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ハッピーエンドへ sideグレス

女王の涙

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 わたくしが二十四歳を過ぎると、次第に「早く世継ぎを産むべき」という周囲の願い、という名の圧力が増してきました。

 

 グランティスという国は千年に渡って圧倒的求心力のある女王を据えてきた国です。ゆえに王族といえど、求められるのは「血を絶やさぬための努力」くらいだったそうです。ある意味、エリシア様のおかげで王族は楽をさせていただけたのですよね。

 

 我が父にして現国王も老齢に差し掛かりつつあります。先日の定期健康観察においては持病の悪化も心配されました。父が王位を退かざるを得なくなった頃に、わたくしが支障なく王位を継げるように。つまり、女王になる前に出産を終えて、育児だってひと段落していること。それがわたくしに求められている理想の道筋なのです。

 

 

「はぁ……」

 

 わたくしは執務室にて、国内外から集められた縁談の資料の山を眺めながら溜息をついていました。この件の担当官僚がこの場でわたくしを監視しようと算段していたもので、それだけはお許しくださいと断って、ひとりで資料に向き合うことに。

 

 わたくしの望みはさておいて、先方に失礼ですので資料の内容だけは全て確認させていただきました。朝食をいただいてから休まず、室内はすでに日暮れの朱色に染まり始めています。昼食をとり損ねたお腹がくぅ、と鳴いて訴えてきますが、体の求めとは裏腹にわたくしはちっとも空腹を感じていません。

 

 椅子の背もたれに深く重心を預けてみるも、体重が軽くて体が沈みきれません。何とはなしに下腹部を撫でてみますと、肉付きの薄く頼りない、すべすべとした感触を自覚します。

 

 今となっては以前ほど身近な存在ではなくなりましたが、剣闘士の皆様の体を思い出していました。わたくしのそれと違って、彼らの体は日々の努力がそのまま形作られていたので……。

 

 たまたま女王になるべき家系に生まれて、何の努力もなく国民に育てていただいたこの体。ならば、せめて……我が国にとってもっとも益となる方の子をこの体で育み、世の中に誕生させるべきなのかもしれません……。

 

 それこそが、わたくしのするべき努めなのかもしれない。……わかっています。……それでも……。


「……テラ、様」

 

 名前を呟いただけで、いたたまれなくて。浅ましい自分が恥ずかしくて、視界が滲んできます。最後にお会いしたのも何か月も前で、わたくしと彼の関係は、ただこちらから一方的に見つめてきただけの片想いでしかないというのに。

 

 誰かの子供を自分の体に宿す。その可能性を思い浮かべてしまうと……その相手は、あなたが良い。そんな図々しい夢を描いてしまう自分に、耐え難い嫌悪感を抱いてしまうのです。

 

 彼は我が国を象徴する剣闘場の最期に、輝かしい思い出を提供してくださった、国民的英雄にも等しい存在でした。彼を密かに慕う女性だって、わたくしだけではないはずです。

 

 今は我が国を離れ様々な国を渡り歩いて、自分自身を表現する仕事を生きがいとしておられるのです。

 

 そんなお方を時期女王になる立場のわたくしが求めれば、彼の自由な人生を奪い、この国に束縛してしまう。しかも、女王の立場を利用してそれを迫ることにもなる。

 

 考えれば考えるほどに、はしたなくて……決して叶わぬ夢想をしているようで、虚しくて。途方に暮れてしまうのでした。


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