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第2章 夜な夜な泣き彷徨う霊

第9話 視えた景色

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 元気に後ろから抱え込むようにして拘束された女の霊。
 髪を振り乱して逃げようとするが、背の高い元気に抑え込まれて身動きができないようだ。

 彼女が時折激しく振りほどこうとするからだろう。元気は、がっちりと彼女をホールドしていた。

 そのまま声を上げて泣き始めた彼女のことが、千夏は次第に気の毒になってくる。

「ね、ねえ。もう少し優しく」

 そう言いながら、千夏は思わず元気の腕に触れようと手を伸ばす。彼がさわれない存在だということをすっかり失念していた。

 当然、千夏の指はわずかに透明がかった彼の腕をすり抜ける。
 そのときだった。

(え……)

 バチンと、頭の中がスパークする感覚。大きな静電気が眉間のあたりで起こったような衝撃。

 …………。

 一瞬、視界が真っ白になった。
 すぐに視界を覆った白い光は消える。すぐ目の前には元気の姿もあの霊の姿も見えていた。アパートの情景も目に映っている。

 しかしそれとは別にさらにもう一枚、動画が重なるように目の前に別の景色が映っていた。

(何、これ……)

 目に映るもう一つの映像は、どうやら昼間のようだった。窓から、穏やかな日差しが差し込んでいる。ああ、あれはこのアパートだ。このアパートの、この部屋だ。

 しかし、いまは一切の家具がなく殺風景な部屋のはずなのに、床にラグマットが敷かれ、壁際にはタンスに本棚。それにベッドまで見えた。

 あまり物がなくシンプルな室内だったが、丁寧に暮らしてる様子が窺えた。

(ああ……これは、かつてのこの部屋の情景……)

 千夏は誰かの目を借りて部屋の中を見ているようだった。自由に首を動かせるわけではなく、ただ誰かの身体に乗り移って見ているだけのような感覚。

 視点人物は、立ちあがると部屋の片隅に置かれた、引き出しが五段ある背の高いタンスの前まで行った。目線は千夏よりも少し低い。きっと女性なのだろう。

 その人物は、引き出しの一番上の段を開ける。
 引き出しの中には、女性ものと思しき衣服が入っていた。その人は、手を引き出しの奥へと突っ込むと、奥に仕舞ってあった小さなものを大事そうに引き出した。

 それは可愛らしい小箱だった。小箱にはさらに折り畳んだ紙が添えられている。
 その人は、両手で包み込むようにしてその小箱を抱きしめた。

 そのとき、ちらと紙が見える。そこにあったのは『出生届』の文字。
 その人は、小箱と出生届を大事そうに胸に抱いて、愛しげに呟いた。

『私の赤ちゃん』

 …………。

 バチン、と再び頭の中に静電気が走るような衝撃があって、千夏は我に返った。

 あの昼間の景色はすっかり消え、目に映るのは元の暗い室内のみ。
 目の前で、元気が目を丸くして千夏のことを凝視していた。

「なんだ……いまの……。女性の、部屋……?」

 そのひと言で、元気も同じ物を見ていたのだとわかる。
 千夏は大きく頷いた。

「うん。この部屋、だと思う。かつての」

 あれはかつてのこの部屋の景色。そして、あの光景を見ていたのは、目の前にいる彼女。いまは霊となってしまった、彼女の生前の記憶。そう思えてならなかった。

 千夏は、いまは元気の腕に押さえつけられてすっかり大人しくなった女の霊に、声をかける。

「アナタは、ずっと探していたのね。たぶん、あれは……赤ちゃんの遺骨」

 あんな小さな箱に入ってしまうのだから、きっと出生届を出す前に亡くなったお子さんなのだろう。

「……そうですよね。田辺幸子さん」

 はじめて名前で彼女を呼んだ。その言葉で、女の霊は両手で顔を隠すようにしてワッと泣きだす。

「幸子さん。みつかるかどうかわからないけど、アナタの赤ちゃんの遺骨探してみる。力になれなかったら……ごめんなさい。でも、できる限り探して、また報告にくるから」

 千夏がそう約束すると、幸子の霊は徐々に姿が薄く透明になっていき、スーッと空気に溶け込むように消えてしまった。

 いつのまにか、重苦しかった部屋の空気がすっかり正常になっている。窓の外にも、街灯の光や向かいの建物の明かりが戻っていた。
 パチパチっという音とともに、室内の照明も全て元通りに点《つ》く。

「…………もど、った……」

 安堵した途端、千夏は足から床に崩れ落ちた。

「お、おい……、千夏!」

 咄嗟に元気が千夏を支えようと手を伸ばすが、彼の手をするっとすり抜けてペタンと床に座り込む。足に力が入らない。

「あ、はははは…………なんか、今頃になって急に怖さがぶりかえして。足が笑っちゃって……」

 なにはともあれ、手がかりは掴めた。あとは、調べてみるだけだ。

「おつかれさま」
「うん。元気も、ありがとう」

 一人だったら、きっと途中で気絶していただろう。元気がいてくれたから、乗り越えられた。

 それにしても、先ほど見えたあの映像はなんだったんだろう。まるで、霊の記憶を覗いたかのようだった。

 少し休んでいると足に力が戻ってきたため、千夏はクローゼットに手をつくと、よいしょと立ちあがる。

「このままここにいると床の上で眠り込んじゃいそうだから。今日はもう帰るね」

「ああ、それがいいと思うよ」

 出勤初日にしては、働き過ぎだっての。ぶつぶつと文句をいいながら玄関へ向かい、パンプスを履く。履きながら、ふと気になった。
「元気は、このあとどうするの? どっかに帰るの?」

 そう尋ねると、彼は曖昧な苦笑を浮べて小首を傾げた。

「別にいくところもないから、あのオフィスに戻るよ」

「そっか……じゃあ、また明日、だね」

 照明を消して外の共用廊下に出ると、晴高から借りたマスターキーでドアを施錠する。
 スマホをつけてみると、もう朝の五時近くだった。
 段々と空が白みはじめている。電車はもう動いているだろうか。

 アパートの階段を降りると、道路の脇にシルバーのセダンが一台止まっているのが目に付いた。これ、自分がここまで乗ってきた社用車と似てる車だなぁなんて思いながらその横を通り過ぎようとしたとき、運転席を見て千夏はギョッとして足を止める。

 運転席に座っていたのは、見覚えのある目つきのきついイケメン。晴高だったからだ。どおりで見た事ある車だと思った。

「なんで……」

 運転席のパワーウィンドウが下がって、晴高がクイッと顎で後部座席を示した。

「乗れ。家まで送っていくから」

「…………なんで、晴高さん。こんなところにいるんですか」

 千夏の疑問に、晴高は露骨に大きなため息をついた。

「初心者の部下を、一人で現場においておくわけないだろ。俺はそこまで無責任じゃない」

「……!」

(いるなら、いると一言言ってくれれば! どんだけ怖かったと思ってんだ、この男は……!!!!)

 ふつふつと晴高に対する怒りが沸いてくる。しかしそれが精いっぱいで、いまは疲労のあまり言い合いをする気力も残っていなかった。

 千夏は幾分乱暴に後部座席のドアを開けると、どかっと座席に腰を落とした。すぐに車は発進する。千夏は晴高に聞かれて家の場所を伝えると、ほんの数分と持たず眠りに落ちてしまっていた。
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