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解きたくても、ほどけない

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「遅かったわね。マークス様がお待ちよ」

 母は目だけが笑っていない。
 貴族の夫人は器用な表情を作る。
 母付の侍女に案内されて、私は客間に入った。

「待っていたよ! シェリ!」

 バネのようにソファから立ち上がり、マークスは大袈裟に両腕を広げる。
 私はその腕をすり抜け、マークスの向かい側に座る。

「お待たせして、申し訳ないです」

 後から入ってきた母が、眉を動かす。

「相変わらず可愛げのないこと。せっかく婚約者様が来て下さったというのに」
「ああ、シェリは恥ずかしがっているんでしょう。美しい母上様と同席するので」
「まあ、お上手ね、マークス様」
「いえいえ、キャサリーヌ夫人の美貌は、叔父から何度も聞かされていまして、子ども心にずっと憧れていました」
「お世辞でも、あなたのような端正な殿方に言われると、ときめいてしまうわね。うふふ」

 母とマークスは、私の存在など忘れたかのように、親し気に話を続ける。
 なんだろう、この気持ち悪さ……。

 母はともかく、こういう会話をマークスはしたかったのだろうか。
 上辺のお世辞の応酬が、貴族の嗜みというものか……。

 私には、無理だ。
 
「それでね、シュリー」

 いきなり母が私の方を向く。

「マークス様から聞いたのだけど、あなた最近、マークス様を避けているって本当?」

 答えに詰まる。

「まあまあ夫人。彼女にも同性の友人との付き合いはあるでしょうから、それは仕方ないと思っていますよ」

「あらあ。お優しいのねマークス様」

「でも、学園の送り迎えが出来ないのは、婚約者として、男として、ちょっと立場がないもので」

「それはそうよねえ。シュリー、明日からまた、マークス様と一緒に学園に通いなさい」

「え……」

「分かったわね。あんまりヨナにばかり、迷惑かけるものじゃなくてよ」

 母の視線は言外の意味を込めている。
 ヨナと一緒に学園に行き来するのは、止めろと言っている。
 もしも私が言うことを聞かないなら……。

 きっと母は、ヨナを邸から追い出すだろう。

「はい……」
 
 母は知らないのだろうか。
 私が父に、マークスとの婚約の見直しを、お願いしていることを。

 今朝といい、今この場に居ることといい、マークスにはバーランド伯から、婚約に関しての話が、何か伝わったに違いない。

 となれば、私がマークスに抱いている感情に、少しは彼が気付いて良いのに。

「ねえシェリ」
「はい……」
「僕たち、もっと一緒にいる時間を増やそうよ」

 私は思わず目を開き、マークスを見る。

「会話が足りないと、誤解も生まれると思うんだ」
「そうね、わたくしもそう思うわ」

 余分な母の後押しが腹立たしい。

「僕は君のこと、心から愛しているからね」

 マークスはいつもの、唇を歪めた笑みを見せる。
 
「まあまあ、お熱いことで」

 母の言葉でマークスは目を伏せ、恥じらっているかのような素振りをする。
 私には、どうにも下手な演技としか思えない。

 以前なら……。
 もっと前なら喜んだと思う。

 一緒にいて、もっとお話をして、互いを知ろうと思っていたもの。

 でも、今はもっと、自分のやりたいことに時間を使いたい。
 ヨナに組み紐を教えてもらいたい。
 お友だちと一緒に、お喋りやお買い物をしたい。

 マークスの愛って、紙よりも薄く感じてしまう。

 あなたの愛って、何?

「じゃあ、明日の朝また、迎えに来るよ」

 マークスを見送ると、背後に佇んでいた母が冷ややかな声で言う。

「あんまり我儘言わないことね」
「言ってません」

「あなたなんて、マークスとの婚約がダメになったら、誰も貰ってくれないからね」

 言われなくても分かっている。
 分かっているから、今まで我慢してきたもの。

「はい。分かってます」

 母が去った後で、ヨナが心配そうに駆けて来た。

「お嬢様! 大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫。母の前ではマークスも好青年だから」

 ふと、思う。
 母とこんなに長い時間、話をしたのはいつ以来だろう。
 
 小さい頃は、もっと構って欲しかった。
 姉や妹と同じように、扱って欲しかった。

 今は?

 なんだかお互い、関わらないに限る気がする。
 私が母を愛しても、母から返って来ることはない。
 遠い昔に諦めたこと。
 それでも時々、心にツキンと来る。

 軽く頭を振り、私はヨナにお願いをする。

「ヨナ。今日は五つの輪を作ってみたいの」
「かしこまりました」
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