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五章 宿泊学習の夜、怪談はしないほうがいい

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 加藤の睡眠時の脳は、一般的な成人の、レム睡眠、ノンレム睡眠の波形を取らない。

 一分で入眠し、目覚める時は瞬時。

 加藤の学生時代の友人が、彼の睡眠状態に興味を持ち、研究対象にしたことがあった。
 結果、加藤の眠りは、新生児とほぼ同じ脳波となり、特異体質という一言で片付けられた。

 生徒の叫び声により、加藤は覚醒し、その瞬間駆け出した。
 向かう先は音竹の部屋。迷うことなくそのドアを開ける。

「バカもーん!」

 加藤がドアを開けると同時に、怒鳴り声がした。
 一足先に入室していた、体育の玉田の声だった。

 怒鳴られた生徒は確か木ノ下だ。
 木ノ下は音竹の隣の布団で、ぐすぐすと涙ぐんでいた。
 音竹も上体を起こし、俯いている。

「お前、自分が何をやったか、わかっているのか!」

 木ノ下は、涙ぐみながら、小さく「ごめんなさい」を繰り返す。
 音竹の布団の横に、会館名が印字された枕が放り出されていた。

 察するに、理由は分からないが、木ノ下が音竹に枕を与え、それに頭を乗せた音竹が発狂したような声を上げた、というところだろう。

 玉田の叱責は続いている。

 うざい。

 しかも玉田、お前、酒臭くないか?

 同じ部屋には、あと三人の生徒が、皆、玉田の威圧に怯えて、身を寄せ合っていた。

 緊張しながらやって来た、合宿の初日である。
 身体も声も、態度もデカイ大人に怒鳴られたら、テンション下がって、嫌な思い出しか残らないだろう。そんなことも分からないのか。
 そもそも合宿の第一目的は、「生徒同士の親睦を深める」ではなかったか。

 加藤は玉田を押しのけて、するりと音竹の横に入り込む。
 そのまま、左腕で音竹を、右腕で木ノ下を抱き寄せる。

「玉々先生、俺が付き添いますから、あとは任せてください!」

 玉田は「たまたま、じゃなくて玉田だ!」などと、ぶつぶつ言いながら、退出する。
 そして、ドアの外で様子をうかがっていた、他の部屋の生徒たちを、手で追い払った。

「木ノ下君、君の間違った行為に関しては、明日もう一度、音竹くんに謝りなさい」

 木ノ下は何度もコクコクと頷く。

「でもね、君は多分、音竹君のことを心配して、やったことだろうと俺は思う。その気持ちは、決して間違っていない」

 木ノ下が鼻を啜った。

「音竹くん。枕は『浄化』されてないモノだったんだろ?」

 音竹も頷く。

「俺が今夜は一緒にいるから、も一度横になって寝ても大丈夫だ、死んだりしない」

 怪訝な表情の音竹に、加藤は言う。

「俺は密教の寺で修行して、在家得度ざいけとくどした人間だ。心配なら、不動明王の真言を、ずっと唱えてあげよう。不動明王は、炎ですべてを浄化できるぞ」

 加藤はいつの御時にか分からないが、得度を受けている。その気になれば、僧侶資格も取れるそうだが、白根澤からは止められているのだ。

「大丈夫、です」

 音竹は恐る恐る、布団にもぐる。
 間もなく寝息が聞こえてきた。

「君も眠れるか?」

 加藤は木ノ下に尋ねる。
 木ノ下は、荒い息のまま、無言である。

「君たちはどうだ?」

 加藤は同じ部屋の生徒らに訊く。

 三人の生徒らは、ごそごそと布団にもぐる。

 叫び声と怒鳴り声を聞かされたあとなので、すぐには寝付けないだろう。
 加藤は右腕で木ノ下を抱えながら言う。

「しょうがない。せっかくだから、君たちが寝付くまで、本当にあったっぽい、恐い話でもしてあげよう。身長が、二メートル四十センチくらいある女性の話か、猿の運転手が出て来る夢の話、どっちがいい?」

「どっちもネットで見た」

 小声で誰かが言った。

「そうか。では、ある駅についたら、そこは異世界だった話とか」

 木ノ下が、ようやくくすっと笑った。

「二月の名前の駅ですか?」
「いや、『弥生駅』という実話だ。総武線の終点のイッコ前にある駅でな、今は西千葉駅という名前なんだが」

「先生?」
「なんだ?」

  木ノ下が布団に入る。

「先生の使ってるコロン、懐かしい香りです。落ち着きました」

 白根澤には幾度となく、加齢臭には気をつけなさいと言われているので、加藤は、男性向けのコロンを薄くつけている。

「そうか、それは良かった。君のお兄さんかお父さんが使っていたのか?」

「あ、いえ、ウチのおじいちゃんが使っていました」

 一瞬、能面顔になった加藤であったが、照明を落とした生徒らの部屋で、結局朝まで付き添っていた。
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