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3章 中編
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デソン先生に見せてもらった魔法について、俺はあれこれと質問を繰り返した。
ところが、同じ魔法を覚えることはできないだろうと先生から告げられた。
「えー!? じゃあ、何のために見せてくれたんですか?」
しまった、また一杯食わされたか。二千エノム取られ損だ。でも、素晴らしいショーを見せてもらったと思えば悪くはない。丸太がゴミのようだったしな。
「同じ魔法は使えなくても、何かヒントになればと思ってね。乳魔術師の中で共通の基本魔法というのはあるけれど、上位魔法は人によって覚えるものが違うから。君は君で、自分に合った魔法を編み出せばいいんだ」
「そんなもんなんですか。でも、俺も爪が剥げたり指が焦げたりするのはイヤだなと思ったんです。どうせなら多少威力が低くても、もっと反動の無い方がいいなって。女性の回復要員を常に連れ回すわけにもいかないし」
そもそも、ナマ爪が取れて指先の装甲を失うと困るじゃないか。
毎晩のオッパイを揉む仕事に支障が出る。もしビーム魔法を習得できたとしても、あまり使いたいとは思わない。
「あのビームは、瞬間的に1000℃近い高温になるからね。キラーベアが3匹くらい重なっていても、貫通して一撃で殺せるんだ。普通に1匹ずつ倒すなら、あそこまでの高出力は必要ないだろうけど」
そもそも、キラーベアとかいうのを見たことがないので想像がつかないのだが。
ただ、どんなモンスターでも一撃必殺の魔法となれば最強の切り札となる。
「ところで先生。さっきの魔法、どうやって覚えたんです? 修行方法とか秘訣があるのなら教えてくださいよ」
「そうだなぁ……。バスチャー村の東にガラス工房ってあるだろ。そこでガラス吹きするオッパイプっていうのがあるんだけど」
「あー。実は俺もガラスビン作ってるんですよ。先生に言ってませんでしたっけ? もしかしたら、俺にもビーム魔法を覚えられたりして」
「知ってるなら話は早いな。オッパイプを溶解炉に突っ込んで加熱するだろ。そしたら、熱い部分を手で握り込むんだ。そうすると大火傷することになる。そんで水で冷やして、治療してもらうんだ。それを百回くらい繰り返してみればいい」
「はあぁっ!? イヤですよ、そんなの。先生は実際にやったんですか?」
「そうだよ。職人さんから、ガラスの溶ける温度を覚えろって言われてね。触って確認してみたんだ」
この人は、頭おかしいのだろうか。ダメ絶対。危険だから真似してはいけない。
そんな拷問みたいなことをしないと覚えられない魔法なら、迷わず俺は諦める。
「呆れて物も言えませんね。なんで、そんなことしようと思ったんです?」
「うーん、そうだねぇ。今でこそ僕は乳魔術師をやっているけど、子供の頃はファイアスミスになりたかったんだ。だけど魔術師って、自分の適性にあった1系統しか習得できないだろ。紆余曲折あって、こうなったというわけか」
「すいません、それ知らなかったんですけど。1系統って、どういうことです?」
「五大魔術のことくらい聞いたことあるだろ?」
「いえ、聞いたことないです。先生から教わってもいないですし」
「なんだ、そうか。まあ僕も教えてないし。アストロメイジ、ファイアスミス、フォレストメイジ、アルケミスト、ブリックメイジの5つだ。それが、この国では五大魔術と呼ばれている」
魔法が5系統もあるとは。一度に言われても、メモしておかないと覚えきれないな。炎の魔術師以外は、占い師とか錬金術士みたいなものだろうか。
指折り数えてみたが、5つの中に乳魔術は含まれていない。
「あれ? じゃあ、俺や先生みたいな乳魔術師は何なんですか?」
「その他の、マイナー魔術師ってところかな」
「なんか、どうでもいいオマケみたいですね」
「実際、どうでもいいと思われてるから。基本的にミルク搾りしかできないし」
世間からの社会的評価は、そういう扱いだったのか。まあデソン先生ですら、村では人工中絶ばっかり専門にやってる治癒魔術師とか言われていたからなぁ。
「俺だって乳魔術師なんて、なりたくてなったわけじゃないし。出来ればやめたいです。今から修行しなおして別系統の魔術師に転向できないですか? どうせならアルケミストとかになって、金をガッポガッポ稼ぎたいです」
「不可能だよ。一度いずれかの系統の魔術を身につけてしまったら、普通は別系統を習得できる余地が無くなるんだ。卵子だって受精できるのは1つだけだろ」
分かりやすくはあるが、なんと酷い比喩表現だろうか。人のことを精子みたいに言われて、不愉快にならない奴はまずいないだろう。
「多細胞生物を、単細胞みたいに言わないでくださいよ。まいったなぁ」
「まあ、理論上はクラスチェンジできないわけじゃないけど。でも、普通は2系統以上の魔法なんて覚えられないから無意味だね」
「クラスチェンジなんてあるのか。職安にでも行けば変えてもらえるんです?」
「大神殿で全記憶を消滅させる魔法をかけてもらえばノンクラス状態に戻れるよ。その代わり、肉体は現在まで成長した状態のまま、心だけ幼児からやり直しだ」
体は大人で頭脳は子供、どこのバーロー少年探偵だ? というか、あれの逆だから単なるアホに成り下がるだけだな。
「それ、何の意味も無いじゃないですか」
「ま、無理なものは無理だ。諦めて、せいぜい乳魔術師としての研鑽を積むことだね。そもそも、魔力の素質がなくて全く魔法が使えない人も多いんだ。乳魔術が使えるだけでも恵まれているんだし、ありがたいと思わなきゃ」
「ぐぬぬぬ。そう言われればそうですねぇ」
「さて、そろそろ町に着くんじゃないかな」
俺とデソン先生でベラベラと雑談している間にも、馬はかなり進んでいたようだ。馬車入口のホロをめくって外を覗いてみると、風景が大きく変わっていた。
街道の南北には広大な畑が広がっている。進行方向、東の先には住宅が立ち並んでいるのも見えた。
「うわぁ、いつの間に……。あの畑の植物は何ですか?」
「麦ですよ。カイホ君も、いつもパンにして食べてる小麦粉の原料です」
稲穂にも似ていて、日本でも見たことありそうな作物だと思ったが麦だった。
こんなところで大量栽培していたのか。
これほどの麦畑なら、何千人分もの食料が賄えそうだ。
「ああ、山の上では麦畑は無いからねぇ。君は見たこともなかったのか」
「そうですよ。今日、初めて下山してきたわけですし」
「田舎者のオーラ丸出しだと恥ずかしいから、町に入ったら『アレは何? コレは何?』と、あまり言わないでくれよ」
「すいません」
先生から変な注意を受けた。俺は山奥の村から下りてきた、お上りさんであることに違いない。気をつけようと思ったが、ボーデンは大丈夫だと言ってくれた。
「いえ、別に構いませんよ。分からないことがあれば何でも私に聞いてください」
「どうせ僕はカイホ君とは別行動だから、まっいいか」
「先生、どっか違うところに行くなら関係ないじゃないですか」
「君と違って遊びに来ているわけじゃないからね」
たしか、先生は土曜日に町の診療所でニンゲン種の女性を相手に中絶処置のバイトをしていると聞いたことがある。あまり避妊が普及していない世界なので、ホル族以外にも望まない妊娠をしてしまう人は数多くいるのだろう。
「このあと、すぐ診療所とかに入って仕事ですか?」
「まず、パブに入って軽く一杯飲むんだ。それからレモネと一緒にショッピングに行く約束をしている。夜は旅館で風呂に入ったら、部屋でゴロゴロしてるよ」
完全に、余暇の旅行みたいにしか聞こえない。
「それ、どこにも仕事の要素なんて無いじゃないですか」
「まあ、子供には分からない深い事情があるのさ」
「はぁ、さようですか」
「とりあえず、最初の馬車停広場に到着しました。一旦、ここに駐車します」
ボーデンからそう告げられ、デソン先生はヒョイっと馬車を降りた。
続いて俺も外に出る。駐車場の左右を見ると、一緒に来ていた他の3台の馬車も隣で並んで停止していた。
この近辺だけ、およそ千坪ほどのパーキングみたいに拓けている。
広場の外周、馬車から300メートルほど先には、たくさんの建物が見えた。10メートル間隔ほどで整然と区画分けされた住宅街のようだ。
まばらながら人通りもある。獣人は見当たらない。ほとんどニンゲン種ばかりのようだ。牛人種の村で育った俺にとっては、新鮮な光景だった。
「街路を歩いている人達、ニンゲンばっかりですね」
「まあ、町に来るとニンゲン種が多数民族だからね。でも、中心部の市街地に行けば他にも色んな人種に会えるよ。ここは、まだ郊外だし」
「へぇ。それで、このあと俺はどうすればいいですか?」
「ええっとですね。私は取引先にミルクを配送する業務がありますので。まず、あそこの宿場が1軒目です。冒険者ギルドの前を通ったら、そこでカイホ君を降ろしますので、それまで馬車に乗って一緒に来てください」
俺とボーデンが一緒に町を回ることになり、どうやら先生とレモネさんは2人で別の所に向かうらしい。
「とりあえず君達とは、ここでお別れだ。レモネと一緒に出かけてくるから」
「はい、お疲れ様でした。では、また」
「スリや置き引きや痴漢には気をつけなよ」
村では泥棒なんて、まず居なかった。そもそも盗まれるような貴重品を持っている村人もほとんど存在しない。
ところが町となると、犯罪者も出没するのだろうか。
「痴漢なんているんですか? 俺は男ですよ」
「君が痴漢するなよ、っていう意味だ。ここはニンゲンの町だから、むやみやたらと手当たりしだいにオッパイ揉み逃げしたら捕まるよ」
「そんなこと村でもしてません」
「では、お大事にどうぞ」
レモネさんからも、軽く手を振りながらお別れの挨拶をされた。
ロクでもない助言を残し、先生は彼女を連れて街の中へと姿を消した。
「さて、最初の納品に行きます。あの店は4樽です」
「あ、俺も手伝いましょうか?」
「ふむ。では2樽、お願いするとしましょう」
まず1個の樽を手渡されたので、自分の腹の前あたりに両手で抱えて持った。すると、その蓋の上にもう1樽を乗せられた。2樽を縦に重ねて運んで行く。
中身は満タンではないので、そこまで重くはない。
ボーデンも同じように2樽を持つと、1軒の建物に向かって歩いて行った。
迷子にならないよう、後ろから追従する。
『雑魚寝宿場ハズレ亭 相部屋1室4~6名 お1人様1泊:千五百エノムより』
店の入口には、看板が掲示してあった。宿泊料は、そんなには高くないようだ。
値段相当なのだろう。ずいぶん年季の入った建物だな。玄関デッキに上がるためステップに足を掛けると、木材がミシミシ言っている。
「ここ、ドミトリー方式の宿屋なんですか?」
「宿屋と呼べるほどの上等なものではありませんが。まあ、そんなような店です」
「千五百エノムくらいの料金なら、俺が1人で来たときにでも泊まれそうですね」
「うーむ、あまりオススメはしませんが……。子供1人だと、安全面で不安があります。オスの子供が好きな、オスの成人もいますからね」
「げげっ。それは、なんかイヤだなぁ」
「では入ります。まいどー、ボーデンです! ミルクをお持ちしました」
「はい、ご苦労様。いつもの所に置いといてちょうだいな」
玄関から入ってサンダルを脱いで下駄箱に入れ、室内に上がった。
正面にはカウンターが設置してある。その奥に座っているのが、この店の女将さんだろうか。ホル族ではなく、普通にニンゲンの中年女性だ。
ボーデンが勝手にトコトコと入って行く。台所の入口脇で、床にミルク樽を置いた。俺も自分が運んできた分を、その横に下ろした。
建物の間取りは、俺の家にそっくりだった。おそらく、4LDKタイプだろう。
違うのは家具くらいだ。ダイニングに、4人掛けの正方形テーブルが2セット並んでいるのが見えた。宿泊客の全員が一斉に食事をするわけでもないだろうし、8人分の席があれば足りるのだろう。
1部屋に5人ずつ客を押し込めば、4部屋で20人は宿泊できそうだ。
1日の売上は、満室になれば三万エノムくらいの計算になる。しかし、現実的には客が半分も入れば上出来の雰囲気で、さほど繁盛している宿屋には見えない。
俺がそんなことを頭の中で考えている間、ボーデンの方はバッグから何やら書類を出して女将に交付していた。
「納品受領書にサインお願いします」
「はい、はい。ところで、その坊やは? ボーデンの隠し子かい?」
「いえ違います。バスチャー村で、私のお得意さんでして。観光案内中です」
「なんだそうかい。もし泊まるときは、うちにおいで。坊やは可愛いから特別にサービスしてあげるよ」
「あ、はい……。考えておきます。ただ、今日は間に合ってます」
「まだ、残りの配達がありますので。では失礼します」
ミルク4樽の搬入が終わり、帰りには同数の空樽を回収した。
俺も女将に向かってペコっと軽く会釈し、1軒目の店から引き上げた。
「代金って、どうなってるんです? 現金もらわずに出て来たみたいですけど」
「ああ、それは大丈夫です。まとめて1週間分ずつ、商業ギルドの口座に入金となります。配達するたび、イチイチ支払いしてもらってたら面倒ですからね。現金決済は信用の低い相手だけです」
「へぇ。うまいこと便利なシステムが出来てるんですねぇ」
「無駄な現金を抱えたまま自分の家で管理する負担が減るから助かっています。朝になったら仕入れに必要な分だけ出金して、村に出発するんですよ」
商業ギルドって、信用商工組合みたいなものなのか?
どうやら銀行的な機能もしているようだ。
馬車まで戻ったところで、さっきの宿屋について気になった点をボーデンに聞いてみることにした。さすがに、取引企業の店先で相手の悪口は言えないからな。
「今の店で『泊まるときは、おいで』って言われましたね。サービスって何だろう? ボーデンさんの紹介なら千エノムくらいに値引きしてもらえるんですか」
「あの店は、千五百エノムで既に限界まで安いのです。これ以上はビタ一文もまかりません。サービスしてもらっても、泊まった翌朝に目が覚めると尻が痛くなってるかもしれませんよ」
「ひぃっ。よく分からないけど、そんなのサービスでも何でもないじゃないですか。絶対、やめときます」
出血大サービスというやつだろうか。
危険なので俺1人のときは、あの店には近づかない方が良さそうだな。
「ふふふ。まあ、今言ったことは半分くらい冗談です。布団が薄くて床が固いので、一晩寝ると背中や尻が痛くなる人もいるんです」
半分が冗談で、残りの半分は何だよ?
たかが宿に泊まるだけで、怪しいリスクは負いたくはないな。
ところが、同じ魔法を覚えることはできないだろうと先生から告げられた。
「えー!? じゃあ、何のために見せてくれたんですか?」
しまった、また一杯食わされたか。二千エノム取られ損だ。でも、素晴らしいショーを見せてもらったと思えば悪くはない。丸太がゴミのようだったしな。
「同じ魔法は使えなくても、何かヒントになればと思ってね。乳魔術師の中で共通の基本魔法というのはあるけれど、上位魔法は人によって覚えるものが違うから。君は君で、自分に合った魔法を編み出せばいいんだ」
「そんなもんなんですか。でも、俺も爪が剥げたり指が焦げたりするのはイヤだなと思ったんです。どうせなら多少威力が低くても、もっと反動の無い方がいいなって。女性の回復要員を常に連れ回すわけにもいかないし」
そもそも、ナマ爪が取れて指先の装甲を失うと困るじゃないか。
毎晩のオッパイを揉む仕事に支障が出る。もしビーム魔法を習得できたとしても、あまり使いたいとは思わない。
「あのビームは、瞬間的に1000℃近い高温になるからね。キラーベアが3匹くらい重なっていても、貫通して一撃で殺せるんだ。普通に1匹ずつ倒すなら、あそこまでの高出力は必要ないだろうけど」
そもそも、キラーベアとかいうのを見たことがないので想像がつかないのだが。
ただ、どんなモンスターでも一撃必殺の魔法となれば最強の切り札となる。
「ところで先生。さっきの魔法、どうやって覚えたんです? 修行方法とか秘訣があるのなら教えてくださいよ」
「そうだなぁ……。バスチャー村の東にガラス工房ってあるだろ。そこでガラス吹きするオッパイプっていうのがあるんだけど」
「あー。実は俺もガラスビン作ってるんですよ。先生に言ってませんでしたっけ? もしかしたら、俺にもビーム魔法を覚えられたりして」
「知ってるなら話は早いな。オッパイプを溶解炉に突っ込んで加熱するだろ。そしたら、熱い部分を手で握り込むんだ。そうすると大火傷することになる。そんで水で冷やして、治療してもらうんだ。それを百回くらい繰り返してみればいい」
「はあぁっ!? イヤですよ、そんなの。先生は実際にやったんですか?」
「そうだよ。職人さんから、ガラスの溶ける温度を覚えろって言われてね。触って確認してみたんだ」
この人は、頭おかしいのだろうか。ダメ絶対。危険だから真似してはいけない。
そんな拷問みたいなことをしないと覚えられない魔法なら、迷わず俺は諦める。
「呆れて物も言えませんね。なんで、そんなことしようと思ったんです?」
「うーん、そうだねぇ。今でこそ僕は乳魔術師をやっているけど、子供の頃はファイアスミスになりたかったんだ。だけど魔術師って、自分の適性にあった1系統しか習得できないだろ。紆余曲折あって、こうなったというわけか」
「すいません、それ知らなかったんですけど。1系統って、どういうことです?」
「五大魔術のことくらい聞いたことあるだろ?」
「いえ、聞いたことないです。先生から教わってもいないですし」
「なんだ、そうか。まあ僕も教えてないし。アストロメイジ、ファイアスミス、フォレストメイジ、アルケミスト、ブリックメイジの5つだ。それが、この国では五大魔術と呼ばれている」
魔法が5系統もあるとは。一度に言われても、メモしておかないと覚えきれないな。炎の魔術師以外は、占い師とか錬金術士みたいなものだろうか。
指折り数えてみたが、5つの中に乳魔術は含まれていない。
「あれ? じゃあ、俺や先生みたいな乳魔術師は何なんですか?」
「その他の、マイナー魔術師ってところかな」
「なんか、どうでもいいオマケみたいですね」
「実際、どうでもいいと思われてるから。基本的にミルク搾りしかできないし」
世間からの社会的評価は、そういう扱いだったのか。まあデソン先生ですら、村では人工中絶ばっかり専門にやってる治癒魔術師とか言われていたからなぁ。
「俺だって乳魔術師なんて、なりたくてなったわけじゃないし。出来ればやめたいです。今から修行しなおして別系統の魔術師に転向できないですか? どうせならアルケミストとかになって、金をガッポガッポ稼ぎたいです」
「不可能だよ。一度いずれかの系統の魔術を身につけてしまったら、普通は別系統を習得できる余地が無くなるんだ。卵子だって受精できるのは1つだけだろ」
分かりやすくはあるが、なんと酷い比喩表現だろうか。人のことを精子みたいに言われて、不愉快にならない奴はまずいないだろう。
「多細胞生物を、単細胞みたいに言わないでくださいよ。まいったなぁ」
「まあ、理論上はクラスチェンジできないわけじゃないけど。でも、普通は2系統以上の魔法なんて覚えられないから無意味だね」
「クラスチェンジなんてあるのか。職安にでも行けば変えてもらえるんです?」
「大神殿で全記憶を消滅させる魔法をかけてもらえばノンクラス状態に戻れるよ。その代わり、肉体は現在まで成長した状態のまま、心だけ幼児からやり直しだ」
体は大人で頭脳は子供、どこのバーロー少年探偵だ? というか、あれの逆だから単なるアホに成り下がるだけだな。
「それ、何の意味も無いじゃないですか」
「ま、無理なものは無理だ。諦めて、せいぜい乳魔術師としての研鑽を積むことだね。そもそも、魔力の素質がなくて全く魔法が使えない人も多いんだ。乳魔術が使えるだけでも恵まれているんだし、ありがたいと思わなきゃ」
「ぐぬぬぬ。そう言われればそうですねぇ」
「さて、そろそろ町に着くんじゃないかな」
俺とデソン先生でベラベラと雑談している間にも、馬はかなり進んでいたようだ。馬車入口のホロをめくって外を覗いてみると、風景が大きく変わっていた。
街道の南北には広大な畑が広がっている。進行方向、東の先には住宅が立ち並んでいるのも見えた。
「うわぁ、いつの間に……。あの畑の植物は何ですか?」
「麦ですよ。カイホ君も、いつもパンにして食べてる小麦粉の原料です」
稲穂にも似ていて、日本でも見たことありそうな作物だと思ったが麦だった。
こんなところで大量栽培していたのか。
これほどの麦畑なら、何千人分もの食料が賄えそうだ。
「ああ、山の上では麦畑は無いからねぇ。君は見たこともなかったのか」
「そうですよ。今日、初めて下山してきたわけですし」
「田舎者のオーラ丸出しだと恥ずかしいから、町に入ったら『アレは何? コレは何?』と、あまり言わないでくれよ」
「すいません」
先生から変な注意を受けた。俺は山奥の村から下りてきた、お上りさんであることに違いない。気をつけようと思ったが、ボーデンは大丈夫だと言ってくれた。
「いえ、別に構いませんよ。分からないことがあれば何でも私に聞いてください」
「どうせ僕はカイホ君とは別行動だから、まっいいか」
「先生、どっか違うところに行くなら関係ないじゃないですか」
「君と違って遊びに来ているわけじゃないからね」
たしか、先生は土曜日に町の診療所でニンゲン種の女性を相手に中絶処置のバイトをしていると聞いたことがある。あまり避妊が普及していない世界なので、ホル族以外にも望まない妊娠をしてしまう人は数多くいるのだろう。
「このあと、すぐ診療所とかに入って仕事ですか?」
「まず、パブに入って軽く一杯飲むんだ。それからレモネと一緒にショッピングに行く約束をしている。夜は旅館で風呂に入ったら、部屋でゴロゴロしてるよ」
完全に、余暇の旅行みたいにしか聞こえない。
「それ、どこにも仕事の要素なんて無いじゃないですか」
「まあ、子供には分からない深い事情があるのさ」
「はぁ、さようですか」
「とりあえず、最初の馬車停広場に到着しました。一旦、ここに駐車します」
ボーデンからそう告げられ、デソン先生はヒョイっと馬車を降りた。
続いて俺も外に出る。駐車場の左右を見ると、一緒に来ていた他の3台の馬車も隣で並んで停止していた。
この近辺だけ、およそ千坪ほどのパーキングみたいに拓けている。
広場の外周、馬車から300メートルほど先には、たくさんの建物が見えた。10メートル間隔ほどで整然と区画分けされた住宅街のようだ。
まばらながら人通りもある。獣人は見当たらない。ほとんどニンゲン種ばかりのようだ。牛人種の村で育った俺にとっては、新鮮な光景だった。
「街路を歩いている人達、ニンゲンばっかりですね」
「まあ、町に来るとニンゲン種が多数民族だからね。でも、中心部の市街地に行けば他にも色んな人種に会えるよ。ここは、まだ郊外だし」
「へぇ。それで、このあと俺はどうすればいいですか?」
「ええっとですね。私は取引先にミルクを配送する業務がありますので。まず、あそこの宿場が1軒目です。冒険者ギルドの前を通ったら、そこでカイホ君を降ろしますので、それまで馬車に乗って一緒に来てください」
俺とボーデンが一緒に町を回ることになり、どうやら先生とレモネさんは2人で別の所に向かうらしい。
「とりあえず君達とは、ここでお別れだ。レモネと一緒に出かけてくるから」
「はい、お疲れ様でした。では、また」
「スリや置き引きや痴漢には気をつけなよ」
村では泥棒なんて、まず居なかった。そもそも盗まれるような貴重品を持っている村人もほとんど存在しない。
ところが町となると、犯罪者も出没するのだろうか。
「痴漢なんているんですか? 俺は男ですよ」
「君が痴漢するなよ、っていう意味だ。ここはニンゲンの町だから、むやみやたらと手当たりしだいにオッパイ揉み逃げしたら捕まるよ」
「そんなこと村でもしてません」
「では、お大事にどうぞ」
レモネさんからも、軽く手を振りながらお別れの挨拶をされた。
ロクでもない助言を残し、先生は彼女を連れて街の中へと姿を消した。
「さて、最初の納品に行きます。あの店は4樽です」
「あ、俺も手伝いましょうか?」
「ふむ。では2樽、お願いするとしましょう」
まず1個の樽を手渡されたので、自分の腹の前あたりに両手で抱えて持った。すると、その蓋の上にもう1樽を乗せられた。2樽を縦に重ねて運んで行く。
中身は満タンではないので、そこまで重くはない。
ボーデンも同じように2樽を持つと、1軒の建物に向かって歩いて行った。
迷子にならないよう、後ろから追従する。
『雑魚寝宿場ハズレ亭 相部屋1室4~6名 お1人様1泊:千五百エノムより』
店の入口には、看板が掲示してあった。宿泊料は、そんなには高くないようだ。
値段相当なのだろう。ずいぶん年季の入った建物だな。玄関デッキに上がるためステップに足を掛けると、木材がミシミシ言っている。
「ここ、ドミトリー方式の宿屋なんですか?」
「宿屋と呼べるほどの上等なものではありませんが。まあ、そんなような店です」
「千五百エノムくらいの料金なら、俺が1人で来たときにでも泊まれそうですね」
「うーむ、あまりオススメはしませんが……。子供1人だと、安全面で不安があります。オスの子供が好きな、オスの成人もいますからね」
「げげっ。それは、なんかイヤだなぁ」
「では入ります。まいどー、ボーデンです! ミルクをお持ちしました」
「はい、ご苦労様。いつもの所に置いといてちょうだいな」
玄関から入ってサンダルを脱いで下駄箱に入れ、室内に上がった。
正面にはカウンターが設置してある。その奥に座っているのが、この店の女将さんだろうか。ホル族ではなく、普通にニンゲンの中年女性だ。
ボーデンが勝手にトコトコと入って行く。台所の入口脇で、床にミルク樽を置いた。俺も自分が運んできた分を、その横に下ろした。
建物の間取りは、俺の家にそっくりだった。おそらく、4LDKタイプだろう。
違うのは家具くらいだ。ダイニングに、4人掛けの正方形テーブルが2セット並んでいるのが見えた。宿泊客の全員が一斉に食事をするわけでもないだろうし、8人分の席があれば足りるのだろう。
1部屋に5人ずつ客を押し込めば、4部屋で20人は宿泊できそうだ。
1日の売上は、満室になれば三万エノムくらいの計算になる。しかし、現実的には客が半分も入れば上出来の雰囲気で、さほど繁盛している宿屋には見えない。
俺がそんなことを頭の中で考えている間、ボーデンの方はバッグから何やら書類を出して女将に交付していた。
「納品受領書にサインお願いします」
「はい、はい。ところで、その坊やは? ボーデンの隠し子かい?」
「いえ違います。バスチャー村で、私のお得意さんでして。観光案内中です」
「なんだそうかい。もし泊まるときは、うちにおいで。坊やは可愛いから特別にサービスしてあげるよ」
「あ、はい……。考えておきます。ただ、今日は間に合ってます」
「まだ、残りの配達がありますので。では失礼します」
ミルク4樽の搬入が終わり、帰りには同数の空樽を回収した。
俺も女将に向かってペコっと軽く会釈し、1軒目の店から引き上げた。
「代金って、どうなってるんです? 現金もらわずに出て来たみたいですけど」
「ああ、それは大丈夫です。まとめて1週間分ずつ、商業ギルドの口座に入金となります。配達するたび、イチイチ支払いしてもらってたら面倒ですからね。現金決済は信用の低い相手だけです」
「へぇ。うまいこと便利なシステムが出来てるんですねぇ」
「無駄な現金を抱えたまま自分の家で管理する負担が減るから助かっています。朝になったら仕入れに必要な分だけ出金して、村に出発するんですよ」
商業ギルドって、信用商工組合みたいなものなのか?
どうやら銀行的な機能もしているようだ。
馬車まで戻ったところで、さっきの宿屋について気になった点をボーデンに聞いてみることにした。さすがに、取引企業の店先で相手の悪口は言えないからな。
「今の店で『泊まるときは、おいで』って言われましたね。サービスって何だろう? ボーデンさんの紹介なら千エノムくらいに値引きしてもらえるんですか」
「あの店は、千五百エノムで既に限界まで安いのです。これ以上はビタ一文もまかりません。サービスしてもらっても、泊まった翌朝に目が覚めると尻が痛くなってるかもしれませんよ」
「ひぃっ。よく分からないけど、そんなのサービスでも何でもないじゃないですか。絶対、やめときます」
出血大サービスというやつだろうか。
危険なので俺1人のときは、あの店には近づかない方が良さそうだな。
「ふふふ。まあ、今言ったことは半分くらい冗談です。布団が薄くて床が固いので、一晩寝ると背中や尻が痛くなる人もいるんです」
半分が冗談で、残りの半分は何だよ?
たかが宿に泊まるだけで、怪しいリスクは負いたくはないな。
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
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カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生
西洋司
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妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。
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特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
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鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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