師してます!ー只今、陰陽師修行中!!-
イトカワジンカイ
ホラー
孤児となった少女ー暁は叔父の家の跡取りとして養子となり男装をして暮らしていた。散財癖のある叔父の代わりに生活を支えるために小さな穢れを祓う陰陽師として働いていたが、ある日陰陽寮のトップである叔父から提案される。
「実は…陰陽寮で働かない?」
その一言で女であることを隠して陰陽寮で陰陽師見習いをすることに!?
※のべぷらでも掲載してます
※続編を「男だけど生活のために男装して陰陽師してます!ー続・只今、陰陽師修行中ー」として掲載しています。
→https://www.alphapolis.co.jp/novel/518524835/213420780
気になる方は是非そちらもご覧ください
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる