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三十三章 芝生も棒アイスも、隣のものが良く見えるみたいだ

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 篠宮母子と今野が退出した後、音竹は母の樹梨に向かって話を始めた。

「お母さん、僕ね、ずっと我慢してました」

 樹梨はちらっと、上目遣いで息子を見る。

「なんで僕には、お父さんがいないんだろう。なんでいつも、お母さんは泣きながら、僕を叩くのだろうって思いながら……」

 音竹の伯母である長尾は、きつい視線を樹梨に向ける。
 
「でも、今日、はっきり想い出した。……窓のバルーンを引っ張ったの、お母さんだよね」
「ちっ、違……」
「あの日お母さんが紐を引っ張ったから、炎が上がった。僕は爆発した音と炎に驚いて、すべり台の上から落ちたんだ」

――お母さん! 助けて、お母さん!

「僕は落ちる時に、お母さんに手を伸ばした。……手を、伸ばしたんだ」
「やめて! もうやめて! 悪かったわよ。私が悪かったから」

 髪を振り乱し、泣き声を上げる樹梨に、長尾は言う。

「冷静に話をしましょうよ、樹梨」

 上唇を噛みながら、樹梨は長尾を睨む。

「お、お姉ちゃんには、関係ないでしょ」
「あるわ」


 張り詰めた室内の空気を緩和するかのように、白根澤が「よっこいしょっと」言いながら何かを配り始める。

「そろそろ疲労してるでしょ? 少し頭を冷やしましょう」

 白根澤が配っているのは、当たり付きの棒アイスだった。

 一体、どこから調達したのだろう。
 こういうマメさは見習ってもいいかもと、加藤は思う。
 まあ、思うだけだが。

「あ、俺、パイナップルアレルギーだから、せいさく、お前のソーダ味と取り換えてくれ」

 仕方なく、加藤は氷沼と棒アイスを取り換える。
 それを見た長尾は、口の端だけ笑う。

「ふ。昔、私もよくやった。というか、やられたわ。『お姉ちゃん、そっちの方がいい』って」
「そ、そんなこと……」

 長尾も樹梨も、棒アイスを食べ始める。

「だけど、さすがに結婚相手まで、それをやられるとは、思わなかったわ」

 樹梨はぷくっと頬を膨らます。

「あの、伯母さん。本当にごめんなさい」

 音竹が長尾に頭を下げる。

「あら、良いのよ、もう。昔の話だし。あなたに、伸市君に会えて良かったと思うわ」

 食べ終えたアイスの棒を袋に戻すと、長尾は音竹伸市の手を握る。

「それよりも、伸市君。伯母さんと一緒に住まない?」
「え?」
「九月から、私の勤務先は関東になるの。住む処も君の学校の近くになる。だから……」
「何言ってるのよ、お姉ちゃん!」

 俯き加減でアイスを舐めていた樹梨が、長尾に突っかかる。

「あの人の忘れ形見だから? それとも私への嫌がらせ?」

 化粧がだいぶ剥げた樹梨に、長尾は冷静に言う。

「そんなんじゃないわ。音竹君の今後を考えて、ウチの親たちにも相談したのよ」
「どうせ、パパやママは、お姉ちゃんの言いなりでしょ」

 長尾の表情は変わらない。

「あなたの為でもあるわ、樹梨」
「ウソ!」
「嘘じゃない。あなたには無理よ。子育ては」
「い、今まで、ちゃんと育ててきたわ」

「幼い子を叩いたり、子守歌代わりに、恨みつらみを言い聞かせたりするのが、ちゃんとした子育てなのかしら」

 樹梨はキッとした目付きで、ツカツカと長尾に近付く。

「何にも、何にも知らない癖に! 子どもを産んだことのないお姉ちゃんに、子育てが分かるわけなんか、ないでしょ」 

 樹梨は手を振り上げ、長尾の顔に振り下ろそうとする。

 バチ――ン!

 ハッとして樹梨が手を引っ込める。
 樹梨の平手打ちを受けたのは、長尾ではなく、音竹だった。

 白根澤が、樹梨を抱き寄せ、土俵の外に押し出すように椅子に座らせた。

「伯母さん、お願いします。僕を、伯母さんの家に引き取ってください」

 頬を腫らした音竹が、再度長尾に頭を下げた。

「しんちゃん、何! どうしてそういうこと言うの! お母さんは私でしょ」
「お母さん……」

 意を決したように、音竹は母に言う。

「お母さんは、罪を、償わなければならない」
「え、だって、放火じゃないって、さっきの人、車椅子の人が言ってた……」

「違う。それじゃない。お母さんは、お母さんの罪は、
お父さんを、殺したことだよ」


 加藤は目を瞑る。
 公園での彼は、何かを悟った様子であった。
 幼少期の記憶を、取り戻したのだろうと思ったが。

 とうとう、音竹は、それに気がついてしまったのか。
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