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4章 前編

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 先生からの返答は単純だった。
 歩け、以上。
 やはりバスチャーとリバーシブを往復する馬車は、夕方に村から出て翌朝に町から戻ってくる行商人の便しか存在しないようだ。

「徒歩だと片道2時間くらいかかるんですよ。遠いし、行くだけで疲れるじゃないですか」

「甘ったれたこと言うんじゃないよ。リバーシブくらい、僕にとっては庭を散歩する程度の距離だよ」

 マラソン選手なら10kmや20kmくらい日々の練習で走るのは訳無いことだろう。
 しかし、交通網が発達して、車や電車が当たり前だった前世の感覚が俺にもまだ少し残っている。
 こちらの世界は不便なこと極まりない。

「先生はジョギングが趣味で普段から鍛えているから、いいかもしれないですけど。俺はそこまで体力はないです」

「まあ山道だから、子供には少しキツいか。それに、ちゃんとしたシューズを装備しないと走りにくいかもしれないなぁ。そんなサンダルじゃダメだよ」

 俺が履いている物は、村人にはごく一般的な藁のような植物を編んで作られたサンダルだ。
 日本人が江戸時代くらいまで庶民が普通に履いていた草鞋に似ているかもしれない。

 ただし、こちら世界の草サンダルは、爪先がオープンタイプの物と、足の甲を覆う部分を持つクローズタイプの2種類がある。
 後者は、どちらかと言うとスリッパに近い。
 踵のあたりに紐が付いていて、足首を結いて固定することもできる。

 行商人から五百エノムほどで新品の草鞋を購入することは可能だ。
 だけど、家計節約のため長らく買い替えてない。
 俺のサンダルは、履き古してボロボロになってきている。
 ふと、デソン先生の足元に目をやると、立派な靴が目についた。

「先生が履いている、それは革靴ですか?」

「そうだよ。靴底は頑丈なスニャックレザーで、甲革はカルルレザーを合成して出来ているんだ。耐久力と履き心地のバランスを考えるとこれが一番だな」

 デソン先生が自慢気に、少し爪先を上げて靴を見せつけてきた。
 地球人のビジネスマンが履いていたとしても違和感の無い、オーソドックスなデザインのブラウン色をした紳士靴だった。
 ブランド物ではなくても、日本円に換算して三万円くらいの値が張りそうな光沢のある革素材に見える。

「いい靴を履いてるんですねぇ。あんな蛇の革が靴底にも使われているなんて知りませんでした。それで、カルルレザーっていうのは何の皮ですか?」

 スニャックは飽きるほど狩りを繰り返し、今まで皮を何枚も拾っている。
 靴に加工された革を見ても、何となくそれがスニャックだと判断できた。
 ところが、先生の靴は上半分と下半分が別の素材になっている。
 靴底には蛇の面影があるが、足の甲の部分は模様のない綺麗な単色だった。

「カルルっていうモンスターが森にいるんだよ。スニャックほどの堅さは無いけどね。足に当たる部分としては柔らかくて、それなりに丈夫なんだ。カルルを倒すと皮を落とすから、それを鞣して作られる。通称、軽革とも呼ぶね」

「そんなモンスターがいるのかぁ。でも、革を2種類も使った靴なんて、さぞかしお高いんでしょう? 俺には買えないですよ」

 俺と先生の会話が、どこかのTV通販番組みたいになってきた。
 しまいには、送料と手数料は先生が負担してくれると言い出さないか不安になってくる。

「いや、材料持ち込みで僕の知り合いに頼めば、手間賃と経費だけで制作してもらえるから。さっき言ったとおり、上から下までセットで二万エノムでいいんだよ。靴は六千エノムくらいで買える計算になる。カルルの皮を取ってくるのが少し面倒なくらいかな」

 いかにお買い得であるか、先生が熱弁を続けている。
 ただ、無条件で安く買えるわけではなく、素材は自分で採取してくる必要があるようだ。

「カルルって、どこに居るんですか? もしスニャックより強いモンスターとかだったら、俺は戦いたくないですよ」

「カルルは、体長50cm程度の小型の獣型モンスターさ。近場だと、うちの治療院から南西方向にあるチクリーの森に出没するねぇ。スライムよりは強いけど毒も無いし、むしろスニャックより弱い雑魚だよ。武器にナタ1本でもあれば、そこらの村人でも勝てくらいのもんだ」

 今まで必死になって、蛇と戦い続けた俺は何だったのか。
 スライムは弱すぎて多少物足りなさを感じていたが、スニャックは決して楽勝というわけではない。
 今日だってブルッサが怪我を負ってしまった。

 どこかの戦闘狂の民族ではないので、生きるか死ぬかの博打なんてしたくない。
 安全・安心が俺のモットーだ。
 自分より強いやつに遭遇して敗北したら人生終了になってしまうからな。

 スライムとスニャックの中間的な難易度の狩場があると知っていたら、喜んでそっちに行っていたのに。

「そんな手頃な獲物がいたなんて。もっと早く教えてくださいよ」

「だって聞かれてないじゃないか。まあ狩りに行くなら、また後で治療院まで来たときにでも正確な場所を教えてあげよう」

「分かりました。近いうち行ってみたいです。そのとき、またお願いします」

 デソン先生と、そんなことを話しながら歩き続ける。
 スライムの体液の回収もしておきたかったので、先生の了承を得て真っ直ぐ北へは進まずに少し北東寄りに迂回した道を通って帰っている。

「スライムなら一番近いのが、ここから300メートルくらいの位置にいるよ」

「どこですか? 先生、そんなに離れてても見えるんですか?」

「ミルクスライムなら魔法で簡単に探知できるじゃないか。たしか体液を蜂を狩るのに使ってるんだろ。何匹分くらい必要なんだい?」

「とりあえずスライム1匹でいいです。2リットルもあれば1日分は間に合いますので」

 さらに足を運ぶと、たしかに1匹のスライムがプルプルと蠢いているのを発見した。
 さて、ナイフで刺してパイサックで吸引させてもらうとするか。
 俺はそんなことを考えていた。

 ところが、デソン先生はスタスタとスライムの方に歩いて近づいていく。
 問答無用で急に先生が魔法を発動させた。

「加熱温乳:ヒートミール!」

 グツグツグツ、ブクブク、ボーンッ!
 どうやらスライムが体内から沸騰したようだ。
 みるみる膨張し始めて、10秒くらいで爆発した。

「えー! そんな風に倒すんですか?」

「この方が手っ取り早いだろ。さあ、早く回収しなよ」

「はい。乳液注入:ミルドリップ!」

 ジュルジュル、ビュイィーン。
 地面にこぼれているスライムの残骸液を樽の中に注入する。
 あっという間に廃乳集めが終わった。
 たしかに、MP効率を考慮しなければヒートミールでスライムは瞬殺できるようだ。

 ただし、俺と先生ではMPの最大値が違う。
 ヒートミールは消費が多いので、無駄に乱発はできない。
 MPが枯渇すると家業の搾乳にも影響してしまう。

 だから俺は、普段から温存できるときは魔法を自粛しているのだ。
 それから真っ直ぐ北西側へと向かい、すぐに俺の家の前まで到着した。

「ああ、グランの家はここだったか」

「あっ!」

 玄関に向かう途中、一枚の洗濯物がデッキの物干しに吊るされているのが目に入った。
 俺は、あることを思い出した。
 昼間に、破れた部分を縫って下着の補修をしていた。
 その、レモネさんの巨乳ブラジャーが干したままになっていた。

 もしかしたら、高レベル乳魔術師であるデソン先生も気づいてしまうかもしれない。
 そんなことを、頭の中で思考を巡らせていたのも束の間だった。
 案の定、先生にも見つけられてしまった。

「おや、どこかで見たことあるようなブラが君の家の前に干してあるね」

「うっ……。ど、どれのこととですか?」

「あれだよ」

 ちょっと惚けて、俺は誤魔化そうとしてみた。
 ところが先生は迷いなく、例の赤い染みの付いたブツを指差した。
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