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花は散り、そしてまた咲く(解決編)

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 香山紫乃が帰った後、石田と小池は残ったケーキを食べていた。
 美味しいと評判のイチゴのショートケーキを頬張りながら、小池はチーズケーキを丸ごと残した紫乃を思い浮かべた。

 なんだろう。
 庇護欲というのか。
 儚い雰囲気と潤んだような瞳が、妙に男心をくすぐるタイプだ。

 失踪したという姉の香山紅美をバラに例えるならば、紫乃は散り行く桜のようだ。

 バラ……?

「桜って、バラ科なんですか?」

 先ほど、帰りがけの紫乃に石田が投げた言葉を思い出し、小池は尋ねた。

「そのようです。牧野は『イバラ科』とも言ってますが。バラ科には、桜や梅の他に、イチゴやリンゴ、アーモンドなども含まれます」

 牧野って、きっと植物学者で有名な牧野富太郎のことだなと、小池は思う。

「さて小池さん。情報分析の結果を警務課にどう伝えますか?」

「うーん。事件性があるような、ないような……」

「わたしはあると思います。ただし失踪、行方不明の段階で、司法警察職員が捜査に入ることは少ないですね」

「えっ? そうなんですか!」

「はい。小池さんは、全国の年間行方不明者が、何人いると思います?」

 そういえば、採用試験のために暗記した記憶が、小池には微かにある。

「ええと、九万人くらい、でしたっけ」

「そうです。翻って日本の警察官は三十万人に満たない。人手は足りません。よほどの事件性がない限り、積極的に行方不明者の捜査はしないのです。だから」

 石田は最後に、ケーキに飾られたイチゴを飲み込む。

「この相談所が出来ました。ここは首都圏でありながら、地方都市と変わらない。中途半端な都市なんです。よって犯罪も多岐に渡っています。しかし警察の手が廻りきれない。ならばわたしはそこに光を当てたいのです」
 
 小池は思った。
 なんだか。
 凄くカッコいい!

 そうか、此処は、中途半端な都市なんだ!
 

「そこで、小池さんは先ほどの、香山紅美さんの知人から、情報を集めてください。情報はわたしと共有して良いと、許可をいただいてます」

「許可って、誰からですか?」

「本部長と、知事からです」

「おおお!」

「わたしはこれから、探しに行きます」

「探すって……何を?」

「香山紅美さんです。二日以内に必ず探し出します」

 きっぱりと言い切った石田を、小池は眩しそうに見つめた。
 

◇情報◇


 小池は管轄の警察官と一緒に、まず、香山紅美と紫乃の両親から話を聞いた。

「紅美ですか。私共はもう、いない者として考えてますので、警察の方の手を煩わせる必要はございません」

「あのは、香山家の跡取りにはふさわしくないですから。紫乃がいれば十分です。紅美と婚約していた今井先生には、紫乃と結婚していただくことになっていますので」

 小池は長女を全く心配していない、両親に違和感を抱く。
 すると同行していた警察官は、事もなげに言う。

「よくある話です。長子優遇もあれば、末子溺愛もありますから」

 小池が香山家の屋敷を出ると、裏門の辺りから件の公園が見えた。
 噂の幽霊が出る場所と、香山家は存外近かった。


 次に、小池が訪ねたのは、メモ書きにあった紅美の友人である。
 ダンスのインストラクターをしているという女性は、開口一番こう言った。

「紅美の失踪? 家出でしょ。あの家じゃ、紅美は可哀そうな扱いだったし」

「ええと、妹さんの方が優遇されていたのですか?」

「優遇? そんな甘いもんじゃない。いわば虐待。紅美の希望は全無視。紅美の持ち物は紫乃のモノ。婚約者だって……」

「婚約者ってお、医者さんでしたっけ」

「そうそう。挙式が決まってから、寝取られたのよ。妹に!」

 小池は目を丸くした。
 あの、楚々とした香山紫乃が、姉の婚約者を寝取った?

「ああ、みんな、紫乃の見た目に誤魔化されるのよね。小さい頃は喘息気味で体が弱くって。色白で儚げで。紅美は元気良くって活発で。男の前で泣いたり出来ない。
 
紫乃が『私、お姉さまに虐められているんです』なんて縋りつくと、男はコロッと騙される。バカよね」

 小池は背中に嫌な汗が流れる。
 多分、いやきっと、小池とて香山紫乃に縋られたら、ヘンな漢気を発揮してしまうだろう。

「そんな妹なのに、紅美はそれでも可愛がっていたわ。小さい頃に縁日で買った、お揃いの指輪を大切にしていたりして。それだけは、紫乃に取られなかったって、ね」


 小池がその日最後に会ったのは、香山紅美の学生時代の友人であった。
 
「紅美が行方不明? 何時いつから? えっ挙式直前?」

 眉を寄せて考えている男性は、香山紅美の一つ年上で、大手商社勤務だった。
 小池と同行している警官に向ける視線は怜悧である。
 
「やっぱり、さっさと奪っておけば良かったな」

 自嘲気味に彼は笑う。どうやら紅美の恋人だったらしい。

「そうだな、交際つきあってたよ。でもさ、俺は長男一人っ子。紅美は跡取娘。一回だけ結婚したいって紅美の家に行ったら、塩撒かれたよ。『ウチの資産を狙った卑しい奴』とか言われてさ。
あの家の近くの公園も、香山さんの土地なんだってね。枝垂桜も含めて。
ああ、これじゃ紅美と結婚なんて無理だって、俺は諦めた」

 大手商社マンらしいスタイリッシュな男性は、さらりと小池に名刺を渡す。

「何か分かったら、教えてください。俺は紅美の力になりたい。そう思ってます。今も」

 浅井という、かつての紅美の恋人は、小池に深くお辞儀をした。


◇確保◇


 小池は聞き取った情報を手に、「何相」事務所へ向かった。
 
「残念ながら、香山紅美氏の婚約者、今井医師には連絡がつきませんでした」

「今井さんは、勤務していた病院を挙式前にお辞めになってますから、仕方ないでしょう」

 石田の机には、前回よりも物があふれている。

「だいたい状況は掴めました。小池さん、今夜お時間ありますか?」

「あ、はい」

 なんだろう。
 一献傾けるのだろうか。

「超勤というかサビ残というか、ああ、残業申請は出してください」

「何か、この件の関係業務ですか?」

「そのとおりです、小池さん。そうそう、小池さん、地元のSNSに流して欲しいものがあります」

「なんでしょう?」

「幽霊騒ぎの続報です。そうですね、『ついに見つけた! 枝垂桜の幽霊』みたいな内容で」

「はあ」

 よく分からないまま、小池は石田の言う通り、文章をSNSに投じた。

「今夜、カタをつけましょう」


 深夜二時。

 小池は石田の指示により、頭に暗視鏡を付け、その上にビニールのカッパを羽織り公園に立つ。
 暗視鏡には赤外線照射装置がついており、灯のない公園で動くことが出来る。

「枝垂桜の木の根元で、しゃがみながらウロウロしててください」

 石田からはそう言われていた。

 生温かい風が吹く。
 今夜は月も見えない。
 本当に、何かが出たらどうしよう。

 小池はドキドキしながら、枝垂桜の根元あたりを往ったり来たりする。
 すると、赤外線を反射したのか、キラっと光るものが、地面に見えた。
 なんだろう。

 小池は座って手を伸ばす。
 伸ばした小池の手の甲に、いきなり真っ赤な光が当たる。

 自分の暗視鏡がずれたかと、小池の動きが止まった瞬間であった。
 小池の体は何かによって、跳ね飛ばされた。
 
「痛ってえ……」

 上体を起こそうとした小池の目に、ふわり立ち尽くす、白い人影が映る。

 まさか!
 ミイラ取りがミイラ?
 いや違う!

 幽霊のふり、なんかしたから。
 幽霊に、捕まったぁ……
 
 小池の意識は途切れた。



 
「小池さん、小池さん、大丈夫ですか?」

 小池の目の前に、石田の顔があった。
 
「あれ? 僕……」

「お手柄ですよ、小池さん! 捕まえましたから、幽霊!」

 そうか。幽霊見て、気を失って……
 小池はハッとして飛び起きた。

 雲が途切れ、月が辺りを照らす。

 石田の横には、男女のカップルが互いに身を寄せ合っていた。
 女性は、写真で見た顔だ。香山、紅美か?
 男性は、昼間あった商社マン。浅井と言ったっけ。

「すみません、驚かしてしまいました」

 紅美は謝罪する。
 声が、聞き取りにくい。
 見れば紅美の首には、包帯が巻かれていた。

「もっと早く、連絡しておけば良かったです。申し訳ない」

 浅井も頭を下げた。

 一体何が起こったのだろう。
 小池の頭には疑問符が飛び交っている。

「小池さん、あなたの奮闘により、おおよそ解決しましたよ」

 石田に言われても、全然納得できない小池であった。


◇謎解き◇



 翌日。
 睡眠不足のまま、小池は県の防災センターの会議室に赴いた。
 関係者を集めての説明会を行うと、石田から連絡を受けたいた。
 「何相」の事務所では、手狭だそうだ。

 会議室には石田の他に、警備課の課長と警官がいた。
 小池が席に着くと、浅井に手を引かれて香山紅美がやって来た。
 一番最後に香山紫乃が、一人の男性を伴って入室する。

 紫乃は紅美の顔を見ても、表情を変えることはなかった。
 紅美は唇を一文字にした。

「皆さんお揃いになりましたので、『県民の命と安全を守るための何でも相談できる事務所』で扱いました『枝垂桜の幽霊』と香山紅美氏の失踪について、報告いたします」

 石田は会議室のホワイトボードに、先日小池とまとめた情報を簡単に書いた。

「発端は三月の上旬、南区の枝垂桜に木枯らしの様な音が響き、深夜に赤い光が走り、白い人影、幽霊のようなものが現れる、という噂でした。そして、公園近くにお住まいの、香山紅美さんが行方不明になったという相談が舞い込んだのです」

 会議室は石田の声だけが響く。

「わたしは、この幽霊騒ぎと行方不明は関連があると思い、県警の情報分析課、警備課と連携しました。その結果、昨夜、行方不明だった香山紅美さんを見つけることが出来たのです」

 香山紅美は、首の包帯にそっと触れた。

「香山紅美さん、あなたの首の傷、それは気管に傷がついたからですね」

 紅美は頷く。

「あなたは気管に傷を負った状態で、公園に走り込んだのではないでしょうか。『木枯らしのような音』とは、気管を通る呼吸音だったと、わたしは推測しています」

 紅美は無言である。
 紫乃は強張る。

「では香山紫乃さんにお聞きします。あなたは、果物のアレルギーがある方ですね?」

「えっ? ええ……」

 なぜ知っているのか、という紫乃の表情である。

「当事務所でケーキをお出しした時に、あなたはイチゴや他の果物が載ったケーキを選ばなかったですね。おそらくはアレルギー反応をお持ちだろうと、推測したのですよ。さらに言えば、微量反応ありの食物アレルギー。すなわち、日常的に、アナフィラキシーを起こさないように、アドレナリン自己注射薬を持ち歩いているのでは?」

 紫乃の隣に座っている、今井が発言する。

「それが何か問題でも?」

「いいえ、全然。ただし、自分に打つだけでなく、アレルギー反応のない他人に打ってしまったら、いささか問題はありますね」

 それまで黙っていた紅美が、掠れた声で言う。

「そこまでご存じなんですね……」

 紅美は隣席の浅井の手を握る。
 二人見つめ合って、紅美はこくりと頷いた。

「私の今の声では、些かお聞き苦しいとは思いますが、この際すべてお話いたします。


 紅美は話を始めた。

「ことの起こりは私の結婚式の打掛です。友人に草木染めの作家がいますので、柔らかい薄紅色の生地を創ってもらいました。挙式は春の予定でしたので、友人は桜の木の皮と、赤い実の果物を使って仕上げてくれたのです」

 紫乃は俯いて黙っている。

「出来上がりは素晴らしいもので、上品な色打掛となりました。でも……」

「妹さん、紫乃さんが、それを欲しがった?」

 小池は紅美の友人が言っていたことを思い出し、つい口を挟んだ。  

「はい。他のものならともかく、挙式用でしたし、友人がわざわざ手掛けてくれたものでしたから。特に紫乃は、バラ科の果物類全体にアレルギーを持っていたので、桜で染めた布を着たら、どうなるかと……」

 紅美の言葉に小池は思い出す。
 石田は「桜もバラ科」であると。

 紫乃の肩が震えている。
 隣の今井は、その肩を抱く。

「あの晩、着物が置いてある部屋で、紫乃は私の打掛を、鋏で刻んでいました」

 ぽたっ

 紅美は涙を落とす。

「止めても無駄。しかし、桜や果実で染めたものです。刻んでいるうちに、紫乃はアレルギー反応を起こしました。
正直、そのまま見捨てようかと思ったのです。
何でも欲しがり、奪っていく妹。それを咎めない両親。
……でも、アドレナリン製剤を取りに行かなければと。妹の部屋に置いてあるはず、と」

 紫乃の顔色は悪い。

「そしたら、いきなり紫乃は私を刺しました。アドレナリン製剤を持っていたのです。製剤はノック式で針が出ます。そのまま、私の咽喉を……」

「違うわ!」

 立ち上がり、紫乃が叫ぶ。

「自分に刺そうとして、間違っただけよ! それにもう、あの時あんた、婚約破棄されてたじゃない! 挙式用の衣装なんて無駄だったのよ!」

 いつもの純和風な髪を振り乱し、すぐにでも紅美に掴みかかりそうな勢いだった。
 今井は必死で紫乃をなだめる。

「気管に開いた穴を押さえ、私は家の裏口から公園に走りました。木枯らしのような音は、多分その時出たものでしょう。確かに、今井さんとの婚約はもう解消されていて、私には行く宛てがなかったのです。そこでずうずうしくも浅井さんに、しばらくお世話になっていました」

 石田が紅美に訊く。

「その公園を走った時、何かを落としたのですね。深夜、落とした物を探しに、あなたは公園にやって来た」

「はい。自宅近くの公園なので、昼間は近寄れず、深夜、赤外線付きの暗視カメラを持って、うろうろしていましたが……。ようやく昨夜、見つけました」

 これですと言って、紅美は指を見せた。
 ビーズ細工の小さな指輪。
 泣きわめいていた紫乃が、はっとして息を飲む。

「妹と、紫乃とお揃いで買った指輪です。たった一つだけ残る、妹と仲良かった時の想い出なんです」

 紫乃が先ほどよりも、大きな声で泣き出した。
 

◇終幕◇



 結局、香山家内のトラブルであるため、警察はこれ以上介入せず、行方不明者の発見と「中途半端な都市」伝説のような幽霊騒ぎも解決したので、一件落着となった。

 新緑が眩しい季節になった頃、小池は「何相」を訪れた。
 今日は県の銘菓「うますぎる饅頭」を手土産にしている。

「やあ小池さん、今日はまた、何かの情報をお持ちですか?」

「あ、いえ、ええと、香山さんの一件で、ちょっと疑問が残っていたので」

 あの後、紅美は浅井と入籍し、香山家とは、ほぼ絶縁したと聞く。
 妹の紫乃は、来月今井と結婚するそうだ。

「どんな疑問でしょう?」

「兄弟姉妹って、そんなに、心の底から憎しみあうものなんですか?」

「日本の殺人事件、その半数は親族によるものってご存じでしょう。配偶者を除くと、殺人事件の親族の犯人は、実の両親、実の子ども、実の兄弟姉妹ですからね。他人や外部の人間には、伺い知れぬものがあるのでしょう」

「あと、何で石田さんは、早くから香山家に目を付けていたんですか?」

 石田はほんの一瞬、口を噤む。
 石田の瞳には、コンマ何秒かの光が、斜めに走った。
 蒼い、稲妻のような光だった。

「もう何年も前ですが、虐待疑いがあったのですよ。香山さんの近隣の方から通報がありました。香山紅美さんに対して、ご両親からの。ただ、証拠も紅美さん自身の訴えもなく、何ら介入できなかった……」

「別件でもう一つ、石田さんに質問です」

「はい?」

「なんで杜仲茶五回、言わせたんですか?」

 石田は笑う。
 快活な笑顔だ。

「それは秘密です。何なら、『東京特許許可局』五回でも良いですけど」

 ちぇっと言いながら、小池は饅頭の箱を開けた。


 了
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