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夏休みのドロート子爵領
大人の社会を垣間見た・その1
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アルバスト先輩が、名代としてドロート邸を訪れた数日後、ファイアット侯爵から正式な召喚状が届きました。
母によれば、毎年秋の収穫が終わり税金を納めてから、冬が来る前に侯爵家には領地関係の書類を出しているそうです。
「緊急案件が出たのかしら」
母は気負いも緊張もなく、訪問する用意をしています。
「私は、私とステアは、何か準備することってある?」
「特にないわ。心配しないで。これも良い経験だから」
ファイアット侯爵のお邸は、ドロート領と王都の、丁度半分くらいの場所にあります。
いつもは母と執事のロジャーがお伺いしていますが、今回は指定された人数が多いので、馬車を二台仕立てます。
「ステアは俺と一緒か?」
父がボケたことを言ってます。
「いいえ。おば様と一緒です」
「それならフローナ、お前、こっちへ来るか?」
「お母様、ステアと一緒に乗ります」
私の返答に、なぜか父は、愕然とした表情を浮かべていました。
馬車の中で、母はいつものように、刺繍を始めます。
「おば様の刺し方、早いのに糸の乱れがないわ」
感嘆するステア。
「経験年数の差よ。長くやっていれば、誰でも出来るようになるわ」
「そうなんだ……」
私は気になり、ステアに訊きます。
「ねえ、ステア。大丈夫?」
「何が?」
「侯爵様のところに、ウルス、様も来るって……」
「ああ」
ステアは、思い出したかの様に言います。
「気にしないわ。というか、もう関係ない感じなの、ウルスとは。私、今日はフローやおば様と、ずっと一緒にいさせてね」
「わかったわ、ステア」
馬車はガタゴトと石を弾きながら、侯爵邸に近づいて行きます。
母の刺繍は、鮮やかな鳥の模様を描き出していました。
◇◇
ファイアット侯爵邸は、目算で、我がドロートの邸の、軽く三倍はありそうです。
比べること自体、烏滸がましいのですが。
家令の方に案内されて客間に入ると、既に多くの人が集まっています。
「ごきげんよう!」
朗らかな声に振り向くと、ラリア様が美しい挨拶をしています。
慌てて私も倣います。
ここは学園内ではない、普通の貴族社会なのですね。
ラリア様がファイアット侯爵令嬢だったことは、此処に来る直前に知りました。
学園では、家名を意識する機会が少ないのです。
しかもドロート家の本家筋に当たるご令嬢。
私、失礼なことを、やらかしている気がします。
私は母とステアと並んで、ソファーに座ります。
座った瞬間、体半分が沈んだ感じを受けるようなソファーです。
父は、プラウディ子爵と並んで座ります。
プラウディ子爵の後ろに、夫人とウルス様がいました。
そのウルス様、私たちの方に一瞥もしません。
ガン無視ですね。
呼ばれた人たちが座ると、音もなくドアが開き、ファイアット侯爵と思われる男性と共に、きっちりとした服装と髪の乱れが一本もない、やや年配の男性がやって来ました。年配の方は、王宮の文官でしょうか。
さらに、アルバスト先輩の普段着とおなじような、作業服を着ている男性は、アルバスト先輩にカバン持ちをさせながら、部屋に入ってきました。
学園では見たことがない、白髪の男性ですが、アルバスト先輩のお師匠様、といった雰囲気です。
閉まったドアの両脇には、騎士が立ちます。
そのうちのお一人は、ルコーダ様です。
ルコーダ様のがっしりした体躯を見ると、安心します。
「では……」
侯爵家の家令が言いかけた時です。
ドンドンと、部屋のドアを叩く音が響きます。
「遅れてすまない!」
この声は!
苦笑しながら、ルコーダ様がドアを開けました。
走り込んで来たのは、やはり、アリスミー殿下でした。
殿下がファイアット侯爵よりも上座に座ると、家令が再度、挨拶をします。
「従来、年に一度の報告書だけで済ませてきたが、今回陛下の指示もあり、詳しく状況を聞きたいと思います、まずは、ドロート子爵。領地の状況をお願いします」
ファイアット侯爵は、分家の子爵に対しても、丁寧に話をされます。
端正な顔立ちの侯爵様です。
ラリア様は侯爵様に、似ているのですね。
「ひゃい!」
侯爵から指名された父は、声が裏返っています。
恐らくは、父の頭の中は、今、真っ白でしょう。
「おそれながら」
母が、侯爵に向かいます。
「わたくしが代わりに説明申し上げてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、子爵夫人。ああ、座ったままで結構」
母は、いつもと変わらない口調で、説明をします。
「前年度、当地の麦類の収穫量は、一昨年に比べて二割増量し、税収も同様に伸びています。農地使用は麦類が七割、それ以外の野菜根菜で三割となっており、バランスの取れた農業展開と考えています」
「なるほど。結構です、夫人。参考までに、収穫増量の決め手は何でしょう?」
「灌漑の整備と、肥料の選定かと」
アルバスト先輩と同じ作業服を着ている男性は、母の話のメモを取りながら、時折頷いています。
そのメモを、文官ぽい男性と、殿下に渡しています。
「では、プラウディ子爵。同じように、領地の状況を」
プラウディ子爵は、懸命に額の汗を拭きながら、指先が震えていました。
母によれば、毎年秋の収穫が終わり税金を納めてから、冬が来る前に侯爵家には領地関係の書類を出しているそうです。
「緊急案件が出たのかしら」
母は気負いも緊張もなく、訪問する用意をしています。
「私は、私とステアは、何か準備することってある?」
「特にないわ。心配しないで。これも良い経験だから」
ファイアット侯爵のお邸は、ドロート領と王都の、丁度半分くらいの場所にあります。
いつもは母と執事のロジャーがお伺いしていますが、今回は指定された人数が多いので、馬車を二台仕立てます。
「ステアは俺と一緒か?」
父がボケたことを言ってます。
「いいえ。おば様と一緒です」
「それならフローナ、お前、こっちへ来るか?」
「お母様、ステアと一緒に乗ります」
私の返答に、なぜか父は、愕然とした表情を浮かべていました。
馬車の中で、母はいつものように、刺繍を始めます。
「おば様の刺し方、早いのに糸の乱れがないわ」
感嘆するステア。
「経験年数の差よ。長くやっていれば、誰でも出来るようになるわ」
「そうなんだ……」
私は気になり、ステアに訊きます。
「ねえ、ステア。大丈夫?」
「何が?」
「侯爵様のところに、ウルス、様も来るって……」
「ああ」
ステアは、思い出したかの様に言います。
「気にしないわ。というか、もう関係ない感じなの、ウルスとは。私、今日はフローやおば様と、ずっと一緒にいさせてね」
「わかったわ、ステア」
馬車はガタゴトと石を弾きながら、侯爵邸に近づいて行きます。
母の刺繍は、鮮やかな鳥の模様を描き出していました。
◇◇
ファイアット侯爵邸は、目算で、我がドロートの邸の、軽く三倍はありそうです。
比べること自体、烏滸がましいのですが。
家令の方に案内されて客間に入ると、既に多くの人が集まっています。
「ごきげんよう!」
朗らかな声に振り向くと、ラリア様が美しい挨拶をしています。
慌てて私も倣います。
ここは学園内ではない、普通の貴族社会なのですね。
ラリア様がファイアット侯爵令嬢だったことは、此処に来る直前に知りました。
学園では、家名を意識する機会が少ないのです。
しかもドロート家の本家筋に当たるご令嬢。
私、失礼なことを、やらかしている気がします。
私は母とステアと並んで、ソファーに座ります。
座った瞬間、体半分が沈んだ感じを受けるようなソファーです。
父は、プラウディ子爵と並んで座ります。
プラウディ子爵の後ろに、夫人とウルス様がいました。
そのウルス様、私たちの方に一瞥もしません。
ガン無視ですね。
呼ばれた人たちが座ると、音もなくドアが開き、ファイアット侯爵と思われる男性と共に、きっちりとした服装と髪の乱れが一本もない、やや年配の男性がやって来ました。年配の方は、王宮の文官でしょうか。
さらに、アルバスト先輩の普段着とおなじような、作業服を着ている男性は、アルバスト先輩にカバン持ちをさせながら、部屋に入ってきました。
学園では見たことがない、白髪の男性ですが、アルバスト先輩のお師匠様、といった雰囲気です。
閉まったドアの両脇には、騎士が立ちます。
そのうちのお一人は、ルコーダ様です。
ルコーダ様のがっしりした体躯を見ると、安心します。
「では……」
侯爵家の家令が言いかけた時です。
ドンドンと、部屋のドアを叩く音が響きます。
「遅れてすまない!」
この声は!
苦笑しながら、ルコーダ様がドアを開けました。
走り込んで来たのは、やはり、アリスミー殿下でした。
殿下がファイアット侯爵よりも上座に座ると、家令が再度、挨拶をします。
「従来、年に一度の報告書だけで済ませてきたが、今回陛下の指示もあり、詳しく状況を聞きたいと思います、まずは、ドロート子爵。領地の状況をお願いします」
ファイアット侯爵は、分家の子爵に対しても、丁寧に話をされます。
端正な顔立ちの侯爵様です。
ラリア様は侯爵様に、似ているのですね。
「ひゃい!」
侯爵から指名された父は、声が裏返っています。
恐らくは、父の頭の中は、今、真っ白でしょう。
「おそれながら」
母が、侯爵に向かいます。
「わたくしが代わりに説明申し上げてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、子爵夫人。ああ、座ったままで結構」
母は、いつもと変わらない口調で、説明をします。
「前年度、当地の麦類の収穫量は、一昨年に比べて二割増量し、税収も同様に伸びています。農地使用は麦類が七割、それ以外の野菜根菜で三割となっており、バランスの取れた農業展開と考えています」
「なるほど。結構です、夫人。参考までに、収穫増量の決め手は何でしょう?」
「灌漑の整備と、肥料の選定かと」
アルバスト先輩と同じ作業服を着ている男性は、母の話のメモを取りながら、時折頷いています。
そのメモを、文官ぽい男性と、殿下に渡しています。
「では、プラウディ子爵。同じように、領地の状況を」
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